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             ロシア人捕虜の墓を護る松山の人々

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1569 ■ H21.06.15 ■ 9,163 部 ■■■■■■■


     今週号の国際派日本人養成講座602号「外国人の見た『大
    いなる和の国』」で紹介した加藤恭子編『外国人54人が語る
     私は日本のここが好き!』[1]では、以下のような異色の記
    事が掲載されている。
    
     元ロシア大使館一等書記官で、日本滞在は通算7年のセルゲ
    イ・ハルラモフさんの体験である。

         かつて日本国内を旅した時に、偶然、松山の温泉地にあ
        る墓地に立ち寄ったことがあります。驚いたことに、そこ
        には日露戦争などで亡くなった百人ほどのロシア兵たちの
        お墓がありました。松山には、最初の捕虜収容所が設けら
        れたそうで、次々と送られてきた外国人捕虜たちは、公会
        堂や寺院に収容されたのですが、待遇は非常によく、外出、
        温泉入浴、海水浴なども許され、一時は、4千人を超える
        ロシア人がいたらしいのです。そして、病気などのために
        寂しく異境でなくなったロシア人たちは、ここに埋葬され、
        毎年慰霊祭もあると聞きました。

         近づいてよく見てみると、なんと、それぞれのお墓にみ
        かんや杯などがお供えしてあるのです。近くに住む日本人
        の女性たちが、今でも生花やお水をあげて、ずっとお墓の
        世話をしているのです。私はそのことを知り、日本人の心
        の優しさに、涙が出るくらい感動してしまいました。それ
        以来、日本人の友人たちのことを考えると、彼らを決して
        裏切ることはできないし、裏切られることもないだろうと
        確信できるのです。[1,p203]

     先の大戦でも似たような話がある。三重県紀和町には大戦末
    期に、東南アジアで日本軍の捕虜となった英国兵捕虜たちが約
    3百人移送され、鉱山労働に従事していた。その中で死亡した
    捕虜たちの墓が作られ、毎年、慰霊祭が行われてきた。戦後、
    この地を訪れた元捕虜たちは、立派な御影石の墓に驚き、その
    一人は涙ぐみながら、「ようやく私の戦後は終わった」と語っ
    た。[a]

     死者は故郷の生者の許に帰るべきだとする日本人の死生観か
    らすれば、異国で亡くなった捕虜たちへの同情も敵味方を超え
    たものがある。その思いやりは、他国の人の心をも深く揺り動
    かす。

■リンク■
a. JOG(037) 恩讐の彼方に
    日本での強制労働中に無念の死を遂げた戦友の名を刻んだ立
   派な御影石の墓碑に驚き、感動したイギリス人元捕虜の一人は
   涙ぐみながらつぶやいた。「ようやく私の戦後が終わった」 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 加藤恭子編『外国人54人が語る 私は日本のここが好き!』★★★、
   出窓社、H20

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