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---------------Japan On the Globe(159)  国際派日本人養成講座
        _/_/      国柄探訪:国際社会で自分自身を語れますか?
         _/                  (1)近代世界システムの荒波
        _/          
  _/   _/     国際社会とは、世界の国々が独自の個性を、固有の
   _/_/      文化と歴史を通じて語りあっているお花畑だ。
-----------------------------------------H12.10.08  28,293部

■1.外国訪問、三つの工夫■

     私は仕事柄、海外出張の機会が多く、アメリカ、アジア、ヨ
    ーロッパなど、すでに十五カ国ほどを訪問しました。その経験
    から、外国訪問を実りあるものにするために、次の三つを心が
    けるようになりました。

    1)その国の言葉で最低、「こんにちは」と「ありがとう」を言
      えるようにする。
    
     旅先ではいろいろな人々と接します。訪問先の企業の人々ば
    かりでなく、レストランやホテルの従業員、タクシーの運転手、
    こういう人々にも、かならずその国の言葉で「こんにちは」
    「ありがとう」と言うようにします。小さいながらも独自の言
    語を持つ国々では、「自分の国の言葉に関心を持ってくれたの
    か!」と喜んでくれます。また、言語は文化の最重大要素です。
    たとえばオランダ語の"Dank u"は、英語の"Thank you"そっく
    りなことから、両国がいかに文化的に近い関係なのかが分かる、
    というような洞察も得ることができます。

    2)その国の食べ物、飲み物を賞味する。

     次に旅先では、なるべく現地の食べ物、飲み物を味わうよう
    にします。食べ物、飲み物は、その土地の気候、自然の中から、
    人々が生みだしてきた文化、それも我々が生活の中で最も直接
    的に味わえる文化です。タイに行けば、蒸し暑さの中でとびき
    り辛いものを食べる、という実生活の次元から、その国を実体
    験するわけです。

    3)その国の誇りとする人物を知る。

     また出かける前に、その国の歴史を概観した入門書と、そこ
    で最も尊敬されている人物の伝記や小説を読んでいきます。
    その国がどのような人を誇りとしているのか知ることによって、
    その国民の伝統精神や理想をうかがうことができます。

■2.国際化とはアメリカ人のようになる事?■

     こういう姿勢で外国を旅すると、世界の様々な国々が、特定
    の自然環境や歴史的経緯の中でいろいろな工夫や苦心をしなが
    ら、お国柄を発展させている様子が理解できます。国際社会と
    は、このように世界の多くの民族が独自の個性を、言語や、料
    理や、歴史的人物を通じて語っている百花繚乱のお花畑のよう
    な所だと言えましょう。

     「国際化」というと、アメリカ人のようになる事だと考えて
    いる人が多いようですが、それは大変な間違いです。アメリカ
    人は諸国民の中でも比較的外国への知識や理解に乏しい国民で
    す。まず外国語を習う機会も必要性も限られており、世界のど
    こに行っても相手の方が英語を話すのを当たり前だと思いこん
    でいる人が多い。民族料理には見向きもせず、他国の歴史や文
    化には何の興味も示さない、そういう姿勢では、国際社会の真
    の多様性は分かりません。まして日本人がそれを真似ても、二
    流のアメリカ人となるだけです。英語とハンバーガーとアメリ
    カン・デモクラシーをグローバル・スタンダードと勘違いして
    はなりません。

     国際社会の様々に多様な文化を味わえる人、同時に外国の人
    々に対して、自分自身の国の文化、伝統、理想について語りう
    る人、私はそのような日本人を、「国際人」ではなく、「国際
    派日本人」と呼んでいます。

■3.フィンランドから世界を見れば■

     一つ、具体例でお話ししましょう。昨年、冬の最中に、フィ
    ンランドに行く機会がありました。まずヘルシンキのレストラ
    ンで、フィンランドの技術者二人と夕食を共にした時は、飲み
    物も食べ物もフィンランド流にやろうと私が提案したら、最初
    の乾杯は小さな冷やしたグラスに入れたストレートのウォッカ
    を一気に飲み干すそうです。
    
     こういう所にも隣国ロシアの文化的影響が感じられますが、
    それを飲みながら「フィンランド人は偉大な国民だ。スターリ
    ンのソ連とヒットラーのナチス・ドイツに挟まれて独立を守っ
    たのは世界史的な偉業である」と私が言うと、彼らは実に嬉し
    そうな顔をしていました。これは、私がフィンランドの歴史と、
    独立の英雄であるグスタフ・マンネルヘイムの伝記を読んでの
    実感でした。[a]

■4.指導者マンネルヘイム■

     フィンランドは12世紀頃からスウェーデン王国の支配下に
    あり、19世紀初めにはフィンランド大公国として帝政ロシア
    の支配下に置かれました。長い異民族支配の下で、人々は民族
    の独立を悲願として胸に抱いてきました。その独立の機会は、
    ロシア革命が勃発した1917年にやってきました。

     この時に、独立の指導者として現れたのが、グスタフ・マン
    ネルヘイムでした。マンネルヘイムはスウェーデン系の貴族の
    家に生まれ、ペテルブルグの騎兵学校を卒業し、ロシア皇帝の
    近衛騎兵までになった人です。

     革命勃発と同時に、フィンランドに帰り、ロシア共産党に呼
    応して共産革命を起こそうとする赤衛軍、および、駐留してい
    たロシア軍と戦い、勝利を得ます。その時の凱旋する姿が、ヘ
    ルシンキの中央通りに銅像となって飾られています。独立を勝
    ち得たとは言え、同胞相撃つ戦争を行ったため、少しうつむき
    加減の、勝利の喜びなど少しも感じられない像です。

■5.ソ連侵略との戦い■

     しかし20年足らずして、フィンランドの独立は再び脅かさ
    れます。1939年、ソ連がフィンランド侵略を開始します。スタ
    ーリンは「一週間でヘルシンキを占領し、全フィンランドを制
    圧する」と豪語して攻め込みましたが、マンネルヘイムを国軍
    総司令官として、フィンランド軍はよくその侵攻を押しとどめ、
    講和条約に持ち込みましたが、代償としてフィンランド民族の
    故郷カレリア地方が割譲され、43万人が住処を失って難民と
    なりました。

     翌40年には、ナチス・ドイツがソ連侵攻を開始します。フ
    ィンランドは中立を宣言したにも関わらず、ソ連に軍事施設や
    都市を爆撃され、やむなく宣戦布告します。マンネルヘイムは
    この時、「たまたま、ドイツ軍と共通の敵に対して、同じ戦場
    で戦う共同戦争ではあるが、フィンランドは、自らの独立を守
    る防衛戦争を行うのである」と戦争目的を明確に宣言し、独立
    戦争の継続と位置づけて「継続戦争(The Continuation War)」
    と命名しました。そしてカレリア地方を奪回した後は、一歩も
    ソ連領には攻め込みませんでした。

     しかし、43年3月にドイツ軍が崩壊すると、フィンランド
    軍もソ連の攻勢を抑えきれなくなり、9月には何とか休戦協定
    に持ち込みます。条件としてカレリア地方は再割譲され、戦時
    賠償三億ドルと戦争指導者の裁判が要求されました。フィンラ
    ンドはこれに堪え忍んで、独立を維持したのです。

■6.小さな町での相互理解■

     この継続戦争を陣営としてまとめてしまうと、ソ連が米英と
    同じ連合国側、フィンランドが日独伊の枢軸国側となります。
    第二次大戦は全体主義の枢軸国陣営に対して、連合国側が民主
    主義を守るために戦ったと我々は学校で教わりましたが、これ
    は実はアメリカから見た歴史なのです。フィンランドから見れ
    ば、それはソ連の明白な侵略に対する独立防衛戦争でした。そ
    れを民主主義陣営対全体主義陣営というように概括してしまう
    事は、フィンランド国民の独立に賭けた戦いの真価を見落とし
    てしまうことになります。第二次大戦を民主主義を護る戦いだ
    とするアメリカの史観を唯一正しい史観として他国に押しつけ
    る事は、英語だけをグローバル言語とし、他の無数の言語の多
    様な個性を認めないのと同じ文化的自己中心主義なのです。

     交通と通信の発達で、今や国際社会は小さな町のようになっ
    てきました。その中で人類は地球環境問題、戦争、飢餓、宗教
    対立、地域紛争など多くの共通の問題を抱えていますが、それ
    らを解決していくためにも、様々な国民がそれぞれの長所を生
    かし、力を合わせて行かなければなりません。その大前提とし
    てお互いの個性と来歴、すなわち文化と歴史とをよく理解して、
    信頼関係を築いて行かなければなりません。冒頭で紹介した三
    つの工夫とは、まさにそのためのものなのです。

■7.近代世界システムの荒波■    

     「フィンランドと日本は隣国だ。なぜなら間には一国しかな
    い。」とは、私が訪問先で真っ先に聞いたジョークです。この
    フィンランド人の親日感情を込めたジョークは、両国の来歴の
    本質的な共通点を見事に言い当てています。ロシアという膨張
    主義の大国から、いかに国家の独立を守るか、ということが、
    両国の近代史における最大の政治的課題でした。

     さらに日本の場合は、ユーラシア大陸の北部を東進してきた
    ロシアだけでなく、南の海岸沿いをつたってきたイギリス、そ
    して太平洋の東から勢力を広げてきたアメリカと、三つの勢力
    を迎えなければなりませんでした。我々日本人が自らの来歴を
    語る場合には、まずこの大前提を押さえておかなければなりま
    せん。

     15世紀から始まった大航海時代以来、西欧世界はスペイン、
    ポルトガルから、オランダ、イギリス、フランスと、そのメイ
    ンプレーヤーを交替しながらも、一貫してアフリカ、南北アメ
    リカ、アジアを植民地化し、その資源と人民とを収奪するとい
    う政治・経済システムを地球全体に広げてきました。これが近
    代国際社会の本質だというので、歴史学では「近代世界システ
    ム」と呼んでいます。19世紀には、この近代世界システムの
    荒波が、地球上最後に残された東アジアにまで及んできたので
    す。

     この事は幕末から明治にかけて植民地化された地域を挙げて
    みれば一目瞭然です。[b]
        1819       シンガポール(イギリス)
        1826-86      ビルマ(イギリス)
        1842       香港(イギリス)
        1862-84      ベトナム(フランス)
        1863       カンボジア(フランス)
        1898(明治31年) フィリピン(アメリカ)
        1909(明治42年) マレー(イギリス)

■8.黒船と白旗■

     こうした中で、1853(嘉永6)年にペリーが黒船艦隊を率い
    て、我が国にやってきたのです。ペリーは鎖国体制にあった日
    本を国際社会に引き出してくれた恩人であるかのように考えら
    れていますが、事実はどうでしょうか。

     長崎でのみ異国との交易や交渉を行うという幕府役人の主張
    を峻拒して、ペリーは大統領の国書を江戸近辺で相当の礼儀を
    もって受け取ることを要求します。この時に白旗二旒と自身の
    書簡を渡しますが、その大意は以下のようであったと、記録に
    残っています。
 
         数年来、ヨーロッパ各国は日本政府(幕府に通商の願い
        を出していたが、日本は鎖国の国法をたてに、これを認め
        なかった。そういったことは「天理に背く」ことであって、
        その罪たるや莫大なものがある。それゆえ通商をひらくこ
        とに不承知ならば、われらは「干戈(かんか、武器)を以
        て、天理に背くの罪を糺(ただ)」さんとするので、日本
        も鎖国の国法をたてに防戦するがよい。戦争になれば、勝
        つのは必ず我等である。日本は敗けるので、そのときに降
        伏を乞いたければ、このたび贈っておいた「白旗」を押立
        てるがよろしい。そうしたら、アメリカは砲撃をやめ、軍
        艦を退かせて、「和睦」することにしよう。そういう意図
        で、この「白旗」を贈ったのである。[c]

     大砲と軍艦でもって、自国の要求を通す、これを「砲艦外
    交」と言いますが、これこそ近代世界システムのグローバル・
    スタンダードでした。我が国はペリーの砲艦外交に屈服した形
    で開国し、否応なく国際社会に引きずりだされますが、そこは
    このような弱肉強食の荒海だったのです。

                                                    (続く)

■リンク■
a. JOG(117) フィンランド、独立への苦闘
   ヒットラーのドイツとスターリンのソ連にはさまれ、フィンラ
  ンドは孤立した。
b. JOG(014) Remember:アメリカ西進の歴史
   アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化すること
  によって、文明をもたらすことを神から与えられた「明白なる天
  意」と称した。
c. JOG(149) 黒船と白旗
   ペリーの黒船から手渡された白旗は、弱肉強食の近代世界シス
  テムへの屈服を要求していた

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「国際社会で自分自身を語れますか?」について
                                    匿名希望さん(女性)より

     私は、1998年から2年間バルト3国のリトアニアに滞在
    しました。バルト3国は1939年の独ソ不可侵条約でソ連邦
    に組み込まれたましたが、この時同じ条約にはフィンランドの
    名前もありました。バルト3国とフィンランドは地理的にはも
    ちろん、文化的にも実は近い関係にあり、1歩間違えていれば
    バルト3国と同じ運命をたどっていたかもしれないこの時の戦
    争を、フィンランド人がいかに大切に考えているかをリトアニ
    アで会った多くのフィンランド人から聞きました。ロシア軍の
    ヘルシンキまでの攻撃ルートを地図で指しながら、湖の多い地
    形にも助けられたんだという話を涙ながらにしてくれた若者も
    いました。

     現地滞在中、大学で日本語の講師をしていたこともあり、日
    本の歴史についても外国人からよく質問されたのですが、現代
    日本人のあたかも「西洋文化=アメリカ文化」であるかのよう
    な崇拝ぶりは、恐らく第2次大戦敗戦の影響がもっとも大きい
    のだろうと思います。
    
     現地の日本語学習者にとっては、英語をカタカナに置きかえ
    るだけの外来語の氾濫がかなり驚きだったようで、リトアニア
    語でもフィンランド語でも、そのような言葉はできるだけ自国
    語に翻訳して使用する風潮があり、リトアニアに至っては商店
    名に英語を用いてはいけないという法律まであります。それが
    全面的によいことかどうかは別ですが、アメリカ文化が世界の
    すべてではないことを示す好例ではあると思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     国際社会の荒波を必死でしのいでいるヨーロッパの小国を見
    ると、国際社会の本質がよく見えてきます。
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