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-----Japan On the Globe(183) 国際派日本人養成講座---------- _/_/ _/ 人物探訪:フレッド和田(下)〜祖国への熱き思い _/_/ _/ _/_/_/ 祖国日本にオリンピックを、という和田の熱意は、 _/ _/_/ 中南米諸国に感動の渦を巻き起こしていった。 -----H13.04.01----33,876 Copies----234,132 Homepage View---- ■1.ムチャス グラーシャス■ 東京でのオリンピック開催への支持を訴えるべく、和田夫妻 が最初に訪れたのは、メキシコのオリンピック委員クラーク将 軍だった。フレッドは、いきなりスペイン語で挨拶し、スペイ ン語の名刺を渡した。 クラーク将軍が頬をゆるめて、「スペイン語ができるのです か?」と聞くと、「ロスの店ではメキシカンをおおぜい雇って いるので、挨拶ぐらいは自然にできるようになりました。」と 答えた。将軍は一層気をよくした。 フレッドがメキシコからは野菜や果物を沢山仕入れており、 自分は大のメキシコびいきだと言うと、将軍も「私は親日家で す。改めて握手しましょう」と応える。そして和田が東京オリ ンピックへの支持を訴えると、将軍はこう言った。 和田さんの熱意には感服しました。ロペス大統領は私が 責任を持って説得します。五輪大会と称されながら、アジ アで一度も開催されていない点に重きを置くべきですよ。 アジアで最初にオリンピック大会を開催できる国は日本を おいてほかにはないでしょう。 将軍はその場で中南米諸国のオリンピック委員全員に対して、 東京開催を支持するよう依頼する書状を書いてくれた。和田は 天にも昇る気持ちで「ムチャス グラーシャス ヘネラル ク ラーク(ありがとうございます。クラーク将軍)」とうわずっ た声を上げた。 ■2.革命直後のキューバ■ メキシコで首尾良く支援の確約をとりつけてから、二人はキ ューバに赴いた。革命直後でまだ戒厳令下にあり、空港の至る 所で兵士達が銃を構えている。オリンピック委員のモインク氏 は、二人を危険な目に会わせてはならないと、ホテルまで出向 いてきた。 革命直後のキューバにお出かけいただいただけでも、感 謝しなければなりません。和田さんご夫妻は、ラテンアメ リカを1ヶ月以上もかけて回るそうですね。祖国のためと はいえ、そこまでなさる熱意に頭が下がります。 正子が答えた。 フレッドは、「東京オリンピック」に限らず、祖国のこ とになりますと、夢中になってしまうんです。 和田の祖国愛に胸を打たれたモインクは、東京への投票を確 約してくれた。 ■3.ブラジル日系人の思い■ ブラジルの委員からは、東京開催を支持するが、総会の開か れるミュンヘンまでの旅費2千ドルを援助していただけないか、 と依頼された。和田は「結構です」と即答した。ブラジルには 日系人もいるし、もし寄付が集まらなかったら自分で出そうと 思ったのだ。それを聞いたブラジルの日系人会幹部は言った。 和田さんご夫妻がこんなにご苦労されているのに、われ われが手を拱いているとしたら、ブラジル日系人の恥です よ。2千ドルぐらい何とでもしますから、われわれにまか せてください。 それを聞いて和田は胸が熱くなった。祖国日本に思いを寄せ ている日系人は、ブラジルにも大勢いるのだ。 チリでは、オリンピック委員が総出で、空港まで和田を出迎 えた。祖国のために自費で歴訪している和田の姿は、各国に感 動の渦を巻き起こしていた。 ■4.圧勝■ 5月初めにようやく長旅を終えて、ロスに帰った和田は、そ の月末には国際オリンピック委員会総会の開かれるミュンヘン に飛んだ。店の方を心配する正子を、5日間だけと、なんとか なだめて出てきたのだった。和田は中南米の委員達と食事を付 き合いながら、それとなく東京への投票の念押しをした。 投票の結果は、1回目で東京が58票中34票の過半数を獲 得して、招致を決めた。2位のデトロイトが10票で、文字通 りの圧勝だった。アジアと中南米の票が決め手だった。 日本からのオリンピック委員はホテルで結果を待つ和田に一 刻も早く知らせようと、会場を出た。駆けつけてきた和田を見 つけると、バンザイでもするように両手を高く掲げて、こう言 った。 和田さん、決まったよ。34票もとった。驚いたよ。こ んなにとれるとは思わなかった。和田さんのお陰だ。ほん とうにありがとう。 二人は抱き合って喜んだ。和田が中南米の委員達の所にお礼 に行くと、みなが東京開催を祝福してくれた。 和田は日本オリンピック委員会の名誉委員に任命され、引き 続き、東京オリンピック成功に向けての助力が要請された。さ らに同行した東龍太郎・東京都知事が、和田へのお礼として名 誉都民の称号を与えたいので、このまま一緒に東京に行っても らえないか、と聞いた。しかし、正子に電話すると、「男なら 帰ってらっしゃい。子供が褒美をもらいに行くようでおかしい ですよ。」と一喝されて諦めた。 ■5.日本はこれで一等国になったのや■ 昭和39(1964)年10月10日、東京オリンピック開会式。 フレッドと正子は、ロイヤルボックスの前方シートに座ってい た。やがて全観客が起立して、天皇皇后両陛下、続いてアベリ イ・ブランデージ国際オリンピック委員会会長を迎えた。メー ンポールに五輪旗、日章旗、東京都旗がはためく中で、君が代 が吹奏された。フレッドも正子も、君が代を聴くと、いつもな がら粛然とした思いと、熱い思いがないまじった身の震えるよ うな感動を覚える。 続いて選手団の入場。和田夫妻が東京誘致を働きかけた国の 一つ、キューバの選手団は、ロイヤルボックスの前で、内ポケ ットから日の丸の小旗を取り出し、一斉に振りながら行進して いく。拍手と歓声がスタンドにこだました。フレッドはキュー バのモインク委員の親日的な態度を思い出した。 続いて、ブランデージ会長が挨拶で「オリンピック大会は全 世界のものである証左として、ついにここ東洋で行われようと しています。」と述べた。引き続き、天皇陛下が開会宣言をさ れると、聖火台の下でファンファーレが鳴り渡った。フレッド は涙がこぼれてならなかった。 日本はこれで一等国になったのや。戦争に敗れて四等国 になったが、よう立ち直った。日本人は皆よう頑張った。 天皇陛下とマッカーサー元帥の並んでる写真は忘れられ ませんねえ。新聞で見たときパパが悔し涙を流したのを覚 えていますか? あたりまえや。あんなショックは生まれて初めてやった。 マッカーサーはノータイで、シリのポケットに両手をつっ こんどった。天皇陛下はモーニング姿の正装だったのに、、 天皇さんがオリンピックの開会を宣言したことは、日本 が一等国になった証やと僕は思う。ほんまよかった。 東京大会でのメダル獲得数は、金16、銀5、銅8と、金メ ダル数では、米ソに続く第3位の堂々たる成績を上げた。 ■6.「よし、引き受けた」■ 続く1968年のオリンピックでは、和田は東京招致を支援して くれたお礼に、2ヶ月近くもメキシコに滞在して、招致活動か ら開催までのあらゆるノウハウを伝授した。和田の献身的な協 力に感動したロペス大統領はメキシコ招致成功の礼状と記念品 を和田に贈った。 さらに1969年には、ロサンゼルス市長からオリンピック開催 の協力を求められた。ロス港の港湾委員会委員という要職に任 命して、その立場からオリンピック誘致を支援して貰いたいと いう。和田は快諾し、オリンピックだけでなく、ロス港と和歌 山港、清水港との姉妹港関係締結などを通じて、日米貿易発展 に尽力した。 和田は後には、港湾委員会委員長まで務めたが、71年に余生 を日系人の老人ホーム建設に打ち込む決意を固めて、港湾委員 会を辞任することとした。ところが、ロス市議会は満場一致で 和田の留任要請決議を行ったのである。市議会始まって以来の 椿事だった。ある議員はこんな支持発言をしている。 ミスター・ワダに頼み事をして叶えてくれないことはあ りません。どんなことにも、嫌な顔をせず、「よし、引き 受けた」と言ってくださいます。ミスター・ワダほど誠実 で心やさしく、実行力のある人をわたしはほかに知りませ ん。 市会議員たちが自宅に詰め寄っても、和田の決心は変わらな かった。市長は記念の盾と感謝状を贈って、和田の功績を讃え た。しかしその後、和田はロサンゼルス・オリンピック組織委 員の51人の中でただ一人東洋系人種の中から選ばれ、再び、 日系老人ホーム建設とオリンピック誘致・準備と、多忙な毎日 を続ける。 ■7.日系引退者ホームの父■ パイオニアとして働いてきた日系一世たちは年老いている。 いまこそ、お世話になった彼らに恩返しをすべきだ。和田はそ う考えて、1961年に日系二世の有力者と相談して、日系社会福 祉財団を組織し、シティ・ビュー病院を賃借して日系人のため の診療を開始した。年取った一世たちにとって、日本語で日本 人の医者と看護婦に診てもらえることは、何よりの安心だった。 69年には、看護病院の敬老ナーシング・ホームを開設したが、 施設建設のために、50万ドルの融資が必要となり、和田や他 の日系人リーダーは、自宅を担保物件として提供した。港湾委 員長を辞任した71年には、姉妹施設として南敬老ホームの開設 にこぎつけた。 75年には、3エーカーの土地と大小13棟からなるユダヤ系 老人ホームを100万ドルで購入し、日系引退者ホームを開い た。資金は和田がリーダーとなって、わずか5ヶ月の募金活動 で調達した。一世たちは体が言うことをきかなくなると、日本 人の生活に戻りたくなる。日本食をとり、日本語で仲間と語り 合う生活こそ、望みなのである。 しかし、老人たちを救うだけが目的ではありません。三 世、四世の若者達に後顧の憂なくアメリカ社会で仕事をし てもらうためにも、引退者ホームは必要なんです。・・・ ビジネスの世界で失敗するとお年寄りの面倒が見切れない とか、老後が心配だとかいうので、お前たちが失敗しても 大丈夫なように、おまえたちのお年寄りは全部面倒見てや る、だから失敗を恐れずに思い切って仕事をやれと僕は言 うとるんです。 和田の考えは、常に前向きである。 ■8.アメリカで根付いた日系社会■ 1989年3月17日、5階建て収容人員154名の日系引退者 ホーム新館が完成し、オープンセレモニーが開かれた。新館建 設のための募金活動は日本でも行われ、和田は何度も来日して、 各方面に働きかけた。今まで和田にお世話になったスポーツ関 係者や政財界が和田の呼びかけに積極的に応え、日本での寄付 総額は4億36百万円に達した。 式を前に、広場で新館を見上げる和田夫妻の目は潤んでいた。 正子は言った。 この施設は、アメリカ全体の日系社会のシンボルになる と思います。そして3世、4世へと時代を超えて受け継が れてゆくんです。 うん。僕たちの苦労は報われたのや。 パパは7人、私は5人兄弟で、わたしたちの従兄弟は2 6人おるけど、それぞれがファミリーを持って、二世、三 世へと扇のようにひろがってくるんですねえ。日系社会は アメリカで根づきましたが、われわれを受け入れてくれた アメリカに感謝しなければなりませんねえ。 二人はいつのまにか、老人達の輪の中にいた。和田に向かっ て手を合わせる老人もいる。寄る辺のない日系老人達にとって 和田は拝みたくなるような存在だった。「元気そうやねえ」と、 和田に優しく手を握られ、涙ぐむ人も多かった。 「誠実、勤勉、奉公」など戦前の日本人が大切にしていた生き 方を台湾では「日本精神」と呼ぶが[a]、和田に代表される日 系人たちは、その生き方で北米や中南米の地に受け入れられ、 しっかりと根をおろしたのである。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(062) 台湾史に見る近代化の条件 李登輝総統:植民地というのはトクな面がある。その本国のい ちばんいい所が植民地で展開されるからだ。 b. JOG(016) 国際親善をそこなうマスコミ報道 ブラジルの地に根付いた日系人の心を知らせない日本の報道陣 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. 「祖国へ、熱き心を」★★★、高杉良、講談社文庫、H4.5 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ Italia_keikoさんより 早いものでイタリアに移り住んで16年、当初、日本人の集ま るレストランに入り浸り、イタリアに住みながらも日本人観光 客の目でイタリアを見ておりました。後にイタリア人の夫を持 ち、息子が誕生してもさほど変わらなかったように思います。 それが、夫が勧めてくれたインターネットによって変化しま した。つまりネット上で貴殿をはじめ日本の記事をいろいろ読 み始め、それまで自分がイタリアのことを吸収することばかり に時間を費やしていたのが、主人をはじめとする身近なイタリ ア人に日本のことを話したくなったのです。貴殿の紹介してく ださる誇るべき日本人の歴史を知るにつれて、黙ってはいられ なくなったというところでしょうか。 今日も息子のラグビーの試合について行ったのですが、応援 の合間に宗教の話になりました。息子は9歳で、未だどの宗教 にも属していないので、そのことを説明し、加えて神道や仏教 がほかの多くの神々に見る生贄を欲さなかった事、組織に縛ら れずに、自分がお参りしたい時にお参りすればいいことなど、 自分にできる範囲で説明しました。その場にいたイタリア人み んなが賞賛してくれて、うれしくなりました。 縁合って知り合ったイタリアに恋をして住み着いた私ですが、 あくまでも日本は私の母国、主人と母が仲良くしてくれたら、 こんなにうれしいことはありません。外国に住む多くの人が同 じような板ばさみの状態で生活していると思います。何も奇麗 事ばかりを紹介するつもりではありませんが、自分の母を誇れ るというのは実に喜ばしいことです。どうぞ末永く、我々日本 人にこれまで知らされていなかった我々の誇るべき先輩の話を 語り継いでください。■ 編集長・伊勢雅臣より イタリアも長い歴史を持ち、個性豊かな国です。豊かな個性 ある国ほど、他国の個性を尊重しうるのでしょう。 ============================================================ まぐまぐ28,371 Melma!1,852 カプ1,819 Macky!845 Pubizine789© 平成13年 [伊勢雅臣]. 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