[トップページ] [平成13年一覧][Common Sense][207 歴史教育][232 イギリス][311 地球史における共同体]

-----Japan On the Globe(184)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     Common Sense: セント・ポール大聖堂にて 
       _/_/                           〜大英帝国建設の原動力
_/ _/_/_/         そこここに立つ偉人の彫像や記念碑は、未来の
_/ _/_/        「精神の貴族」を育てる志の記憶装置である。
-----H13.04.08----33,905 Copies----238,621 Homepage View----

■1.セント・ポール大聖堂■

     すでに4月になろうとしているのに、ロンドンの空は薄曇り
    で、肌寒かった。地下鉄の駅から出ると、目の前に黒ずんだ
    巨大なセント・ポール大聖堂がそびえ立つ。ドームの高さは
    110mで、ローマのサン・ピエトロに次いで世界で2番目だ
    という。朝まだきで、観光客はまばらであり、それだけに厳粛
    な雰囲気がただよう。
    
     大聖堂の中に入って目を引くのは、天井のモザイクや、ステ
    ンドグラスではない。装飾の美しさではパリのノートル・ダム
    大聖堂などの方が印象的であった。このセント・ポール大聖堂
    が独特なのは、そこここに立つ偉人の彫像や記念碑である。
    
     フランス・スペイン連合艦隊をトラファルガー沖で撃滅した
    ネルソン提督、ナポレオンをワーテルローの戦いで破ったウェ
    リントン公、英国最高の詩人の一人ジョン・ダンなどの記念碑
    や彫像が並び立つ。
    
     地下室へ降りるとネルソン提督とウェリントン公の巨大な棺
    を中心に、クリミア戦争で戦傷者看護に貢献したナイチンゲー
    ル、ペニシリンを発見したフレミングなど著名な人々の墓碑銘
    があり、またや床には様々な人々を顕彰するレリーフやら銘板
    が所狭しと埋め込まれている。

■2.個人顕彰の伝統■

     個人を顕彰する、という行為は、イギリス文化の顕著な特徴
    の一つであるように思える。彫像や記念碑だけでなく、英国ほ
    ど伝記文学の盛んな国もないだろう。19世紀の政治家・作家
    のディズレリーは、「歴史など読むべきではない。但し、伝記
    を除いては。というのも、伝記だけが理論(セオリー)を含ま
    ない、唯一のまともな歴史だから」と語った由である。[1,p7]

     マルクス主義史観のような「理論」を軽蔑し、あくまでも個
    人がその人生をどう生きたか、という具体的事実を尊重するい
    かにもイギリス人らしい姿勢である。その志向は、個人の肖像
    画、彫像、写真などを約1万点も集めたナショナル・ポートレ
    イト・ギャラリーにも見てとれる。
    
     思想についても同様で、この国ではドイツ流の観念哲学など
    は流行らない。19世紀の大英帝国最盛期のベストセラーのひ
    とつが、サミュエル・スマイルズの "Self Help, with Illu-
    strations of Character and Conduct"(「自助論」、[2])で
    あり、これは偉人の生き様を材料にした人生論である。

■3."Character"■

     スマイルズの本のタイトルにある "Character" という言葉
    に、英国人の個々の人間の具体的な生き方へのだわりがこもっ
    ているように感じる。この言葉は「人格」とか「品性」を意味
    するが、それは単に道徳的レベルが高いというだけでなく、堅
    忍不抜の精神力を持って、国家公共のために尽くすという生き
    方に対する尊敬がこめられている。中西輝政・京都大学教授は
    「大英帝国衰亡史」[1]で「精神の貴族」という訳もあてられ
    ている。日本語で言えば「士道」に近い語感を持つ。
    
     大英帝国は地球上の面積の4分の1、人口の6分の1を支配
    し、なおかつ産業革命、金本位制、自由貿易、議会制民主主義、
    法治制度、英語などの多くの経済的、文化的遺産を残した。し
    かしその出自はヨーロッパ大陸の端の小島に住む弱小混血民族
    であって、土地も人口も物質資源も限られていたことを考えれ
    ば、その成功の要因は何らかの精神的要素にしか求め得ない。
    
     セント・ポール大聖堂の地下祭室のおびただしい記念碑やプ
    レートをながめつつ、"Character"という言葉に象徴される英
    国流の理想が、大英帝国建設の原動力になったのではないか、
    という思いがしきりにした。

■4.ウェリントン公の奮闘■

     "Character"の実例を見てみよう。セント・ポール大聖堂に
    顕彰されているウェリントン公は、スマイルズの「自助論」に
    も登場する英国の国民的英雄である。公は軍務についた最初の
    10年間で、軍における実務処理や統率が将兵の士気に大きく
    影響することを学び、1797年にインドに派遣されてからは疲れ
    も知らずに、細かな事まで掌握し、部下の規律を最高水準にま
    で引き揚げようと奮闘していた。
    
     マイソール州の州都司令官に任命されたウェリントン公は、
    1500名のイギリス兵と5千名のセポイ兵の混成部隊を率いて、
    2万の歩兵、3万の騎兵からなるマラータ族を打ち破る。戦争
    後、勝利に酔いしれた兵士たちが、暴徒と化して略奪を始める
    のを止め、市場を復興して、生活必需品の供給を軌道に乗せた。
    上官のハリス将軍は、次のようにインド総督に報告している。
    
         彼が物資の供給に関して賢明かつ断固たる措置を取った
        おかげで、自由に商品売買ができるようになりました。市
        場には物資があふれています。商人たちもわれわれを信用
        するようになりました。彼の仕事ぶりはまことに見事とい
        うほかありません。[2,p130]

■5.債権者に縮こまる常勝将軍■

     非凡な指導力を買われたウェリントン公は、ナポレオン軍に
    占領されたポルトガルを解放するため、1万人の遠征軍の指揮
    官に任命された。公はポルトガル軍を指揮下において共同作戦
    がとれるように訓練し、3万の軍勢で、35万のフランス軍と
    戦って大勝利を収めた。その陰ではイギリス政府の無能、ポル
    トガル兵の裏切りなど様々な困難を実務的に解決していた。
    
     たとえばイギリスからの食糧供給の見込みがないと分かると、
    たちまち穀物商人に変身し、約束手形を発行しては地中海や南
    米の港で穀物を買いあさった。しかし公は占領地での略奪や徴
    用は厳禁したので、次のような手紙を残すほど、困窮した。
    
         われわれは借金で首が回りません。私などは、おめおめ
        外出もできないくらいです。なにしろ、債権者が負債の支
        払いを求めて手ぐすね引いて待っているのですから。
        
     「自助論」では、この手紙に関する次のような評を紹介して
    いる。
    
         かくまで堂々として、しかも人格の高潔さを強くうかが
        わせる告白があるだろうか。三十年の軍歴を持つ老兵、鋼
        鉄の男、常勝の将軍が、大軍を率いて敵地に陣を構えなが
        ら、なおかつ債権者たちの前で縮こまっているいるという
        のだから。古今の征服者や侵略者の中で、このような不安
        に心を悩ましたものは皆無に等しいだろう。戦いの歴史を
        ひもといてみても、彼ほど崇高で純粋な心の持ち主はいな
        いはずだ。[2,p134]

     インドの領有と、宿敵フランスの打倒とは、大英帝国建設の
    大きなステップであった。ウェリントンなければ、インドは維
    持できず、ナポレオン軍には敗退し、イギリスは帝国建設の途
    上でスペインやオランダと同様、衰退の道を辿ったろう。ウェ
    リントン公の人格の高潔さと、非凡な指導力と実務能力、そし
    て奉公の精神、すなわち、公の"character"が、英国にとって
    も飛躍の一大要因であったことを窺わせる。

■6.ジェンナーの志■

     軍事以外の側面でも、大英帝国を築いた「精神の貴族」たち
    の一例を見てみよう。「自助論」で紹介されている種痘の発見
    者ジェンナーがその好例である。

     1749年に牧師の3男として生まれたエドワード・ジェンナー
    は14歳の時から、開業医のもとで7年間医学の修行する。そ
    の間に「牛痘にかかった人は、天然痘にかからない」という乳
    搾り女たちの言い伝えを聞いて、牛痘が予防効果を持つのでは
    ないか、と考えた。それを同僚の医師達に話すと、一笑に付さ
    れただけでなく、そんな突飛な説を振りかざして同業者達を困
    らせ続けるなら、医者の世界から追放するしかない、と脅かさ
    れたほどだった。
    
     しかし、ジェンナーはあきらめずに20年以上も天然痘予防
    の研究を続け、23人の予防実験に成功して、その成果を本に
    まとめて出版した。この実験の中には、彼の息子も被験者とし
    て入っていた。
    
     種痘を広め、天然痘の災禍を食い止めようとするジェンナー
    はロンドンに赴いたが、当時の医学界から総スカンを食らって、
    郷里に引き揚げざるをえなかった。また牧師たちからは種痘が
    「魔法妖術のたぐい」であると非難され、種痘を受けた子供は
    「牛のような顔になって、角が生える」などといううわさが流
    された。
    
     しかし、貴族階級の二人の女性が勇敢にも自分たちの子供に
    種痘を受けさせたことで、偏見が打破されるきっかけができた。
    やがて、種痘の効果は広く認められ、ジェンナーは世間の尊敬
    を集めるようになる。ロンドンに移り住んで開業すれば、年収
    1万ポンドは固い、と勧められた時、彼はこう答えた。
    
         若いころから私は、谷間(たにあい)の道を歩むように
        静かでつましい生活を求めてきました。それなのに晩年の
        今になって、どうしてわが身を山頂へ運んでいけましょう。
        富や名声をめざすのは、私に似つかわしい生き方ではあり
        ません。[2,p66]

     大英帝国は植民地主義と人種差別を基調とする近代世界シス
    テムの中心的プレーヤーであったが、中南米の先住文明を収奪
    し尽くしたスペインなどと大きく違う点は、近代科学、産業革
    命、法治制度、議会制民主主義など、近代化の面での世界史的
    貢献も顕著な点である。ジェンナーのような「精神の貴族」た
    ちが、この面での原動力であった。
    
■7.高貴な精神の記憶装置■

     軍人のウェリントン公と医学者のジェンナー、分野はまるで
    異なり、また貴族と平民と出自も異なるが、その生き方には共
    通点がある。私利を図らず国家公共のために尽くす志、そして
    艱難辛苦に耐えてその志を貫き通す堅忍不抜の精神力、まさに
    大英帝国を築いたのはこのような「精神の貴族」なのである。
    この二人の例だけでも、英領南アフリカの基礎を築いたヤン・
    スマッツの次の言葉は納得できるだろう。
    
         大英帝国が、世界中の諸民族や部族に及ぼしている支配
        と統治の真の基礎は、軍事力などの力にあるのではなく、
        その威信と、精神力にあるのである。[1,p7]
        
     威信も精神力も「精神の貴族」達によって発揮される。こう
    した「精神の貴族」たちを無数に輩出したことが、大英帝国の
    建設につながった。スマイルズは言う。
    
         立派な国民がいれば政治も立派なものになり、国民が無
        知と腐敗から抜け出せなければ劣悪な政治が幅を利かす。
        国家の価値や力は国の制度ではなく国民の質によって決定
        されるのである。[2,p11]

     しかしそれではなぜ、英国はこのような「精神の貴族」達を
    輩出しえたのだろうか? ここで思いは再びセント・ポール大
    聖堂に戻る。そこでの偉人たちの記念碑、さらにはその伝記や
    「自助論」の物語などに囲まれて、英国の青少年たちは育った
    のである。それはまさしく「精神の貴族」達の高貴な志を次代
    に伝承する記憶装置ではなかったか。
    
■8.未来の「精神の貴族」を育てる■

     わが国にも偉大な人物を神として祀る伝統がある。また全国
    津々浦々に有名無名の人物を顕彰する無数の像や碑が立つ。さ
    らに英国の伝記文学と比肩すべく、歴史物語、史談、講談が根
    強い国民的人気を持っていた。スマイルズの「自助論」も明治
    時代に「西国立志編」と題して訳され、100万部以上売れた
    と言われる。わが国も英国と同様、高貴な志の記憶装置にはこ
    とかかなかった。
    
     英国とわが国は、ユーラシア大陸の東西両端の離れ小島に位
    置し、遅れて文明化した弱小混血民族でありながら、近代史に
    巨大な足跡を残したという点で、著しい共通パターンをなす
    [a]。それも両国ともに豊かな記憶装置によって「精神の貴族
    たち」の輩出に成功してきたからであろう。
        
         1903年(明治37年)、ついに日露戦争が始まった。日本軍
        は苦戦を重ねながらも戦局を有利に進めた。しかし、日本
        の戦力は限界に達し、ロシアでは革命運動がおこるなど、
        両国とも戦争を続けることはむずかしくなった。1905年、
        日本を支持してきたアメリカの斡旋で講和会議が開かれ、
        ポーツマス条約が結ばれた。
    
     ある中学歴史教科書の一節である。当時、世界的に尊敬を集
    めた東郷元帥も乃木将軍も出てこない「歴史理論」に過ぎない。
    「歴史など読むべきではない。但し、伝記を除いては。」とい
    うディズレリーの言葉が思い起こされる。
    
     抽象的な歴史理論を知識として教え込むのみで、先人の生き
    方を教えない教育は、子どもたちが未来の「精神の貴族」に自
    己実現しようとする志の芽をつんでしまう。それはきわめて非
    人間的な行為ではないか。同時に国家としての自己実現をも阻
    んで国民全体の幸福を損なう道である。
    
     立派な国家は自助と公共の精神に富んだ国民が築きあげ、そ
    うした国民は先人の高貴な精神の継承によって育てられる。わ
    が国の歴史教育はまさにその正反対のことをしている。セン
    ト・ポール大寺院の地下祭室で、無数の顕彰碑に囲まれながら、
    そんな事がしきりに思われた。
    
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(091) 平和の海の江戸システム
 日本人は平和的に「自力で栄えるこの肥沃 な大地」を築き上げ
た。 
b. JOG(115) オランダ盛衰小史
 なぜオランダは「大英帝国」になり損ねたのか? 
c. JOG(104) ヴェネツィア
 人工島の上に作られた自由と平等の共同体。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 中西輝政、「大英帝国衰亡史」★★、PHP研究所、H9
2. スマイルズ、「自助論」★★、三笠書房知的生き方文庫、S63
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「セント・ポール大聖堂にて 」について       瀧川さんより

     小さな頃、なぜか仏間に、曽祖父と曾祖母の写真が飾ってあ
    りました。祖母がいつも口癖のように、「ご飯を残したら、目
    がつぶれる、戦争に行けないよ」「靴は揃えて家に上がりなさ
    い、挨拶は元気よく」「毎日、仏壇に手を合わせなさい」と言
    われていたことを、40歳近くになってやっと理解できたよう
    な気がします。「精神の貴族」は、それぞれの家庭という単位
    にもあったはずなのです。記憶装置もしっかりあったような気
    がします。

     次代のために、自分がやらなければならないことがあると思
    います。だから亡くなった祖母に叱られています。今でも私の
    枕もとに立つことがあります。何か言いたげな表情をして、そ
    っと立っています。夜中にそんなことがあると、別の部屋で寝
    ている子供の顔を見に行きます。なぜ、自分には子供を授けら
    れたのだろうか、どうして祖母は私の前に現れるのか。

     自分がこの世に、この時代に生きているということは、先に
    生きた人への感謝と、次に生きてゆく人に対する責任と受け止
    めています。自分の人生は、そういうところに位置付けられる
    と思います。小さくとも「精神の貴族」でありたいと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     瀧川さんは新城市の青年会議所で教育改革に取り組んでいら
    っしゃいます。瀧川さんの呼びかけで、講演会をさせていただ
  きました。青年実業家の皆さんが、多忙な本業の傍ら、地元の
  子供たちの教育に取り組んでいる姿に頭が下がる思いがしまし
  た。
---------------------------------------------------------
まぐ28,406 カプ1,995 Melma!1,868 Macky!854 Pubizine782 

© 平成13年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.