[トップページ][210.759 大東亜戦争:和平への苦闘]

■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

    日本への原爆投下を阻止しようとしたアインシュタイン

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1442 ■ H20.05.19 ■ 9,821 部 ■■■■■■■


■原爆開発の提案■

     1937年7月、アメリカに亡命していたアルバート・アインシュ
    タインのもとに、同じくナチスの迫害から逃れてきたハンガリ
    ー系ユダヤ人物理学者レオ・シラードとユージン・ワグナーが
    ある情報を伝えた。

     最近になってドイツは原子力エネルギーの制御に成功した、
    このままではナチスが原子爆弾を作ってしまう、というのであ
    る。二人はアインシュタインに、ドイツより先に原子爆弾を開
    発するようアメリカ政府に訴えてくれ、と頼み込んだ。

     アインシュタインはこの依頼に応えて、1939年8月2日にル
    ーズベルト大統領に書簡を送って、原子力兵器の開発計画を立
    てるよう進言した。ルーズベルト大統領はこの提案を受け入れ、
    マンハッタン計画がスタートした。

     マンハッタン計画には多くのユダヤ人科学者が必死に協力し
    た。ユダヤ人抹殺を進めるヒトラーが核兵器で武装して世界制
    覇を成し遂げることは、想像するだに恐ろしい悪夢であったか
    らだ。

■日本に原爆を落とさないよう要請■

     しかし、ドイツの敗北が確定的になり、米国政府が原子爆弾
    を日本に対して使う計画を持っている、という事を知って、ユ
    ダヤ人科学者達はショックを受けた。

     日本は、ナチスドイツの同盟国ではあったが、人種差別的イ
    デオロギーに反対し、逆にヒトラーに追われた多くのユダヤ人
    たちを助けていた。[a]

     1944年12月、ユダヤ人銀行家で大統領の親友アレクサンダ
    ー・サックスは、科学者たちの代表として、適切な事前警告な
    しに日本に原爆を落とさないよう要請した。大統領はそれを約
    束したとサックスは主張しているが、その記録は残っていない。

     1935年3月、レオ・シラードはふたたびアインシュタインに
    連絡をとり、今度は、日本に対して原爆を使わないよう大統領
    に要請してくれ、と頼んだ。この時も、アインシュタインは同
    意して、3月25日に大統領宛の手紙を書いて、この問題に関
    してシラードの意見を聞き入れるよう要請した。しかし、ルー
    ズベルト大統領はその手紙を読む機会のないまま、4月12日
    に死亡した。

     この後も、レオ・シラードはユダヤ人科学者たちと力を合わ
    せて、トルーマン大統領宛の請願書を2度も書いたり、大統領
    顧問ジェームズ・バーンズに面会し、陸軍長官ヘンリー・スティ
    ムソンに報告書を送ったりして、日本への原爆投下を中止する
    よう訴えた。しかし、米国政府はそれを聞き入れることなく、
    8月6日、人類最初の原爆を広島に投下した。

     レオ・シラードに代表されるユダヤ人科学者たちが、日本へ
    の原爆投下をやめさせようと必死に努力を続けた事を忘れては
    ならない。

■アインシュタインの思いは■

     アインシュタインはかつて日本を訪れ、

         西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生
        活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋
        で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて
        欲しいものです。[b]

     とまで述べて、日本を賛嘆した。その日本が、自らの提唱し
    た原子爆弾によって無差別攻撃を受けたと知った時、アインシュ
    タインがどのような思いを持ったか、想像に難くない。

■リンク■
a. JOG(532) 天才・ユダヤ、達人・日本(下)
   〜 助け合うアウトサイダー
    人種差別の横行する国際情勢の中で、ユダヤ人と日本人は助
   け合って、危機を乗り越えた。
b. JOG(548) アインシュタインの見た日本
    アインシュタインが日本で見たもの、それは人びとが慎み深
   く和して生きる世界だった。
   
■参考■
1. ベン=アミー・シロニー『ユダヤ人と日本人の不思議な関係』★★★、
  成甲書房、H16 

 

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