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________Japan On the Globe(234)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/    人物探訪:土光敏夫
       _/_/         〜個人の生活は質素に、社会は豊かに
_/ _/_/_/        月5万円の質素な生活をしながら、数千万円を
_/ _/_/         女学校に寄付する財界総理の人生哲学。
_______H14.03.31_____36,981 Copies_____423,303 Views________

■1.バス停に立つ大会社の社長■

     昭和29(1954)年4月2日早朝。東京地検特捜部の検事たち
    数人が横浜市鶴見の石川島重工業社長・土光敏夫の家を訪れた。
    朝鮮戦争の特需が終わって不況に見舞われた造船業界を、政府
    は大幅な利子補給で支えたのだが、これに関連して政界にリベ
    ートが払われたという「造船疑獄事件」の捜査だった。全国か
    ら集められた30人の検事たちが取り調べた政、官、財各界の
    人数は8千2百余名、逮捕者105名という大事件であった。
    
     検事たちは土光の家を見て驚いた。昭和10年代に建てられ
    た木造2階建てで、「これが一流会社の社長の家か」と囁きあ
    った。「土光さん、在宅でしょうか」と応対に出た直子夫人に
    聞くと「主人なら今出ましたから、まだバス停にいると思いま
    すよ。」 慌てて玄関を飛びだして、道路の向こう側のバス停
    に行くと、ぱらつく雨の中で立っていたのが土光だった。検事
    の一人は、こんな質素な家に住み、バスや電車で通うような人
    間は、疑獄とは関わりないな、と直観した。
    
     帰庁して検事の一人が言った。「いやぁ、今日という日は、
    まいった。実に立派な人だ。生活はまことに質素。大会社の社
    長なのに、朝早く、国電のつり革にぶるさがって通勤している。
    また、奥さんともども、来信の封筒を裏返して、発信用に使っ
    ている。ちょっとできないことですよ。」

■2.「もっと偉くなる」■

     取り調べは東京小菅の拘置所で急造された木造2階建ての建
    物で行われた。4月とはいえ肌寒く、土光は背広に襟巻きをし
    て現れた。取り調べにあたった伊藤栄樹・元検事総長は次のよ
    うに書いている。
    
         そのままでいいからとすすめても、「お調べですから」
        といって、調べ室の入り口で襟巻きをとり、机の前に姿勢
        を正して対座して、質問を待つのであった。質問に対して
        も、毅然として迎合せず、必要なことは的確に述べる。ま
        ことに立派な被疑者であった。
        
         土光さんは不起訴となったが、事件後、私は、周囲の人
        びとに「財界の事情は知らないし、石川島の社長というの
        も十分偉いのだろうが、あの人は、もっと偉くなるような
        気がする」といったものである。
        
     20日間の勾留期間中、土光は壁に向かって法華経を唱えて
    いたという。検事たちは赤坂の料亭などを手分けして調べたが、
    土光が政治家と接触したという事実はいっさい出てこなかった。
    
■3.「個人の生活は質素に、社会は豊かに」■

    「もっと偉くなる」という伊藤の予言は見事にあたり、土光は
    その後、6万3千人の巨大企業・東芝の社長から、財界総理と
    呼ばれる経団連会長、さらには行政改革臨時調査会(臨調)会
    長として辣腕をふるい、民間人として生前の受賞は初めてとい
    う勲一等旭日桐花大綬章を受けるに至った。

     しかし土光本人はそんな名誉も富も欲してはいなかった。石
    川重工業の社長も、東芝の社長も、経営の大変な時に「土光な
    ら」と再建を期待されて押しつけられたポストであった。
    
     富にしても、昭和57年、臨調会長時代の年収は5千1百万
    もあったが、母・登美が創設した女子校・橘学苑に35百万円
    も寄付し、税引き後では1ヶ月の生活費として5万円程度しか
    残らなかった。NHKテレビで放映された「85歳の執念・行
    革の顔・土光敏夫」では、自宅の庭で作った野菜とメザシの食
    卓風景が放映されて、多くの国民に感動を与えた。
    
    「個人の生活は質素に、社会は豊かに」が土光の信条だった。
    この言葉が何を意味するのか、土光の東芝再建に焦点をあてて
    考えてみよう。
    
■4.「お茶は自分でいれろ」■

     昭和40(1965)年5月28日、午前7時30分。東京は日比
    谷公園に面した東芝本社の受付にカバンを提げ、着古した背広
    姿の老人が立っていた。守衛が「どなたでしょうか」と聞くと、
    「今度、御社の社長に就任しました、土光というものです。よ
    ろしく!」 守衛はびっくりして、8階の社長室に案内した。
    前社長の出勤は通常10時頃だった。
    
     当時の東芝は名門意識にあぐらをかいて、覇気もなく、沈滞
    ムードが支配していた。これを吹き払うために、東芝会長・経
    団連会長の石坂泰三が、わざわざ石川島から土光を引き抜いて
    きたのだった。
    
     土光はまず役員の意識改革から始めた。社長室には専用のバ
    ス、トイレから、専属のコック用の調理場まであった。土光は
    それを取っ払って大部屋にし、重役陣を集めて「重役長屋」に
    してしまった。自動給茶機を入れて、「お茶は自分でいれろ」。
    
         人間、特に男にとって、よけいなアクセサリーは、要ら
        んというのが、僕の持論です。会社の仕事で、「ムダ、ム
        リ、ムラを排除せよ」と合理化を要求している者が、自分
        の日常を律せられむようでは、説得力がない。自分の身の
        回りも、極力合理化せよということです。

■5.「これから組合本部に行く」■

     東芝に来て2、3日後には勤労部長を呼び、「これから組合
    本部に行く。伝えておくように」と命じた。勤労部長が驚いて、
    これまでの慣習では社長が組合3役を本社に呼ぶことになって
    いる、と言うと、
    
         君ね。僕は新入りだよ。新入りが先輩を呼びつけるなん
        て、主客転倒だよ。前例がなければ、作ればいいじゃない
        か。
        
     連絡を受けた組合3役は慌てて、事務所の大掃除を始めた。
    夕方、土光が一升瓶をかかえて、一人で現れた。「まあ一杯や
    ろうや! コップもってこいよ。」と冷酒をなみなみとつぎ、
    「今度社長になった土光です。よろしく」 これには組合幹部
    たちも度肝を抜かれた。
    
     土光の合理主義は組合との関係にも発揮された。労使交渉で
    も形式的なやりとりは一切無くし、「とにかく、現状ではこれ
    しか出せん。ウソだと思えば、経理を公開する」
    
     労使協議会が2時間あまりで打ち切りになる事に組合側の不
    満が渦巻いていると知ると、「君たちが一生懸命会社のことを
    考え、話し合うというなら、時間無制限でやろう」と言って、
    大量に駅弁を買ってこさせ、徹底的な討論を行った。最後は組
    合側も言うことがなくなり、会社側への信頼が芽生えていった。

■6.「オヤジ、オヤジ」■

     土光は、全国に30を超える工場、営業所、支社の訪問を始
    めた。東芝の実態を把握するには、現場を訪ね、話し合い、問
    題点を知っておかねばならなかったからだ。土光は次のように
    書いている。
    
         この工場、営業所めぐりは、本社での仕事の合間をぬっ
        て果たしたので、ほとんど夜行で出かけ、夜行で帰るトン
        ボ帰りが多かった。70歳になっていたが、幸い健康には
        恵まれ、それほど負担ではなかった。
        
         むしろ、上から下まで、全従業員と話し合う楽しみがあ
        った。この工場めぐりで、はじめて知ったのだが、東京に
        近い川崎ですら、今まで一度も社長が来たことがない、と
        いうのには驚いた。彼らは、私を「オヤジ、オヤジ」と呼
        んで歓迎してくれ、のちには私の自宅に遊びに来る者もあ
        った。
        
■7.「なにか問題はないか」■

     土光は現場を廻っていて、責任者に「どうかね、調子は」と
    軽い調子で問いかける。
    
        「なにか問題はないか」と問えば、「細かいことは多々あ
        りますが、おおむね順調です」などという。一見、なんで
        もないやりとりのように見えるが、僕にいわせれば、コレ
        は完全な馴れ合いである。そんな調子でコトをすませてい
        るような会社は、必ずおかしくなる。
    
    「問題がない」のではなく、「やる気がないから問題が見えな
    い」のだ。
    
         目先の利く者にかぎって、問題を避けて通ろうとする。
        こんな風潮が蔓延したら、その組織は死んだも同然である。
        ・・・
        
         問題が生ずるからこそ進歩があり、問題発生はむしろ歓
        迎すべきことである。それをみずから発掘することに歓び
        を感ずるようになれば、その人は間違いなく、本物である。
        そんな人物が増えれば増えるほど、組織は活性化し、会社
        は加速度的に伸びていく。苦労をいとわぬ気風を持った会
        社は強いのだ。
    
     土光の引き出したやる気が、東芝の底力と結びついて、昭和
    41年9月期の売上げ1102億円が、43年3月期には20
    60億円とわずか2年で倍増。8期連続の増収増益を呼んだ。
    
     やる気と合理化だけでなく、「オレは東芝百年のためのシー
    ダー(種まき人)なんだ」と言って、コンピュータ、原子力発
    電、防衛産業の3分野の技術開発には、ソロバン無視で金をつ
    ぎ込んだ。これらの種は大きく育って、その後の東芝を支える
    大きな柱となった。

■8.「社会は豊かに」とは■

    「メザシの土光」に対して、国民全員がそんな質素な生活をし
    ていたら、不景気になってしまうと批判する声もあった。それ
    は「個人の生活は質素に」の部分しか見ずに、「社会は豊か
    に」の部分を理解していない者の言うことだ。
    
     前述のように、昭和57年の土光の年収は5千万以上あった
    が、税引き後収入の大半にあたる35百万が橘学苑につぎ込ま
    れている。国民一人ひとりが土光のように金を稼ぎ、使ってい
    れば、それは巨大な経済成長をもたらすだろう。
    
     しかも、その金は飲み食いや、利用者の少ない道路作りに消
    えたのではない。明日の社会を担う女生徒を育てるために使わ
    れたのである。その投資は何倍にもなって社会に返ってきて、
    さらなる豊かさをもたらすだろう。
    
     土光が赴任する前の東芝は「個人の生活はぜいたくに、会社
    は貧しく」だった。専属コックまでつけていた前社長は言うに
    及ばず、社員は名門企業の中でぬるま湯に浸かっている一方、
    会社全体の利益は減少を続けていた。
    
     仮に土光が現れなかったら、東芝はどうなっていたのだろう。
    コンピュータなどの成長分野も持たずに、既存事業は衰退を続
    け、赤字が雪だるま式に膨らんでいく。トップや幹部はあいか
    わらず、ぜいたくを続けていられようが、平社員はどんどんリ
    ストラされていっただろう。
    
■9.日本国民への遺言■

     これは今の日本の情況とそっくりではないか。官僚や政治家
    が高給をとりながら、それでも飽きたらずに汚職を繰り返す。
    「市民派」議員ですら、国から支給される秘書費用を横領する
    始末である。一人あたり国民所得や貯蓄では世界トップレベル
    の富を持ちながらも、失業者は激増し、幸福感も将来への希望
    も感じられない。国と地方の借金を合計すると645兆円とな
    り、4人家族あたり2,150万円となる。[a]
    
     国民一人ひとりが、そして何よりも国家のリーダー層が社会
    よりも「自分の生活」を優先すれば、結局「社会を貧しく」し、
    国民一人一人の幸福も破壊されてしまうのである。
    
    「個人の生活は質素に、社会は豊かに」とは、単なる節約の勧
    めではない。国民が、そして何よりも国家のリーダーが、自分
    の生活よりも「社会の豊かさ」を目指す、という奉公を尽くす
    ことが、結果的には、自分自身も質素だが幸福な生活を送れる
    ようになるという勤勉の哲学なのである。
    
     昭和61(1986)年6月26日、2年間の臨調(臨時行政調査
    会)会長、その後3年間の行革審(臨時行政改革推進審議会)
    会長を勤め上げて、土光は「国民の皆様へ」と題したメッセー
    ジを発した。土光の日本国民にあてた遺書である。
    
         行政改革は、21世紀を目指した新しい国造りの基礎作
        業であります。私は、これまで老骨に鞭打って、行政改革
        に全力を挙げて、取り組んでまいりました。
        
         私自身は、21世紀の日本を見ることはないでありまし
        ょう。しかし、新しい世代である、私達の孫や曾孫の時代
        に、我が国が活力に富んだ明るい社会であり、国際的にも
        立派な国であることを、心から願わずにはいられないので
        あります。

     土光の「孫や曾孫」の世代のための最期の願いは20世紀中
    には実現できなかったが、諦めるのはまだ早い。「個人の生活
    は質素に、社会は豊かに」の哲学で、日本を立て直すチャンス
    はまだ残されている。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(129)  一家の借金2千万
file:///C:/WEBSHARE/WWWROOT/biglobe/biglobe/jogbd_h12/jog129.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 上竹瑞夫、「無私の人 土光敏夫」★★★、講談社、H7
2. 志村嘉一郎、「土光敏夫 21世紀の遺産」★★★、文春文庫
   H3
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「立ち上がれ、日本!」 Yamagutiさんより

     今現在日本が直面している経済危機を先送りなどしていては
    更なる危機を呼ぶことになり、日本は経済的に立ちあがれなく
    なり、国としての格下げも生じ国民はそれこそ地獄を味わうこ
    とになります。当面の危機を乗り切るためだけの小手先の経済
    対策では立ち行かないのです。あらゆる信用が崩れ国民の心は
    さまよい続けています。小泉首相の心のどこかに国民を必ずや
    守るといった姿勢があれば、又国民に真実を伝え国としての借
    金がいくらあるから政府も一丸となって対処するから国民にも
    今しばらくの痛みを共有してもらわなくてはいけないとはっき
    り言えば、国民の心もいやがおうでもひとつになろう。同じ空
    間、同じ感情を共有しあうことで身体の底から突き上げるよう
    な力が生まれるかもしれない。国民のこころがひとつに光輝い
    た時こそ日本が不死鳥のように甦る時なのでしょう。

     いくら私がここで語ろうともその力はわずかです。どうにも
    ならないと知りつつもこの無力を大きな力に変えてゆくために
    も私達は訴えて行かなければならない。私達が生まれ育った日
    本という国を救うためにも、日本を守るためにも。

     そしてこの気持ちを次世代に繋げてゆくためにも私達は闘い
    続けてゆく必要がある。私達はこの青い地球のかたすみの日本
    という国に生まれたのだから。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     土光さんも「行政改革の成否は一に国民の支持と熱意にかか
    っている」と言っていました。

     読者からのご意見をお待ちします。本誌への返信で届きます。
    掲載不可、匿名・ハンドル名ご希望の方はその旨、明記下さい。
    欄掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。

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mag2:26613 pubzine:5263 melma!:1974 kapu:1631 macky!:1500________Japan On the Globe(234)  国際派日本人養成講座_______
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          _/    人物探訪:土光敏夫
       _/_/         〜個人の生活は質素に、社会は豊かに
_/ _/_/_/        月5万円の質素な生活をしながら、数千万円を
_/ _/_/         女学校に寄付する財界総理の人生哲学。
_______H14.03.31_____36,981 Copies_____423,303 Views________

■1.バス停に立つ大会社の社長■

     昭和29(1954)年4月2日早朝。東京地検特捜部の検事たち
    数人が横浜市鶴見の石川島重工業社長・土光敏夫の家を訪れた。
    朝鮮戦争の特需が終わって不況に見舞われた造船業界を、政府
    は大幅な利子補給で支えたのだが、これに関連して政界にリベ
    ートが払われたという「造船疑獄事件」の捜査だった。全国か
    ら集められた30人の検事たちが取り調べた政、官、財各界の
    人数は8千2百余名、逮捕者105名という大事件であった。
    
     検事たちは土光の家を見て驚いた。昭和10年代に建てられ
    た木造2階建てで、「これが一流会社の社長の家か」と囁きあ
    った。「土光さん、在宅でしょうか」と応対に出た直子夫人に
    聞くと「主人なら今出ましたから、まだバス停にいると思いま
    すよ。」 慌てて玄関を飛びだして、道路の向こう側のバス停
    に行くと、ぱらつく雨の中で立っていたのが土光だった。検事
    の一人は、こんな質素な家に住み、バスや電車で通うような人
    間は、疑獄とは関わりないな、と直観した。
    
     帰庁して検事の一人が言った。「いやぁ、今日という日は、
    まいった。実に立派な人だ。生活はまことに質素。大会社の社
    長なのに、朝早く、国電のつり革にぶるさがって通勤している。
    また、奥さんともども、来信の封筒を裏返して、発信用に使っ
    ている。ちょっとできないことですよ。」

■2.「もっと偉くなる」■

     取り調べは東京小菅の拘置所で急造された木造2階建ての建
    物で行われた。4月とはいえ肌寒く、土光は背広に襟巻きをし
    て現れた。取り調べにあたった伊藤栄樹・元検事総長は次のよ
    うに書いている。
    
         そのままでいいからとすすめても、「お調べですから」
        といって、調べ室の入り口で襟巻きをとり、机の前に姿勢
        を正して対座して、質問を待つのであった。質問に対して
        も、毅然として迎合せず、必要なことは的確に述べる。ま
        ことに立派な被疑者であった。
        
         土光さんは不起訴となったが、事件後、私は、周囲の人
        びとに「財界の事情は知らないし、石川島の社長というの
        も十分偉いのだろうが、あの人は、もっと偉くなるような
        気がする」といったものである。
        
     20日間の勾留期間中、土光は壁に向かって法華経を唱えて
    いたという。検事たちは赤坂の料亭などを手分けして調べたが、
    土光が政治家と接触したという事実はいっさい出てこなかった。
    
■3.「個人の生活は質素に、社会は豊かに」■

    「もっと偉くなる」という伊藤の予言は見事にあたり、土光は
    その後、6万3千人の巨大企業・東芝の社長から、財界総理と
    呼ばれる経団連会長、さらには行政改革臨時調査会(臨調)会
    長として辣腕をふるい、民間人として生前の受賞は初めてとい
    う勲一等旭日桐花大綬章を受けるに至った。

     しかし土光本人はそんな名誉も富も欲してはいなかった。石
    川重工業の社長も、東芝の社長も、経営の大変な時に「土光な
    ら」と再建を期待されて押しつけられたポストであった。
    
     富にしても、昭和57年、臨調会長時代の年収は5千1百万
    もあったが、母・登美が創設した女子校・橘学苑に35百万円
    も寄付し、税引き後では1ヶ月の生活費として5万円程度しか
    残らなかった。NHKテレビで放映された「85歳の執念・行
    革の顔・土光敏夫」では、自宅の庭で作った野菜とメザシの食
    卓風景が放映されて、多くの国民に感動を与えた。
    
    「個人の生活は質素に、社会は豊かに」が土光の信条だった。
    この言葉が何を意味するのか、土光の東芝再建に焦点をあてて
    考えてみよう。
    
■4.「お茶は自分でいれろ」■

     昭和40(1965)年5月28日、午前7時30分。東京は日比
    谷公園に面した東芝本社の受付にカバンを提げ、着古した背広
    姿の老人が立っていた。守衛が「どなたでしょうか」と聞くと、
    「今度、御社の社長に就任しました、土光というものです。よ
    ろしく!」 守衛はびっくりして、8階の社長室に案内した。
    前社長の出勤は通常10時頃だった。
    
     当時の東芝は名門意識にあぐらをかいて、覇気もなく、沈滞
    ムードが支配していた。これを吹き払うために、東芝会長・経
    団連会長の石坂泰三が、わざわざ石川島から土光を引き抜いて
    きたのだった。
    
     土光はまず役員の意識改革から始めた。社長室には専用のバ
    ス、トイレから、専属のコック用の調理場まであった。土光は
    それを取っ払って大部屋にし、重役陣を集めて「重役長屋」に
    してしまった。自動給茶機を入れて、「お茶は自分でいれろ」。
    
         人間、特に男にとって、よけいなアクセサリーは、要ら
        んというのが、僕の持論です。会社の仕事で、「ムダ、ム
        リ、ムラを排除せよ」と合理化を要求している者が、自分
        の日常を律せられむようでは、説得力がない。自分の身の
        回りも、極力合理化せよということです。

■5.「これから組合本部に行く」■

     東芝に来て2、3日後には勤労部長を呼び、「これから組合
    本部に行く。伝えておくように」と命じた。勤労部長が驚いて、
    これまでの慣習では社長が組合3役を本社に呼ぶことになって
    いる、と言うと、
    
         君ね。僕は新入りだよ。新入りが先輩を呼びつけるなん
        て、主客転倒だよ。前例がなければ、作ればいいじゃない
        か。
        
     連絡を受けた組合3役は慌てて、事務所の大掃除を始めた。
    夕方、土光が一升瓶をかかえて、一人で現れた。「まあ一杯や
    ろうや! コップもってこいよ。」と冷酒をなみなみとつぎ、
    「今度社長になった土光です。よろしく」 これには組合幹部
    たちも度肝を抜かれた。
    
     土光の合理主義は組合との関係にも発揮された。労使交渉で
    も形式的なやりとりは一切無くし、「とにかく、現状ではこれ
    しか出せん。ウソだと思えば、経理を公開する」
    
     労使協議会が2時間あまりで打ち切りになる事に組合側の不
    満が渦巻いていると知ると、「君たちが一生懸命会社のことを
    考え、話し合うというなら、時間無制限でやろう」と言って、
    大量に駅弁を買ってこさせ、徹底的な討論を行った。最後は組
    合側も言うことがなくなり、会社側への信頼が芽生えていった。

■6.「オヤジ、オヤジ」■

     土光は、全国に30を超える工場、営業所、支社の訪問を始
    めた。東芝の実態を把握するには、現場を訪ね、話し合い、問
    題点を知っておかねばならなかったからだ。土光は次のように
    書いている。
    
         この工場、営業所めぐりは、本社での仕事の合間をぬっ
        て果たしたので、ほとんど夜行で出かけ、夜行で帰るトン
        ボ帰りが多かった。70歳になっていたが、幸い健康には
        恵まれ、それほど負担ではなかった。
        
         むしろ、上から下まで、全従業員と話し合う楽しみがあ
        った。この工場めぐりで、はじめて知ったのだが、東京に
        近い川崎ですら、今まで一度も社長が来たことがない、と
        いうのには驚いた。彼らは、私を「オヤジ、オヤジ」と呼
        んで歓迎してくれ、のちには私の自宅に遊びに来る者もあ
        った。
        
■7.「なにか問題はないか」■

     土光は現場を廻っていて、責任者に「どうかね、調子は」と
    軽い調子で問いかける。
    
        「なにか問題はないか」と問えば、「細かいことは多々あ
        りますが、おおむね順調です」などという。一見、なんで
        もないやりとりのように見えるが、僕にいわせれば、コレ
        は完全な馴れ合いである。そんな調子でコトをすませてい
        るような会社は、必ずおかしくなる。
    
    「問題がない」のではなく、「やる気がないから問題が見えな
    い」のだ。
    
         目先の利く者にかぎって、問題を避けて通ろうとする。
        こんな風潮が蔓延したら、その組織は死んだも同然である。
        ・・・
        
         問題が生ずるからこそ進歩があり、問題発生はむしろ歓
        迎すべきことである。それをみずから発掘することに歓び
        を感ずるようになれば、その人は間違いなく、本物である。
        そんな人物が増えれば増えるほど、組織は活性化し、会社
        は加速度的に伸びていく。苦労をいとわぬ気風を持った会
        社は強いのだ。
    
     土光の引き出したやる気が、東芝の底力と結びついて、昭和
    41年9月期の売上げ1102億円が、43年3月期には20
    60億円とわずか2年で倍増。8期連続の増収増益を呼んだ。
    
     やる気と合理化だけでなく、「オレは東芝百年のためのシー
    ダー(種まき人)なんだ」と言って、コンピュータ、原子力発
    電、防衛産業の3分野の技術開発には、ソロバン無視で金をつ
    ぎ込んだ。これらの種は大きく育って、その後の東芝を支える
    大きな柱となった。

■8.「社会は豊かに」とは■

    「メザシの土光」に対して、国民全員がそんな質素な生活をし
    ていたら、不景気になってしまうと批判する声もあった。それ
    は「個人の生活は質素に」の部分しか見ずに、「社会は豊か
    に」の部分を理解していない者の言うことだ。
    
     前述のように、昭和57年の土光の年収は5千万以上あった
    が、税引き後収入の大半にあたる35百万が橘学苑につぎ込ま
    れている。国民一人ひとりが土光のように金を稼ぎ、使ってい
    れば、それは巨大な経済成長をもたらすだろう。
    
     しかも、その金は飲み食いや、利用者の少ない道路作りに消
    えたのではない。明日の社会を担う女生徒を育てるために使わ
    れたのである。その投資は何倍にもなって社会に返ってきて、
    さらなる豊かさをもたらすだろう。
    
     土光が赴任する前の東芝は「個人の生活はぜいたくに、会社
    は貧しく」だった。専属コックまでつけていた前社長は言うに
    及ばず、社員は名門企業の中でぬるま湯に浸かっている一方、
    会社全体の利益は減少を続けていた。
    
     仮に土光が現れなかったら、東芝はどうなっていたのだろう。
    コンピュータなどの成長分野も持たずに、既存事業は衰退を続
    け、赤字が雪だるま式に膨らんでいく。トップや幹部はあいか
    わらず、ぜいたくを続けていられようが、平社員はどんどんリ
    ストラされていっただろう。
    
■9.日本国民への遺言■

     これは今の日本の情況とそっくりではないか。官僚や政治家
    が高給をとりながら、それでも飽きたらずに汚職を繰り返す。
    「市民派」議員ですら、国から支給される秘書費用を横領する
    始末である。一人あたり国民所得や貯蓄では世界トップレベル
    の富を持ちながらも、失業者は激増し、幸福感も将来への希望
    も感じられない。国と地方の借金を合計すると645兆円とな
    り、4人家族あたり2,150万円となる。[a]
    
     国民一人ひとりが、そして何よりも国家のリーダー層が社会
    よりも「自分の生活」を優先すれば、結局「社会を貧しく」し、
    国民一人一人の幸福も破壊されてしまうのである。
    
    「個人の生活は質素に、社会は豊かに」とは、単なる節約の勧
    めではない。国民が、そして何よりも国家のリーダーが、自分
    の生活よりも「社会の豊かさ」を目指す、という奉公を尽くす
    ことが、結果的には、自分自身も質素だが幸福な生活を送れる
    ようになるという勤勉の哲学なのである。
    
     昭和61(1986)年6月26日、2年間の臨調(臨時行政調査
    会)会長、その後3年間の行革審(臨時行政改革推進審議会)
    会長を勤め上げて、土光は「国民の皆様へ」と題したメッセー
    ジを発した。土光の日本国民にあてた遺書である。
    
         行政改革は、21世紀を目指した新しい国造りの基礎作
        業であります。私は、これまで老骨に鞭打って、行政改革
        に全力を挙げて、取り組んでまいりました。
        
         私自身は、21世紀の日本を見ることはないでありまし
        ょう。しかし、新しい世代である、私達の孫や曾孫の時代
        に、我が国が活力に富んだ明るい社会であり、国際的にも
        立派な国であることを、心から願わずにはいられないので
        あります。

     土光の「孫や曾孫」の世代のための最期の願いは20世紀中
    には実現できなかったが、諦めるのはまだ早い。「個人の生活
    は質素に、社会は豊かに」の哲学で、日本を立て直すチャンス
    はまだ残されている。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(129)  一家の借金2千万

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 上竹瑞夫、「無私の人 土光敏夫」★★★、講談社、H7
2. 志村嘉一郎、「土光敏夫 21世紀の遺産」★★★、文春文庫
   H3
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「立ち上がれ、日本!」 Yamagutiさんより

     今現在日本が直面している経済危機を先送りなどしていては
    更なる危機を呼ぶことになり、日本は経済的に立ちあがれなく
    なり、国としての格下げも生じ国民はそれこそ地獄を味わうこ
    とになります。当面の危機を乗り切るためだけの小手先の経済
    対策では立ち行かないのです。あらゆる信用が崩れ国民の心は
    さまよい続けています。小泉首相の心のどこかに国民を必ずや
    守るといった姿勢があれば、又国民に真実を伝え国としての借
    金がいくらあるから政府も一丸となって対処するから国民にも
    今しばらくの痛みを共有してもらわなくてはいけないとはっき
    り言えば、国民の心もいやがおうでもひとつになろう。同じ空
    間、同じ感情を共有しあうことで身体の底から突き上げるよう
    な力が生まれるかもしれない。国民のこころがひとつに光輝い
    た時こそ日本が不死鳥のように甦る時なのでしょう。

     いくら私がここで語ろうともその力はわずかです。どうにも
    ならないと知りつつもこの無力を大きな力に変えてゆくために
    も私達は訴えて行かなければならない。私達が生まれ育った日
    本という国を救うためにも、日本を守るためにも。

     そしてこの気持ちを次世代に繋げてゆくためにも私達は闘い
    続けてゆく必要がある。私達はこの青い地球のかたすみの日本
    という国に生まれたのだから。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     土光さんも「行政改革の成否は一に国民の支持と熱意にかか
    っている」と言っていました。

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