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________Japan On the Globe(232)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     人物探訪:伊庭貞剛
       _/_/               〜君子、財を愛す、これをとるに道あり
_/ _/_/_/         銅の製錬で発生する亜硫酸ガスから、近隣農業
_/ _/_/          をいかに守るか、半世紀に及ぶ苦闘が続いた。
_______H14.03.17_____36,945 Copies_____415,598 Views________

■1.自然というものに対して申し訳がない■

     「ひどいねえ」、と伊庭貞剛(いばていごう)は思わずつぶ
    やいた。見渡す限りの山々は、木々が根本から掘り起こされて、
    一面、黒褐色の世界だった。
    
         神さまや仏さまや---自然というものに対して・・・申し訳
        がないねえ。
    
         すぐ、造林をしよう。植林予算をすぐに何十倍かに増額
        して、いや、何百倍でもよろしい。この枯れた山、枯れよ
        うとしている山に全部「緑」を返すのです。頼みますよ。
    
     明治27年早春、住友家が2百年にわたって銅を採掘してき
    た四国・別子銅山でのこと。伊庭貞剛はその住友家の支配人で
    あった。
    
     伊庭の命令にしたがって、大規模な植林が進められ、ほぼ百
    年後の昭和42年までに6422万8千本が植えられた。そこ
    から生まれてくる厖大な木材は鉱山会社では処理しきれなくな
    って、住友林業という専門の企業にまで発展した。緑をお返し
    したら、自然はそれ以上のお返しをしてくれたのである。

■2.私に別子銅山を潰させていただけませんか?■

     しかし、伊庭が本当に解決しようとしていたのは煙害の方だ
    った。銅山から掘り出した鉱石には大量の硫黄がまじっている。
    鉱石を溶鉱炉で焼くと硫黄が亜硫酸ガスとなって分離される。
    溶鉱炉のある新居浜村では4本の煙突が昼も夜も亜硫酸ガスを
    吐きだしていたが、これが風の具合で田畑を襲うと、作物の葉
    にはべっとりと黒褐色の斑点がついて、全滅してしまう。
    
     被害を申し出ると、住友は気前よく田畑を買ってくれ、その
    後の小作も許し、年貢もいくらでも負けてくれる。しかし、余
    りの被害に、農民たちは製錬所の移転を求めて、暴動まで起こ
    すようになった。

     これ以上、この問題を放置してはいけないと、伊庭は自ら別
    子銅山に赴任して問題に取り組む決心をして、住友家家長の友
    純(ともいと)に会った。伊庭は形を改めて言った。
    
        私に別子銅山を潰させていただけませんか?
        
    「潰すのですか?」と友純はほほえんで言った。
    
■3.国民の休戚(喜びと悲しみ)には替えられません■

         もちろん、あなたに措置を一任するのですから、潰され
        ても結構です。だけど、その理由を教えておいてください。
        
         銅山の溶鉱炉の亜硫酸ガスに、これ以上の跋扈(ばっ
        こ)は許されません。同じ鉱害の足尾はばたばたと、いろ
        んな見苦しい民衆弾圧の手を打っていますが、私は反対に、
        抜本塞源的に、煙害そのものをなくしてしまう方法はない
        ものかと、衆知を集めたいのです。・・・
        
     古河市兵衛の経営する栃木県の足尾銅山から流出した鉱毒は、
    渡良瀬川下流を汚染し、稲は枯れ、魚は死滅して、一部の村は
    廃村にまで追い込まれていた。被害を訴える農民たちは弾圧さ
    れて大きな社会問題になっていた。

         けれども、銅の採取には亜硫酸ガスの発生は、如何にし
        ても避けることの出来ぬもので、私の施策がことごとく裏
        目に出るということがないとも限りません。そんな時には、
        別子銅山は必然的に破産してしまいましょう。
        
     名門・徳大寺家から養子入りし、後の首相・元老、西園寺公
    望を兄に持つ友純は、少しの驚きも見せなかった。
    
         どうか右顧左眄することなく、思う通りにやってくださ
        い。別子銅山は住友の財本第一のものでありますが、広く
        国民の休戚(喜びと悲しみ)には替えられません。一住友
        のことなどは、全くお考えなく、全国民的に処理して下さ
        い。
        
     友純は養子ではあったが、「浮利(投機的利益)を追わな
    い」「国家民族のためになる事業しか手がけない」「信用を尊
    ぶ」といった住友家の伝統的な事業精神をよく受け継いでいた。
    
     ちなみに大正8(1919)年、第一次大戦後のパリ講和会議に
    兄・西園寺公望を代表とする日本全権団が赴いた時には、その
    経費は住友が負担して、世界の一流国に伍して恥ずかしくない
    ようにしたという。この席上、日本団は国際連盟規約に「人種
    平等条項」を入れるよう提案し、抑圧されていた米国の黒人や、
    アジア・アフリカの有色民族の期待を担った。[a]

■4.銅は日本国民にとって必要なもの■

     伊庭が新居浜に赴任した明治27年の7月には、千人以上の
    農民がむしろ旗を掲げ、竹槍や鍬などをもって、「支配人の伊
    庭貞剛に会わせろ」と押しかけた。警官隊との乱闘が始まり、
    村長や村会議員たちが必死で止めに入る。
    
     騒ぎのあいだ中、伊庭は支配人室に、じっと座っていた。煙
    害で、この土地の生活の要である農業を害するのは、確かに住
    友の方が悪い。
    
     けれども、鉱害の源である銅は、いま日本国民にとって、ど
    うしても必要なものであった。銅は電線を作るのに必要であり、
    その電線は電信、電話、電灯、電力のために使われる。日本が
    世界の文明国へと躍進し、国家の独立と国民の生活向上のため
    には、どうしても銅の生産をやめるわけにはいかないのである。
    
     公害の解決は、その公害をなくする事以外にない。しかし銅
    は絶対に必要であるから、その製錬をしながら、煙害をなくし
    てしまう方法はないか、と伊庭は苦慮を続けていた。

■5.精錬所、海上移転の決断■

     翌明治28年、夏。配下の技術者が抜本的な解決案をまとめ
    あげた。新居浜から海上20キロの四阪島(しさかじま)に精
    錬所をはじめ一切の工場を移転してしまおう、との大胆な案で
    ある。ここに工場を移転すれば、硫煙は海に落ちて、陸地には
    ほとんど届かないだろう。
    
     ほとんど無人の島を買収し、港を作り、1万数千人もの従業
    員を移住させる。水は新居浜から船で運ぶ。溶鉱炉の冷却水は
    海水を使うが、その技術検証に時間がかかった。総工費は80
    万円と、別子銅山の1年間の収入100万円に匹敵する巨費を
    要する。
    
     「よし、決まった」と伊庭は決断し、即座に地主の言い値で
    土地を買収せよ、と命じた。「もし、買収してしまってから、
    実測して精錬所には不適当だ、などという結論が出ましたら、
    どうしましょうか。」と不安がる技術者に対して、伊庭は笑っ
    て答えた。
    
         心配しなさんな。その時はわしが買い取って、桃でも植
        えて名所にするよ。
        
     こうして「煙害を避ける」というただ一つの目的のために、
    世界の工業史上例のない精錬所の海上移転が始められた。

     移転工事は明治30年の正月から本格化し、38年1月に竣
    工した。一世一代の決断をした伊庭は、工事が緒についた32
    年1月に、5年間の新居浜赴任を終えて、大阪の本店に帰任し
    ている。
    
■6.煙害、再び■

     ところが明治38年春、四阪島の製錬作業が本格化すると、
    愛媛県東部4郡の各村から、続々と煙害の抗議が寄せられるよ
    うになった。瀬戸内海の南や南西向きの風が亜硫酸ガスを運ん
    でいってしまうのであった。気象学の未発達な当時、風の向き
    や強さに関して、何一つデータがなかったのである。
    
     住友幹部は愕然とした。巨費を投じたのに、かえって何倍も
    の地域に煙害を拡げてしまった。被害を受けた数千人の農民た
    ちは、むしろ旗を掲げて、住友の鉱業所や郡役所を襲った。
    明治43年10月、農相官邸に、住友側と農民側代表が呼ばれ
    て、交渉が始められた。
    
     周到な根回しをして会議を実現したのは愛媛県知事・伊沢多
    喜男だった。伊沢は滋賀県の第一部長をしていた頃、そこに引
    退していた伊庭貞剛に会い、四阪島移転を決断した時の心境を
    聞いて、深い感銘を受けていた。また、農民代表だった壬生川
    (にゅうがわ)村長・一色耕平も伊庭の「農業と鉱業は両立し
    なければならない」という信念に共鳴していた。
    
     伊沢や一色らの伊庭への共鳴が住友への信頼となっていたの
    だろう、交渉には、喧嘩のような論争も含めて2週間も続いた
    が、足尾のような決定的な対決にはならなかった。最終的には
    大臣裁定で製錬鉱量の上限を設定し、賠償金額が合意された。

     足尾鉱毒事件の反対運動を指揮した衆議院議員・田中正造は、
    住友の経営姿勢について、明治37,8年頃に次のような手紙
    を残している(原文)。
    
         伊豫の別子銅山は鉱業主住友なるもの 社会の義利をし
        り徳義を守れり 別子は鉱山の模はんなり
        
         関西の人ハ住友を見て 鉱山は大体此(か)くのごとき
        ものなり 愚ニなり 古河市兵衛(足尾の鉱業主)の暴戻
        なるをしらず
        
         住友と古河との人品を同しニ見るの過ち

■7.煙害解決への苦闘■

     こうなれば、排煙から硫酸ガスを取り除くしかない、と住友
    側は肚をくくった。政府の肝いりで当時一流の学者、技術者を
    集めた調査会で発案された新技術を多額の費用をかけて実施し
    たが、まったく効果がなかった、などという笑えない話もあっ
    た。毎年のように欧米に技術者を派遣しては、新技術を探して
    は試みたが、どれも目立つほどの効果はなかった。
    
     本当に効果があったのは、ドイツの化学者ヒューゴー・ペテ
    ルセンによって開発された画期的なペテルセン式硫酸製造装置
    であった。亜硫酸ガスから、硫黄分を取り除いて、硫酸を作り
    出すのである。さらに米国からアンモニア合成法の特許を買っ
    て、その硫酸から化学肥料の硫安を作り出す技術を完成させた。
    時すでに昭和3年となっていた。
    
     これらの技術により、昭和4,5年頃から、亜硫酸ガスの濃
    度は急速に低下していき、昭和10年には0.19%と、現在
    の大都市の火力発電所と大差ない水準となった。当時としては
    世界のトップレベルである。
    
     煙害は昭和7,8年頃には解消していたが、その後も補償金
    の支払いは続けられ、昭和14年、ようやく煙害の終結が宣言
    された。煙害問題発生以来、約50年、四阪島移転後から数え
    ても35年を経て、煙害問題はようやくここに最終的に解決さ
    れたのである。

■8.「君子、財を愛す。これを取るに道あり」■

     伊庭は四阪島完成の前年、明治37年に58歳の若さで住友
    総理事を引退していたが、その退任の辞としたのか、文章「少
    壮と老成」を雑誌「実業之日本」に発表した。不言実行を旨と
    し、足跡を残さないことを人生の理想としていた伊庭が公に発
    表した唯一の文章である。
    
     進取開拓は青年に任せるべきとしながらも、青年に対して、
    次のような助言をしている。
    
        早く楽をしたいというような考えではなく、ある一つの目
        的を確乎と握って、一代で出来ねば、二代でも、三代でも
        かけてやる位の決心で、一生懸命に人事を尽くすなら、成
        功は天地の理法として自然に来るものである。
        
     半世紀にわたって煙害と戦ってきた歴史は、まさに「一代で
    出来ねば、二代でも、三代でもかけてやる」の実例である。そ
    の過程で、山に緑を返す所から住友林業が生まれ、亜硫酸ガス
    を無害化して硫安を製造する技術から、住友化学が発展した。
    今日では、それぞれ4千人、1万7千人の大企業に成長してい
    る。「一生懸命に人事を尽くすなら、成功は天地の理法として
    自然に来るもの」は、そのまま実証されている。
    
    「君子、財を愛す。これを取るに道あり」とは禅書「無尽灯
    論」の一節で、伊庭が若いころから信条としてきた言葉だった。
    財とは国民生活を支える不可欠なもので、大切にすべきである。
    ただ、その財を得るには「道」がある。
    
     企業を無視、あるいは敵視して環境や消費者保護のみを訴え
    る主張は「財」を軽んずる過ちを犯しているが、同時に地球環
    境や国民を犠牲にしても利益を上げようとする企業も「道」を
    はずれている。国家社会に貢献するような事業をしてこそ、真
    の繁栄があることを伊庭貞剛と彼に続く人々は、実践してみせ
    たのである。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(053) 人種平等への戦い

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 木本正次、「伊庭貞剛物語」★★★、朝日ソノラマ、S61
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

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