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■■ Japan On the Globe(328)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

                地球史探訪: 同盟とは何か

           英国との互恵と信頼の関係が崩れた時、日英同盟は
          消滅し、日本外交は漂流を始めた。
■■■■ H16.01.25 ■■ 34,109 Copies ■■ 1,064,073 Views■

■1.同盟関係という視点■

     自衛隊のイラク派遣が進められつつあるが、世論はおおむね
    反対意見の方が上回っているようだ。朝日新聞社の調査では、
    次のように報じられている。

         自衛隊派遣自体については賛成34%、反対55%。反
        対と答えた人に、イラク復興にはどのような支援がよいと
        思うか聞いたところ、「資金に加え、民間人や公務員によ
        る人的支援もする」という人が52%にのぼり、「資金的
        な支援に限る」と答えた人(31%)を上回った。 

         日本がイラク復興にかかわった方がよいかどうかという
        問いにも、全回答者の64%が「かかわった方がよい」と
        答えた。[1] 

     イラク復興には貢献すべきだが、それはあくまで平和的な支
    援に限定すべきで、大義のない米国のイラク侵攻に協力して
    「戦力」を送るのは反対だ、というのが、多数世論のようだ。

     しかしこの世論では、日米同盟という視点からの考慮が欠如
    しているように見えるのが気になる。国民の多くは日米同盟を
    自明のこととして、別段の努力をしなくとも、引き続き米軍が
    日本を守ってくれると何となく思いこんでいるのではないか。
    
     実は、わが国は歴史上、今回とよく似た決断を迫られたこと
    がある。第一次大戦時に同盟国イギリスから欧州への陸軍派遣
    を求められたのがそれである。日本がイギリスの再三の派兵要
    請を断ったことで、日英同盟は崩れ、孤立した日本はドイツと
    の同盟という決定的なミスを犯すに至った。同盟とはいかに崩
    れやすいものか、それを維持するためにはどのような努力が必
    要かを、日英同盟は示している。

■2.日英同盟を後押しした親日世論■

     日英同盟は1902(明治35)年1月30日に締結され、即日、
    発効となった。当時、ロシアの南下に対して、イギリスはいか
    に中国大陸での権益を守るかに苦心しており、日本は独立の危
    機を迎えていた。この共通の利害によって両国は結ばれたので
    ある。

     当初、イギリスは日本よりも清国の方に期待をかけていた。
    日本は小さいが、清国は「眠れる獅子」であり、ひとたび目覚
    めれば、ロシアに対抗する上で、頼りになる存在だという認識
    を持っていた。しかし、日清戦争での日本軍の連戦連勝ぶりに
    徐々に認識を改めていく。それを決定的したのが、1900年の義
    和団の乱に際し、暴徒に襲われた北京で、列国の公使館区域を
    守った日本兵の勇戦ぶりと規律正しさであった[a]。ロンド
    ン・タイムスはこう報じた。
        
         (北京籠城中の外国人の中で)日本人ほど男らしく奮闘
        し、その任務を全うした国民はない。・・・日本兵の輝か
        しい武勇と戦術が、北京籠城を持ちこたえさせたのであっ
        た。[2,p36]

     また、その後、救援に駆けつけた列国連合軍の半分以上は日
    本軍であったが、事件後の清国への賠償金要求はロシアの4分
    の1、ドイツの3分の1という控えめな額で、その公正さが欧
    米世論に好感を与えた。当時のロンドンでも、日本将兵が堂々
    と行動している姿がニュース映画で何度も報道された。

     イギリスが伝統的な「光栄ある孤立」政策を一大転換させ、
    異人種・異教徒・異文明の国との同盟を結ぶという歴史的決断
    をした背景には、この親日世論があった。頼りになる国、信頼
    できる国という認識を相手国の世論が持つことが同盟成立の要
    件であろう。そしてそれは一般国民にもすぐに分かる明快な事
    実で示されなければならない。

■3.日本を助けた大英帝国の情報力・外交力■

     いざ日露戦争が始まると、イギリスは軍事情報の提供、戦費
    の調達、ドイツやフランスに対する中立維持の外交的圧力、日
    本への同情を高める国際世論の醸成など、同盟国として日本の
    勝利に陰ながら大きな貢献をなした。

     たとえばバルチック艦隊がはるばるバルト海から7ヶ月以上
    も航海して、極東へ向かう過程でも、イギリスは逐一、情報を
    日本に送り、さらに各寄港地でことごとく航海の妨害をした。
    バルチック艦隊の乗組員の一人はこんな手記を残している。

        (ベトナムの)カムラン湾でも(イギリスの圧力は)同様
        であった。入港時には(宗主国フランスの)巡洋艦デカル
        トに乗艦したキエルツ少将が訪れ歓迎の意を表した。しか
        し、6日後に再びキエルツ少将が訪れ、24時間以内に領
        海外に出るよう要求した。そして、それから後続の艦隊が
        到着するまで、20日も泊地を転々とし、日本艦隊の襲撃
        を警戒しながら洋上をさまよわねばならなかった。このよ
        うなことからわれわれ兵員たちは、だんだんロシアの専制
        政治に対する信頼を失い、何よりも大切な将兵の戦意を消
        耗してしまった。[1,p71]

     また、日本海海戦の後、ロンドンタイムズは次のように報じ
    て、国際世論を日本に有利な方向に導いた。

          今やロシアにとっても、戦争を継続できる望みは全く
         消えた。強いて継続すれば、ただ自国に不利になるだけ
         である。これが極めて分かりやすい道理であるにもかか
         わらず、ロシア宮廷において和平への動きがまだ出てい
         ないように見受けられるが、ロシア自身のために、誠に
         惜しいことである。[1,p59]

     ロシアの陸軍はまだまだ余力を温存しており、ここで粘れば
    満洲では形勢を逆転できる望みは十分にあったが、こうした世
    論の圧力で、ロシアはやむなく講和交渉のテーブルについた。

     このように国際世論を誘導したり、フランスなどにも外交的
    圧力をかけるなどは、大英帝国ならではの情報力と外交力があ
    ればこそ出来た芸当である。こうした国際情報戦・外交戦は日
    本の不得意とする所で、この面でイギリスのバックアップを得
    たことは、大きな助けとなった。

■4.ヨーロッパへの派兵要請■

     1914(大正3)年6月に、第一次大戦が勃発すると、こんどは
    日本がイギリスを助ける番になった。ドイツ東洋艦隊が太平洋、
    インド洋での英国船の安全を脅かすと、イギリスは日本海軍の
    艦艇派遣を求めた。日本はドイツの要塞のあった中国・遼東半
    島の青島を攻略、さらにドイツ領南洋群島を占領し、アジア、
    太平洋のすべてのドイツの拠点を壊滅させた。

     日本海軍はさらにイギリスの求めに応じて、オーストラリア、
    ニュージーランドの防衛と、地中海での連合軍輸送船の護衛に
    あたった[b]。イギリスのバルフォア外相は「今日、英国から
    エジプト・インド・豪州へ日本海軍の支援なくして行くことは
    できない」と述べている。[1,p96]

     イギリスは日本陸軍のヨーロッパ派兵も求めていたが、外務
    大臣加藤高明は、国軍の「唯一ノ目的ハ国防ニ在ル」ので、
    「主義上、派兵ハ不可能」と拒否した。今で言えば「専守防衛」
    を主義とする日本国軍はアジア・太平洋地域の防衛や、イギリ
    スの商船護送はまだしも、陸軍将兵を遠いヨーロッパに送って
    ドイツ軍相手に血を流すのは、日英同盟の範囲外であるし、
    「主義上」不可能である、という回答だった。

     1915年に入り、連合国が不利な戦況となると、日本陸軍の派
    兵を求める声が強くなっていった。フランスの新聞はインドシ
    ナの割譲を条件に、日本軍の派兵を要請せよとさえ論じた。そ
    れまで日本の派兵不可能論に理解を示していたイギリスからも、
    バルフォア外相が「一体日本国民ハ日英同盟ノ範囲以外ニ於イ
    テハ、何等戦闘ニ協力セズト言フ考ナリヤ」と非難した。

■5.派兵反対の大合唱■

     一方、日本国内ではジャーナリズムを中心に、派兵反対の大
    合唱が起きていた。雑誌「太陽」は「欧州出兵の愚論」などの
    特集を組み、次のように論じた。
    
         日本が他人のために欧州下り迄出兵する義務は誰が負わ
        された。必要はどこにある。もし又自己の為にとならば、
        日本は遙々欧州迄出兵して、何の利益があると問いたい。
        現在の如く、あれも同盟、これも対同盟で義務の無限荷重
        では奴隷の任務その儘である。[1,p109]
        
     さらに、別の論者は、アメリカが参戦したのは世界人類の平
    和などの美名のためではない、アメリカの参戦はヨーロッパへ
    の勢力拡張や、連邦制のために弱い中央政府の権力を参戦によ
    って強化しようとしたまでのことであり、国民の反対が強い軍
    備拡張を参戦によって図ろうとしているだけの事である、と主
    張した。
    
     このような国内世論の派兵絶対反対を受けて、日本政府は英
    国および他の連合国からの度重なる派兵要請に対し、「一般国
    民有識者間ノ賛同ヲ得ルコト全然望ミナシ」「国民一般ノ協賛
    ヲ得ルコト覚束ナク、帝国議会ノ協賛ヲ求ムルモ之ヲ期待シ難
    シ」と苦しい説明を繰り返した。
    
■6.日本への不信と猜疑■

     こうした日本の態度にイギリスの不満と不信は募るばかりで
    あった。駐日イギリス海軍武官ライマー大佐は「日本の現状」
    と題して、次のような報告を送っている。
    
         日本の政治家は、日英同盟が日本外交の "Keystone" な
        どと常に公言しているが、この戦争に対する日本の原則は、
        第一に最大の経済的利益を追求することである。・・・
        日本が連合国の船舶提供要求に応じないのは、船舶を提供
        すれば貿易が損なわれ、利益を最大限に追求するという日
        本の原則に反するからである。[1,p115]
    
     日本が連合国に大量の武器や弾薬を輸出して、大好況を享受
    し、またドイツを駆逐して南洋群島や中国への地歩を固めつつ
    も、派兵を拒み続ける姿は、連合国側の猜疑を招いた。大戦終
    結1年前の1917年3月に開かれた大英帝国会議では、日本への
    非難に満ちた「日英関係に関する覚書」が配布された。
    
         日本人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性、
        基本的に偽りに満ちており、日本は本質的に侵略的な国家
        である。・・・
        
         この日本の侵略的な野望とイギリスの適正な要求とを調
        和する余地があるであろうか。道義的に日英は余りにもか
        け離れている。このように、イギリスの理想と日本の野望
        が異なる以上、両国の間に共通の基盤を確立することは不
        可能である。・・・
        
         いずれにせよ、この(日英)同盟は人種的にも文化的に
        も異なる二つの国がもろい紙の上に書いた条項を綴じ合わ
        せたものに過ぎない。[2,p119]
        
     日本艦隊が地中海においてイギリス海軍と密接に協力して、
    連合国の輸送船を護送した働きは、専門家の間では「いかなる
    同盟国の海軍よりも価値があった」と高い評価を受けたが、そ
    れは見えざる貢献であった。政治家と一般国民の間では、この
    ような対日認識が広がっていたのである。
        
■7.日英同盟解消を画策する国々■

     同盟は、それを喜ばない第三国からも様々な干渉を受けるも
    のである。中国市場進出を狙うアメリカにとっては、同市場を
    抑える英国と日本との同盟は邪魔な存在だった。アメリカでの
    海軍大拡張と海外領土獲得を主張するアルフレッド・マハン大
    佐[c]は、アメリカでの人種問題に関して、イギリス海軍のク
    ラーク大佐に次のような書簡を送っている。
    
         ロッキー山脈の西に他民族が溢れ、果てしないトラブル
        が考えられるような(日本の)要望を認めるくらいなら、
        明日にでも戦争を選ぶであろう。黄色人種移民の入国に関
        し私の大きな心配は、これが貴国との関係に及ぼす影響で
        す。日英同盟によって貴国とアメリカが敵対関係になる恐
        れです。私は日英同盟を良いと考えたことはありません。
        [2,p153]

     中国も大陸における日本とイギリスの権益を排除するために、
    日英同盟の解消を画策した。第一次戦後、中国代表として国際
    連盟規約改正委員を務めた王寵恵は1920年秋にバンクーバーで
    次のように訴えた。
    
         日英同盟は太平洋で(アメリカとの)戦争を誘発する恐
        れがある。もし、戦争が起きたならば中国はアメリカとと
        もに日本およびイギリスに敵対することになろう。
        [2,p152]

     イギリスの日本に対する不信と猜疑心、そしてアメリカの圧
    力によって、日英同盟は解消を余儀なくされた。
    
■8.日英同盟の経験から学ぶ■

     19世紀のイギリスの首相パーマストンは「大英帝国には永
    遠の友も永遠の敵もない。存在するのは永遠の国益だけであ
    る」と述べた。同盟関係は友人関係というより、ビジネス上の
    取引関係と捉えた方が良さそうだ。取引が成立するには信頼関
    係と互恵関係が不可欠である。特に警察も裁判所もない国際社
    会ではなおさらだ。
    
     日英同盟は両国が信頼と互恵の関係を見いだした時に誕生し、
    それが崩れた時にあっさりと消滅した。そして義和団事件や日
    露戦争時の親日感情が、第一次大戦では不信と猜疑とに劇的に
    変わってしまった。
    
     国際政治の舞台に不慣れな日本は、イギリスの情報力と外交
    力という後ろ盾を失って漂流を始め、ついにはドイツに接近し
    ていくが、これがどのような悲惨な結果をもたらしたかは、改
    めて述べるまでもない。
    
     1月22日の衆院本会議の代表質問で、民主党の菅代表は自
    衛隊のイラク派遣を憲法違反と批判したが、これは英国の派兵
    要求を「主義上、派兵ハ不可能」と断った当時の外務大臣のセ
    リフを彷彿とさせる。自分の都合を述べているだけで、派遣を
    断った場合に、同盟国との信頼と互恵の関係にどのような影響
    を与えるのか、そしてそれが国益にどのようなマイナスをもた
    らすのか、という考察が欠落している。
    
     各国の利害の入り乱れる国際社会で、自らの国益を守ってい
    くためには、どの国とどのような信頼と互恵の関係を作ってい
    くべきか、戦略的かつ主体的に考える姿勢が必要である。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(222) コロネル・シバ〜1900年北京での多国籍軍司令官
     義和団に襲われた公使館区域を守る多国籍軍の中心となった
    柴五郎中佐と日本軍将兵の奮戦。
b. JOG(315) 日本帝国海軍、地中海に奮戦す
     第一次大戦、同盟国イギリスの要請に応え、日本の駆逐艦隊
    は地中海でドイツ軍潜水艇と戦った。 
c. JOG(014) Remember: アメリカ西進の軌跡
    アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化すること
   によって、文明をもたらすことを神から与えられた「明白なる天
   意」と称した。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. asahi.com,「人的支援には肯定的 イラク派遣巡る本社世論調
   査、」、H115.12.12
2. 平間洋一、「日英同盟」★★★、PHP新書、H12
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 

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