[トップページ] [平成10年上期一覧][国柄探訪][911 詩歌]
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (23) _/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座 _/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成10年2月7日 1,972部発行 _/_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/ _/_/ 国柄探訪: 和歌の前の平等 _/_/ _/_/ ■ 目 次 ■ _/_/ _/_/ 1.夏休みの宿題の短歌が選ばれた _/_/ 2.いじめに負けず _/_/ 3.移民の労苦を偲ぶお歌 _/_/ 4.和歌の前の平等 _/_/ 5.世界から見た歌会始め _/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■1.夏休みの宿題の短歌が選ばれた ■ 夏空に音は広がりかげろふの揺れる道の辺(べ)パレード終る 大阪の女子高生・佐藤美穂さん(17歳)が夏休みの宿題で作っ た短歌だ。この1月14日、皇族、各界代表者約80人が参列した 新春恒例の「歌会始(うたかいはじめ)の儀」で、10首の入選歌 の一つとして、朗詠された。お題「道」に寄せて、日本全国、海外 から詠進された2万16百余首の中から選ばれたものだ。高校生の 入選は、実に39年ぶりである。 この歌に関して、ニフティサーブの吹奏楽の会議室では、次のよ うな感想が寄せられた。 夏の青く暑い空に自分たちの音が広がっていったこと、ふと 見た道の辺に陽炎がたっていたこと、そういう中でパレードが 無事に終えられたこと、このような小さな自分の感動をよく見 つめて歌を詠んでいるなぁ、と思いました。 パレードに一生懸命取組んだ佐藤さんの生き生きとした姿が よく伝わってきます。普段雑事に奔走しているワタシも、なん かこう、ふうっとなつかしくなり、ほっとさせてくれる歌でし た。不思議ですね。(岡山英一) 歌を始めたばかりの女子高生が自分の経験を詠んでみた。その歌 を通じて、その時の気持ちが手にとるように伝わる。まさに短歌と は「詠む人の想いを言葉で真空パックした贈り物」であると言える。 儀式の終了後、天皇、皇后両陛下にお会いした佐藤さんは「“おめ でとうございました”と両陛下はやさしくほほ笑んでおられまし た」と語った。 ■2.いじめに負けず ■ 次に朗詠されたのは、北九州市の放送作家、吉永幸子さん(二 七)。20代での入選も、33年ぶりだ。小学生のときからいじめ にあい、高校時代にはついに登校拒否に。成人式にも出られず、母 親が作ってくれた振りそでを着られなかった。歌会始には、その振 り袖を初めて着て、参列した。「今回初めて応募したが、入選でき て、失われた青春時代も報われた気がする」と手放しで喜ぶ。 いちにちがきらきらとして生まれ来ぬ海の道ゆく父の背あかるし 西に向かって博多湾を出ていく小さな漁船。その上にすっくと立 つ父親のたくましい背中に東から朝日があたっている。一面のさざ 波が朝日にきらめいて、一日が生まれ出た所である。そんな情景が 浮かんでくる。吉永さんは父親の頼もしい背中に励まされ、その体 験を歌に詠むことで、いじめによる心の傷を癒したのであろう。両 陛下から「ご両親もさぞかしお喜びのことでしょう」とお声をかけ られたという。 ■3.移民の労苦を偲ぶお歌 ■ 皇后陛下は若い二人の入選を特にお喜びになった、と伝えられて いる。その皇后様は、次のお歌を詠まれた。 移民きみら辿(たど)りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび 咲きし 昨年のブラジルご訪問の時に詠まれたものである。ブラジルの農 園に至る道に咲くイペーの花をご覧になられて、三代に渡る移民達 が、いくたびこの花を見上げながら開墾作業に向かったかを、思わ れてのお歌である。きびしい農作業のあいまに農民をなぐさめたイ ぺーの花を通じて、日系移民達の心を皇后様が思いやられる、さら にそのお歌を通じて、我々にも皇后様のお心が偲ばれる。まさに歌 とは、人々の心をつなぐ架け橋である。 ■4.和歌の前の平等 ■ このように和歌は、歌のテクニックを競うものではなく、そこに こめられた「まごころ」を歌い、詠み味わうものである。 現代では「まごころ」とは誠実さとか、人に対する思いやりとい う意味で用いられるが、古来の大和言葉では、「まごころ」とは 「真心」であり、「人間の真実の思い、こころ」と言う意味であっ た。そして人間の真実の思いを大切にし、それをお互いに理解する 事が、大切である、そういう考え方のもとに、自らの「真心」を見 つめ、互いの「真心」を通わせるために日本人が発明した独創的な 方法が和歌なのである。 我が国最古の歌集、万葉集においても、地位や財産などの外形的 なものよりも、人間の真実の思いを尊ぶ姿勢は、すでに明確に現れ ている。そこには天皇の歌から、名もない農民や兵士の歌まで収録 されている。たとえば、次のような歌がある。 父母が頭かき撫で幸(さ)くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる 出がけに、父母が自分の頭を撫でながら、「くれぐれも気を つけていっておいで」と言ってくれた言葉が、忘れられない。 天平勝宝七年(西暦755年)に、大陸からの侵攻に備えて、東国か ら九州太宰府に派遣された少年兵士の詠んだ歌である。年の頃は、 冒頭の高校生の佐藤さんと同じ位ではないか。その親を思うまごこ ろは、1200年以上も後に吉永さんが「父の背あかるし」と詠んだ親 子の情と変わらない。 万葉集は、地位や財産に関係なく、老若男女に関わりなく、まご ころを詠んだ歌、そして、そういう歌を残した人を長く歴史に留め ておこうとしたのである。 キリスト教での「神の前の平等」に対し、これを「和歌の前の平 等」と喝破したのは、渡部昇一の名著「日本語のこころ」(講談社 現代新書)であった。我が国では、この「和歌の前の平等」を原理 として、国民がお互いにまごころを通わせるような国を理想と考え ていたのである。 歌会始はこの理想を国家的制度にまで具現化したものである。 ■5.世界から見た歌会始め■ 歌会始めは平安時代から行われていたようだ。宮中恒例の年頭行 事となったのは、後土御門天皇御在位(1464-1500)の頃と言われ ている。国民一般の詠進が始まったのは、明治5年。それからすで に125年もの歳月が経っている。 今年の歌会始で女子高生が宿題で詠んだ歌が、両陛下以下、新聞 やテレビを通じて全国民に披露されるというのは、この「和歌の前 の平等」の伝統が現代の歌会始にも脈々と息づいている事を示した ものである。 このように天皇と国民が一同に会して、お互いに歌を通じてまご ころを通わせ合うというのは、外国人から見ても、驚くべき文化伝 統であった。イギリスの桂冠詩人ブランデン、今上陛下の家庭教師 であったアメリカのヴァイニング夫人は、それぞれ歌会始に陪席し て、美しい感想を残している。 また白百合女子大のマリー・マリー・フィロメーヌ教授は、 ”The New Year's Poetry Party at the Imperial Court -Two Dec ades in Post-war Years, 1960-1979" (北星堂、昭和58年)で諸 外国に皇室の歌会始めを1冊の本で紹介され、 日本の皇室と国民との間に、歌を介した美しい、次元の高い 交流がある と記された由である。(皇后陛下の御歌集「瀬音」p235-7) 「和歌の前の平等」という優れて精神的文化的な伝統が我が国の 古来からの国柄の一つとなっている事を、2月11日、建国記念の 日に思い起こしたい。
■おたより 大石 郁夫さんより ひとつひとつの短歌に感動し、心が洗われるようでした。特に、 昨年ツアーでブラジルに行って、日本人の評価が高いのを知り、日 系移民の苦労をしみじみと感じたところなので、皇后様のお歌には、 思わず涙してしまいました。良き意味で日本人としての誇りを思い 起こしてくれました。 ■編集部より 両陛下のブラジルご訪問では数々の感動的なシーンがありました。 JOG(16) 国際親善を損なうマスコミ報道 もご覧ください。© 1998 [伊勢雅臣]. All rights reserved.