[トップページ] [平成13年一覧][人物探訪][210.67 日露戦争][911 詩歌]

-----Japan On the Globe(218)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     人物探訪: Father Nogi
       _/_/      
_/ _/_/_/         アメリカ人青年は"Father Nogi"と父のごとく
_/ _/_/          に慕っていた乃木大将をいかに描いたか?
-----H13.12.02----36,272 Copies----357,686 Homepage View----

■1."Father Nogi"■

     1913(大正2)年2月、ニューヨークで "NOGI"と題する本が
    出版された。そのわずか5ヶ月前、明治天皇の崩御(ほうぎょ、
    亡くなること)とともに、自刃した乃木大将を描いた本である。
    自刃と共に、一気に書き上げ、急いで出版したものである。
    
     著者はスタンレー・ウォシュバン。日露戦争中、シカゴ・ニ
    ュースの記者として乃木大将の第3軍に付き添った人物である。
    乃木大将の参謀長を務めた一戸(いちのへ)少将は後にこの本
    の存在を知って、涙を流さんばかりに喜んで、こう語ったとい
    う。
    
         ウォシュバンという男は当時27,8歳の愉快な青年で
        あった。非常に乃木さんを崇拝したばかりでない。Father
         Nogi と呼んで、父のごとくに思っていたようだが、果た
        してこういうものを書いていてくれたか。
        
     後に軍神として祀られた乃木大将は、米国青年の眼にどう写
    ったのだろうか?

■2.毎朝手元に届けられる死傷者の名簿■

     明治37年8月19日、乃木希典大将率いる第3軍は、旅順
    要塞への総攻撃を開始した。バルチック艦隊が到着する前に、
    港内に逃げ込んだ敵艦を撃滅しなければならない。しかし最新
    の技術をもって築城した要塞は、第3軍決死の総攻撃にもびく
    ともせず、戦死者累々の有様であった。この時の乃木大将の様
    子をウォシュバンは次のように描く。
    
         しかし毎朝手元に届けられる死傷者の名簿を見て、将軍
        がどれ程心胸の疵(きず)を深めたかは疑うべくもない。
        一週は一週、一月は一月と、この恐怖の月日が長引いて行
        く間に、将軍の変化は非常なものであつた。心労痛苦の皺
        が、縫い目のように顔面に刻まれ、気色悠揚とした時でも、
        新しい皺が創痕のように深く目立っていた。

         ・・・新任長官として第九師団を編成した時には、下士
        官の姓名までいちいち覚えてしまったという人である。手
        ずから撫育して多年統率の任に当っていた、我が児のごと
        き第九師団は、今や旅順ロ攻撃軍の中心となって、難戦苦
        闘を極めた点においては、出征軍中恐らくその右に出づる
        ものはあるまい。
        
     乃木の長男・勝典(かつすけ)は第2軍に属し、5月27日、
    遼東半島上陸直後の戦いで戦死。次男・保典(やすすけ)も1
    1月30日、第3軍の歩兵少尉として戦死してしまった。

■3.祝賀の陰の涙■

     旅順要塞が陥落したのは、ようやく翌38年1月1日であっ
    た。日本軍の犠牲は死者1万5千、負傷者4万4千人に上った。
     
         将軍はたちまち全世界の視聴を一身に集める人となった。
        文明国民として、将軍に賛美を呈せぬものはなく、新聞と
        いう新聞は、ことごとく将軍の肖像を掲げ、でたらめの伝
        記までも書き立てた。ドイツ皇帝は祝電を送り、勲章を贈
        った。
        
     しかし、乃木大将はこれにどう応えたか。一副官はウォシュ
    バンにこう語った。
    
         旅順口が陥落して、私たち幕僚が皆祝賀に耽(ふけ)っ
        ていると、いつの間にか閣下の姿が見えない。もう退席し
        てしまわれたのだ。行って見ると、小舎の中の薄暗いラン
        プの前に、両手で額を覆うて、独り腰かけて居られた。閣
        下の頬には涙が見えた。そして私を見るとこういわれた。
        今は喜んでいる時ではない、お互いにあんな大きな犠牲を
        払ったではないか。

     降将ステッセルとの水師営(すいしえい)の会見は有名であ
    る。各国特派員が写真撮影を求めたが、敵将に恥をかかせるこ
    とは日本の武士道が許さないとして、「会見後、我々が既に友
    人となって同列に並んだ所を一枚だけ許そう」といい、ステッ
    セル以下と肩を並べて写真に収まった。

■4.「午後は少し忙しい。」■

     5月、第3軍は満洲に進出し、司令部は人口5万の町・法庫
    門に居を構えた。従軍記者はウォシュバンを含め、3名に減っ
    ていた。石と泥土で建てられた、何の飾りもない小さな家を乃
    木大将は住居としており、門に歩哨が立っているのと、将軍達
    がときおり内庭を行き来しているのを除けば、他の同じような
    住宅と区別はつかなかった。
    
     ある日の午後、ウォシュバンはコリヤズ週刊新聞記者のバリ
    ーとともに乃木大将の住居を訪れた。いつものように閑談を伺
    ったり、一服の茶をふるまってもらうためであった。将軍は大
    長靴を脱ぎ、大きな腕椅子に正座して、茶をすすり煙草を喫し
    て、法庫門の生活などを4,50分ほど語り合った。ウォシュ
    バンには、この時ほど、将軍がくつろいで見えた時はなかった。
    
     やがて、将軍はこう言った。「今日はこれで失礼します。
    午後は少し忙しい。ミスチェンコの兵が、我が軍の連絡を絶つ
    ために、襲撃しようとしていますから。」
    
     ウォシュバンが後で知ったことだが、この時、わずか1千人
    しか防御のいない第3軍司令部にミスチェンコ少将率いるコサ
    ック騎兵約1万が接近していた。乃木大将が「少し忙しい」と
    言ったのは、大至急、味方の兵力を集めることであった。夕刻
    には万全の準備が整った。
    
         私たち二人が乃木大将の許に悠々と茶を喫していた時は、
        あに図らん、ちょうどこの戦闘準備の最中であったのだ。

■5.忘れてならぬことは、敵が大不幸をみたことである。■

     東郷提督率いる連合艦隊がバルチック艦隊を撃滅した翌日、
    夕刻7時に司令部において祝杯を上げることとなり、ウォシュ
    バンも招待された。乃木大将が「万歳」を叫ぶと、満座これに
    応じて、たちまち野砲斉発のような轟きとなって、「万歳」の
    声が四壁を揺るがした。
    
         乃木大将は微笑を浮べて冷ややかに見渡す。その微笑も
        やがては消えて、なかば厳粛になかば悲痛の面持となる。
        将軍は右手を挙げる。満堂再び沈静する。一同体を傾けて
        将軍の一語をも聴き漏らさじとする。将軍の言葉は、翻訳
        によると大要左のごとくである。

         我が聯合艦隊のため、我が勇敢な海軍軍人と、東郷提督
        のために、祝盃を挙げるのはこの上ないことだ。天皇陛下
        の御稜威(みいつ)によって、我が海軍は大勝を得た。し
        かし忘れてならぬことは、敵が大不幸をみたことである。
        我が戦勝を祝すると同時に、又我々は敵軍の苦境に在るの
        を忘れないようにしたい。彼らは強いて不義の戦をさせら
        れて死に就いた、りっばな敵であることを認めてやらねば
        ならない。それから更に我が軍の戦死者に敬意を表し、敵
        軍の戦死者に同情を表して、盃を重ねることとしよう。

         乃木大将の本色実にここに在る。・・・

■6.乃木大将のアキレス腱■

     ウォシュバンらが、乃木大将の戦功を語るにシーザーやナポ
    レオンなど歴史上の偉人に比較しようとすると、将軍はいつも
    迷惑そうな面持ちで、「アメリカの諸君は大変お上手だから」
    と言って、直ちに話題を転じてしまうのが常であった。
    
     しかし、遂に乃木大将のアキレス腱を見つけた。それは詩歌
    であった。バリーは、通訳が英語に訳した将軍の詩歌の詩情と
    典雅な表現に動かされて、適当な英語の韻律を与えようと、苦
    心を続けた。
    
         他の手段によってその名誉心に訴えようとしても、将軍
        は毫(すこ)しも動ずることがないが、作詩の讃評を聞く
        時のみは、小児のように夢中になっていた。バリー君が翻
        訳して、しかも佳作となったものを齎(もたら)して、原
        詩の情調に適する韻律選択の苦心を語る時、恍惚(こうこ
        つ)として両眼を閉じて傾聴する将軍の面影が、髣髴(ほ
        うふつ)として今なお眼前に浮んでくる。バリー君は将軍
        の著想を表すのに、シェークスピアの韻律が適するか、又
        はスウィンバンのが適するか、それを決めるのが困難だと
        言って説明した。・・・そして彼が将軍の作品を論評する
        時、将軍は始終ポンチ(漫画)人形のように嬉しそうに見
        えた。

■7.暁天の星■

     9月、日露講和が成立してウォシュバンらは帰国することと
    なった。出発の前夜、送別の小宴が開かれた。乃木大将は体調
    が悪く、欠席とのことであった。
    
     宴が終りに近づいた時、にわかに入ロの戸が開いた。一同起
    立して不動の姿勢をとったと思うと、戸ロの方に乃木大将が立
    っている。
    
         覆いがたい憂愁に打ち曇ったその時の顔色は、忘れよう
        としても忘れることはできない。・・・将軍は微笑だにも
        漏らさず、しずしずと食卓の上座まで来て、私たちと握手
        を交換し、切れるような日本語で従卒を呼んでシャンペン
        の盃を取った。再ぴ私たちに向って、淋しいながらも温和
        な色を浮べて、左のような意味を述べた。

        「・・・今諸君の我が軍を去られるに当って、一言を呈せ
        ずにはいられない。しかし訣別の辞を呈しようとするので
        はない。願わくはお互いの友情を、永久に黎明(れいめい、
        夜明け)の空に消ゆる星のごとくにあらしめたい。暁天
        (ぎょうてん、夜明けの空)の星は次第に眼には見えなく
        なる。しかし消えてなくなることはない。我々は諸君に会
        わず、諸君も我々に逢うことがないにしても、各々何処か
        に健在して、互いに思いを馳せることであろう」

         言い終って将軍は盃を揚げる。一同もまた黙々として盃
        を揚げた。やがて将軍は幕僚をふり返って、少しく意気を
        起して「万歳」を叫んだ。人々例によってこれに応じた。
        この懐かしい叫びは三度鳴り渡った。将軍は再び握手を交
        換して、またしずしずと入口の方へ去った。振り返って一
        座を見渡し、微笑を浮べて型のごとき挙手を行い、急に転
        じて出て行ってしまった。

         これが我々の親愛なる老将軍乃木の見納めであった。

■8.別れ■

     翌朝、ウォシュバンらは、一戸少将以下、6名の幕僚に見送
    られて、法庫門を出発した。行くこと一マイル、郊外に出ると、
    一戸少将は馬を停め、こう言った。

        「日本人は、友人と袂(たもと)を分かつことを好まない。
        私も今告別の詞(ことば)などは申さない。ただ私たちは
        此処(ここ)に馬を駐めているから、諸君は途の曲るとこ
        ろまで行ったら、振り返ってこちらを見て下さい。私が手
        をふったら諸君も手をふって下さい。それをお互いの別れ
        としましょう」

         私たちはそのまま馬を進めたが、胸迫って涙を抑えるこ
        とができなかつた。永い間生活を共にしてきた軍人たち、
        今は友愛の情切なるものもできているのである。法庫門か
        らの奉天街道が、渓(たに)の細路に通ずる地点に達する
        まで一マイルは十分あって、そこから細路が東へ東ヘと迂
        回して行く。その地点に達した時、かねての注意に随って
        振り返って見た。遥か彼方に騎馬の群が見えていた。私た
        ちは手をふった。肥えた黒馬に跨(またが)った姿に白く
        ひらめくものが見える。それは一戸老の手巾(ハンカチ)
        を振っているのである。

         これがいよいよ日本帝国の第三軍との別れとなったのだ。

■9.過去数百年伝来した理想の実現のために生きた人■

     明治天皇崩御の後を追って、乃木大将自刃の報がアメリカに
    達した時、この事件がアメリカの国民の間で実にわけの解らぬ
    事件とされているのを見て、ウォシュバンは憤り、一気呵成に
    この本を書き上げた。
    
         吾人(われら)遠く欧米に在るものよりみれば、這般
        (しゃはん、このたび)の行為は聞いてだに戦慄すべきこ
        とであろう。しかし乃木大将を知って、いささか将軍の理
        想を解し、先帝(明治天皇)に対する崇拝の赤心(まごこ
        ろ)を解するものよりみれば、何ら怪しむべきことに非
        (あら)ず、ほとんど自然の進退とするほかはない。・
        ・・
        
         乃木大将にとっては、天皇は日本帝国の権化(ごんげ、
        象徴)であり、最後に生命を天皇に捧げるのは、すなわち、
        日本帝国に捧げることであった。将軍既に自己の事業の終
        われるを感じ、疾(はや)くにも平安静寂の境に入るべき
        ことであったとして、その機会を熱望していたのである。
        ・・・
        
         見地かくのごとしとすれば、必ずまず将軍の絶対無二の
        立脚地を認めなければならぬ。そは、旅順口の戦勝者とし
        てに非ず、奉天戦の英雄としてでもない。ただ本務遂行の
        ために生き、過去数百年伝来した理想の実現のために生き
        た、単なる人としてである。
        
         乃木大将はかくのごとき人であった。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(7)  国際派日本人に問われるIdentity 
b. JOG(160) 国柄探訪:国際社会で自分自身を語れますか?
   〜(2) 父祖からの贈り物

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. S.ウォシュバン、「乃木大将と日本人」★★★、
  講談社学術文庫、S55
   
============================================================
mag2:27340 pubzine:3979 melma!:1981 kapu:1684 macky!:1288 

© 平成13年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.