[トップページ][210.62 征韓論と西南戦争]

■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

                 郷土の偉人の実像を伝えよ
           〜 鹿児島県・伊藤祐一郎知事の見識 〜
                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1178 ■ H18.08.28 ■ 8,450 部 ■■■■■■■


     鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、県議会の答弁で、明治維新の
    立役者・西郷隆盛が、武力で朝鮮に開国をせまる「征韓論」を
    唱えたと教科書に記載されていることについて、西郷は交渉に
    行って戦争を避けようとした、との「遣韓論」も併記するよう、
    出版社側に要請する考えを明らかにした。

         通説では、西郷は明治6年(1873年)、朝鮮の鎖国
        政策を武力で打破しようと征韓論を主張したが、大久保利
        通らに反対され、参議を辞し、下野したとされ、教科書に
        も記載されている。

         鹿児島県の公立学校で使用されている歴史教科書では、
        中学2種類、高校14種類のすべてで「征韓論」だけが記
        載されている。

         しかし、歴史学者の間では「西郷は使節派遣で、道義的、
        平和的に交渉することを目指していた『遣韓論』者だった」
        との説もあり、「国史大辞典」(吉川弘文館)にも「あく
        まで交渉をつくして戦争を避けるにあったか、士族の不平
        を外にそらすための外征の名義を整えるにあったか、研究
        者の間に解釈の相違がある」と記されている。
        (読売新聞、H18.06.28)

    「国際派日本人養成講座」429号では、西郷自身の文章から、
    西郷が朝鮮との道義ある国交を求めたとの見方を紹介した。

    JOG(429) 西郷隆盛はなぜ立ち上がったのか
             〜 岩田温『日本人の歴史哲学』から
     必敗を覚悟して西南戦争に立ち上がった西郷は、何を目指し
    ていたのか。

         答弁で、伊藤知事は西郷の人柄を「清廉潔白で無欲」な
        どと評し、「教育の場で本当の姿が伝えられていないのは
        残念。出版社へ併記を求めたい」と述べた。(同上)

     郷土の偉人の実像を回復することで、高い志を抱く青少年も
    増えるだろう。それが教育正常化への近道である。伊藤知事の
    見識ある発言を讃えたい。 

© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.