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■■ Japan On the Globe(325)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 人物探訪: ニューヨークのサムライ、松井秀喜 〜 平成15年の国際派日本人 松井の大リーグ挑戦に日本人の「誇り」がかかった。 ■■■■ H15.12.28 ■■ 38,761 Copies ■■ 1,035,596 Views■ ■1.「誇りを持って戦うしかない」■ 平成14年11月1日、巨人の松井秀喜が大リーグ挑戦を表 明した。この決断について松井は後にこう語っている。 ぼくは日本での10年間は本当に精一杯やってきた。だ から最後のわがままを聞いて欲しい、というつもりで大リ ーグの世界に飛び込みました。日本の野球という山を登っ ていたら、その先にさらに高い山があった。そうしたら、 高い山に登りたいと思うのは自然な気持ちでしょう。 [1,p210] 記者会見では「最後の最後まで悩んで苦しかった。何を言っ ても裏切り者と言われるかもしれないが、決断した以上は命を かける」と述べた。より高い山に挑戦したいという真剣な姿勢 に、「裏切り者」と呼ぶ声はなかった。 ぼくは日本の球界に育てられた人間。その誇りを持って 戦うしかない。向こうでも巨人魂を見せたい。松井秀喜と いうプレーヤーの心意気をすべて出すことが、ファンの皆 さんが喜んでくれるのではないかと思う。 日本プロ野球代表としての「誇り」を持って大リーグに挑戦 して欲しい、というのが、大方のファンやマスコミの声だった。 松井の大リーグ挑戦に日本人の「誇り」がかかった。 ■2.名門ヤンキースの伝統と誇り■ 年が明けて1月14日、ニューヨークに渡り、ヤンキースへ の入団発表。ニューヨークの各紙も「ビートルズが1964年にや ってきて以来の騒ぎ」(デイリー・ニューズ紙)などと大きく 報じた。 背番号は巨人時代と同じ「55」。「他人の番号を奪うつも りはなかったから、偶然だけど、この番号が空いて本当によか ったです。日本の皆さんには、背番号でぼくだと分かってもら えますから。」との言葉は、他の選手やファンへの自然な思い やりがこもっている。 2月11日、フロリダ州タンパでキャンプ・イン。いきなり 主力選手と同じ組で練習することになる。看板選手の遊撃・ジ ーターは「ガッジィーラ(ゴジラ)、ガッジィーラ」と気さく に呼びかける。二塁手ソリアーノは、広島にいて日本語を少し 知っているので、「ゲンキ?」などと話しかける。 みんなヤンキースという伝統チームの一員であることを すごく誇りに思っているし、ファンやメディアから常に注 目されるこのチームでプレーすることの大変さを誰よりも 知っている。だから、ぼくのような新人選手にも、やさし く接してくれるのかもしれない。 それは選手に限ったことではない。監督やコーチはもち ろん、球団の職員、警備をしてくれる人たちも、チームに 対する忠誠心を確実に持っている。その度合いは、自分の 想像をはるかに超えていた部分もある。これが長年にわた って築かれてきた伝統の重みなのでしょう。[1,p12] 松井が日本球界の誇りをかけて飛び込んだヤンキースは、大 リーグの名門チームとしての誇りに満ちた世界であった。 ■3.礼儀正しさと誠実さと■ キャンプ中の松井を、ニューヨーク・タイムズはこう伝えて いる。 毎日確実に、ときには1時間ごとに、たまには1分に1 回、松井秀喜は新しい環境でプレーするために必要な、新 しいことを学んでいる。そのあいだもずっと、松井はバー ニー・ウィリアムズのような礼儀正しさと、ロビン・ベン チュラのような余裕を忘れない。・・・ 春期キャンプ中に、松井はヤンキースを取材するアメリ カの記者とも親しくなろうと考えて、彼らを食事に招待し た。火曜日の夜、9人の記者と松井、そして彼の広報担当 と通訳が格式あるイタリアン・レストランに集まった。唯 一の条件は、食事中の話はオフレコということだった。 ・・・ 松井の誠実な態度は、アメリカでメジャーリーガーと記 者がグラウンドの外で保っている関係とは対照的だ。30 年以上も野球の取材をしてきたある記者は、記者を集団で 食事に誘った選手は記憶にないと話した。[2,p152] この事に関しては、松井自身はこう述べている。 ぼくは日本にいたころから、報道陣の皆さんとよく食事 に出かけています。それを知った彼らが「日本の記者とし か行かないの?」「我々も誘ってよ」と言ってきたので、 「いいですよ」ということになったのです。・・・ 彼らも気を使ってくれて、食事会で出た話は記事にしな いというルールを作ったと言っていました。ぼくが詳しい 内容を紹介するわけにはいきませんが、お互いを知るため に有意義な時間でした。 ぼくはいろんな人と一緒に食事をし、野球に限らずさま ざまな話をするのが好きです。記者の人とでかけるのもそ のためという面もある。ぼくが打てないときなどは思う存 分に悪く書いてもらって構わないし、彼らにもその考えは 伝えました。[1,p41] 記者との食事は、松井が自己流を出し始めた小さな一歩だっ たが、その誠実さはアメリカの記者たちに強い印象を与えた。 ■4.「かくして伝説が生まれた」■ 3月31日、カナダはトロントのスカイドームで開幕戦を迎 えた。ヤンキースのクラブハウスの扉には、対戦相手のブルー ジェイズが掲載した新聞広告が貼ってあった。日本語と英語で 「BOO MATSUI」「松井を野次ろうぜ!」と書かれ、 鳥のフンで汚れたヤンキースの帽子が描かれていた。ヤンキー スのトーリ監督は「悪趣味だ」と不快感をあらわにしたが、松 井は「とくに感想はありません。ファンに僕の名前を知っても らえてうれしいですね。」 1回表2死1,3塁。大リーグで最初の打席は願ってもない チャンスで廻ってきた。「緊張するかと思ったけど、そんなこ とを考えさせてくれない場面でしたからね。」初打席の初球を 初安打し、ヤンキースの今期初得点をたたき出した。試合は8 対4でヤンキースの勝利。第2、3戦とも、松井は安打を続け、 ヤンキースは61年ぶりに敵地での開幕3連勝を飾った。 次の対デビルレイズ3連戦も、松井は毎試合安打を続け、チ ームも2勝1敗と勝ち越した。そして4月8日、いよいよ本拠 地でのデビュー戦。ニューヨーク・タイムズはこう報じた。 5回裏、バーニー・ウィリアムスが敬遠され、塁が埋ま った。まだヤンキース移籍1号が出ていなかった日本人ス ラッガーの松井に、本拠地開幕戦でグランドスラム(満塁 ホームラン)を打つチャンスがめぐって来たのだ。 「これ以上の舞台はないな」と、(チームメイトの)ベン チュラはクレメンスに言った。数え切れないほどのファン も体をぞくぞくさせながら、同じことをささやき合ってい た。 そして----松井はやり遂げた。 フルカウントからミネソタ・ツインズのジョー・メイズ の投げたチェンジアップを力強くたたき、ライトスタンド に打ち込んだのだ。かくして伝説が生まれ、気温2度を下 回る寒さの中でヤンキースが7−3と勝利を収めた。 [2,p177] スコア・ボードには英語と日本語で「ホームラン」の文字が 点滅した。ベースを一周してダグアウトに戻った松井はトーリ 監督から、観衆の大歓声に応えるようにうながされ、早足で階 段を上がって客席に手を振った。 ヤンキースタジアムのパワーとでも言うのでしょうか。 自分だけの力じゃないような気がするのです。それが数々 の伝説によるものなのか、ファンの大声援によるものなの かは分かりません。ただここ一番の場面で、みんなの力が、 ぼくを後押ししてくれたような気がするのです。[1,p64] ■5.「グラウンドボール・キング(ゴロ王)」■ 4月には3割を超えていた打率は、5月には2割5分台に急 降下。それに合わせて、開幕から18勝3敗と快進撃を続けて いたチームの成績も、その後は9勝11敗と急ブレーキがかか った。 ニューヨーク・タイムズは松井のゴロの本数が大リーグでト ップである事から、ホームラン王ならぬ「ゴロ王」と酷評した。 ヤンキースのオーナー・スタインブレナーの「あんなにパワー のない打者と契約した覚えはない。」との批判も報道された。 スタインブレナー・オーナーがぼくのパワー不足を指摘 したことも、こちらの記者の質問で知りました。今のこの 成績じゃあ言われても仕方ないと思うし、別に怒ったりと いう気持ちはなかったです。ああ、その通りだなと思いま した。 ニューヨーク・タイムズにも「グラウンドボール・キン グ(ゴロ王)」なんて書かれました。そういうことをいち いち気にしていたら、やっていられません。逆に批判を書 かれて、発奮の材料になるということもぼくの場合はあり ません。人の書く記事などはぼくのコントロールできるこ とではないし、自分のコントロールできることをしっかり やっていく、というのがぼくのスタンスですから。 [1,p97] ■6.進化する打撃■ 松井はシーズン前からこうした時期が来ると見通していた。 ただ、打てない時期も必ず、来る。・・・ そういうときをまた、どうクリアするか。それがとても 大切だと、ぼく自身は思っています。[1,p32] 松井は調子がいいとか、悪いとか、考えるのは余り好きでは ない。調子のせいにするのではなく、自分にまだそれだけの力 がない、と考える。そこからいろいろな工夫をこらし、打撃を 進化させていく。6月5日のシンシナチ・レッズ戦では119 打席ぶりのホームランを打ち、あわせて3本の二塁打を叩きだ した。 一番変わったのは強く振り切れるようになったというこ とです。ボールに対して、合わせるというか、打たされる という感じが減ってきて、どんなボールに対しても自分の 力強いスイングができるようになってきました。こちらで は高めに甘い球はまず来ない。低めに沈む球ばかりだから、 打球を上げるためにスイングの軌道も、当たってからのフ ォロースルーを大きく高くという感覚を持つようにしまし た。これは大リーグに来てからの変化です。[1,p126] 6月には打率3割9分4厘、29打点、6本塁打の成績をあ げ、リーグの月間最優秀新人に選ばれた。 ■7.「悔しい。いまはそれ以外にないですね」■ 9月23日、ヤンキースは6年連続でアメリカン・リーグ東 地区優勝を決め、ミネソタ・ツインズとのプレーオフに進出。 1勝1敗で迎えた第3戦の冒頭、松井の放った2点本塁打が決 勝打となった。その勢いで第4戦も勝って、ヤンキースはアメ リカン・リーグ優勝決定シリーズに進出した。 3勝3敗で迎えたリーグ優勝決定シリーズ最終戦では、3点 を追う8回、ジーター、ウィリアムス、松井、ポサダの4連続 長短打で一気に同点に追いつく。松井は雄叫びをあげ、高くジ ャンプして同点のホームベースを踏んだ。延長になだれ込み、 11回裏、アーロン・ブーンの本塁打でヤンキースがサヨナラ 勝ち。「みんなの強い気持ちがまさったんだと思います。」 マーリンズとのワールド・シリーズでは、第1戦は松井が5 番左翼で3安打を放ったものの1点差で敗戦。しかし第2戦で は先制の3点本塁打、第3戦では勝ち越し打を打って、2試合 連続で試合を決める一打を放つ。第4戦で破れた後、松井はシ リーズでの活躍を買われて4番に座るが、5戦、6戦と無安打 で終わり、ヤンキースはワールド・チャンピオンを逃した。 「最後の2試合、チームの力になれなかった」「悔しい。 いまはそれ以外にないですね」「今日負けた気持ちを忘れ ずにいることが大事。ヤンキースの一員である以上、ワー ルド・チャンピオンだけが目的ですから」 こうして松井は大リーグ1年目の挑戦を終えた。 ■8.大リーグの「サムライ」たち■ この冬、米映画「ラスト・サムライ」が大ヒットし、全米で も一時、興行収入1位になった。この映画を観たある評者は次 のように述べた。 映画が終わって映画館を出ました。ザ・ラストサムライ という映画は本当にアメリカ人の手による映画なのか。昔 の古き良き日本を知る日本人が作った映画ではないのか。 あんな映画が本当にアメリカ人に作れるのか。[a] この問いに、評者は次のように自答する。 野武士のような野茂の風貌とその寡黙さ、剣の達人を思 わせるサムライ・イチローの居合い切り一閃のバットコン トロール、そして常に沈着冷静な松井選手の礼儀正しさ。 アメリカ人は毎日彼らを見ているのです。 野茂、イチロー、松井など、大リーグで活躍する日本人選手 たちが、サムライらしいイメージを振りまいているのは偶然だ ろうか。はたまた本物のサムライだからこそ、見事な活躍がで きるのか。いずれにしろ彼らを通じてアメリカの大衆は尊敬す べき「サムライ」のイメージを抱いている。彼らの活躍をあり がたく思うと共に、国際社会における日本の国家としての振る 舞いも、そうしたイメージを壊さないものでありたいものであ る。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG Wing(768) ザ・ラストサムライ(志永三郎) ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1. 松井秀喜、「語る 大リーグ1年目の真実」★★★、朝日新聞 社、H15 2. ニューヨーク・タイムズ、「ゴジラ・イン・ニューヨーク vol.1」、 ★★、阪急コミュニケーションズ、H15 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■ 編集長・伊勢雅臣より 本年もご購読ありがとうございました。政治面や経済面でも ようやく明るさが出てきました。来年はさらに日本と日本人に とって良い年であるよう、お祈りしています。© 平成15年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.