[トップページ][平成15年一覧][The Globe Now][333.6 国際経済][338 金融][319.9 国際連合・機関]
■■ Japan On the Globe(280) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■■ The Globe Now: 世界を不幸にするIMF 諸国民の富を使って「市場原理主義」を押しつけ、失 敗しても責任を問われない不思議な国際機関。 ■■■■ H15.02.16 ■■ 38,655 Copies ■■ 723,663 Views ■■ ■1.世界の貧困の原因は?■ 2001年のノーベル賞経済学賞を受賞したジョゼフ・スティグ リッツは、1997年に世界銀行でチーフ・エコノミスト兼上級副 総裁としての勤務を始める前夜、記者会見でこう抱負を述べた。 経済学者としての現在の最大の挑戦は、拡大している現 代の貧困の問題に取り組むことだと思っている。一日1ド ル以下で暮らしている人びとは、世界で12億人いる。一 日2ドル以下の人びとは28億人だ。世界人口の45%を 上回る。彼らのために何ができるか? 貧困のない世界と いう夢を実現するために何ができるのか? せめてもう少 し貧困のやわらいだ世界を、という夢なら叶えられるの か? [1,p47] 世界の貧困に挑戦するという、まさに経済学者としての責務 にスティグリッツは真っ正面から取り組もうとしたのである。 しかし世界銀行でこの問題に取り組んでいくうちに、彼は驚く べき発見をする。 それが難しい責務であることはわかっていたが、まさか 発展途上国の直面している主要な障害が、人工的な、まっ たく不必要なもので、しかも(ワシントンの世界銀行の) 通りの向かい側に本拠をかまえる姉妹機関のIMFにある とは当時、思ってもいなかった。[1,p47] 世界の貧困と戦うためには、それを作り出しているIMFと 戦わねばならない、そう考えてスティグリッツがまとめたのが、 「世界を不幸にするグローバリズム」[1]である。今回はこの 本にしたがって、スティグリッツの訴えを聴いてみよう。 ■2.アジア通貨危機■ IMFの正式名は、International Monetary Fund、国際通 貨基金。1930年代の大恐慌の原因となった経済政策の大失敗を 繰り返さないために国際金融システムの安定を確保する事を目 的として、1945年12月に設立された。その活動の中心は国際収 支に関する問題を抱える加盟国に信用や融資を提供し、調整と 改革の政策を支援することで、2002年6月時点で88カ国に対し 約880億ドル、10兆円規模の融資をしている。[2] 問題を抱える国に融資を行う機関がどうして貧困を作り出し ていると、スティグリッツは言うのか? 1997年のアジア通貨 危機を例に見てみよう。この年の7月2日、タイのバーツが一 晩にして約25%も急落した。それまで大量に流入していた投 機資本が一斉に、流出し始めたのである。タイではこの年、国 内総生産(GDP)の7.9%に相当する額が流入から流出に 逆転した。 投機家の手口はこうだ。まずタイの銀行に行って240億バ ーツ借りる。もとの相場は1ドル=24バーツだったので、こ れを10億ドルに換えることができる。そして1週間後にバー ツが1ドル=40バーツとなると、6億ドルを240億バーツ に換えて、銀行に返済する。4億ドルが自分の手元に残る。わ ずか1週間、自己資金ゼロで、4億ドルが手に入るという魔法 である。そして大量にバーツを売り浴びせれば、タイ政府は買 い支えられず、バーツは確実に安くなるのである。 通貨危機は、マレーシア、韓国、フィリピン、インドネシア と広がった。失業率はタイで3倍、韓国で4倍、インドネシア では10倍に跳ね上がった。GDPは大きく落ち込み、98年に はタイで10.8%、韓国で6.7%、インドネシアで13.1 %下がった。それにつれて貧困層も拡大し、韓国の都市部では 3倍、インドネシアでは2倍となった。 IMFの目的が、「国際金融システムの安定を確保する事」 だとすれば、こういう通貨危機を防げなかったこと自体が、I MFの失敗と言えるだろう。しかしスティグリッツは、IMF はこの危機をさらに拡大した、と指摘する。 ■3.IMFの口出し■ まずIMFは先進各国からの援助も含めた1千億ドル(12 兆円)以上もの救済資金を提供して、危機に瀕した国々の為替 相場を維持させようとした。投機資金がその国の通貨を大量に 売ってドルに換えようとしても、外貨準備が十分にあれば耐え られるだろうとIMFは考えていた。 しかし、為替相場維持の効果は一時的なものであり、投機資 本の集中攻撃にあっけなく相場は下落してしまった。また援助 資金は、欧米の銀行の貸付け返済に回されたので、その国への 支援というより、欧米銀行への援助となってしまったのである。 さらにIMFは融資に対して、物価上昇率や成長率、失業率 など、多い時は100以上もの貸付け条件を設定し、その上こ れは30日間で、あれは90日以内に、と厳密な達成期限を設 定する。その中には金融危機と関係ない項目も含まれている。 たとえばインドネシアに対しては、食料とパラフィン油(貧困 層が調理に使う燃料)への補助金廃止を要求した。これなどは、 経済政策というよりも社会政策であって、金融危機とは何の関 係もない。 たとえて言えば、銀行が金回りが苦しくなって個人商店に対 して、「こんな経営状態で子供のおやつに金を使うのは問題だ、 おやつをやめさせることを条件に融資してやる」というような ものである。とんだ内政干渉だが、融資をしてもらえなければ、 店がつぶれるというのでは、無法な条件も呑まざるをえない。 ■4.高みの見物■ IMFの融資条件が本当に危機脱出のために有効ならこうい う口出しも許されようが、スティグリッツはその内容が誤って おり、危機を逆に拡大してしまった、と言う。 IMFは、為替相場を維持するためには、外国資本の流入が 必要であり、そのためには金利を引き上げろ、と要求した。そ れも25%以上にも。これは単純明快な正しい理論である。高 金利による当該国の企業倒産を考えに入れなければ。 通貨危機に襲われたアジア諸国では、企業は株式による自己 資本よりも、銀行などからの借り入れに頼っていた。したがっ て金利の上昇は企業経営に甚大な影響を与える。金利が25% にもなったら、投下資本に対してそれ以上の利益を出せない企 業はやっていけなくなる。 当時、アメリカでは、連邦準備銀行が0.5%ほど金利を上 げようとして、クリントン政権はそれによる景気後退と失業率 上昇を恐れていた。もしIMFが米国に25%もの高金利を要 求したら、クリントン大統領は、IMFが米国経済の破滅を企 んでいる、と非難しただろう。(もっともIMFの主導権を握 っているのはアメリカなので、そもそもこんな要求をするはず もないが。) しかし、融資を受けるためにアジア諸国はある程度、IMF の要求を聞き入れなければならなかった。その結果、インドネ シアでは全事業の約75%が経営難におちいり、タイでは銀行 融資の50%近くが焦げついた。いくら高金利でも、貸付先が いつ倒産するか分からないような国に海外資本が流入するはず もない。 スティグリッツはIMFに方針を変更するよう訴えた。この まま高金利を続ければ、どんな悲劇が起こるか分からないとも 指摘した。返ってきた返答は、「あなたの正しさが証明された ら、そのとき方針を変えましょう」。IMFが高見の見物を決 め込んでいる間に、タイやインドネシアや韓国の国民が長年汗 水垂らして築き上げた企業や商店が、次々と倒産していった。 ■5.ついに暴動発生■ IMFはまた金融機関の体質を問題にして、自己資本比率 (使用総資本に対する自己資本の割合)の基準を直ちに満たす か、それが出来ない銀行は閉鎖するよう要求した。自己資本比 率を高めるには、新しい資本を株主から集めるか、融資を減ら すしかない。経済が下降している中で新しい資本を集めるのは 難しいので、新たな融資を断ったり、貸付先企業に返済を迫っ た。その結果、ますます多くの企業が倒産し、銀行側も不良債 権が増えて、体質はますます悪化した。 インドネシアでは16ほどの銀行が閉鎖され、さらに多くの 銀行が閉鎖されるかもしれない、という通告が出された。預金 者たちは自分の預金を守ろうと、国営銀行に乗り換えたため、 残っていた民間銀行もたちまち顧客を失った。 スティグリッツの「どんな悲劇が起こるか分からない」とい う警告は、98年5月のインドネシアでの暴動となって現実化し た。数万人が暴動に加わり、多数の商店、銀行が略奪・放火さ れ、約30カ所で火の手が上がった。 IMFは230億ドルを提供したが、それは為替相場を支え るためと、外国の投機資本を含む債権者を救済するだけであっ た。インドネシアの貧困層への食糧と燃料の補助金はそれより もはるかに少額であったが、徹底的にカットされ、その翌日に 暴動が起きたのである。暴動は、投資対象としてのインドネシ アの信頼性をさらに傷つけ、いっそう外国資本を遠ざけること になった。 ■6.IMFの言うことを聞かなかったマレーシア■ IMFの言うがままとなって、壊滅的な打撃を受けたインド ネシアとは対照的に、隣国マレーシアのマハティール首相はま ったく独自の行動をとった。1ドル=3.8リンギットに固定 し、外国資本の引き上げを12ヶ月間、凍結した。IMFのエ コノミストは、そんな規制を始めたら外国からの投資は激減し、 株価は下落して大変なことになるだろう、マレーシアは根本的 な問題に対処するのを先延ばししている、と非難を浴びせかけ た。 一方、スティグリッツ率いる世界銀行のチームは、マレーシ ア政府に協力して、直接的な資本取引規制よりも、国外に流出 する資本に税をかける出国税方式への転換を提案した。税金な ら段階的に規制を調整できるからである。 この方式は順調に機能して、マレーシアは一年後、約束通り、 出国税を撤廃した。規制によって投機資本の攻撃から通貨を守 りつつ金利は低く抑えたので、企業の倒産も少なく、IMFの 処方箋にしたがったタイやインドネシアなどよりも下降は浅く、 回復は早かった。その後、経済の安定性が評価されて、外国か らの投資はむしろ増えたのである。 ■7.ぶちこわされた日本の救済提案■ 97年秋、日本は「アジア通貨基金」の創設に1千億ドルの提 供を申し出た。危機に見舞われたアジア諸国が必要としている 景気刺激策に資金を提供するためであった。これが実現してい れば、アジア諸国はIMFの要求する緊縮策をとらなくとも、 必要な資金を得られ、さらにそれを景気刺激策に用いることに よって、インドネシアが陥ったような壊滅的な打撃は避けるこ とが出来たであろう。スティグリッツは言う。 日本がIMFの行動に強く不賛成の意を示していたのは 広く知られるところだった。私は何度も日本の上級官僚と 会談していたが、彼らはそこでIMFの政策にたいする疑 念を表明していた。それは、私自身の疑念とほとんど同じ だった。[1,p167] しかしIMFとアメリカ財務省はあらん限りの手を使って、 日本の提案を握りつぶした。日本の提案が通れば、それはまさ にIMFとアメリカのリーダーシップをゆるがす脅威になるか らだった。IMFは各国に市場競争を強く訴えていたが、自分 自身が競争にさらされることは好まなかったのである。さらに 日本のアジアでのリーダーシップに反対する中国も日本案潰し に加担した。 しかし事態が悪化するに従って、IMFとアメリカ財務省も、 東アジアの不況を無視できなくなり、日本は再度300億ドル の提供を申し出て、今度は承認された。だがアメリカはそれで も資金は景気刺激に使われるべきではない、企業と金融の再構 築に使われるべきだと主張した。それは、実質的にアメリカを 含む外国の債権者を救済しろ、という事だった。スティグリッ ツは言う。 アジア通貨基金のぶちこわしはいまでもアジアで恨まれ ており、多くの役人が怒りをこめて私にその話をしたもの だ。危機の3年後、東アジア諸国はついに結集してアジア 通貨基金にかわるものをつくりはじめた。今度はひそかに、 もっと穏健なかたちで制度づくりがなされ、名称もあまり 害のないように、創設が決まった場所であるタイ北部の都 市の名をとって「チェンマイ・イニシアティブ」と名づけ られた。[1,p168] ■8.「民主主義に反する姿勢」■ 政府の規制を悪とし、すべて自由な市場に任せるべきだとい うIMFの「市場原理主義」はアジアだけでなく、アフリカ諸 国や南米、旧共産主義諸国においても悲惨な結果をもたらし、 特に貧困層の生活を悪化させた。そこでの「決定はイデオロギ ーと誤った経済学の奇妙な融合にもとづいて下され、ときにド グマが特定の人々の利益を厚くおおい隠しているように見受け られた」とスティグリッツは指摘する。 IMFの幹部の多くは金融界出身であり、またそこに戻って いく。アジア危機の際にIMFで大きな役割を果たしていた副 専務理事のスタンリー・フィッシャーは、退任するとすぐにシ ティ・バンクを傘下にもつ巨大金融会社シティ・グループの副 会長に収まった。その取締役会長ロバート・ルービンはクリン トン政権の財務長官で、IMFの政策形成に中心的な役割を果 たした人物である。スティグリッツ曰く「フィッシャーは言わ れたことを忠実に実行して、十分にその報酬を得たというわけ だろうか。」 IMFは諸国民から集めた資金を使って、危機に陥った国に 異論の多い政策を押しつけ、それが悲惨な結果を招いてもその 責任を問われない。そこでの議論は密室の中で行われ、その決 定が「特定の人々の利益」のために行われているという疑いが 持たれている。それに対して貧しい人々は暴動を起こすよりほ かに、抗議する術を持たないのである。スティグリッツの言う ように、IMFの姿勢は「そもそも民主主義に反する」と言う べきであろう。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(071) ビル・トッテン氏の警鐘 階級搾取の行われるアメリカ社会 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. ジョゼフ・スティグリッツ、「世界を不幸にしたグローバリズム の正体」★★、徳間書店、H14 2. IMFの概要 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■前号「世界を不幸にするIMF」について 電子部品の営業で'93からシンガポール、'97から今までマレ ーシアに駐在しております。この通貨危機の真っ只中をタイ、 シンガポール、マレーシアで仕事をしました。自分の生活もビ ジネスも大変翻弄されIMFについては非常に疑問を持っていた ところです。 マハティール首相が通貨保護のために打ち出した固定相場制 等の措置に対して、IMF・アメリカからは公然と非難が相次い だことは本文のとうりですが、実際にはもっとひどいもので、 (留学生の滞米ビザを認めないとか・・・)更にはいやがらせ としか思えないような誹謗・中傷がアメリカ系の世界的人権保 護団体や環境保護団体という“市民運動家”達からも出されま した。 米国は“正義”を押し通す為にその時、ここマレーシアでど のようなことをしたのか、またマレーシアのマハティール首相 は それを跳ね除ける為にどのようにアイデンティティで国民 をまとめ、立ち向かったか、そのうちに本稿のテーマになるこ とを待っております。(徹さん、マレーシア在住) 先週の渋沢栄一のお話と今週のIMFのお話のコントラストが 鮮やかでした。IMFもそうですが、一方的にごり押しする、相 手の立場を考えない体質はアメリカ自身を結果的に不幸にする と思います。それはアメリカに対する嫌悪感を広めることにな るからです。ビルトッテンさんのような良識的なアメリカ人が 増えることを願って止みません。 それにしても歴史もある日本がもっとアメリカに対して本当 の同盟国として言うべき事を言うのがお互いの為になると思い ます。今回のイラクの問題にしても、アメリカはドイツのビス マルクを見習うべきですね。圧勝しながらも相手に対して寛大 な政策を取ることで無意味な争いを避けるという知恵は、周り を沢山の国に囲まれて苦労してきたドイツだから出来るのでし ょうね。一人勝ちで恨まれるよりは、お互い得をして納得する ようにした方が結局自国の為になると思うのですが。 (sinsinさん) ■ 編集長・伊勢雅臣より アメリカがイラクにかかりきりになっている間で、北朝鮮の 暴走が続いています。その嘘で固めた体質は建国当時からのも のですね。 ■本誌総集編プレゼントにて、いただいたお便り もともと勉強熱心ではなかったのですが、イランに来て日本 のことをしばしば尋ねられて、自分の国のことに関して無知で あることを再確認して愕然とした頃から購読をはじめました。 毎回届くのを楽しみにしています! 生まれたばかりの2人の 娘にも母の国日本の事をいずれ教えてあげたいと思っています。 (20代、女性、イラン在住) 私はこのままアメリカに永住する可能性が高く、現在3歳の 娘もアメリカ人として育っていくことを考えるたびに、この子 がアメリカの学校で歴史を習うようになったとき、彼女の中に 半分流れる日本人の血を誇ることはあっても疎ましく思うこと のないようにと強く願うばかりです。そのためにも私自身がし っかりと日本人として自信を持ち、日本人として誇れる部分を 自覚していきたいと思います。そんな誇れる部分を明確に教え てくれる本講座は私にとって大切なリソースです。明確に詳細 に書かれているので、いずれは娘にも伝え教えてゆきたいと思 っています。(40代、女性、アメリカ在住) ■ 編集長・伊勢雅臣より 多くの日本人が海外で活躍するようになり、海外で生まれる 子女も多くなっています。そういう子供たちが、根無し草にな らないよう、しっかり教育して欲しいものですね。© 平成15年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.