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---------------Japan On the Globe(154) 国際派日本人養成講座 _/_/ _/ 地球史探訪:キリシタン宣教師の野望 _/ _/ _/ キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペイン _/_/ の植民地とすることを、神への奉仕と考えた。 -----------------------------------------H12.09.03 27,253部 ■1.日本布教は最も重要な事業のひとつ■ イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ は日本に3年近く滞在した後、1582年12月14日付けでマカ オからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに次のよう な手紙を出した。 私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、 神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言す ることができる。何故なら、国民は非常に高貴且つ有能に して、理性によく従うからである。 尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不 向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中 で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何 もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練 を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。 しかしながら、シナにおいて陛下が行いたいと思ってい ることのために、日本は時とともに、非常に益することに なるだろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。 [1,p83] 「シナにおいて陛下が行いたいと思っていること」とは、ス ペイン国王によるシナの植民地化である。日本は豊かでなく、 強すぎるので征服の対象としては不向きだが、その武力はシナ 征服に使えるから、キリスト教の日本布教を重視する必要があ る、というのである。 ■2.シナ征服の6つの利益■ スペインの勢力はアメリカ大陸を経て、16世紀半ばには太 平洋を横断してフィリピンに達し、そこを足場にしてシナを始 めとする極東各地に対し、積極的な貿易と布教を行っていた。 宣教師達はその後もスペイン国王にシナ征服の献策を続ける。 1570年から81年まで、10年以上も日本に留まってイエズス会 日本布教長を努めたフランシスコ・カブラルは、1584年6月2 7日付けで、スペイン国王あてに、シナ征服には次の6つの利 益があると説いている。 第1に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は、主へ の大きな奉仕であり、第2にそれによって全世界的に陛下の名 誉が高揚される。第3に、シナとの自由な貿易により王国に多 額の利益がもたらされ、第4にその関税により王室への莫大な 収入をあげることができる。第5に、シナの厖大な財宝を手に 入れる事ができ、第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り 短期間で世界の帝王となることができよう、と。 このようにスペイン帝国主義と、イエズス会の布教活動とは、 車の両輪として聖俗両面での世界征服をめざしていた。 ■3.日本人キリスト教徒の「ご奉公」■ さらにカブラルはシナ人が逸楽にふけり、臆病であるので征 服は容易であると述べ、その例証に、13人の日本人がマカオ に渡来した時に、2〜3千人のシナ人に包囲されたが、その囲 みを破り、シナ人の船を奪って脱出した事件があり、その際に 多数のシナ人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事 件をあげている。 私の考えでは、この政府事業を行うのに、最初は7千乃 至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分 であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパード レ(神父)達が容易に2〜3千人の日本人キリスト教徒を 送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍して いるので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1 エスクード半または2エスクードの給料で、ンンとしてこ の征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。 [1,p95] 日本に10年以上も滞在したイエズス会日本布教長は、日本 人を傭兵の如くに見ていたのである。 ■4.人類の救済者■ 宣教師は教会のほか、学校や病院、孤児院を立てた。地 球が球形であることを伝え、一夫一妻制を守りるよう説い た。これらにより、キリスト教の信者が西日本を中心に増 えた。この当時、キリスト教とその信者をキリシタンとい った。[2,p117] 中学歴史教科書の一節である。同じページにはザビエルの肖 像画があり、そこに記されたIHSという文字について、「イ エズス会の標識で『耶蘇、人類の救済者』の略字」と説明され る。キリシタン宣教師達は、まさに未開の民に科学と道徳を教 え、社会事業を進める「救済者」として描かれている。 数ページ後には家康によるキリシタン弾圧が次のように描か れている。 家康は貿易のために、はじめキリシタンを黙認していた が、やがて禁教の方針をとった。信者に信仰を捨てるよう に命じ、従わない者は死刑にした。[1,p130] さらに家光が、「キリシタンを密告した者に賞金を出すなど して、キリシタンを完全になくさせようとした」事を述べ、厳 しいキリシタン取り締まりに島原・天草で約4万人の農民が一 揆を起こして、「全滅」した事を述べている。 この教科書を読んだ中学生は、「救済者」達に対するなんと 野蛮な宗教弾圧かと思うであろう。しかし、なぜ家康は黙認か ら禁教へと方針を変えたのか、については一言も説明がない。 秀吉も同様に、初めのうちはキリシタンを奨励していたのに、 急に宣教師追放令を出している。いずれもキリシタン勢力から 国の独立を守ろうとする秀吉や家康の防衛政策なのである。 ■5.日本準管区長コエリョの秀吉への申し出■ キリシタン宣教師の中で、イエズス会日本準管区長ガスパ ル・コエリョは、最も行動的であった。当時の日本は準管区で あったので、コエリョはイエズス会の日本での活動の最高責任 者にあたる。 天正13(1585)年、コエリョは当時キリシタンに好意的であ った豊臣秀吉に会い、九州平定を勧めた。その際に、大友宗麟、 有馬晴信などのキリシタン大名を全員結束させて、秀吉に味方 させようと約束した。さらに秀吉が「日本を平定した後は、シ ナに渡るつもりだ」と述べると、その時には2艘の船を提供し よう、と申し出た。当時、日本には外航用の大艦を作る技術は なかったのである。 秀吉は、表面はコエリョの申し出に満足したように見せかけ ながらも、イエズス会がそれほどの力を持っているなら、メキ シコやフィリピンのように、我が国を侵略する野望を持ってい るのではないかと疑い始めた。 ■6.コエリョの画策とバテレン追放令■ 翌々年、天正15年(1587)に秀吉が九州平定のために博多に 下ると、コエリョは自ら作らせた平底の軍艦に乗って、大提督 のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なの で、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。 その前に秀吉は九州を一巡し、キリシタン大名によって無数 の神社やお寺が焼かれているのを見て激怒していた。秀吉は軍 事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると 確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。 コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大 名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。そして自分は 金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。しかし、 この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった。 コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵が あれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリ ピンに要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集 めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知ら れずに済んだ。[1,p109-114] ■7.秀吉のキリシタンとの対決■ 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、ス ペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が 出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を 征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇 の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。 そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を 出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しか し、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独 力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大 船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。 文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに 手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指 下にある」と脅している。[3,p372] 慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を 行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざ わざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対 するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニ ラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手 段をとった。丁々発止の外交戦である。 ■8.天草をスペイン艦隊の基地に■ 全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キ リシタン勢力の中では、布教を成功させるためには軍事力に頼 るべきだという意見が強く訴えられるようになった。1590年か ら1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クル スは、1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会 総会長に出している。要点のみを記すと、 日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでも しも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国 を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてそ の内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)又は四国を包 囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海 上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の 生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろ う。・・・ このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と 協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るよ うにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適し ている。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り 囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好 な位置にある。・・・ (日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設する ことの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共 にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・多く の日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイ ン人の間で育てることになるだろう。・・・ スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべ きシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日 本から調達することが出来る。[1,p147-150] キリシタン勢力が武力をもって、アジアの港を手に入れ、そ こを拠点にして、通商と布教、そしてさらなる征服を進める、 というのは、すでにポルトガルがゴア、マラッカ、マカオで進 めてきた常套手段であった。 また大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス 会に寄進しており、ここにスペインの艦隊が入るだけでクルス の計画は実現する。秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシ タンとの戦いは、徳川家康に引き継がれた。 ■9.国家の独立を守る戦い■ 家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリ シタンびいきで、大阪城にこもって、スペインの支援を受けて 徳川と戦うという事態であった。当時の大阪城内には、宣教師 までいた。大阪攻めに先立って、家康はキリシタン禁令を出し、 キリシタン大名の中心人物の高山右近をフィリピンに追放して いる。 1624年には江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じ、さらに1637 〜38年のキリシタン勢力による島原の乱をようやく平定した翌 39年に、ポルトガル人の渡航を禁じた。これは鎖国と言うより、 朝鮮やオランダとの通商はその後も続けられたので、正確には キリシタン勢力との絶縁と言うべきである。[4] キリシタン宣教師達にとっては、学校や病院、孤児院を立て ることと、日本やシナを軍事征服し、神社仏閣を破壊して唯一 絶対のキリスト教を広めることは、ともに「人類の救済者」 としての疑いのない「善行」であった。その独善性を見破った 秀吉や家康の反キリシタン政策は、国家の独立を守る戦いだっ た。これが成功したからこそ、我が国はメキシコやフィリピン のように、スペインの植民地とならずに済んだのである。 ■リンク〜近代世界システムと日本■ a. JOG(003) 悲しいメキシコ人 メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊さ れてしまった。日本人も戦国時代に同じ運命に陥る危険があった。 b. JOG(090) 戦争の海の近代世界システム 海洋アジアの物産にあこがれて、ヨーロッパと日本に近代文明 が勃興した。 c. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸 鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設 に乗り出した。 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. 「キリシタン時代の研究」★、高瀬弘一郎、岩波書店、S52.9 2. 「中学社会 歴史分野」、日本書籍、H9.1 3. 「国民の歴史」★★★、西尾幹二、産経新聞社、H11.11 4. 「歴史に学ぶ」★★★、村松剛、「日本への回帰 第17集」 国民文化研究会編、S57.3_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 坂井君(福岡県、高校生)より 今回の『キリシタン宣教師の野望』とても興味深い内容でし た。今までキリシタン宣教師がこのような考えを持って、日本 に来ていたなんて知りませんでした。 私は高校2年で、受験には関係ないのですが、こういった話 にはとても興味を持っています。しかし、私の周りを見る限り こういった話を共に語り合うことができる友人は1人か2人し かいません。私がこういった話をするとみんな引いてしまいま す。みんなびっくりするほど無関心で戦争のことについてなど まったく知らないのです。私は戦争についての知識が多少ある ので、クラスでは戦争マニアで通っています。 それほどまでにみんな知らないんです。どうしてみんなはこ れほど無関心なのでしょうか?それとも私がおかしいんでしょ うか?時々疑問に思います。正しいか正しくないかは別にして こういったことをみんなで討論し合うことは、とてもすばらし いことだと思います。そして、多くの人がこういう知識をもつ べきです。 ■ 編集長・伊勢雅臣より 平和を守るためにこそ、戦争のことを良く研究しておかねば なりません。君と語り合える人を、一人でも二人でも捜して語 り合ってください。日本人の1%が変われば、日本は変わりま す。
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