[トップページ] [平成10年下期一覧][国柄探訪][210.1 通史]
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_/_/   Japan On the Globe 国際派日本人養成講座(57)
_/_/            平成10年10月10日 発行部数:3,249
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_/_/        国柄探訪:自主独立への気概
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_/_/           ■ 目 次 ■
_/_/       1.日本は中華文明の亜流か?
_/_/       2.シナの属国支配システム
_/_/       3.册封体制からの独立宣言
_/_/       4.独自の年号の採用
_/_/       5.国号「日本」の成立
_/_/       6.国字の確立
_/_/       7.自主独立への気概
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■1.日本は中華文明の亜流か?■

 自由主義対共産主義のイデオロギー対決が終わって、今後は文明
間の戦いになると、ハンチントンは最近のベストセラー「文明の衝
突」で予言している。西洋文明に対して、イスラム文明、儒教文明
などが、それぞれ自らの価値観と立場を主張して、国際的な衝突が
起きるだろう、というのである。こういう時代に「自分が何者であ
るか」を明確にできない民族は、それだけ弱い立場にならざるをえ
ない。

 それでは、日本はどの文明に属しているのか?「中国と日本は同
文同種」とよく言われる。こうした言葉から、日本文化は「中華文
明」の亜流だと見下す中国人もいる。その中華文明を日本に伝えた
のは朝鮮だったと、優越感を持つ韓国人も多い。

 実は、ハンチントンは、日本は5世紀頃にシナ文明から独立した
独自の文明圏であると考えている。そして世界の中で唯一、一国だ
けからなる文明だと言うのである。

 果たして日本はシナ文明の亜流なのか、それとも、独自の文明な
のか、その自覚によって、今後の国際社会での振る舞いも変わって
こよう。以下、歴史的な事実に基づいて、この問題を考えてみよう。

■2.シナの属国支配システム■

 伝統的にシナは「册封(さくほう)体制」というシステムによっ
て、周辺諸国を支配していた。册封とは、シナ王朝の皇帝が諸侯に
封禄・爵位を授ける事である。転じて、近隣諸国の君主に官号・爵
位などを与えて、擬似的な君臣関係を結ぶシステムを册封体制よ言
う。

 たとえば伝統的に朝鮮国王の地位は、シナ王朝の廷臣の下に置か
れた。1881年に朝鮮半島を管理監督する権限を持ったのが、北洋大
臣李鴻章(後に日清戦争後の交渉での清国側代表となる人物)だっ
た。

 1882年に李鴻章の配下達は、朝鮮国王の実父大院君を、清朝朝廷
の権限を侵して、朝鮮王の冊立に口を出したとして、天津に強制連
行している。まさに李朝朝鮮は、自国の国王すら自民族では決めら
れない、という属国の地位にあった。[1,p43]

■3.册封体制からの独立宣言■

 我が国でも、3世紀に邪馬台国の卑弥呼は、魏王朝から「親魏倭
王」に任命されており、19世紀までの朝鮮と同じ册封体制のもと
にあった事が分かる。それにしても、いくら弱小後進国であっても、
倭、邪、卑などと、平気で侮蔑的な漢字をあてている所が、すさま
じいばかりの「中華」意識だ。こういう侮蔑に耐えてまでも、シナ
から与えられた「王」の地位は、権威があったという事であろう。


 我が国が册封体制からの離脱を明確に宣言したのは、7世紀に入
ってからである。推古天皇16年に聖徳太子が、遣隋使の派遣とと
もに、送った国書には、

        東の天皇、西の皇帝に白(もう)す

 として、ここに初めて天皇という用語が使われる。もとより、こ
のような対等の呼称を用いる事で、随の皇帝を怒らせ、征伐を受け
る恐れもあったのだが、聖徳太子は天皇号を使うことで、シナの册
封体制から独立し、併せて対等な外交関係を築こうとしたのである。

■4.独自の年号の採用■

 册封体制のもう一つのシンボルは年号である。世界を治めるシナ
皇帝が年号を定め、他の周辺国はそれを有り難く使わせていただく。 
年号という中華文明の恩恵を、周囲の野蛮国にも施してやるという
態度である。

 朝鮮では6世紀中頃、新羅に法興王というすぐれた国王が現れて、
シナの律令制度や仏教文化を取り入れ、ついに年号も独自のものを
立てた。

 ところが、7世紀の中頃、新羅の外交使節が唐へ行くと、太宗皇
帝は「新羅はわが大唐帝国に臣下として使えている家来の分際で、
勝手に独自の年号を使うのはけしからん」と怒った。

 新羅の使節は、「今まで大唐帝国の正しい暦をお頒(わか)ちい
ただけなかったので、勝手な年号を使ってきたが、皇帝の思し召し
によって、大唐帝国の年号を使わせていただきたい」と謝っている。 
これ以降、650年から、李朝朝鮮の末期まで、千二百数十年間、朝
鮮はシナの年号を忠実に使い続けたである。

 日本が独自の年号を使い出したのは、ちょうどこの頃、西暦645
年の大化の改新の時である。おりしも太宗のもとで大唐帝国が非常
な勢力を誇っていた頃で、日本もその圧力を感じていたに違いない。 
しかし、当時の朝廷は、大化の改新を断行し、それを記念するかの
ように独自の年号を始めたのである。

 独自の年号は、大化、白雉と続いた後、半世紀近くのブランクが
あくが、701年以降、現在の平成まで、千三百年近く、我が国独自
の年号が続いてきた。[2,p210]

■5.国号「日本」の成立■

 册封体制下では、シナ帝国から倭という蔑称で呼ばれていた我が
国は、やがて「日本」と自称するようになる。この国号がいつ成立
したかはまだ流動的だが、一説には第41代持統天皇3年(西暦68
9年)に我が国で初めての体系的な国の基本法としてまとめられた
「浄御原令(きよみはらりょう)」が最初である。[3]

 ちなみに「朝鮮」という国号の由来も興味深い。高麗の将軍だっ
た李成桂は実権を掌握して王位につくと、まず当時のシナ王朝であ
る明に使いを出し、皇帝に自らの册封、すなわち王としての承認を
仰いだ。

 次に李成桂は再び明に使節を派遣して、「朝鮮(朝の美しい国
)」と「和寧(李成桂の出身地)」のいづれかを国号に選んで欲し
いと要請した。明の太祖は、由緒正しく優雅であるとして、「朝
鮮」を国号に定めた。これが李朝朝鮮の国号の由来である。[4]

 まことにシナ皇帝から見れば、朝鮮とは册封体制の優等生であっ
た。だからこそ、朝鮮というような格調高い国名を許したのだろう。 
我が国の「倭」とはえらい違いだと思うのは、劣等生のひがみだろ
うか?

 しかしただシナの蔑称に甘んじずに、自ら「日本」と号した我が
祖先のプライドを思い起こすべきだろう。

■6.国字の確立■

 19世紀末まで册封体制に忠実に従っていた朝鮮と比較して、我
が国は7世紀の始めに自国の君主制を「天皇」と呼び、中頃には独
自の年号を立て、末には自ら国号を宣言した。

 こうした1世紀にわたる努力の結果として、我が国は政治的・外
交的に完全にシナの册封体制から脱却して、その後の奈良、平安時
代における国風文化創造の基盤を作った。その一端を国字に見てみ
よう。

 我が国では、古事記や万葉集では、漢字を表音文字として使うと
いう独創的な表記法が考案されたのだが、それが進んで、ひらがな
が発達した。それが公的な文書の中で、正式に使われたのは、西暦
905年に撰進の勅命が下った「古今和歌集」である。

 この直前の894年には、600年の第1回遣隋使以来、約三百年続い
てきた遣唐使が廃止されている。この頃には、我が国の独自文明に
も自信を深めて、唐から学ぶ必要はもうない、と判断したのであろ
う。[5,p241]

 国字についても朝鮮と比較してみると面白い。朝鮮固有の文字ハ
ングルは李朝朝鮮の世宗(セジョン、1418〜50)によって作られた。 
しかし世宗は周囲の反対を恐れて、せっかくのハングルを公表しな
かった。朝鮮では漢字、漢語が正式な言語として、史書、公文書、
教育などすべてに用いられており、国語である朝鮮語は愚民の言語
として蔑視されていた。したがって、中華文明にない独自の文字な
ど作ることは、文化の退廃だと考えたのである。またそれは宗主国
の明から反逆だと疑われる恐れがあった。

 そのため第10代の燕山君は、1504年、ハングルの教授・学習を禁
止し、所蔵してあったハングル文書を焼き払ってしまった。ハング
ルが朝鮮社会に復活するのは、日韓併合下で、清国の文化的影響か
ら離脱させるために、朝鮮総督府が使用を奨励しはじめてからであ
る。[1,p162]

■7.自主独立への気概■

 以上、見てきたように、我々の先祖は数世紀をかけて、シナ文明
から独立し、天皇号、元号、国号、国字と、独自の日本文明を築い
てきた。この自主独立への持続的な気概は、特定の個人によるもの
というよりは、お国柄と言うべきであろう。

 ひるがえって、現在の我が国の姿を見ると、この自主独立の気概
はどうなったのであろうか。歴史教科書の表現をある新聞社が中国
に密告し、抗議を受けた日本政府はあわてて謝罪するという姿勢は、
独自の元号を使って大唐帝国皇帝に叱られた新羅王とそっくりでは
ないだろうか。[6]

 また小渕政権が発足すると、経済対策をまずアメリカに持ってい
って了承を得たのは、高麗将軍・李成桂が明の皇帝に朝鮮王として
の承認を求め、自国の名称まで決めてもらった態度と通ずる所があ
る。独立国の政府の公約とは、まずその国の国民にすべきものだ。

 我々の祖先が、当時の超大国シナの圧迫を恐れず、数世紀をかけ
て册封体制から離脱していった自主独立への気概を思い起こす必要
がある。

[参考]
1. 歪められた朝鮮総督府、黄文雄、光文社、H10
2. 日本歴史再考、所功、講談社学術文庫、H10
3. 飛躍する日本・持続する日本、高森明勅、まほろば、H4.10
4. 反日思想と小中華主義思想、呉善花、VOICE、H9.6
5. 歴史から見た日本文明、高森明勅、展転社、H8
6. JOG(44) 虚に吠えたマスコミ

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