[トップページ][210.759 大東亜戦争:和平への苦闘][270 オセアニア]

■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

                   サイパン島の四十七士

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1091 ■ H18.02.06 ■ 8,244部 ■■■■■■■


     昨年6月末、天皇皇后両陛下は、サイパン島に行幸啓された。
    5万有余の戦没者の慰霊の為である。

     サイパンに米軍が押し寄せて来たのが昭和19年6月15日。
    激戦半月余の後、島の北方に追い詰められた日本軍が、組織的
    な最期の反撃戦を行い玉砕した日が7月7日である。

     しかし、サイパン島における戦いはなおも続いた。組織的な
    戦闘は終結したものの、生き残った将兵は小集団となって戦い
    続けた。

     米軍は数度にわたって日本兵の残党狩りを行って撃滅しよう
    としたが、日本の将兵たちは島内四ヶ所を拠点として戦い抜い
    た。驚くべき事にそれは終戦を越えて昭和20年12月1日ま
    で続いたのである。

     11月になって漸く和平の為の交渉が開始され、大本営から
    の降伏命令書(米軍に打電されたもの)の到着を待って山を降
    りたのだった。最後まで戦ひ抜いた将兵の数は四十七名、指揮
    官は大場栄大尉であった。

     その日47名は髭を剃り軍服に着替えて、タツポーチョ山に
    設けた潜伏拠点の前で亡くなった将兵の慰霊祭を行い、その後
    日章旗を先頭に掲げ、銃をかついで、軍歌「歩兵の本領」を唱
    和しつつ米兵の真っ只中を式場まで整然と行進したという。米
    軍は、彼らを勇士として丁重に扱ひ歓迎会まで催し、米軍の新
    聞にも大きく報じられた。

     米海兵隊の兵士ドン・ジョーンズ氏は大場部隊の姿に感動し
    て、戦後わざわざ日本を訪れ取材して、『タッポーチョ 「敵
    ながら天晴」大場隊の勇戦五二一日』を書き残した。氏は戦後
    の日本人が、自らの父祖たちの戦ひに何ら関心を抱かなくなっ
    た事を嘆いて次の様に記している。

         多くの人たち(昭和二十年以降生れの日本人)の間に、
        戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。
        そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、
        知識の欠如に基づいたものでした。この人たちは、自分た
        ちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦っ
        た精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたこ
        とは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていない
        ことです。私は、このことをとても残念に思います。日本
        の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの
        中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの
        国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、
        そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よ
        く知っています。

        (参考:多久善部「『日本の誇り』復活 その戦ひと精神
                (一)」『祖国と青年』17年7月号
         http://www.d7.dion.ne.jp/~seikyo/sokokutoseinen.htm 

© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.