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               祖国救援に立ち上がった日系人

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1100 ■ H18.02.27 ■ 8,286部 ■■■■■■■

     第2次大戦中、米国在住の日系人は「敵国日本人」として強
    制収容所に入れられ、長年かかって異国の地で築き上げた地位
    も名誉も財産も全て失った。

    JOG(054) 無言の誇り
     収容所に入れられた12万人の日系人 

     強制収容所に入れられた日系人たちを慰めたのは、祖国から
    贈られた心づくしの慰問品だった。そして、敗戦。今度は、在
    米日系人が祖国救済のために立ち上がった。

         先年私共が転住所(弊誌注:収容所)に於て故国同胞か
        ら慰問品として、醤油、味噌、薬品、書籍、娯楽品等贈ら
        れた時の感激を思ひ起すのであります。あの物資不足の日
        本から、衣食住の保証されて居る私共転住所内同胞に対し、
        与へられたる温情を思ひ起す時に私共は欣然として自らの
        持てるものを日本難民に分ち与へる気持ちにならざるを得
        ないのであります。(サンフランシスコ日本難民救済会趣
        意書)

     日系人による「祖国日本の窮乏を救え」との呼びかけは、終
    戦直後から全米で湧き起こり、各地で「日本救援準備委員会」
    「日本難民救済会」などが次々と結成されたが、終戦直後のア
    メリカでは、戦時中に定められた「対敵取り引き法」によって、
    日本へ救援物資を送ることはできなかった。また「日本人の救
    済など利敵行為だ」との世論が圧倒していた頃で、こうした運
    動は行き詰まらざるを得なかった。

     そこで、キリスト教団体等への粘り強い働きかけを行った結
    果、「ララ」(LARA)、すなわち「アジア救援公認団体」
    (Licensed Agencies for Relief in Asia)が設立された。ラ
    ラに参加した団体は、キリスト教関係11、労働組合関係2、
    およびガール・スカウト1の計13団体で、日本難民救済会な
    どの日系人の団体は構成団体とはなり得なかった。

     ララは、昭和27年6月までの6年間、ミルク類、穀物、缶
    詰類、油類等の食料をはじめ、衣類、医薬品、靴、石鹸、裁縫
    材料などの消費物資のほか、乳牛や山羊など、大量の救援物資
    を日本に送り続け、終戦直後の食糧難に苦しむ日本国民を飢え
    から救ってくれた。そして、物資の送り出しにあたっては、当
    時の在米邦人組織の方々の多大なご尽力もあったと伝えられて
    いる。

     なお、祖国救済に立ち上がったのは在米の日系人のみではな
    い。カナダ、ブラジル、アルゼンチン等からも続々と救援物資
    が送られた。特にアルゼンチンは、親日的なぺロン大統領のも
    と、政府ぐるみで日本救援を行ってくれた。

     横浜新港埠頭にはララに関して詠まれた香淳皇后の御歌碑が
    建てられている。

            香淳皇后御歌
        ララの品つまれたる見てとつ国のあつき心に涙こぼしつ
        あたゝかきとつ国人の心つくしゆめなわすれそ時はへぬと
        も

     敵味方を忘れて終戦直後の日本に救援物資を送ってくれた米
    国キリスト教系団体の人類愛とともに、自らの苦難をものとも
    せず、祖国救済に立ち上がった日系人の祖国愛を偲びたい。
    

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