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■■ Japan On the Globe(576)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

           地球史探訪: 自衛戦争か、侵略戦争か
    
                 マッカーサー曰く「彼らが戦争に飛び込んで
                いった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られ
                てのことだったのです」
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■1.自衛戦争か、侵略戦争か■

     1951(昭和26)年5月3日、ダグラス・マッカーサー元帥は、
    米上院の軍事外交合同委員会で次のような発言をしている。

         日本は絹産業(蚕、かいこ)以外には、固有の産物はほ
        とんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石
        油の産出がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多く
        の原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジア
        の海域には存在していたのです。

         もしこれらの原料の供給を絶ち切られたら、1千万から
        1千2百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れ
        ていました、したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動
        機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったの
        です。[1,p4]

     この5年前に開かれた東京裁判では、キーナン検事が冒頭陳
    述でこう述べている。

         彼らは文明に対し宣戦布告をしました。彼らは起訴状に
        列挙されている偉大な民主主義諸国に対し侵略戦争を計画
        し、準備したのです。(全世界の)支配および統御が彼ら
        の共同謀議の趣旨であったのです。[2,p205]

    「日本が世界を支配しようとして侵略戦争を起こした」という
    東京裁判史観と、「日本は自衛戦争を戦った」というマッカー
    サーの史観は完全に対立するものである。

     マッカーサーはどこからこのような史観を学んだのか。それ
    はおそらく東京裁判において、キーナン検事に徹底的に抗弁し
    た開戦当時の首相・東條英機の供述からであろう。

■2.「東條証言の影響はおそらく深刻なものになるであろう」■

     東京裁判で、東條の供述書が朗読されたのは、昭和22
    (1947)年12月26日からであった。供述書は220ページも
    あり、朗読に3日間もかかった。前年の4月から、清瀬弁護人
    が毎朝東條に面会して書き上げたものであった。

     東條は、その供述の最後に、「摘要」として次のような総括
    を行っている。(読みやすくするために、かな遣いを一部改め、
    句点を追加している)

         私は・・・1941(昭和16)年12月8日に発生した戦争
        なるものは米国を欧州戦争に導入する為の連合国側の挑発
        に起因し、我国の関する限りにおいては自衛戦として回避
        することを得ざりし戦争なることを確信するものでありま
        す。[1,p526]

     供述書朗読の後、12月31日から、キーナン検事の東條尋
    問が始まった。その内容の一部は後で紹介するが、尋問が終わっ
    た翌日、イギリス駐日代表部長のガスコインはマッカーサーに
    こう言った。

         東條の証言は、キーナンに完全に勝っています。東京裁
        判に対する世論が心配です。

    「その通り。きわめて心配である」とマッカーサーも同意し、
    さらに「東條証言の影響はおそらく深刻なものになるであろう」
    と語った。当のマッカーサー自身がその「深刻な影響」を受け
    て、それが5年後の米国上院での冒頭の証言に現れてた、と考
    えられる。

■3.「米英蘭の合従連衡による対日経済圧迫の事情」■

     マッカーサーの指摘した「これらの原料の供給を絶ち切られ
    たら」という点については[a,b]で紹介したが、東條自身は当
    事者として供述書で次のように述べている。[1,p234]

         米英蘭政府は日本の仏印(ベトナム)進駐に先立ち、緊
        密なる連携の下に各種の圧迫を加えて来ました。これらの
        国は1941年(昭和16年)7月26日既に資産凍結を発しま
        した。

      以下、東條はフィリピン、イギリス、オランダでも同時に
     資産凍結が行われた事を指摘した。日本企業がこれらの国で
     持つ預金口座などが凍結されることで、輸入のための支払い
     ができなくなり、また輸出の代金も日本に送金できなくなる。
     結局、日本は輸出入を完全に閉ざされたわけである。

■4.「日本の経済生活は破壊せられんとした」■

     供述は続く。

         右のごとく同じ日に「アメリカ」「イギリス」「オラン
        ダ」が対日資産凍結を為した事実より見てこれらの政府の
        間に緊密な連絡がとられておったことは明白なりと観察せ
        られました。

         その結果は日本に対する全面的経済断交となり、爾来
        (じらい)日本は満洲、支那、泰(タイ)以外の地域との
        貿易は全く途絶し日本の経済生活は破壊せられんとしたの
        であります。

     この結果が、マッカーサーの証言で「1千万から1千2百万
    の失業者が発生するであろう」という事態になったわけだが、
    この点に関しては東條は次のように述べている。

         ・・・ことに石油は総て貯蔵に依らねばならぬ有様であ
        りました。この現状で推移すれば我国力の弾発性は日一日
        と弱化し、その結果日本の海軍は2年後にはその機能を失
        う。液体燃料を基礎とする日本の重要産業は極度の戦時規
        則を施すも一年を出でずして麻痺状態となることが明らか
        にされました。ここに国防上の致命的打撃を受くるの状態
        になったのであります。[1,p237]

     まさに日本は国家の生存権を奪われ、座して死を待つ状態に
    置かれたのである。
    
■5.米英豪其他の陸海空軍の大拡張■

     日本を経済的な麻痺状態に追い込むと同時に、米国は対日軍
    備の増強を続けた。

         この当時米英側の一般戦備ならびにその南方諸地域にお
        ける連携は益々緊密を加え活気を呈するに至りました。す
        なわち1940年(昭和15年)8月には「ノックス」海軍長官
        は「アラスカ」第13海軍区に新根拠地を建設する旨公表
        したとの情報が入りました。・・・

         同年12月には米国は51カ所新飛行場建設および改善
        費4千万ドルの支出を「スチムソン」、「ノックス」及
        「ジョオンズ」の陸、海、財各長官が決定したと伝えられ
        ました。これらは米国側が日本を目標とした戦争準備なら
        び軍備拡張でありました。[1,p191]

         しかも依然として米英豪其他の陸海空軍の大拡張が継続
        せられつつありとの情報が入って来ております。すなわち
        米国海軍省では1940年(昭和15年)1月以降72億34
        百万ドルを以て艦艇2831隻の建造契約なり現在968
        隻を建造中なる旨発表しました。

         なお1941年(昭和16年)10月下旬には「ノックス」海
        軍長官は米海軍の建造状況に関し(イ)就役せる戦闘用艦
        船346隻(ロ)同建造中乃至契約済345隻・・・(ホ)
        10月1日現在海軍飛行機4535機(同)製造中のもの
        5832機なる旨発表しました。[1,p328]

     日本側は鉄も石油も輸入を止められ、その軍事力は日々衰弱
    する一方であったが、米国はその国力を傾けて軍備大拡張に邁
    進していたのである。
    
■6.「日本はそれを脅威と感じた」■

     こうした点について、キーナン検事と東條は法廷において次
    のようなやりとりをしている。[2,p213]

        キーナン 1940年9月、アメリカは日本に脅威を与えてお
                  おりましたか?

        東條   ここの証拠を提出しているように、相当の圧迫
                  を受けておりました。とくに、経済的圧迫を受
                  けておりました。ご承知のように昭和14年7
                  月、日米通商航海条約はアメリカに破棄され、
                  日本政府は非常な圧迫を受けておりました。

        キーナン 私はあなたに軍事的脅威があったかどうかを尋
                  ねているのです。

        東條   昭和15年5月と思います。アメリカの大艦隊
                  は、ハワイに集結していたという事実を申し上
                  げれば、おわかりだろうと思います。

        キーナン アメリカが自国の半島や島々に飛行場や設備を
                  つくるのは、防衛的意味を持っていないという
                  のですか?

        東條   それはアメリカがどう考えるかは勝手であって、
                  日本はそれを脅威と感じた、そう申し上げてい
                  るのです。

     アメリカの大軍拡、およびハワイでの大艦隊集結は争うこと
    のできない事実であり、日本がそれを脅威と感じたという点も、
    誰にも否定しようがなかった。事実においても論理においても、
    東條がキーナン検事を圧倒していた。
    
■7.「首謀者の言動は著しく挑発的となって来ました」■

     もっともアメリカの軍備拡張が「防衛的意味」を持ってはい
    ないことは、米英政府の挑発からも明らかであった。

         ・・・米英蘭豪の政情及軍備増強は益々緊張し又、首謀
        者の言動は著しく挑発的となって来ました。・・・

         例えば1941年11月10日には「チャーチル」英首相は
        「ロンドン」市長就任午餐会において「アメリカ」が日本
        と開戦の暁には「イギリス」は1時間以内に対日宣戦を布
        告するであろうと言明したと報ぜられました。

         その翌々日「イギリス」の「ジョージ」6世閣下は議会
        開院式の勅語にて英国政府は東亜の事態に関心を払うもの
        であると言明せられたと報ぜられました。

        「ルーズベルト」大統領はその前日である休戦記念日に於
        いて米国は自由維持のためには永久に戦わんと述べ前記英
        国首相ならびに国王の言葉と相呼応して居ります。「ノッ
        クス」海軍長官の如きは右休戦記念日の演説に対日決意の
        時至ると演説したのであります。[1,p343]

     日本を経済的に追い詰め、大軍拡による戦争準備を進め、そ
    の上で「さあ、かかって来い」と日本を挑発してきたのである。
    これらの挑発は、「我国朝野を刺激し」、と東條は述べている。
    議会も新聞も、対米開戦を求める声を上げていた。

■8.「米国は日本の受諾し得ざることを知りて通知」■

     こんな状況の中でも、日本政府は外交交渉を通じて戦争を回
    避しようと、最後の努力を続けていた。日本政府が11月5日
    に最終の譲歩案として米政府に提案したのが、甲乙二案であっ
    た。特に乙案は、日支間の和平が成立すれば日本軍を引き上げ
    ると約束した上で、石油禁輸、資産凍結を解除してもらいたい、
    という最終譲歩案であった。

     この2案を承認した御前会議で、昭和天皇は明治天皇の御製

        四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど
        波風の立ち騒ぐらむ

    を読み上げられ、「自分はこの明治天皇の平和愛好の御心を実
    現したいと思っている」と述べられ、満座粛然として、しばら
    くは一言も発する者はなかった、という。

     米国がこれへの回答として送ってきたのが、「ハル・ノート」
    であった。支那からの無条件撤兵、すでに数十各国から承認さ
    れている満洲国の否認、南京国民政府の否認など、それまでの
    交渉を白紙に戻したような強硬な要求が並んでいた。

     これを受け取った日本政府は「米国案の過酷なる内容に唖然
    たるものがありました」として、こう解釈した。

         米国は右条項は日本の受諾し得ざることを知りてこれを
        通知して来ている。・・・米国側において既に対日戦争の
        決意を成しているもののごとくである。[1,p352]

     ここに至って、日本政府はようやく対米英戦争を決意した。
    
■9.「国に報ゆることの足らねば」■

     東條供述書は次の一節で締めくくられている。

         戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問
        題と、敗戦の責任如何との問題とは、明白に分別できる二
        つの異なった問題であります。

         第一の問題は外国との問題であり、かつ且法律的性格の
        問題であります。私は最後までこの戦争は自衛戦争であり、
        現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張し
        ます。・・・

         第二の問題、即ち敗戦の責任については当時の総理大臣
        たりし私の責任であります。この意味における責任は私は
        これを受諾するのみならず、真心より進んでこれを負荷せ
        んことを希望するものであります。[1,p529]

     昭和23(1948)年11月4日、東京裁判の判決が下され、東
    條は絞首刑を言い渡された。東條は満ち足りた表情で、二度ほ
    ど「分かった、分かった」というように頷いた。裁判で言うべ
    きことは言った、という思いがあったのだろう。

     東條は清瀬弁護人に対して「再審請求は行わないでほしい。
    一日も早く刑を執行していただきたい」と語った。それは「侵
    略戦争」を起こした罪からではなく、国民に対する敗戦の責任
    をとる道であった。絞首刑は12月23日に行われ、東條は次
    の辞世を遺して世を去った。

        我ゆくもまたこの土地にかへり来ん国に報ゆることの足ら
        ねば
        さらばなり苔の下にてわれ待たん大和島根に花薫るとき
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(513) 石油で負けた大東亜戦争
    日本は石油供給をストップされて敗北したが、 現在でもその
   リスクはさらに深刻化している。
b. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
    対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させよう
   というシナリオの原作者が見つかった。
c. JOG(121) 笹川良一(上)
    獄中の東条英機に命をあきらめて国家を弁護せよと叱咤した
   男 
   
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 渡部昇一『東条英機 歴史の証言』★★、祥伝社、H18
2. 福冨健一『東條英機 天皇を守り通した男』★★★、講談社、H20

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■「自衛戦争か、侵略戦争か」に寄せられたおたより

                                           魑魅魍魎さんより
     私は現在、中国で日本語教師をしている者です。もう3年目
    になります。

     私が義務教育の場で教えられた歴史観というも、自虐史観と
    呼べるものでした。さらに日本語教師の養成学校でも、日本語
    教育史というのが必須なのですが、そこではいかに台湾や朝鮮
    において、日本語を強制・強要したかという事実を教えられま
    した。さらに、話が「南京事件(いわゆる南京大虐殺)」に触
    れた際に、講師の方は、「絶対にこういう歴史問題を学生と話
    してはいけませんよ」と前置きした後、「この事件を事実じゃ
    ないという人たちがいますが、耳を貸してはいけません。これ
    ははっきりとした事実です。相手の首都である南京を占領すれ
    ば日本へ帰れると思った日本兵士たちが、ちょっと張り切りす
    ぎて起こしてしまった事件なんですよ」とおっしゃっていまし
    た。

     その時、私は別に歴史に大した関心もなくいましたので、
    「そんなものなのか」と思っていた程度なのですが、中国一年
    目の夏に、小泉元総理靖国神社参拝に抗議するデモが続き、二
    日ほど、学校側から授業中止と外出禁止になったことがありま
    した。その際、学校にあった書庫から幾つか歴史の書籍を持っ
    て来て、寮で読みながら過ごしたのですが、いずれも朝●新聞
    系列のもので…いかに日本軍が中国に迷惑をかけたかというこ
    とが、その中の一冊が、子供向けの書籍のようで分かりやすく、
    残虐写真や証言が集められていました。「ここまで一方的に日
    本が悪いってことを、子供にまで教え込むのはどうだろう?」
    と疑問に持ちました。

     もちろんどこへ行っても「中国人は日本を理解しようとして
    いるのに、日本人は差別している」「中国人が怒るのは、先に
    日本人が差別をしているからだ」という意見ばかりでした。

     その一年後、私の学校の目の前のバーに警告文が出ました。
    (看板が立てられ、今でもその看板は見ることができます)
    「爆発物やナイフを所持している方は入場できません」という
    ような、ありきたりの警告文なのですが、その文章の一番上に、
    「日本人軍国主義者、日本人靖国神社参拝者」が出入り禁止な
    のです。

     そのバーは日本人学習者のパーティーなど催し物を毎年やっ
    ているバーなのです。すぐ今年もウチでパーティーをやってく
    れと学校にオファーがあったのですが、私はこの掲示物に納得
    がいかず、出席しないことを申し出たのです。すると、バーの
    店長は、「これは客寄せのためだから」と、すぐさまその掲示
    板に別のビールの広告を張って隠してしまったのです。

     この安易なやり方は何なんだと腹を立て、結局オファーは断
    り、その学校でも、「あの先生はどうも軍国主義者らしい」と
    噂が立ち、結局辞めてしまいました。

     以降、歴史問題はネット上で自分で学ぶようになりました。
    中国からでは、幾つか見られないサイトもあるのですが。
    (「YouTube」も長く閲覧できませんでしたし、「Wikipedia」
    も数回にわたって禁止になりました)

     今、私は中国で上映された映画「東京裁判」の日本語訳をし
    ています。本当にこの映画も、ひどい内容で、事実と異なる点
    は、私のような素人にもいくらでも指摘できます。

     メインの東条英機の供述に関しても、どうも事実とはちょっ
    と意味合いが変わっているものがあるようで、(製作側はこれ
    はすべて現実の資料に基づいているというのですが…)この点
    に一番苦労しています。

     その点、今回の「No.576 自衛戦争か、侵略戦争か」は非常
    に分かりやすく、よい参考になりました。本当にありがとうご
    ざいます。

     どうしても日本で作られた日本語の資料などというと、話題
    の暗いものが多くて困ります。

     聴解問題で、「山田内閣の支持率」という問題が出ると、だ
    いたい支持率が低い結果になりますし、経済問題でも明るい結
    果に終わるものが少ないありさまです。外国人留学生のコメン
    トをまとめた本なども、「日本はここが悪い」とか「変だ」と
    いうものばかりですし、数少ない歴史のものに関しても何とや
    ら…です。

     ですから、このメルマガの記事を参考に、なるべく日本のい
    い所を教える資料を作り、授業で活用させてもらっています。

    もちろん、歴史関連は話題にはできませんが…。これは私の胸
    にしまうことにして、ビジネス関連の情報も非常に重宝してお
    ります。今後も、有用な情報をいろいろとお願いいたします。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     日本語の教師は、日本の歴史文化を海外に伝える大事な仕事
    です。頑張ってください。
 

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