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     _/    _/_/      _/_/_/   人物探訪:盛田昭夫の "Made in JAPAN"
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       _/  _/    _/  _/  _/_/                           15,198部 H11.10.30
 _/   _/   _/   _/  _/    _/  Japan On the Globe(111)  国際派日本人養成講座
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■1.アメリカの企業はなぜアメリカ製品を買わないのか?■

       通信機器の分野での日米貿易不均衡はあまりにひどすぎる。
      日本のメーカーは、アメリカのメーカーが日本市場で売って
      いる11倍もの製品をアメリカに送り込んでいるんですよ!
      なぜ日本はアメリカの製品を買わないのか?

   1985年、ハワイでの会議で、アメリカ特別通商交渉代表ウィリ
  アム・ブロック氏はこう迫った。たまたま同席していたソニーの
  盛田昭夫は、こう反論した。
  
       それほどアメリカのメーカーが質の高い製品を作っている
      のなら、なぜアメリカのユーザーはそれを買わないのか? 
      なぜわれわれ日本に製品を発注するのか? 日本のユーザー
      がアメリカの製品を買わないと文句を言う前に、アメリカの
      企業になぜアメリカ製品を買わないのか理由をただしてみて
      はいかがですか?

  「私はブロック氏に、人の欲しないものを売ることは不可能なの
  だという、ビジネスのイロハを語ったつもりだった。」[1,p292]

■2.あなたのお言葉だけでは安心できない■

   1984年に経団連は盛田を団長とするミッションをアメリカに派
  遣した。当時アメリカの相当数の州が採用している合算課税が対
  米投資の大きな障害になっていることを懸念して、その撤回を働
  きかけることが目的のひとつであった。
  
   合算課税とは、アメリカに子会社を持つ外国企業に対して、そ
  の全世界の利益を基準として、課税するという制度である。日本
  で利益を上げている企業が初期の赤字を覚悟のうえでアメリカに
  子会社を設立しても、日本での利益をもとに初めから課税されて
  しまうという不公正なものである。日本の多くの企業はこの合算
  課税により、アメリカへの進出に二の足を踏んでいた。アメリカ
  としてもせっかくの外国からの投資にブレーキをかけ、自分自身
  の首を締める結果となっていた。
  
   盛田がオレゴン州知事に対して合算課税は不公正なものである
  と主張すると、知事は全く同感で、オレゴン州は必ずこの法律を
  改正すると約束した。しかし森田はさらに食い下がった。
  
       合算課税を廃止するというあなたのお言葉だけでは、私ど
      もは安心できないのです。あなたには説得しなければならな
      い州議会があるからです。
  
   オレゴンの州議会は、この後間もなく合算課税の正式な廃止を
  決議した。その他の州でも、森田のミッションは多大な成果を上
  げて、合算課税は次々と廃止されていった。[1,p355]

■3. 決して他社の下請けメーカーにだけはなるまい■

   盛田昭夫のように海外で明確に自己主張した日本人も珍しい。
  これは自らの信条を大切にし、自分が正しいと思ったことは、国
  内外に関わりなく、また相手の地位や立場に関わりなく、筋を通
  す、という自尊の精神の現れだろう。この精神は、ソニーの発展
  の原動力ともなった。
  
   1955年に完成した最初のトランジスタ・ラジオを持って、盛田
  はニューヨークに乗り込み、アメリカ市場への売り込みを図った。
  ブローバ社の仕入れ部長がこのラジオを大いに気に入り、10万
  個を注文すると申し出た。しかしその条件としてブローバ社の商
  標をつけてほしいと言う。
  
   我が社は決して他社の下請けメーカーにだけはなるまい、と心
  に誓っていた盛田は断ることに決めた。仕入れ部長は驚いて言っ
  た。
  
       わが社は50年も続いてきた有名な会社なんですよ。あなた
      の会社のブランドなんて、アメリカではだれも知らない。わ
      が社のブランドを利用しない手はないでしょう。
  
   仕入れ部長の言うことはもっともなのだが、盛田には盛田の信
  念があった。
  
       50年前あなたの会社のブランドは、ちょうど現在のわが
      社のように、世間には知られていなかったでしょう。私は今、
      わが社の新製品とともに、50年後への第一歩を踏み出そう
      としているのです。50年後にはきっと現在の貴方の会社に
      負けないくらい、わが社を有名にしてご覧に入れます。
      
   盛田の言葉は実現して、現在のアメリカでは、ソニーのブラン
  ドを知らない人はいない、というまでになった。当時の社内には、
  惜しいことをした、という意見もあったが、盛田はこれが、これ
  までの中でベストな決断だったと振り返っている。[1,p97]

■4.ブランドは万難を排して守る■

       商標というものは企業の生命であって、万難を排して守る
      べきものだ、と私は常日頃考えてきた。商標や社名は単なる
      場当たりの思いつきではない。責任を背負い、製品の品質を
      保証しているのである。[1,p84]

   こうした考えから、盛田は、ソニーのブランドを確立すること
  に努力してきた。ソニーの名前が他企業に利用されないように、
  170カ国のあらゆる業種について登録した。国内で、ある会社
  が「ソニー・フーズ」と社名変更して、「ソニー・チョコレー
  ト」までも売り出した時には、裁判に訴え、4年をかけてソニー
  の名前を使うことをやめさせた。[1,p83]

   アメリカでのラジオの販売代理店としたデルモニコ社は、ソニ
  ーのブランドが知れわたるようになると、製品の値段を下げて利
  益を上げることに熱心になってきた。大量に売りさばけるような
  安いラジオを作れと、何度もソニーに要求した。
  
   儲けのために、品質を下げるようなことはやりたくない、とい
  う方針から、盛田はその要求をきっぱりと断った。そして、おり
  しもソニーは世界最初のトランジスタテレビの開発に成功した所
  で、この世界最初のテレビがデルモニコ社に安売りされては困る
  と、代理店契約を解約する決心をした。
  
   10万ドルもの解約金を支払い、在庫していた約3万個のラジ
  オをそっくり買い戻さねばならなかったが、それだけの代償を払
  っても、盛田はソニーのブランドを守ったのである。

■5.メイド・イン・ジャパンのイメージを変えたい■

   企業と同様、国家にもブランド・イメージがある。当時、海外
  では「日本製(メイド・イン・ジャパン)」のレッテルをつけた
  商品は品質が悪いというイメージが定着していた。盛田はアメリ
  カやヨーロッパを旅して、欧米人は「日本」というと、ちゃちな
  雑貨品を思い浮かべることを知った。
  
       私は輸出業者として、「メイド・イン・ジャパン」のイメ
      ージを変えたかった。それが私の最初の目標でした。
      [2,p108]

   自尊の精神を持つ人間は、自国の名誉にも敏感である。

   1962年、ニューヨークでショールームを開設した。その場所を
  選ぶときに、盛田はマンハッタンの中央部を行きつ戻りつして、
  「ティファニー」、「カルチェ」など高級ブランド店が立ち並ぶ
  5番街を選んだ。
  
   5番街で貸し店舗を探して歩いているうちに、盛田はここには
  いろいろな国の国旗がはためいているのに、日本の国旗がないこ
  とに気がついた。そしてショールームを開設するときは、5番街
  で最初の日章旗を上げようと決心した。[1,p113]

■6.自尊と連帯と■

   盛田の経営哲学は、このような自尊の精神が、連帯の精神とセ
  ットになっている点に特徴がある。
   
       人にやる気を起こさせるには、彼らを企業という「家族」
      の中に引き込み、その家族の尊敬される一員として扱うこと
      である。[1,p157]
   
   家族的な一体感のもとで、自ら誇りとやる気を持って、仕事に
  取り組む、そのような人間が集まって力を合わせることが、人間
  の幸福と、企業の繁栄をもたらす。この考えは、海外の社員も
  「ソニー・ファミリー」の一員として扱う方針として現れている。
  
   1974年にイギリスで工場を建設した時に、盛田は次のように挨
  拶した。[1,p144]
  
       ソニーの理想は、わが社独自の工業技術と世界各国の人々
      の力を結集し、世界に貢献することであります。この工場で
      は、地元の労働者、技術者、部品製造者などの協力を得て、
      厳しい市場に送り出すための高品質な製品を作り出すのです。
      
   この工場のオープン前には、イギリス人のエンジニアや管理職
  を東京に呼び、日本人社員と一緒に働いてもらい、訓練をした。
  全員に会社の制服を着せ、食事も大食堂で一緒にとる。みな、ソ
  ニー・ファミリーの一員であり、職種によって人を区別して扱う
  べきでないということを理解してもらいたかったからだという。
  [1,p161]

■7.日本的経営の進化■

       日本式経営にもしも秘訣があるとするならば、「人間」が
      すべての原点になっているというこの一点につきるような気
      がする。[1,p149]

   よく日本的経営の内容として、終身雇用とか、年功序列などが
  挙げられるが、これらは、日本的経営の実現形式の一つに過ぎな
  い。盛田の言うように日本的経営が、「人間」を大切にする、と
  いう「哲学」であるとすれば、その実現手段は、時代の変化や、
  社会の発展に伴って、変えていくべきものだ。
  
   たとえば、盛田は「学歴無用論」を唱えた。学歴で人を区別す
  るようでは、人間を本当に大切にしていることにはならない。人
  間は主体的に学んだり、経験を積んで、絶えず進歩していく。
  「学力」は評価すべきだが、単なる学生時代のみの「学歴」で差
  別すべきでない。
  
   原点たる「人間」をいかに大切にするか、この根底さえしっか
  りとしていれば、逆にその手段、形態は、自由にいろいろな試み
  ができる。「社内公募制」もその一つである。
  
   興味深いのは、人間を大切にし、ファミリーの中で一体感をも
  って、生き生きと働ける舞台を作ろうという自尊と連帯の精神は、
  日本古来からの伝統的な人間観と通じているということである。
  
   古代日本では、民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、八紘
  (あめのした)にすむものすべてが、一宇(一つ屋根)の下の大
  家族のように仲よくまとまって、労働にいそしむ事を理想とした。
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  ★ JOG(074) 国柄探訪:「おおみたから」と「一つ屋根」
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   盛田の「日本的経営」は、この伝統的理想を現代のグローバル
  企業の経営にも通ずるよう進化させたものだと言えよう。
  
■8.相手を友達だと思えばこそ■

   冒頭で、盛田が海外でいかに明快な主張をしたかを紹介した。
  この点について、盛田は次のように述べている。
  
       日本人の中には、意見に食い違いが生じると、友情もそこ
      まで、と考える人が多い。しかし欧米人は、相手を友達だと
      思えばこそとことん議論し、徹底的に思うところを説明しよ
      うとする。だから口をつぐみ議論をしないということの方が、
      実ははるかに危険なことなのである。
      
       日本人が欧米の人間と理解を深めあおうとするなら、アメ
      リカ人がことあるごとに問題を取り上げ、精力的に自分の意
      見と信念を主張するように、日本人も思うところを遠慮なく
      発言する必要がある。ただし、それはあくまで日本人の独り
      善がりではなく、相手にわかる論理での発言であり、議論で
      あるべきなのは言うまでもない。政治家も官僚もビジネスマ
      ンも、日本人はまだまだこの点では不慣れのような気がする。
      [1,p300]

   盛田昭夫の議論のスタイルは、完全にこのような欧米流である。
  自分の主張を明確に、かつ論理的に表現する。しかし、その主張
  の内容は、日本の伝統的な人間観に基づいた、きわめてオリジナ
  リティの高いものであった。だからこそ、海外の人々も、喜んで
  盛田の意見に耳を傾けたのである。盛田の経営哲学を述べた
  "Made in Japan"は、英語が原版であり、12ヶ国語に訳され、
  30カ国で販売されている。日本語版は、その翻訳の一つに過ぎ
  ない。
  
   盛田昭夫は平成11年10月3日、78年の生涯を閉じた。伝
  統的な"Made in Japan"の理想を進化させ、グローバルな大企業
  として結実させてみせた盛田昭夫の自尊と連帯の一生に、深甚な
  る敬意を捧げる。そして、「安かろう悪かろう」「ものまね」と
  いう日本のイメージを「高品質・高信頼性」「オリジナリティ」
  にまで高めてくれた業績に対して、後に続く日本国民として、心
  からの感謝を捧げたい。

■参考■
1. 「MADE IN JAPAN」、盛田昭夫、朝日新聞社、S62.1
2. 「21世紀に向けて」、D・ロックフェラー、盛田昭夫、
   読売新聞社、H4.12

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