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-----Japan On the Globe(195)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     Common Sense: 「新しい公民教科書」を読む
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_/ _/_/_/       「公」を説いた「公民」教科書が「新しい」とは
_/ _/_/          今までの教科書は何だったのか?
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■1.「公民」の出てこない「公民教科書」■

     扶桑社から市販された「新しい公民教科書」を、従来の古い
    公民教科書(日本書籍版、「中学社会 公民的分野」平成10
    年発行)と読み比べてみて、改めて驚かされた。
    
     扶桑社版では第一章の冒頭は次のような文章で始まる。
    
        「市民」と「公民」 「市民」や「国民」という言葉がし
        ばしば使われるが、「公民」という言葉は、それほど一般
        的ではない。「公民」とは何だろうか。
        
     確かに「公民」とは何か、と聞かれて、そう言えば日常的に
    はあまり使われない言葉で、学校で教わる社会科の一分野とい
    うぐらいのイメージしかない。それでは従来の教科書で「公
    民」とは何か、をどう教えているか、調べてみると、何と日本
    書籍版では目次にも索引にも「公民」という言葉は出てこない。
    「公民」という言葉はタイトルの「公民的分野」以外には出て
    こないのである。「公民」の出てこない「公民教科書」とは何
    なのだろう。ここに、従来の公民教育の大きな問題が典型的に
    現れているようだ。
    
■2.「市民」と「公民」■

     扶桑社版では、次のように「公民」を説明している。
    
         こうして社会をつくって生活する人間は、つねに二つの
        側面をもつだろう。一つは、社会の中で他人とかかわりな
        がらも、もっぱら自分の利益を追い求めたり、自分の欲望
        を中心に考えたり、自分の権利を追求したりする面であり、
        もう一つは、自分の利益や権利よりも、むしろ国家や社会
        全体の利益や関心という観点から行動しようとする面であ
        る。私たちは、この二面をもって市民として社会生活を営
        んでいるのだが、とくに後者を中心に市民をみたとき、こ
        れを「公民」と呼ぶ。
        
     さらに「ギリシャのポリスと民主主義」というコラムで、次
    のように分かりやすい歴史的な例をあげて、「公」を説明して
    いる。
    
        「公民」の「公」とは、「私」に対して、社会や共同体全
        体のことに関与したり、義務を負ったりすることを意味し
        ている。
        
         政治的な活動が、「私」の利害にかかわるよりも、まず
        は「公」の活動だという意識は、古代ギリシャのポリス
        (都市)に生まれた。ギリシャのポリスの人口は、せいぜ
        い20万人前後で、そのうち、政治に参加する「市民」は、
        4,5万人ぐらいだったといわれている。市民は、政治に
        参加して都市の運営にかかわると同時に防衛などの義務を
        負っていた。これは「公」の活動であり、家族を中心とし
        た「私」の活動とは区別された。
        
         ポリスでは、民主主義がかなりの期間にわたって実施さ
        れた。都市の中心にはアゴラとよばれる広場があり、ここ
        でさまざまな集会や催し物、演説などが行われ、こうした
        活発な言論活動が民主制を支えていたのである。
        
     古代ギリシャで生まれた「市民」たちは、ポリスの運営や防
    衛に関わる「公」の役割を担っており、それが民主主義の基盤
    である、という事をこれだけの短い文章で明らかにしているの
    は鮮やかである。

■3.公私の比率は1:85の「私民教科書」■

     公民教科書ではこの「公」と「私」の関係を生徒に教えるこ
    とがまず第一歩だと思われるが、この点を日本書籍版ではどう
    教えているのだろうか? この教科書は3部構成になっており、
    「人権を守る」「くらしを豊かに」「豊かな地球をめざして」
    となっている。「くらしを、、」は経済分野を、「豊かな地球
    を、、」は国際経済や地球環境問題などの国際問題を扱ってい
    る。
    
     最初の1/3を占める「人権を守る」は、「第1章 個人の
    尊厳」「第2章 民主主義の政治」「第3章 国際社会と平
    和」の3章構成になっている。すなわち、国内政治も、国際外
    交もすべて目的は「人権を守る」ためにあるという構成になっ
    ている。
    
     その冒頭の「第1章 個人の尊厳」では、「1.家族と社
    会」で、「子供の権利条約」から、家庭の中で女性が家事・育
    児を押しつけられたり、老人扶養や介護問題など、身近な所か
    ら「人権」を語り始め、「2.人権思想の発達」「3.人権の
    法的保障」「4.基本的人権の内容」「5.ひろがる人権」と、
    まさに「人権」のオンパレードである。
    
    「人権」ばかりを述べたこの第1章で43頁。そのうち、他の
    人々の人権を守るためには責任も伴う、と「公」の部分を述べ
    ているのは、章末で「公共の福祉」と題した0.5頁のみであ
    る。頁数で比較すると、「公」を述べた0.5頁に対して「
    私」を述べたのは42.5頁、日本書籍版では公私の比率は
    1:85ということになる。これでは「公民教科書」ではなく、
    「私民教科書」と言うべきではないか?

■4.「民主主義の基礎としての公民」■

     扶桑社版では、「民主主義の基礎としての公民」という見出
    しのもとで、次のように述べる。

         しかも、すでに述べたように、人々が自分の権利だけを
        主張していたのでは民主主義は成り立たない。民主主義と
        は、法を守り、社会を守り、他人の権利も自分と同じよう
        に守り抜くという強い義務感をもった人々がいて初めて実
        現される。つまり、「私」の事がらよりも「公」の事がら
        を優先させる公民がいて初めて実現されるのである。
        
     この文章の前の頁では、ヒトラーの写真に「20世紀の独裁
    者ヒトラー なぜ独裁者が生まれたのかを調べてみよう」とい
    う説明をつけている。大衆の不満をうまく捉え、選挙を通じて
    独裁者の地位をつかんだヒトラーの事例から、健全な公民がい
    なければ、民主主義も独裁政治に転落してしまうことをここで
    学ぶ。
    
     またマスメディアによって、人々の価値観が画一化して、
    「多数者の専制」に陥る場合もあるとして、「原子力発電」
    「沖縄の米軍基地」などの問題で、論調の異なる二つ以上の新
    聞を読み比べてみて、討論会を行うという練習を設けている。
    本講座でもよくやるように、朝日新聞と産経新聞を読み比べて
    みれば、良い勉強になるだろう。
    
     市民が自らの利益だけを考える「私民」となり、マスコミに
    踊らされる大衆社会となって、ついには独裁者を招くというの
    が民主主義に内在する問題であり、それを防ぐ為にも、「公
    民」の原点に立ち返ることが必要だ、と指摘する。

■5.我々の「人権」を奪われてはならない■

     日本書籍版の方は、「人権を守る 第2章 民主主義の政
    治」とあるように、選挙、国会、内閣、裁判所、地方自治など、
    すべての政治制度が「人権を守る」ためにあるという位置づけ
    をしている。
    
     「章のはじめに」では「国民が主権者の政治をめざして」と
    題して、ゼネコンが巨額の公共工事を請け負う為に政治家にヤ
    ミ献金を行うという問題を、二人の男がニヤニヤしながら金を
    包んだ袋を受け渡ししている漫画とともに紹介している。
    
         国民は、ふだんから政治に関心をもち、議員たちだけに
        まかせきりにしておいてはいけない。政治の主人公は、国
        民なのである。
        
     日本書籍版も「民主政治は、国民自身の努力によって築かれ
    るものである」と述べるが、それは資本家や政治家などの「階
    級敵」を設定し、その敵に我々の「人権」を奪われてはならな
    い、という一種の階級闘争史観なのである。
    
     しかし、こう教わった中学生は何を思うのだろう。自分たち
    の「人権」を奪う「敵」と言われても、中国や北朝鮮ならいざ
    知らず、現代日本で具体的な「人権弾圧」の例がころがってい
    るわけではない。せいぜい、自分達の自由を拘束する校則に反
    発するくらいが関の山であろう。
    
     見えない「敵」を常に外部に設定し、それに自分たちの「人
    権」を奪われてはならないとする姿勢では、自らの未熟さへの
    反省や、「公」への使命感などは持ち得ない。これでは社会を
    主体的に担う「公民」を育てるどころか、未熟な自分を「尊厳
    ある個人」とし、社会への批判と不満を述べるだけの「私民」
    を育てているのではないか。
    
■6.こんどの戦争をしかけた国には・・・■

     日本書籍版の「人権を守る 第3章 国際社会と平和」では、
    「日本国憲法の平和主義の精神が尊重されなければならない」
    として、冒頭に「新しい憲法のはなし」と題する1947年に文部
    省が出したという中学生用教材の一節を紹介する。
    
         戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこ
        わすことです。だから、こんどの戦争(太平洋戦争のこ
        と)をしかけた国には、大きな責任があるといわなければ
        なりません。・・・
        
         そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦
        争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、
        兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、
        いっさいもたないということです。これからさき日本には、
        陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といい
        ます。・・・しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うこ
        とはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりもさ
        きにおこなったのです。世の中に、正しいことぐらい強い
        ものはありません。
        
     1947年と言えば、まだ占領軍総司令部が言論検閲をしていた
    時代である[a]。自国のことを「こんどの戦争をしかけた国」
    などと呼ぶのは、いかにも占領軍の干渉か、文部省の迎合めい
    ている。しかし文部省自体が発行した資料では、引っ込めろと
    も言えない。この教科書執筆者は凄腕である。
    
     こういう文章を先に読まされて、あとの方で、戦車の絵入り
    で「自衛隊の現有勢力 陸上自衛隊151,200人、、、」とか、
    防衛費が4.7兆円(95年)まで右肩上がりで増え続けているグ
    ラフ、さらには軍事予算が米ソに次ぐ世界第3位などというデ
    ータを見せつけられたら、憲法で決めた「正しいこと」はうや
    むやにされている、と子供たちは思うだろう。

■7.「ベトナム戦争 爆撃から逃げまどう子どもたち」■

    「世の中に正しいことぐらい強いものはありません」という宗
    教的信念を紹介するのは良いとしても、争いの絶えない国際社
    会の現実を日本書籍版はどう教えているのか?
    
     たとえば、「朝鮮戦争 ソウルの南の漢江を渡って北進する
    国連軍。いったんは平壌の北まで進んだが、その後38度線近
    くまに後退した」と、戦車や歩兵の写真を掲載する。先に北朝
    鮮軍が韓国に侵入して、半島南端まで追いつめた事実を隠して、
    この説明文では、ほとんどの生徒はアメリカ軍を主力とする国
    連軍側の「侵略」だと思い込むだろう。悪質な偏向報道の典型
    である。
    
     その隣には「ベトナム戦争 爆撃から逃げまどう子どもたち。
    無差別な爆撃により多くの子どもたちが傷ついた」として、は
    だかで泣きながら逃げまどう子どもたちの写真を載せている。
    
     世界の平和はアメリカを中心とする好戦勢力に脅かされてい
    る、というのは30年も前の全学連世代の懐メロ的図式である。
    それがいまだに子どもたちに植え付けられる。そして日本は
    「アメリカ側の強い要求もあって、自衛隊の装備は年々強化さ
    れ、その行動力も行動範囲も拡大されている」。
    
     一体、戦力の放棄という「正しいこと」はどうなったのだろ
    う? 見えない「敵」から、我々の人権と平和を守らなければ
    ならない! 素直な子供ほど、こう思うだろう。「人権を守る
     第3章 国際社会と平和」とは、まことに意味深長なタイト
    ルではある。

■8.「私」が「公」を支え、「公」が「私」を守る■

     日本書籍版で隠されているものは、わが国を外部からおびや
    かす脅威の存在である。扶桑社版では、インドの核実験跡[b]、
    北朝鮮が発射したテポドン[c]の写真が掲載され、さらに台湾
    の独立問題[d]、南沙諸島をめぐる中国と周辺諸国との軍事的
    緊張[e]などが本文で紹介されている。
    
     きわめつけは、まるまる1頁を割いて、「北朝鮮による日本
    人拉致問題」を扱ったコラムだ。横田めぐみさんのセーラー服
    姿の捜索ポスターも紹介されている[f]。警察の調べでは、7
    件10人もの人々が拉致されたとされていることを紹介し、
    
         わが国に対する明白な主権侵犯行為であるとともに、野
        蛮な人権じゅうりんでもある。
        
    と述べている。こうした国際社会の現実を見据えて、わが国の
    平和と人権を守る為には、何をしなければならないか、を生徒
    に考えさせるようにしている。
    
     扶桑社版が育てようとする「公民」とは、ギリシャのポリス
    の市民のように共同体全体の「公」を考え、内に民主主義が衆
    愚政治化する病いをくい止め、外に平和と国家主権をおびやか
    す脅威に対処する国民のことである。そうした健全な共同体が
    あって始めて人権も福祉も実現されうる。「私」が「公」を支
    え、「公」が「私」を守る、この公私の両立という当たり前の
    ことを当たり前に教えた所に、「新しい公民教科書」の「新し
    さ」がある。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(098) 忘れさせられた事
b. JOG(040) 真の反核とは
c. JOG(051) 今、そこにある危機
d. JOG(186) 貧者の一燈、核兵器〜中国軍拡小史(1)
e. JOG(031) 北朝鮮に拉致された日本人少女

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 西部邁他、「新しい公民教科書」★★★、扶桑社、H13
2. 堀尾輝久他、「中学社会 公民的分野」★、日本書籍、H10
   
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mag2:28103 melma!:1926 kapu:1809 Pubzine:1694 Macky!:996
 

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