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■■ Japan On the Globe(333)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

              国柄探訪: 長寿企業の言い伝え

               数百年も事業を続けてきた長寿企業に学ぶ
              永続的繁栄の秘訣とは。
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■1.長寿企業の「三方よし」■

     東京は日本橋堀留町に本社を構える「チョーギン」という会
    社がある。破綻した日本長期信用銀行ではない。アパレルやイ
    ンテリア用品の製造・卸小売りを行っている。実はこの会社は
    創業が寛政10(1798)年で、ゆうに200年を超える歴史を持っ
    ている。

     創業者は丁子屋(ちょうじや)の屋号で麻布などの行商を営
    んでいた近江商人の小林吟右衛門。丁子屋の吟右衛門を略して、
    丁吟、すなわちチョーギンとなった。初代は少年時代から行商
    を始めたが、その子、2代目吟右衛門の時代に京、大坂、江戸
    に店を構える大商人に成長した。

     現在の社長は、8代目の小林一雄氏。小林社長が社員によく
    言うのは「三方よし」という、近江商人の経営理念として必ず
    出てくる言葉。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という
    事で、商取引は売る方にも、買う方にも、そして社会全体にも
    利益になるものでなくてはならない、という意味である。

     同様に「三方よし」を説くのが、秩父の矢尾百貨店の社長を
    務める矢尾直秀氏。矢尾家9代目の当主であるが、近江出身の
    初代・矢尾貴兵衛が寛延2(1749)年に秩父で酒造業を始めたの
    が、家業の始まりである。

     チョーギンは200歳、矢尾百貨店は250歳を超える長寿
    企業だが、長寿の秘訣は「三方よし」の経営理念にあるようだ。

■2.「世間よし」による長期的繁栄■

     事業を永く続けるには安定した収益が必要だから、「売り手
    よし」が大事な事は言うまでもない。しかし、お金を払ってく
    れる買い手がなければ、そもそも事業が成り立たないから「買
    い手よし」でなければならない。買い手を騙したり、犠牲にし
    たりする事業が長続きするはずはない。買い手が喜んで買って
    くれるような商品やサービスを提供してこそ、事業が長続きす
    るのである。

    「世間よし」については矢尾百貨店の矢尾直秀氏はこう言う。

         うちは他国者だったが故に地元の商人以上に、地域社会
        に神経を使って、その役に立つことが必要だと考え、代々
        それを実践してきました。[p133]

     明治17(1884)年、松方デフレで生活に困窮した秩父地方の
    農民が暴徒化して、高利貸しや富裕商店を襲撃して打ち壊しを
    行った。秩父困民党事件である。この時、矢尾商店は炊き出し
    こそ命ぜられたが、打ち壊しは免れた。天保の飢饉の時には飢
    えた人に米を配ったり、金利が急騰した時も暴利を貪ったりし
    なかったので、その「世間よし」の姿勢が地域住民から高く評
    価されていたのである。

    「世間よし」は秩父事件のような非常時ばかりではなく、平常
    時にも大切である。地元の商店街と張り合うよりも、商品構成
    などで補完しあえば、両者一体となった大規模なショッピング
    ・ゾーンとして、より多くの買い手にサービスすることができ
    る。また地域での雇用を拡大したり、自然環境を大切にしたり、
    地元の文化行事に協賛したりすれば、地元住民も贔屓にしてく
    れる。

■3.「暖簾(のれん)は心に懸けよ」■

     京都で箸屋を営む市原平兵衛商店も、創業は明和年間(1764
    〜72)で初代・市原平兵衛はやはり近江出身だという。現在の
    当主は7代目の市原廣中氏である。氏が後を継いだのは、昭和
    38年のこと。先代に仏間に呼ばれて、突然、今日からおまえ
    が後を継いでやれ、と言われた。この時、先代から言われたこ
    との一つが「暖簾(のれん)は家でなく心に懸けよ」というこ
    とだった。

     暖簾とは「信用」である。長年「買い手よし」を実現してい
    れば顧客から信用され、また「世間よし」を続けていれば、社
    会から信頼される。その信用の象徴が、暖簾である。

     しかし、暖簾を家に懸けておけば、信用が自動的に守られる
    というわけではない。先祖代々営々と築き上げてきた信用も、
    顧客を裏切るような商売をすれば、一朝にして失われてしまう。
    店に懸ける暖簾を守ろうとすれば、まず心の中に暖簾を懸けて、
    それを絶対に汚すまいという覚悟が大事なのだ。

■4.「暖簾分け」■

     これまた京都で呉服卸問屋を営む千吉(ちきち)も、応仁の
    乱後の弘治年間(1555〜58)に、初代・貞喜が京都で法衣を商っ
    たのが始まりである。本家は千切屋与三右衛門と言ったが、こ
    の家は断絶して、3つの分家が呉服の商いを継いだ。千切屋治
    兵衛が千治(ちじ)、千切屋惣左衛門が千総(ちそう)、そし
    て千切屋吉右衛門が千吉(ちきち)である。これら三家が揃っ
    て今も家業を続けているというから恐れ入る。

     その千吉の会長で第12代目の西村大治郎氏は、永続的繁栄
    の秘訣の一つが「暖簾分け」というシステムにあったとして、
    こう語っている。

         かつては12,3歳で丁稚奉公に入った。そして30歳
        くらいまでの間働いて手代や番頭に昇進し、功績が抜群で
        あれば暖簾分けをして独立することができたんです。この
        仕組みは組織の新陳代謝となり、働いている者には独立す
        るという明確な目標を与えることになり、また暖簾分けと
        いう形で社会的な信用を付することになり、合わせてグル
        ープ全体の相互扶助にもなるという、双方にとってメリッ
        トのある仕組みだったんです。[p303]

    「暖簾分け」とは、まさに本家の信用を分家に分け与えること
    である。新しく独立した分家は本店から与えられた信用を商売
    に生かしつつ、その暖簾を汚さないよう励まなければならない。
    西村氏はさらにこうも言う。

         よく暖簾と申しますけれども、私は暖簾をまず信用の象
        徴と、次に外に向かっては闘志の象徴と、そして内に向かっ
        ては人の和の、よき人間関係の象徴と、捉えています。
        [p304]

     暖簾分けによって生まれたグループは、信用を共有するだけ
    でなく、外に向かってはその信用を守るべく奮闘し、内にあっ
    ては互いに助け合う。暖簾はまさにグループの絆である。

■5.「絶対に欲を出すな」■

     暖簾を守るためには、それなりの工夫が必要である。元禄2
    (1689)年から秋田県仙北郡で酒造りを続けている鈴木酒造店の
    第18代当主・鈴木松右衛門氏はこう語る。

         昭和32年に養子になった時、養父から申し渡されたの
        は、次の二つの約束を守ってくれ、それを守れば事業は必
        ず永続するからということでした。

         その二つとは、一つは絶対に欲を出すなということ。売
        れるからといって極端な増石(本誌注:増産)をすると、
        必ず不良品が出て蔵の信用を落とす。先代は一つの目安と
        して前年比105まではよろしいといっていた。

         二つ目は、自分の蔵で作った酒の8割は仙北郡で消費し
        てもらえるようにせよということです。たしかに地元の人
        に支持されない酒では仕方がない。うちの地元にこんな旨
        い酒があるよと、自慢されるくらいになりたいものです。
        それと、郡外、県外の割合が多くなればなるほど、債権の
        回収リスクは高くなる。実際それで潰れた同業者もいる。

         この二つの戒めを授かったわけですが、考えてみると、
        このお陰で今日があるような気がしました。[p.81]

     地元の人に支持され、その自慢になるほどの酒とはまさに
    「買い手よし、世間よし」だ。そのためには量的拡大を犠牲に
    しても、品質追求に徹するというのである。

■6.「声なくして人を呼ぶ」■

     京昆布の老舗「松前屋」は、もとは南朝に仕える武士の家柄
    で、昆布を売って軍資金を稼いでいたが、南朝最後の後亀山天
    皇から「松前屋」の屋号をいただき、以後は皇室ご用一筋で幕
    末までやってきた。現在の当主は第32代・小嶋文右衛門氏で
    ある。

         明治まで禁裏御用一筋で、一般の方への商いはなかった
        んです。天皇家のお使いになるもの、陛下が召し上がるも
        のだけを用意していたわけですから、利益を追求するので
        はなく、最高のものを調達していたんです。

     皇室御用達というのは最高の暖簾であるが、それを汚さない
    よう質の徹底的な追求が不可欠である。

         明治に入って、8年頃から町商いをすることになるわけ
        ですが、以降一貫していることは、良い商品を作って、自
        分の商品にプライドを持って売っていくということです。

         昆布は5年間は蔵に寝かしてから、最上級の品質のもの
        だけを使います。一年間に作る量も決まってしまいます。
        味を大事にすればたくさん作ることはできません。従って、
        売上げもおのずと決まって、大きく利益が出ることもあり
        ません。

         主人の目の届く範囲でいいんです。それをあれもこれも
        と手を広げようとすると、どっかに必ず落とし穴があって
        失敗する。[p.189]

    「プライドを持って」とは、「暖簾を心に懸けて」に通ずる。
    また利益に目がくらんで、むやみに量を増やしたり、事業範囲
    を拡大したりするな、とは前節の鈴木酒造店とまったく同じ姿
    勢である。最後に小嶋氏はこう話を結んだ。

         われわれのようなモノ作りに携わる人間は、正直である
        ことが大事です。私の好きな言葉に、「声なくして人を呼
        ぶ」というものがあります。自分から宣伝しなくとも、良
        いモノを作っていれば、自ずと口コミでそれが広まってい
        くという意味だと思いますが、そうなるのがわれわれの喜
        びですね。[p.192]

     暖簾を心に懸けて、黙々と、顧客が喜び、地元の自慢になる
    ような商品を作っていれば、宣伝は顧客の方で勝手にやってく
    れる。やはり「買い手よし、世間よし」こそが永続的成功への
    道なのである。

■7.名と暖簾を継ぐ■

     代々の当主が同じ名前を引き継ぐというしきたりが多くの老
    舗で行われている。これにも実はきわめて合理的な理由がある。
    京漆器の老舗象彦(ぞうひこ)の現代の当主は9代目・西村彦
    左衛門氏。9代目を襲名したのは昭和42(1967)年、36歳の
    時だった。

         名を襲って、改めて代々受け継がれてきた名前を汚して
        はならないという緊張感を持った。[p.46]

     代々、同じ名前を継ぐということは、暖簾を継ぐことである。
    まさに駅伝の走者のように、名と暖簾が先代から次の代へと引
    き渡される。象彦に代々伝わる「亭主之心得」に曰く(本誌で
    句読点を若干加えて、読みやすくした)。

         亭主たる者、その家の名跡財宝、自身の物と思うべから
        ず。先祖より支配役を預り居ると存(じ)、名跡をけがさ
        ぬやうに子孫に教へ、先格(本誌注:先祖伝来のきまり)
        を能(よく)守り勤め、仁義を以て人を召し仕ひ、一軒に
        て茂(も)、別家の出来るを先祖への孝と思ひ、時来り、
        代を譲り、隠居致すとも、栄耀成(なる)くらしは大いに
        誤なり。

     家業は当主の個人的な財産ではなく、先祖からの預かりもの
    であり、当主はその暖簾を守って子孫に伝える責任を持つ「支
    配役」である、という。会社を個人的な財産と考えれば、短期
    的に大儲けして、ほど良い所で従業員は首切り、事業は売り払
    い、というバクチ的な経営もできようが、それでは一時成金に
    は成れても、永続的な老舗には成れないのである。

■8.「老舗の新店」■

     逆に先祖から伝えられた家業を墨守しているだけでも、永続
    的な成功は不可能である。それでは技術的進歩もなく、不断に
    変わりゆく買い手や世間についていけないからである。

    「とらやの羊羹」で有名な虎屋は、事業の淵源は鎌倉時代の仁
    治2(1241)年に遡る。以来、御所の御用を勤めてきたが、歴代
    の当主はそのことを誇りに思い、その名誉を汚すことなく家業
    を続けていくことを最高の経営方針としてきた。

     当代の黒川光博氏は、戦国末期の虎屋中興の祖・黒川円仲か
    ら数えて17代目に当たる。光博氏は、自分の使命は「いいも
    のを作ってお客様に喜んでいただく」ことはもちろんだが、虎
    屋として「和菓子の頂点を極めていきたい」と言う。

         伝統は革新を連続させることにあると思います。伝統の
        中のいいものを残し、一方で新しい風を起こすことが大事
        ではないか。それを言葉でなく、具体的な経営の中に見い
        だし、変革していくことが、むしろ伝統を守ることになる
        と思うのです。[p.147]

    「和菓子の頂点を極める」ためにも、常に新しい工夫を加えて
    いかねばならない。その革新の積み重ねが伝統を形成する。

     冒頭に紹介したチョーギンの第8代目・小林一雄氏は「老舗
    の新店」という言葉を使う。

        「老舗の新店」とは、自分の好きな言葉です。長く続いて
        いくためには、その時代その時代にあった新しい店を作っ
        ていかなければならないということ。世の中の変化への対
        応が必要だからです。代々もそれに苦労してきた。[p.126]

    「買い手よし、世間よし」を長く続けるには、買い手と世間と
    の変化に対応して、不断の革新を続けていかねばならないので
    ある。

     そう言えば、わが国自体も現代国際社会におけるダントツの
    老舗と言えよう。淵源ははるか神話時代に遡り、当主にあたる
    今上陛下はなんと125代。その老舗が携帯やらデジカメやら
    のハイテクで世界をリードしている。「老舗の新店」とはわが
    国の国柄にも言えるようだ。

     われわれ現在の日本国民も超老舗国家の駅伝選手として、心
    に暖簾を懸けて、走り続けねばなるまい。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(251) 花のお江戸の市場経済
    日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済シス
   テムの経験が組み込まれている。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 舟橋晴雄、「新日本永代蔵 企業永続の法則」★★★、
   日経BP社、H15

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