[トップページ] [平成10年下期一覧][地球史探訪][210.761 戦後:占領下の戦い]
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/ Japan On the Globe 国際派日本人養成講座(49) _/_/ 平成10年8月15日 発行部数:2,697 _/_/ _/_/ 地球史探訪:終戦後の戦い _/_/ _/_/ ■ 目 次 ■ _/_/ 1.終戦後の戦い _/_/ 2.重光外相の恫喝 _/_/ 3.言論統制:ポツダム宣言第10条違反 _/_/ 4.改憲:第12条違反 _/_/ 5.情報戦によるマインド・コントロール _/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■1.終戦後の戦い■ 昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦闘を停 止した。しかしこれは「戦闘」の終了であって、日本と米国占領軍 との武器なき「戦争」はその後も続いていた。しかもこの過程で、 戦後の日本の政治やマスコミの歪みが作り出されたのである。その 過程をたどってみよう。 ■2.重光外相の恫喝■ 9月2日、日本政府はマッカーサー司令部から、日本全域に渡っ て軍政を布告する旨の命令を受け取った。重光外相は翌3日早朝、 マッカーサー総司令官に面会し、軍政を思いとどまるよう交渉した。 重光外相の主張は、日本全域に渡って軍政を敷くことは、日本政 府が受諾したポツダム宣言の諸条件以上の要求であり、もしそれを 強行するなら、「日本政府の誠実なる占領政策遂行の責任を解除し、 ここに混乱の端緒を見ることとなるやも知れぬ。その結果に対する 責任は、日本側の負うところではない」というものであった。 [1,p33] ポツダム宣言第7条には「連合国の指定すべき日本国内の『諸地 点』は、・・・占領せらるべし」とあり、全域を占領する事は明ら かに宣言の違反となる。また第8条には、「日本国の主権は本州、 北海道、九州、及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらる べし」とあり、政府の主権の存在を前提にしている。日本全域に渡っ て軍政を敷くことは、あきらかにこれらの条件を破ることであった。 重光外相は、アメリカが自分で言い出した停戦の条件を勝手に破 るなら、日本政府がそれを守る義務もなくなり、その後、どうなっ てもすべてアメリカの責任だと脅したのである。 当時日本本土には陸軍二百二十五万三千、海軍百二十五万、 計三百五十万余の兵力が依然として温存されていた。また陸海 軍を合せて一万六十機の保有航空機のうち、少くとも六千機以 上は特攻作戦に使用可能と考えられていた。・・・ 海軍こそ戦闘可能の戦艦は皆無で、空母二隻、巡洋艦三隻、 駆逐艦三十隻、潜水艦五十隻という劣勢に追い詰められていた が、この温存兵力の無言の圧力は無視することができない。 [2,p16] マッカーサーは、重光外相の主張をただちに承諾し、軍政の方針 を撤回した。しかしこの緒戦の敗北で、米軍は日本人を精神面から も占領しなければならないと決意したようだ。以後、アメリカの占 領政策は、巧妙に情報戦を展開していく。 ■3.言論統制:ポツダム宣言第10条違反■ その第一弾は、言論統制であった。ポツダム宣言第10条の「言 論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべ し」という条項を無視して、秘密裏に検閲と言論統制を開始した。 朝日新聞が、昭和20年9月18日から、48時間の新聞発行停 止を命令されたのが、その始まりだった。その理由とされたのは、 次の二つの記事であった。 第一に、占領軍将兵による暴行事件に触れた記事。現実に13日 から14日にかけて、米兵が拳銃を使って現金を強奪したなど、3 2件の事件が発生している。 第二は、鳩山一郎氏の談話記事で、次のような発言を紹介した部 分。 「正義は力なり」を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用 や無辜の国民殺傷(本誌注:本土空襲を指すものと思われる) が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪である ことを否むことは出来ぬであらう。 業務停止命令が解除された後の朝日新聞の論調は、180度転換 した。たとえば、次の二つを比較されたい。 戦ひはすんだ。しかし民族のたゝかひは、寧ろこれからだ。 ...国民は敗戦といふきびしい現実を直視しよう。しかし正当 に主張すべきは、おめず臆せず堂々と主張しよう。単なる卑屈 は民族の力を去勢する。[9月10日] 今や我が軍閥の非違、天日を覆ふに足らず、更に軍閥の強権 を利用して行政を壟断したる者、軍閥を援助し、これと協力し て私利を追求したる者などの罪科も、ともに国民の名において 糾弾しなければならぬ。[9月22日] 前者は占領下でも精神的独立を維持しようと呼びかけたものだが、 後者は完全に米軍の情報戦に荷担したものである。同じ新聞でわず か2週間足らずの間にかくも論調が一転したのである。 [1,p61-p68] ■4.改憲:第12条違反■ 翌昭和21年2月13日、総司令部ホイットニー准将は幕僚と共 に、外務大臣吉田茂の官邸を訪れた。そして、今まで日本政府が検 討していた憲法改正案をまったく不適当であるとし、総司令部の作 成した憲法草案を手渡した。吉田の顔はショックと憂慮の表情を示 していた。 ホイットニーは吉田が草案を理解し、検討するための時間を与え ると言って、約30分間、庭に出た。その時、米軍機が一機、家の 上空をかすめて飛び去った。15分ほど経った頃、外務大臣秘書官 の白洲次郎が庭に出ると、ホイットニーは言った。 「われわれは戸外に出て、原子力エネルギーの暖をとっている ところです。」 太陽をわざわざ「原子力エネルギー」と言ったのは、あきらかに 原爆を暗示しての恫喝である。庭から戻ったホイットニーは、もし 総司令部の草案に日本が同意しない場合は、マッカーサーは日本政 府の頭越しに草案を国民に提示するだろう、その場合には総司令部 は「天皇の御身柄」を保証しかねる、とも明言した。 さらにホイットニーは、日本側の記録によれば次のように語った。 改正案は飽くまで日本側の発意に出つるものとして発表せら れる事望ましく、万一米国案が世間に漏れるときは甚だしき双 方の不為なれば秘密保持に甚大の注意を払われたく これはポツダム宣言12条の「日本国民の自由に表明せる意思に 従い」、および、さらに国際法たるハーグ陸戦規則第43条の「占 領地の法律の尊重」への違反を隠蔽するためであった。 こうしてマッカーサー総司令部の手になる憲法草案は、あくまで 日本側の発意によるものとして制定された。マッカーサーは後に、 「どんなに良い憲法でも、日本人の胸許に銃剣をつきつけて受諾さ せた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしか保たないとい うのが自分の確信だ」と述べているが、その確信を裏切って、マッ カーサーが「銃剣」でつきつけた憲法は、一文字も改正されずに5 3年後も残っている。[3,p33-p43] ■5.情報戦によるマインド・コントロール■ 53年後の今日、我々は今なお、次のような虚構を信じ込んでい る。 ・日本は無条件降伏をした。 →すでに示したように、ポツダム宣言の8項目の条件を受け入 れた上での条件降伏であった。 ・「進駐軍」は言論の自由を回復した。 →占領軍は検閲自体を秘匿する従来以上の徹底的、かつ高度な 検閲を行った。 ・憲法は日本側の草案によるものである。 →原爆の恫喝のもとに、押しつけられたものである。 これらは終戦後に占領軍が展開した情報戦の成果である。日本は ポツダム宣言の諸条件を承認して降伏したのに、いつのまにか、そ れらは骨抜きにされ、条件があった事すら、検閲により忘れさせら れた。武力による敗北は、被害も目で見える。しかし、こうした情 報戦の敗北は、敗者自身が気がつかないようにマインドコントロー ルすることによって、永続的な隷従状態におく。 このマインド・コントロールから脱却しない限り、戦後は終わっ たとは言えないであろう。 [参考] 1. 「忘れたことと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H8 2. 「敗者の戦後」、入江隆則、徳間文庫、H10 3. 「一九四六年憲法−その拘束」、江藤淳、文春文庫、H8 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ LINK _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■JOG(34) 敗者の尊厳 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogboard/978057861328125.html 「日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視することができ ぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後における威武不屈、 秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る」(中華民国国民政 府・王世杰外交部長)
■ おたより: 八紘一宇さんより
細かいことで恐縮ですが。
>■1.終戦後の戦い■
> 53年前の8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦闘を停
>止した。しかしこれは「戦闘」の終了であって、日本と米国占領軍
>との武器なき「戦争」はその後も続いていた。
たしかに、8月15日、我が軍は戦闘終結を受諾しました。しかし、
それにも拘わらず、当時のソビエト連邦はこれを無視して戦闘・侵攻
を続け、多くの尊い命が奪われました。
北方領土の占領は、実に9月になった後のことです。
ソビエト連邦による「火事場泥棒」(トレチャラス・アタック)と
「戦後」に「戦死」された英霊を忘れないためにも、記憶に残り
やすい表現だけに、お気をつけいただければと存じます。
今後とも良い記事に期待いたしております。
■編集長より
おっしゃる通り、戦闘を停止したのは、日本側だけでした。ソ連は、日ソ中立条約を
踏みにじり、さらに日本側の降伏を無視して、一方的な攻撃を続けました。これは
侵略以外の何者でもありません。
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