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________Japan On the Globe(272)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     国柄探訪: 天平のミケランジェロ
       _/_/       〜 「国民の芸術」を読む
_/ _/_/_/         東大寺大仏などの傑作を続々と生みだした
_/ _/_/          国中連公麻呂は、世界三大巨匠の一人。
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■1.国際的なスペクタクル・大仏開眼供養■

     今からちょうど1250年前の天平勝宝4(752)年4月9日、奈
    良・東大寺の廬舎那仏(るしゃなぶつ)の開眼供養が行われた。
    インド人の菩提僧正が16mの大仏の顔の高さあたりに据えら
    れた高い台の上に立ち、筆を持つ。その筆から綱がおろされ、
    地上では聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇以下、百官の手
    に握られている。
    
     菩提僧正の筆がおもむろに大仏の眼睛(がんせい、ひとみ)
    を点ずると、左右それぞれ1.2mほどの両眼が燦然と輝いた。
    大仏開眼である。それから華厳経の講義、お祝いの品々献上が
    行われた後、数十人からなる楽人と刀や盾を手にした舞人が登
    場して、「久米舞」や「盾伏舞」など日本古来からの勇壮な踊
    りを見せる。
    
     その次は外国の楽舞となる。少女120人が唐の長安、洛陽
    の春の踊りなどを舞う。次いで高麗からきた「高麗楽」が披露
    され、ヴェトナム、カンボジアからの「林邑楽」が現地から来
    た僧・仏哲によって演じられる。1万数千人の参列者を集めた
    開眼供養はまさに国際的なペイジェント(祭事)であった。

■2.「光明遍照」の大仏■

     大仏の正式名・毘盧遮那仏は、サンスクリット語のバイロー
    チャナから来ており、「光明遍照」という意味である。499
    キロの金に覆われて燦然と輝く16mもの大仏はまさに太陽の
    如く「生きとし生けるものことごとく栄えんことを望む(聖武
    天皇の大仏建立の詔)」という大御心の光を四方に発していた。
    
     大仏は二度の大火に遭い、創建当時の姿は唯一焼け残った大
    仏蓮弁の線刻から窺い知ることができるとされているが、それ
    を見ると、現在の大仏と同様に、顔、首、肩にかけての豊かな
    肉付き、前方に掌を向けて施無畏印(せむいいん・畏怖を取り
    除いて安心させる)を示す右手の一本一本の指の関節にいたる
    までの自然な動き、ゆるやかな衣服のリアルなひだ、などが素
    晴らしい。
        
     唐を経由して、奈良時代の美術はペルシャやインドの影響も
    受けたが、そこから日本の彫刻は固有の発展を遂げて、大仏製
    作の段階では、もはや唐とはあまり関係のない、日本の自立し
    た文化の結晶といえるものであった。

     大仏の重量は250トン、蓮座は130トンと推定されてい
    る。世界で最も大きなブロンズ像である。インドや、中国、朝
    鮮の巨大な仏像はいずれも石で作られている。この時代の日本
    の青銅の技術は、すでに世界的なレベルにあったと言われてい
    る。
    
■3.「天平のミケランジェロ」国中連公麻呂■

     大仏建立の中心となった仏師は、国中連公麻呂(くになかの
    むらじきみまろ)であると「続日本記」は記す。それによると、
    公麻呂は天智天皇2(663)年、百済の争乱を避けて帰化した徳
    卒(百済の官位)・国骨豊の孫にあたる。祖父の帰化が大仏建
    立よりも90年も前であるから、公麻呂の親は日本生まれだろ
    う。さらに孫の世代ともなれば、アメリカの日系3世のように
    ほとんど母国の言葉も話せず、現地社会に溶け込んでいた事で
    あろう。国中連という姓は、大和国葛城郡の国中村に住んでい
    たからであり、また公麻呂という名も完全な日本名である。
    
     日本におけるヨーロッパ美術史の第一人者と言われる田中英
    道・東北大学大学院教授は、公麻呂をミケランジェロに匹敵す
    ると評価し、古代ギリシャのパルテノン神殿の建築と彫刻を残
    したフェイディアスとともに、世界三大巨匠としている。
    
     レオナルド・ダ・ビンチの「スフォルツァ騎馬像」の復元で
    中心的な役割を果たすなど、その研究で世界的な評価を得てい
    た田中教授が、近年は西洋研究で培った鑑識眼と学識を武器に
    日本美術史研究にも着手し、斬新な論考を次々と発表して、世
    界に発信している。今回は氏の近著「国民の芸術」[1]を手引
    きに、公麻呂の作品を味わってみよう。

■4.不空羂索観音 〜 力強さと豊かさ■

     「不空羂索観音(ふくうけんざくかんのん)」菩薩立像は東
    大寺法華堂の本尊として堂内の中央に立つ。天平19(747)年
    正月に公麻呂が不空羂索観音のために鉄20挺を要請している
    文書が残されており、また大仏と顔、首、肩の輪郭、肉付きが
    共通しているので、田中教授はこれを公麻呂の作と比定してい
    る。

    「不空」とは心願空しからずの意、「羂索」とは猟などで用い
    る端に環のついた投網。観音の大慈悲の網で全ての人を救う観
    音である。3.62mもの堂々とした体躯が金色に輝き、8本
    の手を広げた立像は、見る者に力強い安心感を与える。その一
    方で、繊細な手指、流麗な衣の襞、豪華な宝冠や後光が豊かさ
    を感じさせる。

■5.日光・月光菩薩 〜 祈りの心の深さ、静けさ■

     不空羂索観音の両側に立つのが、日光・月光菩薩。巨大・豪
    華な不空羂索観音の横で、小さく静かに優美にたたずむ二つの
    菩薩は、見る人に安らぎを与える。
    
         その芸術的完成度は、天平彫刻の中でも白眉といってよ
        い。顔のふくよかさ、神々しさ、合掌する姿の自然さは、
        仏像としての人間性を解脱しつつ、しかもなお、人間性を
        維持しつづける像といえる。[1,p232]
      
     髪型や衣服のひだ、帯の結び目、裾の垂れ具合などに見られ
    る写実の精密さは、不空羂索観音と同様である。両菩薩とも、
    静かに目を閉じて、軽く口を結んだ表情は、祈りの心の深さ、
    静けさを感じさせる。

■6.四天王 〜 悪と戦う忿怒■

     東大寺戒壇院の「四天王」像も、頭部−身体の縦のプロポー
    ションや、肩幅とその丸みなどが「日光・月光菩薩」像と同様
    な点から、田中教授は同じく公麻呂の作としている。ただし、
    その表情、動作は日光・月光菩薩の深い静かな祈りとは、まっ
    たく正反対である。
    
         特に「広目天」像は、知性の象徴のように書巻を持ち筆
        を握っている。眉をひそめているその顔は、文治の怒りと
        でもいうべき内面の怒りを発している。このような表現は、
        インドや中国の四天王にはみられない。[1,p237]

     上目遣いで遠くを凝視している様は、世に広まる悪を見すえ
    ているようだ。

     増長天は目を大きく見開き、口を開けて、やや下向きに睨み
    据えている。高くあげた右手に持つ垂直の長い槍状の三叉檄と
    対照的に、左手はやや引いた腰にあてた姿勢に、動きが感じら
    れる。忿怒の情が姿勢にも漲っているようだ。
    
     持国天は、五角形に大きく見開いた目で間近のものを見下ろ
    し、ヘの字に結んだ口が怒りを表している。その間近のものか
    ら邪悪な風が来るのか、兜からはみ出した髪が吹き上げられて
    いる。右手にもって、左足にかけた剣で今にもそれに討ちかか
    っていきそうである。
    
     いずれも薄い甲冑、逞しい胸部とくびれた胴の鍛え抜いた男
    性的な肉体が忿怒の情に力感を与え、日光・月光菩薩の中性的
    な優美な祈りと鋭い対照をなしている。人々の幸福を願う慈悲
    の心と、不幸をもたらす悪や煩悩と戦う忿怒の心とは、その根
    本はつながっているのであろう。

■7.鑑真和上 〜 静かな気品■

     鑑真は唐から日本へ行こうと、5度の試みに失敗し、失明し
    ながらも、6度目の決行で奈良・平城京にたどりついた。時ま
    さに、大仏開眼の一年後である。聖武太上天皇は鑑真を手厚く
    迎え、東大寺大仏殿前で戒律を受け、さらに師のために戒壇院
    を設けた。
    
     鑑真が後に建立した唐招提寺には、鑑真の座像がある。我が
    国の肖像彫刻の最古の、かつ最高傑作と呼ばれている作品であ
    る。田中教授はこの「鑑真」像も、公麻呂の作と推定している。
    日光・月光像と比較してみると、当部と肩幅の関係、肩の丸み
    のつけ方など、みなほぼ一致している。仏像と肖像の違いはあ
    っても、両者の静かな気品のある表情は共通である。
    
     閉じられた左右の目は、わずかに高さが違うが、これは鑑真
    その人の顔の正確な写実であろうか。かすかに微笑んでいるよ
    うであるが、唇の薄い口は軽く閉じられ、口元はわずかに引き
    締まっている。生死を6度もかけてようやくに来日した労苦を
    経て、今は心静かに祈りを捧げているようだ。
     
        若葉して御目(おんめ)の雫(しづく)ぬぐはばや
      
     芭蕉が初夏の若葉の候に、この像を拝して詠んだ句である。
    来日の苦難の過程で失明した鑑真には、日本の美しい新緑は見
    えない、せめて若葉で涙をぬぐってさしあげたい、と、鑑真の
    人生に心を寄せている。

■8.「気韻生動」■

     田中教授の「国民の芸術」に従って、公麻呂作とされる作品
    をいくつか見てきたが、田中教授が公麻呂を「ミケランジェロ
    に匹敵する世界三大巨匠の一人」と評価するゆえんを読者ご自
    身の心で多少なりとも感じ取れただろうか?
    
     自ら公麻呂の芸術性を感じ取ることなく、田中教授の尻馬に
    乗って「世界三大巨匠」などと主張しているだけでは、夜郎自
    大のそしりを免れないであろう。逆に実物を鑑賞せずして、西
    洋中心の芸術史観から日本の芸術を無視したり、あるいは、中
    国の模倣である、などと言うのは他人の言説を振り回している
    だけに過ぎない。
    
     たとえ素人でも、芸術作品を自分自身の目で鑑賞し、そこで
    感じた事を大切にすべきだ。田中教授はそれを「気韻生動」と
    いう言葉で表現している。
    
        「気」は老荘思想から来ており、生命のエネルギーの絶え
        間ない流れ、という意味である。それが「韻」という音響
        効果を意味する言葉と組み合わされることによって、生命
        感が伝わる様子を語っているのである。また「生動」は
        「生」が「気」の精神に対し「身体」を意味し、その
        「生」の動きを示すことになる。・・・
        
        「気韻生動」は作家がそれを作品の中に表現し、観るもの
        がそれを感じ取る、という作品と鑑賞者の間で通いあう
        「気」の動きが存在していることを指摘しているのだ。
        [1,p63]

     公麻呂が作品に込めた様々な「気」を、その作品を通じて、
    我々の心に感じられれば、それが「気韻生動」である。

■9.日本の「美」を語ろう■

     我々が公麻呂のような偉大な精神の「気」を受け取ることが
    できれば、そこに二つの種類の「共感」が生まれる可能性があ
    る。
    
     一つは我らの父祖がその「気」を込めて生みだした作品を、
    後の世代が繰り返し繰り返し、感じ取っていくという歴史的共
    感である。そうした歴史的共感から、国民としてのアイデンテ
    ィティが生み出される。そこから自国の歴史に対する、ごく自
    然な愛着と誇りが生まれていく。
    
     もう一つは国際社会との空間的共感である。優れた芸術作品
    は、国境や文化を超えた「共感」を生み出すものだ。大仏の開
    眼供養は国際的なペイジェントであったが、それを彩った公麻
    呂の「気」は、現在も国際的な共感を呼びうるものだ。ミケラ
    ンジェロのダビデ像に若々しい健康な男性美を感じ取れる人間
    なら、その国籍や文化を問わず、公麻呂の四天王像に同様の美
    を感じとれよう。
    
     田中教授は、日本の美は「もののあはれ」「わび」「さび」
    だけではない、として、次のように語る。
    
         日本の「形」には力強い「美」、人間の肉体を肯定する
        「美」もあるのだ。それを実現する言葉として、「ますら
        お」ぶりや、「たけたかし」などの言葉が使われてきたが、
        私はより普遍的概念での「人間性」を日本の「美」の中に
        みたい。それでこそ、日本の文化が、世界のものとなるの
        である。
        
         日本には、人間の持つ「正義」とか「強大さ」といった、
        人類普遍の志向もまた存在している。この国の文化が決し
        て特殊なものではなく、世界性を持っていることをもっと
        強調すべきなのだ。[1,p66]
        
     あなた自身の心で、公麻呂の作品から力強い美や、正義や強
    大さへの志向が感じ取れたら、その写真をあなたの周囲の人々
    や外国の友人に見せて、あなたの感じたことを語ってみてはど
    うだろうか。それが我々が先祖から受け継いだ「日本文化」と
    いう財産を、我々自身の心に生かし、さらに国際社会に提供し
    ていく第一歩であろう。そして公麻呂以外にも、運慶などの鎌
    倉バロック彫刻、歌麿・北斎の浮世絵など、日本国民が世界に
    誇りうる芸術は少なくないのである。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 田中英道、「国民の芸術」★★★、産経新聞社、H12
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「天平のミケランジェロ」について SUMIOさんより

     3年前、国際会議で日本にやってきたオランダ人とドイツ人
    を連れて奈良を歩き回りました。まず、興福寺の五重塔が千年
    以上前の建物であることに驚かれ、大仏殿に入った時には、み
    なさんその壮大さに息を飲んでいました。

     この時代すでに、日本は外来文化を取り入れて自分達のもの
    としてこなしてしまうことに長けていたと思います。ですから、
    近年のアメリカの影響と言うのも太古の昔から日本人にしみ込
    んだものであり、アメリカに行ってみれば分かりますが、一見
    アメリカみたいになったようで実はアメリカ化しているわけで
    はありません。
    
    「日本人とは何か」ということを問うた時、一番に言えるのは
    このような柔軟性ではないでしょうか。ですから、日本は単一
    民族であるとか、日本のものがすべてに勝っているとかいう偏
    狭な「愛国主義者」と呼ばれる連中は、真の日本人とは言えな
    いのではないでしょうか。

     逆に、西洋からやってきた文化は日本までたどり着き、波が
    反射するかのように今度は西へ行き、ヨーロッパの文化に大き
    な影響を与えています。一昨年、ゴッホ美術館でゴッホの作品
    を見て回ったとき、日本ではあまり知られていない葛飾北斎や
    安藤広重の版画の模写があることに驚かされました。また、日
    本画の手法を取り入れた彼の作品もあります。そしてまた、日
    本では芸術品として認められていなかった版画が、芸術品とし
    て認められるようになる。このようなキャッチボールが芸術に
    はあるのではないでしょうか。

     このような芸術の連鎖の中で、日本の文化は重要な位置を占
    めています。これは、本当に日本人として誇るべきことでしょ
    う。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     最近は、日本のアニメや"MANGA"が欧米で大流行しているよ
    うですね。文化や芸術は相互の交流の中で発展していくもので
    す。

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