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-----Japan On the Globe(174)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     人物探訪:大空のサムライ〜坂井三郎
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_/ _/_/_/        撃墜王の「苦難と勇壮の物語は、万人の胸に
_/ _/_/        うったえる」とニューヨーク・タイムズは評した。
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■1.「苦難と勇壮の物語」■

     平成12年9月22日、坂井三郎が84歳で亡くなった。坂
    井は大東亜戦争中、200回以上の空戦で64機をおとした撃
    墜王で、その自伝「大空のサムライ」は米英仏など各国でベス
    トセラーとなり、100万部以上売れた。
    
     本の帯には、ニューヨーク・タイムズの次のような書評が紹
    介されている。
    
         武士道の伝統を受け継いだ一人の日本人と、闘志に燃え
        る日本海軍航空隊の苦難と勇壮の物語は、万人の胸にうっ
        たえる。

     敵国にも感銘を与えた坂井三郎のサムライぶりを振り返って
    みよう。

■2.海軍戦闘機搭乗員の意地■

     昭和16年12月8日午前10時、台湾の台南基地から54
    機の一式陸攻からなる爆撃隊が飛び立った。続いて45機の零
    戦隊が護衛のために離陸する。坂井はその一員であった。ここ
    から800キロ以上も飛んで、開戦劈頭にフィリッピンのクラ
    ークフィールドなどの米軍基地を叩くためである。
    
         日華事変の歴戦できたえた私たちの腕前であるが、今度
        の相手は、今までの中国空軍とは違うのだ。みずから先進
        国と豪語する米英空軍だ。きっと、われわれをなめてかか
        ってくるだろう。・・・
        
         今度こそ、日本人の頭脳が考え、日本人だけの手でつく
        り上げた零戦を、日本海軍できたえにきたえたおれたちの
        手で操縦して、目にものを見せてやるのだ。ことに敵の戦
        闘機にだけは絶対に負けてはならない。いや、絶対に勝っ
        て勝って勝ち抜くのだ。これが海軍戦闘機搭乗員の意地な
        のだ。
        
     対米英開戦を知って以来、坂井たちの闘志は燃え上がってい
    た。しかし、もともとの計画は午前4時出発だったのだが、飛
    行場が濃霧に覆われたため、6時間も遅れた。すでに真珠湾攻
    撃成功の報も入り、坂井らは味方の成功を喜びながらも、一番
    槍を奪われたと悔しがっていた。
    
■3.最初の空中戦■

     だが、霧による遅延が幸運をもたらした。米軍戦闘機は真珠
    湾攻撃の報に、当然フィリッピンにも空襲があると予想して、
    迎撃のために飛び上がっていたのだが、待てど暮らせど日本の
    空襲部隊はあらわれない。ついに燃料補給のために着陸した、
    ちょうど、そこに日本の大編隊が現れたのだった。
    
     一式陸攻の大編隊が爆撃を開始した途端に、飛行場全体がパ
    ッと褐色の絨毯が覆い被されたように見えた。大火災が起こり、
    黒煙が4500mまでのぼった。
    
     零戦隊も地上の米軍機に機銃掃射を始めたが、そこに戦闘機
    P−50、5機が上空から襲いかかった。日米機、初の対戦で
    ある。坂井機が急旋回して、敵機の左翼下の死角に飛び込むと、
    その思い切った戦法と、零戦の優れた旋回性能に驚いて、米機
    はいっせいに逃げ散った。しかし逃げ遅れた1機を、坂井機が
    追いつめて、40mの至近距離から20ミリ機銃を撃ち込むと、
    一瞬にして風防が飛び、錐もみ状態で落ちていった。米軍機相
    手の最初の撃墜であった。

■4.「空の要塞」撃墜■

     開戦3日目に、坂井は「空の要塞」B−17に遭遇した。
    アメリカが世界に誇る大型高速爆撃機で、5つの砲塔に積んだ
    合計10挺の13ミリ機銃は死角ゼロと言われ、戦闘機では絶
    対に撃墜できないと言われていた。そのため戦闘機の護衛もつ
    けずに日本の艦船を爆撃しようとしていた。他隊の零戦3機が
    襲いかかったが、逃げながらさかんに機銃を撃ってくる。
    
     このままではいけないと、坂井機は敵の攻撃に身をさらしつ
    つ、後方から追尾して敵機の後下方に潜り込み、右翼タンクを
    狙って、20ミリ機銃のすべての弾丸を撃ち込んだ。敵機から
    はガソリンが噴き出し、高度をぐんぐん下げて、中から3つの
    落下傘が飛び出した。B−17は、ルソン島の山にかかってい
    た密雲の中に突っ込み、撃墜は確認できなかった。
    
     終戦後に判明したことだが、これが「空の要塞」が初めて撃
    墜されたケースで、アメリカの陸軍航空首脳を驚愕させた。
    零戦が20ミリ機銃を備えているとは、米軍の想像を絶するこ
    とであった。さらに台湾から800キロ以上も飛んで、フィリ
    ッピンで空中戦を行い、また台湾に帰れるほど、零戦の脚が長
    いとはどうにも信じられなかった。戦後になっても、マッカー
    サーは零戦は空母から発進したと思いこんでいたほどである。
    
     米軍は、「空の要塞」撃墜が全体の志気を落とすことを心配
    して、虚偽の発表を行った。それによると、「B−17は日本
    の(空母から発進した)艦載機数十の包囲を受け、故障を感じ
    た機長は、戦艦ハルナに体当たりを敢行し、これを撃沈せしめ
    た。この勇戦こそは全軍の範とすべきである。」 米軍の連日
    の敗退にくさっていた米全土はこの発表に大喜びしたが、沈め
    られたはずの榛名は、その頃、マレー水域で健在だった。
    
■5.向かうところ敵なし■

     開戦後、わずか1週間ほどでフィリッピンにあった米軍機約
    300機は潰滅し、零戦隊の敵はなくなってしまった。そこで
    12月末にはボルネオ方面、翌年3月にはバリ島、さらに4月
    にはパプア‐ニューギニアのラバウル基地へと前進した。

     ここからポート・モレスビーの敵基地を連日のように空襲し
    た。ある時、坂井は敵基地の上空で、部下の2機と共に、編隊
    宙返りを3回やってみせた。かねてから機会があればやってや
    ろうと示し合わせていたのである。2千mの低空飛行なのに、
    敵は地上砲火を一発も撃ってこなかった。
    
     数日後に、敵機が書状をラバウル基地に投げ込んだ。「先日
    の宙返り飛行士は、大いに我々の気に入った。今度やってくる
    ときは緑色のマフラーをつけてこられたい。われわれはこぞっ
    てその英雄たちを歓迎するであろう。」つかの間の戦士同士の
    交歓であった。
    
     6月には、敵戦闘機部隊をほぼ潰滅させた。しかし、偵察に
    よると、ふたたび相当数の戦闘機が補充されているという。零
    戦21機で出撃した所、坂井は2.5という特別の視力で、遠
    方に飛ぶ35,6機の敵大編隊をいち早く捉えた。坂井は味方
    を誘導しながら、視界外ぎりぎりの所を大きく旋回し、敵編隊
    の最後尾上方に忍び寄り、一斉攻撃を開始した。
    
     両軍あわせて60機近い大空中戦が始まった。ただ今日の敵
    は今までとは旋回性能がまるで違う。よく見ると、英国の新鋭
    機スピットファイアであった。かねて聞いていた最新鋭機との
    対決に、坂井の闘志は倍加した。敵味方入り乱れての大乱戦は
    1時間も続いたように思えたが、時計を見るとわずか10分間
    のことであった。敵は19機を撃墜されて逃げていったが、味
    方をまとめると、なんと21機全機無事である。最新鋭機も零
    戦の性能と、坂井らの鍛えた腕にはまったく歯が立たなかった。

■6.グラマンとの死闘■

     8月、ガダルカナル島に敵機動部隊が上陸している、という
    情報に、零戦隊17機が敵船団上空にたどり着いた時である。
    太陽を背にして、熊蜂のようなずんぐりした胴体の米国新鋭機
    グラマンが襲いかかってきた。
    
     とっさに気がついた坂井は急上昇しながら、反撃した。とこ
    ろが、坂井の2番機、3番機がついてこず、あわてて探すと、
    はるか下方で一機のグラマンに追尾されていた。後の一機がグ
    ラマンの射程距離に入りつつある。「危ない!」坂井がとっさ
    に機銃掃射をすると、右旋回して射弾をよけつつ、下降する坂
    井機の腹の下に食い込んできた。
    
     「こいつは手強いぞ」。坂井は思いきり操縦桿を引いて、左
    旋回に入ると、互いに左垂直旋回の巴戦となった。左翼は垂直
    に地面を指したまま、互いを追尾して水平にぐるぐるまわる。
    遠心力で血液が足の方に流れ、脳貧血を起こしそうにそうにな
    る一方、両足はふくれてくる。さらに首の骨がおれるほど後に
    折り曲げて、上瞼ぎりぎりの所で敵機を見ていなければならな
    い。苦しさの我慢比べである。
    
■7.戦争とはいいながら、君を殺して済まなかった■

     5旋回目に、敵機は耐えきれず、急に機首を下げ、斜め宙返
    りで坂井を引き離そうとした。この一瞬に勝負は決した。坂井
    は完全に敵機を捕捉した。50mの至近距離から200発ほど、
    敵機に打ち込んだ。
    
     急にスピードの落ちたグラマンを追い越して、坂井機はつん
    のめるように10mほど前に出てしまった。こちらが撃たれて
    しまう所だが、敵機は撃ってこない。風防を開いて、敵機を見
    ると、向こうも風防を開けている。落下傘降下をするつもりだ
    ろう。敵のパイロットとぴたりと目があった。
    
     右肩が血で真っ赤に染まっている。坂井は自分が撃った弾丸
    で、空中で血を流している人間を初めて見た。さすがに嫌な気
    がして、「助けよう」と思った。しかし、こんな手強いやつを
    生かして返したら、今後、何人、何十人の味方が彼のために殺
    されるか分からない。心を鬼にしても、私は私に与えられた任
    務を果たさなければならない。これが戦争というものなのだ。
    
     坂井がS字飛行で、敵を前にのめらすと、敵機は直角に旋回
    した。最後の反撃をしようとする気配が坂井に心理的に敵を撃
    つ余裕を与えた。50mの至近距離で5、6発撃った。操縦員
    そのものを狙える距離だったが、エンジンの先端を撃った。な
    ぜだか分からない。
    
     敵機は落ち、落下傘が一つ空中に浮かんだ。頭は垂れ、肢体
    がだらりと伸びきっているので、もう死んでいるかもしれない。
    「戦争とはいいながら、君を殺して済まなかった」、そんなつ
    ぶやきが心の中で聞こえた。

■8.敵も味方もない搭乗員同士の愛情■

     この日、17機の零戦隊は、敵機約77機と戦って、36機
    を撃墜し、味方は1機の損失だけだった。この後、坂井ははる
    か1万m前方に8つの点を見つけた。坂井が接近していくと、
    敵の小型機である。戦闘機だと思って、後からぐんぐん近づい
    て、60mまで接近した所で、「あっ、しまった」と坂井は叫
    んだ。
    
     戦闘機だと思っていた敵機は、小型艦上爆撃機ドーントレス
    だった。後尾の銃座各2挺、8機合計16挺の機銃が坂井に狙
    いをつけている。もう避けられない。相討ちだ。坂井は機銃を
    撃ちながらまっしぐらに突っ込んでいった。16挺の機銃が一
    斉に火を噴き、砂を投げつけるように、機銃弾の束が飛んでく
    る。距離は20mもない。敵機2機が、いっぺんに大きな火炎
    を噴き上げた。
    
     同時に、野球のバットで頭を一撃されたような気がして、ス
    ーッと意識が遠くなった。うとうととして、いい気持ちだった。
    その時、不思議な声を聞いた。「なんだ、三郎、お前はそのく
    らいの傷で死ぬのか。意気地なし」 母の声であった。
    
     坂井ははっと目を覚ますと、飛行機は落下しているらしい。
    目をやられたらしく、真っ赤で何も見えない。左手も左足も動
    かない。右手で操縦桿を引き、水平飛行にした。あふれる涙で
    血が洗われて、ぼんやり見えるようになった。
    
     今まで食った敵も50数機。今、俺が味わっているような目
    にさんざん会わせてきた。それなら、敵の飛行機乗りに食われ
    てやりたい。早く出てこい、グラマン。いま俺は自決するんだ
    が、その介錯をしてくれ。奇妙な考えだが、敵も味方もない搭
    乗員同士の愛情のようなものであった。
    
     しかし敵機はついにあらわれなかった。この死地も切り抜け
    られる運命にあるのかと思い直し、坂井はなんとか頭の血を止
    め、睡魔と戦い、血に染まった航空図を読みながら、4時間半
    を跳び続けて、ついにラバウルに帰還した。

■9.代々の「苦難と勇壮の物語」■

     重傷を負った坂井は、療養のために帰国し、大事な目をやら
    れたために、その後は長崎の大村航空隊で後進の指導にあたっ
    た。坂井が負傷した頃が、日米の戦力が逆転しつつある時だっ
    た。敵は落としても、落としても、新しい飛行機と搭乗員が補
    充されてくる。味方は連日の空戦で、機数も搭乗員も次第に減
    少していった。
    
     坂井自身も、ガダルカナル島に上陸しようとする80隻ほど
    の大艦隊と、無数の上陸用舟艇が海面上に描く数百条、数千条
    の白い縞模様を見て、「戦争は負けだ」と直観した。今や敵は、
    相手の戦闘機ではなく、アメリカの物量だと分かった。
    
     戦争自体は物量で負けたが、少なくとも空戦においては、
    「日本人だけの手でつくり上げた零戦」の圧倒的な性能と、
    「日本海軍できたえにきたえた」技量、そして「敵の戦闘機に
    だけは絶対に負けてはならない」という闘志で、米英空軍力を
    圧倒したのである。我らが祖父の世代が生みだしたこの「苦難
    と勇壮の物語」は、ニューヨークタイムズの評したように「万
    人の胸にうったえる」ものであった。
    
     さらにアメリカの「物量」を生み出した近代工業力に対して
    は、戦後、我々の父親の世代の新たな「苦難と勇壮の物語」が
    創り出した優れた鉄鋼、電気電子製品、自動車などによって世
    界市場を席巻した。現在の国際社会では、外交、金融、情報通
    信など、知力と情報が主戦場になりつつあるが、祖父や父の世
    代に恥じない、我々自身の「苦難と勇壮の物語」が求められて
    いる。

                                          (文責:伊勢雅臣)
                                          
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 「大空のサムライ」★★★、坂井三郎、光人社、S42.5

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「大空のサムライ〜坂井三郎」について        Zekeさんより

     坂井氏は64機の敵機を撃墜していますが、それ以上に偉大な
    のは、作戦活動中に、ただの一人も部下を戦死させていないこ
    とです。このことは、特に米英の戦史研究者の間で高く評価さ
    れています。つまり、若い部下を預かる上司、管理者として、
    卓越した能力と自覚をもっておられたのですね。

     昨今の、部下を文字どおり特攻隊扱いし、部下がまさに命懸
    けであげた仕事の成果を自分の手柄のように上に報告し、失敗
    すれば部下だけに責任をおしつけて平然としているような、こ
    の国の政財官あらゆる部門の上司、管理者連中に、爪の垢でも
    飲ませてやりたいですね。

     余談ながら、零戦は日本の近代工業技術史上、忘れることの
    できないメルクマールです。しかし、戦後の航空空白期間があ
    るとはいえ、資料としてはあまりに冷遇されている感がありま
    す。アメリカのスミソニアン博物館やイギリスの王立航空宇宙
    博物館並みとはいわないまでも、このような近代技術史の証人
    を後世に伝える正式の公共施設なり機関が日本に見当たらない
    のはなぜでしょうか。こんな点が、昨今の若者の製造業離れ、
    理科離れの遠因のように思います。ちなみに、「Zeke」とは、
    零戦の米軍側の呼称です。

                             masudam(ブラジル在住)さんより
    
     純国産の戦闘機・零戦が、生産開始当時の戦闘機として世界
    最高水準の性能を誇っていたことは知っておりましたが、この
    記事を読んで、かくも勇敢で有能な飛行士がいたことを知り、
    深く感動いたしました。戦闘機の性能を活かすには、操縦する
    人の技術はもちろん、心意気も大事ではないかと感じました。

     日本の高度成長期は、奇跡的や驚異的という言葉で片づける
    ほど薄っぺらなものではなく、成長を成し遂げる原動力は長い
    歴史から得たものだと考えます。そうでなければ、戦争で命を
    落とした人やそれ以前の国のために尽くして人たちが報われな
    いと思います。坂井さんのような、技術面でも精神面でも優れ
    た人たちが多くいたからこそ、敗戦にもかかわらず経済大国と
    しての現在があると思います。

     日本では、個人消費が増えず景気回復の足を引っ張っている
    ようですが、多くの日本人が国に頼ったり将来に悲観的になり
    過ぎずに、自信と誇りを持って生きていくことで、案外活路が
    見いだせるような気がします。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     名機零戦を生みだした日本技術陣の物語は、また後日とりあ
    げたいと思います。  

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まぐまぐ27,792部 Macky!822部 Pubizine800部 カプライト883部 

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