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■■ Japan On the Globe(605)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

              国柄探訪: 自由は日本の政治伝統
    
                      国民の自由を守る政治的伝統が、我が国
                     の経済と文化を育ててきた。
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■1.戦前の日本の豊かな生活■

     昭和3(1928)年から11(1936)年まで、日本に滞在したイギ
    リス外交官夫人キャサリン・サンソムは、当時の日本の庶民生
    活を活き活きと描いている。

         日本人には確かに暮らしをよくしていく知恵と才能が備
        わっています。西欧のものに強い関心を払っていますし、
        持ち前の頭のよさと腕のよさでほとんど何でも作ってしま
        います。電化はイギリスよりも日本の方がはるかに進んで
        います。素晴らしい学校もありますし、良い道路も作られ
        るようになりました。・・・

         映画館の数はイギリスの都市とほぼ同じですし、立派な
        ものが建設中です。有名な美しい映画館の音響設備は世界
        一です。一般大衆の趣味が良いから、センスのよい商品が
        求められ、生産されるのです。[1,p162]

     嘉永6(1853)年にアメリカの黒船に脅かされて開国した極
    東の一島国が、わずか80年ほどの間に近代経済を発展させ、
    大英帝国に匹敵するような豊かな国民生活を実現した事は、ま
    さに奇跡としか言いようのない出来事だった。

     そしてこの奇跡的成功は、明治政府が国民の自由を拡大する
    ことによって、そのエネルギーを解放したからだ、というのが、
    原田泰氏の近著『日本国の原則』[1]での主張である。

■2.アメリカの経済的成功の理由は自主と自由にあり■

     明治4(1871)年、維新を成し遂げたばかりの明治政府は、岩
    倉具視を全権大使とし、維新の立役者、木戸孝允、大久保利通、
    伊藤博文ら総勢48人からなる大使節団を欧米に送った。彼ら
    はアメリカの経済的成功の理由は、その自主と自由の精神にあ
    ると見た。

         欧州の自主の精神、特にこの地(JOG注:アメリカ)に集
        まり、その事業も自ずから卓犖闊達(たくらくかったつ、
        とびきり自由なこと)にて、気力はなはださかんなり。
        ・・・自主の論と、共和の議とは、欧州にも充ちたれども、
        ただ米国は純粋の自主民集まりて、真の共和国をなす。自
        主の力を用うるにて自在にて、ますます欧州人民の営業を
        起こす地となりし。[1,p15]

     他のアジア、アフリカ諸国のように植民地に転落することを
    防ぐには、欧米流の「富国強兵」が唯一の道であることは、当
    時の日本人の共通認識であった。そして富国強兵に至るには、
    人民の自主と自由の精神で、その力をいかんなく発揮させるこ
    とが必要だと、使節団一行は見抜いたのである。

■3.職業選択の自由化、土地利用の自由化■

     ここから、明治政府は徹底的な自由化政策を採り始めた。
    
     第一に、江戸時代の士農工商の身分制度を廃止し、職業選択
    の自由を認めた。それによって人々は己の志や適性に合った仕
    事に就くことができるようになった。また、目指す職業に就く
    ための教育も盛んになった。

     福澤諭吉の父親は、下級武士という身分のために、学問を志
    しながらも事務的な仕事しか与えられなかった。しかし、息子
    の諭吉は蘭学を学び、欧米への幕府使節の通訳として随行する
    までになる。欧米の富強ぶりを見た諭吉は、「当今の急務は富
    国強兵です。富国強兵の本は人物の養育に専心することです」
    と母国に書き送っている。この考えから、諭吉は『學問のすす
    め』や『西洋事情』などを著し、国民一人ひとりが学問を通じ
    て、国家有為の人材になることを説いた。[a]

     福澤の著書が大ベストセラーになったのも、職業選択の自由
    があって、それぞれが自分の志を追求する環境ができたからこ
    そであろう。

     第二に土地の利用も自由化された。江戸時代の納税はコメの
    収穫高の一定比率を納める形式をとっていたために、他の商品
    作物の栽培を行ったり、土地を転用したりすることには制限が
    あった。明治政府は明治6(1873)年に地租改正を行い、地価の
    3パーセントを金納するよう改めた。これによって農民は作物
    を自由に選べるようになり、また工場用地などに転用すること
    も自由になった。

     江戸時代には、二宮金次郎の農村復興事業[b]にも見られる
    ように、生産性の高い農法が開発されていたが、明治時代には
    それが急速に広まって農業生産性が飛躍的に高まったのも、一
    定の地代さえ納めれば、あとは自分の工夫次第でいくらでも収
    入が増やせるという自由が与えられたからである。

■4.貿易の自由化による活況■

     第三に貿易の自由化も、経済活動を大いに活性化した。福澤
    諭吉は開港後4、5年しか経っていない時期に、東北のある地
    方が絹輸出で繁盛している様を、こう記述している。

         既に奥州辺十万石許(ばか)りのある大名にて、領分よ
        り絹の売出し追々増して、一か年にて90万両余の高にな
        りたる由。十万石の人数を十万人と積もり、平均一年一人
        九両ずつの金を得る姿なり。誠に莫大の利益というべし。
        右に付、その領分にては、われもわれもと蚕を仕立、中々
        (なかなか)奉公などするものはなく、何れも勝手向きよ
        くなり、普請をしたり着物を着たり、先年麦飯を塩にて食
        したる者も、当時は米の飯にて肴(さかな)を喰う様にな
        り、就いては米も魚類も高値となり、米を作る百姓も、魚
        を取る漁者も、大工も、左官も金回りよく、一国中世柄直
        りたる由。

         右は奥州許(ばか)りに限らず、日本国中同様のことに
        て、絹の出来ぬ国なれば綿を作り、綿の出来ぬ国なれば油
        種子を作り、仮令(たと)ひ外国交易に持ち出さぬ米でも
        麦でも、日本国中廻り持の融通にて諸色売捌(うりはけ)
        よく、百姓も職人も仕事に追はるる程忙しくなりたり。
        [1,p60]

     貿易の自由化が、土地利用の自由、職業選択の自由と相俟っ
    て、経済発展を活性化した様子が、活き活きと描写されている。
    
■5.官営工場の行き詰まりと民営企業の発展■

     明治期の産業発展の一因として、政府が富岡製糸場などの官
    営模範工場を作り、後に民間に払い下げた産業政策が挙げられ
    るが、これも事実は異なるようだ。他にも深川セメント製造所、
    品川硝子(ガラス)製造所、深川白煉瓦(れんが)製造所など
    が設立されたが、官営ではうまくいかず、政府は財政赤字を縮
    小するために、明治13(1880)年に払い下げ方針を決定して、
    順次民間に移管したのだった。

     欧米の新しい技術を日本の状況に適応させる創意工夫は、そ
    の後の民間の起業家によってなされた。製糸業では諏訪の中山
    社は、設備を近隣の大工、鍛冶屋になるべく木で作らせ、繭を
    ゆでる釜は陶器にして、極力、高価な鉄を使わないようにした。
    その結果、官営の富岡製糸場が300釜で19万円余の設備費
    を要したのに対し、100釜の中山社の設備費はわずか1900円
    だった。

     当時の製糸業では女工たちが10数時間も働かされた、とい
    ういかにも資本家が労働者を搾取したという「女工哀史」が語
    られている。しかし実態を記述した『あゝ野麦峠 ある製糸工
    女哀史』では、長時間労働を苦しかったと答えているものは3
    %だけで、あとの大部分は「それでも家の仕事より楽だった」
    と答えている。当時の農業では、朝暗いうちから夜なべ仕事ま
    で、もっと長時間の労働をしなければならなかったのだ。

     また細い糸を引くことに長けた女工は「百円工女」と呼ばれ
    て、年に100円も稼げた。当時100円で普通の平屋なら2
    軒建てられたという。

    「官営工場による産業振興」や「女工哀史」は、社会主義的な
    色眼鏡を通して見た歴史観だろう。事実は、民間企業が自由な
    創意工夫を発揮して事業を発展させ、その中で従業員も以前よ
    り、はるかに豊かな生活を送れるようになっていたのである。
    
■6.自由に対する日本人の鋭敏な感度■

     ここで考えなければならないのは、当時の日本人がなぜこれ
    ほど素早く政府の自由化政策に呼応して、経済発展を実現でき
    たのか、という問題である。

     清朝は、欧米列強が押し寄せてきてからも、72年続いた。
    その間、日本の明治維新に倣って部分的な近代化政策をとった
    り、西洋技術の導入を図ったりしたが、国民の自由を大幅に拡
    大し、そのエネルギーによって経済発展を進める、というアプ
    ローチはついに見られなかった。

     清朝が倒れてからも、蒋介石は軍の近代化は図っても、その
    振る舞いは過去の軍閥と同様であったし、逆に自由を抑圧する
    共産主義の浸透は日本よりも早かった。中国で自由化が進んだ
    のは、毛沢東の大躍進政策などで共産主義が行き詰まり、トウ
    小平が改革開放路線を打ち出した1978年である。日本の明治維
    新の110年後、それも自由は経済面に限られ、政治、報道、
    言論の自由はいまだ大きく制限されている。

     これに比して、日本の欧米使節団は欧米の経済的発展の原動
    力が国民の自由にあることを直ちに見抜き、急ピッチで自由化
    政策を進めた。

     日本と中国では、自由に対する感度が、政府も国民もまるで
    違うのである。それは、日本の歴史伝統の中に、欧米の自由と
    共鳴するものがあったからだろう。
    
■7.「国家人民の為に立たる君にて」■

     弊誌251号「花のお江戸の市場経済」[c]では、江戸時代の経
    済的発展が、まさに現代と似通った市場経済システムによって
    もたらされたことを論じた。全国津々浦々の物産が海運によっ
    て取引され、それらの決済が広域の為替取引や手形によってな
    されていた。

     市場経済システムが成り立つためには、所有権や取引契約と
    いった「法の支配」の概念、そして法が禁じた事以外は、往来
    や取引など個人の自由を認める事が、常識として一般国民の間
    で広く共有化されていなくてはならない。

     政治においても、たとえば徳川幕府から「美政」として3度
    も表彰された米沢藩では、「自助」(民が自ら助ける)、「互
    助」(近隣社会で助け合う)、「扶助」(藩政府が手を貸す)
    の「三助」により、殖産興業と藩民の生活向上を追求した。

     その根底には、藩主・上杉家の「国家人民の為に立たる君に
    て、君の為に立たる国家人民にはこれなく候」という家訓があっ
    た。すなわち、君主としての権力は民の幸福のためにある、と
    いう考え方である。[d]

     この考え方は、武士が初めて権力を握った鎌倉幕府の時から
    すでに生まれていた。平安時代に各地で開墾した土地の所有権
    を自ら武装して守ろうとしたのが、武士の始まりであった。そ
    して土地の所有権を守るために、より有力な武家を棟梁として
    仰ぐことになり、その帰結として鎌倉幕府が成立した。

     しかし、土地争いが起こった時に、武力で決着をつけるとい
    うのでは、争乱は止まない。そこから権利の保障は道理による
    という鎌倉幕府の原則が生まれた。武士の棟梁としての権力は、
    道理によって土地所有権も守り、ひいては万民の利益を守る事
    から正当化される、という考え方が行き渡った。[1,p21]
    
■8.我が国における「自由」の伝統■

    「政治は万民の利益を守るためにある」とする統治思想は、鎌
    倉幕府の発明ではない。将軍とは、天皇に任命された「征夷大
    将軍」である。将軍の権威は、皇室から国家の行政を委任され
    た所から生まれたものである。

     そして将軍を任命する皇室の理想こそ「国家人民の為に立た
    る君」であった。初代・神武天皇が発せられた建国の詔には、
    人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、「八紘一宇(あめ
    のしたのすべての人々が家族として一つ屋根の下に住む)」が
    理想として掲げられている。[e]

     国民の自由とは、洋の東西を問わず権力者による支配に制約
    を与えることによって守られるが、西洋の人民の自由は、フラ
    ンス革命、英国の名誉革命、アメリカの独立革命に見られるよ
    うに、権力者の戦いを通じて勝ち取られてきたものであった。

     それに対して、我が国においては国家の成立時点から、権力
    の正当性は国民の幸福を守ることに存する、という思想があり、
    国民の自由を抑圧し、民を幸福にできないような政治は失格で
    ある、と考えられてきた。

     このような政治思想から、国民の自由と幸福を守るための諸
    制度が徐々に発展し、それが国民のエネルギーを引き出して、
    江戸時代には自由市場経済として結実した。

     自由とは、欧米から新たに学んだものではなく、我が国の政
    治伝統にすでに内在していたものである。だからこそ、明治政
    府の使節団は欧米の富強の原動力が人民の自由な経済活動にあ
    ることを直ちに見抜き、また国民の方も戸惑うことなく、政府
    の自由化政策に即応して、経済発展に邁進できたのである。

■9.自由が生んだ日本文化■

     著書『日本国の原則』の結びで、原田泰氏はこう述べている。

         経済的な成功の意味は、その富を奢(おご)ることでは
        ない。富を自分の価値あると思うことに、自由に使えるこ
        とだ。それが人々の文化を生む。日本の優れた製品、マン
        ガ、アニメ、食文化、カッコいい日本、クール・ジャパン
        とは、自由と繁栄が日本のすべての人々に広がった結果で
        ある。自由な人々の文化は、自由な人々と自由に憧れる人
        びとを引き付ける。それが日本の魅力であり、日本の守ら
        なければならないものだ。1930年代から、いや、古代から
        日本はそのような文化をつくってきた。それが日本国の原
        則であり、私たちが守らなければならないものだ。
        [1,p303]

     我々の自由は、常に脅かされている。たとえばかつてのソ連
    や北朝鮮、そして現在においても中国のような全体主義国家を
    賛美してきた左翼勢力は、偏向報道や偏向教育を通じて、我が
    国を自由なき国にしようと日夜、努めている。

     そうした活動から、我が国の自由を守るためには、まずは自
    由が我が国の政治伝統の重要な柱であり、それによってこそ我
    が国の文化も経済も発展してきたという「日本国の原則」を知
    る事から始めなければならない。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(379) 文明開化の志士、福澤諭吉
    無数のイギリス軍艦が浮かぶ香港で、諭吉は何を考えたのか。
b. JOG(600) 二宮金次郎と「積小為大」
    二宮金次郎の農村復興事業が、日本人の勤勉な国民性を形成
   した。
c. JOG(251) 花のお江戸の市場経済
    日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済シス
   テムの経験が組み込まれている。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon
d. JOG(130) 上杉鷹山 〜ケネディ大統領が尊敬した政治家〜
    自助、互助、扶助の「三助」の方針が、物質的にも精神的 に
   も美しく豊かな共同体を作り出した
e. JOG(287) 大御宝の理想を求めて 〜 国柄に根ざした人権思想を
    いかがわしい「人権」派から、「人権」の理想を取り戻すに
   は。 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 原田泰『日本国の原則 自由と民主主義を問い直す』★★★、
   日本経済新聞社、H19

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■「自由は日本の政治伝統」に寄せられたおたより

                                              Mr.yNさんより
    「自由」という言葉は、「freedom」を禅宗の束縛を離れると
    いう用語を借用して訳した言葉と聞いています。「自由」とい
    う言葉が政治用語としてまだ定着していない明治の初めに、日
    本の指導者達が抱いた「自由に活動する」に相当する概念の言
    語化は、五箇条の御誓文の一文である『官武一途庶民ニ至ル迄
    各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス』だと私は考
    えています。

     人は志をもち、それを実現するように努力し、権力はそのよ
    うな行動を奨励し、妨げるな、という趣旨ですが、それが日本
    の発展をもたらした活動方針だと思います。『自由は日本の政
    治伝統』は、すぐれたご指摘だと思いますが,『自由』の意味
    が揺れている今日,少し誤解を生む余地があると思います.
    『少年よ大志を抱け』など,志についてもう少しに子供達に語
    られる日が来るのを待っています.
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

    「自由」が「各其志ヲ遂ケ」につながるとは、深いご指摘です。

 

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