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              両陛下のハンセン病療養所ご訪問

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1521 ■ H21.02.09 ■ 9,445 部 ■■■■■■■


     国際派日本人養成講座581号[a]では、両陛下がご即位後20
    年で、いかに全国津々浦々までご巡幸になったかを紹介した。
    特に10年以上も侍従としてお側に使えた渡邉允(わたなべま
    こと)氏が語るように、

         国民の中で、他の人は背負っていないような苦しみ、悲
        しみ、辛さを背負っている人こそが、両陛下にとって慰め
        なければならない人たちなのだと思います。[1,p55]

     渡邉氏は、具体的に、こうも語っている。

         両陛下はいわゆる名所旧跡へは全くいらっしゃいません。
        いらっしゃるところは、まず福祉施設、すなわち障害者施
        設、老人ホーム、あるいは保育園といったところで、それ
        から、地方の文化施設でみなさんが誇りにしているような
        ところ、そして、農業や漁業といった地域の産業に関係す
        るところ----だいたいそういうところへいらっしゃいます。
        そして、人と会う時間をなるべく作ろうとなさいます。
        [3,p15]

     581号では、阪神大震災の被災者の人々とのご交流を描いた
    が、両陛下が「苦しみ、悲しみ、辛さを背負っている人」とし
    て御心を懸けられている中に、ハンセン病患者の人々が居る。

     平成16(2004)年1月、ご即位以来3度目の沖縄訪問をされ
    た際には、初めて宮古島、石垣島まで足を伸ばされた。宮古島
    では、国立ハンセン病療養所宮古南西園を訪問された。

     皇后陛下はこのご訪問を次のように詠われている。

         南静園に入所者を訪なふ
        時じくのゆうなの蕾活けられて南静園の昼の穏(おだ)し
        さ

     ゆうなの花は沖縄や屋久島に分布するハイビスカスの一種で、
    秋篠宮佳子様のお印でもある。「時じく」とは「時節ではない」
    の意。まだ蕾のゆうなが活けられていたのには、わけがある。

     昭和50(1975)年、皇太子同妃両殿下として沖縄県名護市の
    ハンセン病療養所沖縄愛楽園をご訪問された。妃殿下は御自身
    の手袋をとられ、形も崩れてしまった病者の指を撫でられ、懇
    ろなお労りのお言葉をかけられたという。

     この時のことを詠まれたのが、次の御歌である。

        いたみつつなほ優しくも人ら住むゆうな咲く島の坂のぼり
        ゆく

     それから30年近くの年月が流れたが、宮古島の南西園の人
    びとは、名護市でのことを聞き及んでいたはずだ。それでゆう
    なの蕾を生けて、両陛下をお迎えしたのだろう。「昼の穏(お
    だ)しさ」という表現に、患者たちが心安らかに治療を受けて
    いる様に安堵されているお心が偲ばれる。

     ちなみにハンセン病は古代からライ病と呼ばれる難病だった。
    天平年間(西暦729〜749年)に光明皇后が施薬院を設けられた際
    に、ライ病患者もお手ずから看病されたと伝えられている。ま
    た大正天皇のお后であった節子妃は、救ライ事業に御心を注が
    れた。[b]

     国民の父母として、「苦しみ、悲しみ、辛さを背負っている
    人」に御心を懸けられるのは、皇室の千年以上にわたる伝統で
    ある。


■リンク■
a. JOG(581)  国民の幸を願われ20年
    両陛下は180回のご巡幸で全都道府県514市町村を訪問
   され、770万人の奉迎を受けられた。 
b. JOG(200) 暗き夜を照らしたまひし后ありて
    ライ救済事業に尽くした人々の陰に、患者たちの苦しみを共
   に泣く貞明皇后の支えがあった。

■参考■
1. 渡邉允『平成の皇室―両陛下にお仕えして』★★★、明成社、H20

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