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■■ Japan On the Globe(340)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

    人物探訪:松永安左ヱ衛門 〜 自主独立と民営化の精神

              電力事業の民営化を推し進め、戦後復興の基盤を
             作った「電力の鬼」。
■■■■ H16.04.18 ■■ 34,042 Copies ■■ 1,146,726 Views■

■1.日本は安定高品質の電力が得られる珍しい国■

     先日、インドネシアのある地方都市に滞在していた時のこと
    である。夜中に突然、停電となり、ホテルの部屋が真っ暗になっ
    てしまった。エレベータに乗っている人はさぞ慌てたろうと思っ
    たが、あたりは何事もないように静かである。しばらくして電
    気はついたが、何のアナウンスもない。翌朝もまた同様の停電
    があった。どうやら、この程度の停電は日常茶飯事らしい。

     中国ではひどい電力不足で、生産工場に平日の一日は操業停
    止を命令する地域が増えている。先進国でも、アメリカでは昨
    年夏に送電設備の老朽化から大停電が発生し、6千万人が影響
    を蒙った事件は記憶に新しい。

     こうして見ると、日本は安定した電力が供給される、世界で
    も珍しい国なのである。年間停電時間で見ると日本の11分に
    対して米国は90分('97年)。電力料金も為替レートの影響を
    差し引いた購買力平価ベースでは、日本の方が2、3割安い。
    また単位発電量あたりの大気汚染物質は、二酸化硫黄(SO2)
    で米国の27分の1、窒素酸化物(NOx)で9分の1である。
    [1]

     しかも、この電力供給という公益事業が、かつての国鉄や現
    在の道路公団のように、数十兆円という膨大な借金を積み上げ
    るどころか、戦後すぐに分割民営化され、今は電力各社が多大
    の利益をあげて国庫に税金を納めている。我々にこんな素晴ら
    しい恩恵を残していってくれた人物こそ、松永安左ヱ衛門(や
    すざえもん)である。

■2.電力戦国時代の風雲児■

     松永は明治8(1875)年、長崎県壱岐の富裕な商家に生まれた。
    幼い頃から、広い世界に出たいと志した松永は15歳にして上
    京し、慶應義塾に入って、福沢諭吉の薫陶を受ける。福沢の独
    立自尊の信念に強い影響を受け、これが後に官僚統制や独占企
    業と戦う松永の姿勢を培うことになる。

     明治43(1910)年、35歳にして水力発電による電気供給を
    行う九州電気株式会社を設立し、取締役となった。それまでの
    電気会社は電信柱1本につき、30灯以上の申し込みがないと
    電線を引かないという規定を設けていたため、多くの地域が電
    化から取り残されていた。松永はこれを撤廃し、さらに料金を
    10ワット1円20銭から80銭に大幅値下げした。

     電力のようなネットワーク型事業では、売上げ規模が大きい
    ほど、効率が高まり、収益もあがる。松永はそれを見越して、
    徹底的な需要開拓を行ったのである。それは同時に今まで電化
    から取り残されていた人口過疎地域や、貧しい家庭にも電化の
    恩恵を行き渡らせることでもあった。

     大正3(1914)年、第一次大戦が勃発すると、日本は戦争特需
    で急速に工業化が進み、エネルギー需要も急増した。雨後の筍
    のように各地に電力会社が生まれ、その数は千を超えていたと
    言われる。松永は近畿、東海地方の群小電力会社を次々に統合
    して、大正11(1922)年には1府10県に供給する東邦電力を
    設立。まさに電力の戦国時代にあらわれた織田信長だった。名
    古屋では3万5千キロワットの最新鋭火力発電設備を米国から
    2台導入した。まだ米国でも稼働していない最新最大の設備だっ
    たので、ニューヨークタイムズ誌にも報道された。

     大正15(1926)年、東京での営業許可が下りると、松永は
    「良質、低廉、サービス」をモットーに猛烈な売り込みを開始
    した。打倒すべきは日本で最も古い伝統を持ち、規模も断然大
    きな「東京電灯」。政治と結託し、独占的利益を欲しいままに
    する東京電灯を嫌って、松永に肩入れする企業も少なくなかっ
    た。

■3.「統制経済をやる大政翼賛会は私の仇敵だよ」■

     1929(昭和4)年10月、アメリカに始まった大恐慌は、ほど
    なく日本を直撃し、労働者や農民の困窮が深まると、電力国営
    化論が盛んに論じられた。同じ基幹産業である鉄鋼は官営の八
    幡製鉄以来、国策に貢献してきたのに、電力では怪しげな資本
    家たちが国民を搾取している、というのである。第一次近衛内
    閣で、電力国家管理案が検討され始めると、松永は近衛首相に
    詰め寄って言った。

         国家が要求しているのは電力というエネルギーでしょう。
        事業ではないはずです。軍部や官僚は国家主義のイデオロ
        ギーにとらわれている。あのような主張に押し切られるよ
        うでは政治家としてまことに頼りがない。ここはひとつ毅
        然たるところを示してほしいのです。[1,p234]

    「分かりました」と言う近衛ののっぺりとした顔を、松永は心
    もとない思いで眺めた。およそ20年前、松永はパリで近衛と
    連れだって娼家に遊びに行ったことがある。明日もまた来るか
    ら、と約束して、松永が翌日行くと、近衛は来ていない。近衛
    にすっぽかされた女は、日本人は信用できない、と松永に怒り
    をぶちまけた。後で松永が近衛に理由を聞くと、別の女の所に
    行っていたという。松永はこれで近衛という男の正体を知った。

     昭和14年4月、電力管理法による日本発送電株式会社が誕
    生。発電と送電を一手に独占する国営会社である。松永はこれ
    に一切協力しない方針をとり、東邦電力からは役員を一人も出
    すな、と厳命した。

     挙国一致体制を確立したい近衛は、松永に大蔵大臣への就任
    を打診したが、にべもなく断られた。あきらめずに「それでは、
    大政翼賛会に入って、指導していただけないか」と粘ると、
    「なおさらいやだ。統制経済をやる大政翼賛会は私の仇敵だよ」

     松永は武蔵野の雑木林の奥に隠棲してしまった。

■4.「今度は、電力会社を真面目な私企業にするつもりだ。」■

     敗戦の日、すっくと立ち上がった松永は、こう言い放った。
    「さあ、これからは、僕がアメリカと戦争する番だ。」 しか
    し、戦う相手はアメリカだけではなかった。

     戦災により国民総生産は10年前の60%前後にまで落ち込
    んでおり、その復興のために深刻な電力不足をどうするかが、
    緊急の課題となっていた。同時に戦後の電力供給体制をどうす
    るのかが政治問題として浮上していた。昭和24年の秋、電気
    事業再編成審議会が発足し、74歳の松永が委員長に引っ張り
    出された。

     日本発送電は今までの発電・送電の一社独占を維持したまま、
    さらに配電事業まで吸収した形で民営化する、という案を打ち
    出した。同社の戦闘的な労働組合は、すべてを国有化する「電
    力民主化案」を作成し、社会党と共産党もこれに賛同した。ほ
    とんどの官僚や政治家も一度、握った統制権力を手放すまいと、
    一社独占の案に賛成だった。戦前の経済統制も、戦後の社会主
    義も、根は同じなのである。

     審議会では、松永はただ一人、電力会社の9分割案を主張し
    て、他の委員と対立した。「自由放任主義というのは、一昔前
    の経済で、今は国が民間への介入を強めている時代です」とい
    う意見に、松永は、

         いまが変なのだよ。戦前の民間経営の時代には競争を通
        じて血の出るような経営努力がされていた。今度は、電力
        会社を真面目な私企業にするつもりだ。[2,p289]

     今でこそ国営独占企業の非効率が明らかになり、民営化が当
    たり前の世の中になったが、当時は英国の労働党政権が主要産
    業を次々と国有化しつつあり、国内でも社会党や共産党が全盛
    の時代だった。松永の先見性についていく人は少なかった。

■5.「自分の手柄などどうでもいい」■

     一方、占領軍総司令部(GHQ)では、州単位で電力供給するア
    メリカの方式を下敷きにして電力会社を地域毎に9分割し、さ
    らに各社に電力供給する発電専門の会社を作る案を考えていた。
    松永はこれでは独占が残ると何度もGHQに足を運び、根気よ
    く説明したが、担当官も頑固で自説を曲げなかった。

     親しい人が、GHQ案に「そろそろ賛成したらどうですか。
    委員長としての手柄になりますよ」と忠告すると、松永は怒っ
    た。

         馬鹿者! 電力事業をいびつにしてもいいのか。電力事
        業は日本復興の原動力なんだ。親方日の丸のすねかじりや、
        権威主義は打破しなければ、どうなる。電力会社が自力で
        立ち上がらないことには、復興などできはしない。合理性
        や近代性に欠ける案はうけいれるわけにはいかない。自分
        の手柄などどうでもいい。[2,p286]

     日本の自主独立のためには、電力会社の自主独立が必要であ
    り、そのためには自由市場競争がかかせないという松永の主張
    は、まさに福沢諭吉の精神そのものである。

■6.宰相の器■

     結局、審議会は松永一人の抵抗で両論併記という異例の結論
    となった。その直後、池田勇人が通産大臣兼大蔵大臣に就任し
    た。松永はすぐさま官邸を訪れて、大きな青写真や計算書を拡
    げて、数字を縦横に使いながら、自分の考えを説明した。

         私は商売人ですから、どうやって儲ければよいのか知っ
        ています。しかし、今の私はもう商売をして儲けようとは
        思っていません。その代わり、国を儲けさせて、国民全部
        に良い生活をしてもらいたい。国を儲けさせるくらいのこ
        とは、私から見れば簡単なことです。そのために必要なの
        が私の主張する電力再編案です。

     76歳の老人が、情熱を込めて説明する。言っていることも
    筋が通っている。これは人物かもしれない、と池田は直感した。
    「よろしい。あなたの案で行きましょう。私にお任せください」
    と決断した。

     この決断に松永も宰相の器を見出した。以来、池田は松永を
    父親のように慕い、松永は池田政権の発足時には物心両面から
    力を貸した。この池田政権が天才エコノミスト下村治の描いた
    「所得倍増計画」を実行し、日本に高度成長をもたらす。[a]

■7.「電力の鬼・松永を倒せ」■

     池田は松永案を「電気事業再編法案」などにまとめ、国会に
    提出した。しかし、日本発送電は様々なコネをたどって政財界
    有力者に反対工作を行った。その労働組合も10万余の組合員
    を動員して停電ストライキをうち、赤旗を掲げて「電力の鬼・
    松永を倒せ」と叫びながら各地でデモを行った。主婦連も「民
    営化されれば、資本家達は大幅値上げして私たち庶民を搾取す
    る」とシャモジを突き上げて反対した。松永はそういう主婦連
    幹部の集まりにも顔を出して、自説を説明して廻った。

     財界からも反対されて四面楚歌となった松永は、ひるむどこ
    ろか、新聞や雑誌のコラムでこう経営者たちを痛罵した。

         統制経済の害悪は経営者に耳だけを持たせ、目も口もな
        い人間にしてしまった。まるで自主性がない。つねられて
        も痛いとは言ってはいかんという性格になっており、この
        石頭を破らなければ世の中は良くならぬ。[2,p297]

     しかし昭和25(1950)年5月、法案は審議未了となり、廃案
    が確定した。与野党は次の国会に向けて、共同で新しい法案の
    用意を始めた。

■8.「ミスター松永、私はあなたに負けた」■

     万事休す、と見えたこの時に、思わぬ援軍が現れた。GHQ
    のケネディ顧問である。ケネディはオハイオの電力会社の会長
    で、電力再編の顧問としてGHQに招かれていたのである。松
    永はケネディにも頻繁に会って自説を説き、ケネディも敗戦国
    民だからといってぺこぺこしない松永に好感を持っていた。

         ミスター松永、私はあなたに負けた。あなたの案は現実
        に即している。電力会社に自主独立を求めるあなたの案は
        本物だ。9ブロック案でいきましょう。私も大いに力にな
        るつもりです。

     ケネディの判断によって、GHQはにわかに松永に友好的と
    なった。頑固に自説を曲げなかった担当官も「あなたの熱心さ
    には敬服しました」とシャッポを脱いだ。

     10月、マッカーサー元帥は吉田首相あてに「松永案による
    電力再編を実施せよ」との政令を出した。連合国最高司令官の
    特別命令では、占領下の日本政府は拒否できない。12月には
    地域別に発電から送電・配電までを一貫して行う民営9社と、
    通産省から独立してこれらを統轄する公益事業委員会の発足が
    決まった。今日の電力供給体制がここに固まったのである。

■9.「死んで仏となりて返さん」■

     しかし、松永の戦いはまだ終わってなかった。分割解体となっ
    た日本発送電は少しでも勢力を温存しようと、自社の人間を民
    営9社のトップに送り込もうとする。それではせっかくの自主
    独立の体制も骨抜きになってしまうと、松永は公益事業委員会
    の中で頑強に抵抗し、自主独立の精神を持つ人物を起用しよう
    とした。

     その一人に京阪神急行(阪急電鉄の前身)社長だった太田垣
    士郎がいる。太田垣は国会の公聴会で「経営責任体制の確立」
    を主張して、松永案を熱烈に支持した数少ない人物の一人であ
    る。松永は太田垣に目をつけて、関西電力の社長に据えようと、
    阪急の創立者・小林一三に頼みこんだ。しかし小林は、太田垣
    は病弱で、新会社の難局に当たらせてはその命を奪いかねない
    と断った。松永はこう言い張った。

         今回の一件は国家の将来にも影響を与える大事なのだ。
        その事態の中で、仮に太田垣君の生命が奪われたとしても、
        それは男子の本懐の部類に属することだ。[2,p91]

     この言葉を小林から聞いた太田垣は「松永さんがそこまで言
    われるならば、自分の余生はなくなったものと覚悟して、やら
    せていただきます。」と答えた。

     松永は太田垣を関西電力の社長に据え、「クロヨン・ダム」
    (黒部川第4発電所)建設に踏み切らせた。人跡未踏の北アル
    プスの真ん中に、大発電所を建設しようという壮大なプロジェ
    クトである。日本の高度成長を担う電力供給体制はこうして築
    かれていった。

     松永は昭和46(1971)年6月16日、数え年97歳で死去。

        生きているうち鬼といわれても死んで仏となりて返さん

     松永安左ヱ衛門は「電力の鬼」と言われながら、こんな歌を
    笑顔で詠んだ。我々子孫のために獅子奮迅の働きをして、素晴
    らしい遺産を残してくれた松永は、まさに仏様である。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(103) 下村治
    高度成長のシナリオ・ライター。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 矢島正之、「日本経済の効率性と回復策に関する研究会(2) 
   報告書 第6章」、財務総合政策研究所、H13
2. 水木楊、「爽やかなる熱情 電力王・松永安左ヱ衛門の生涯」
   ★★★、日経ビジネス文庫、H16
3. 浅川博忠、「電力会社を九つに割った男 民営化の鬼、松永
   安左ヱ衛門」★★、講談社文庫、H12

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「松永安左ヱ衛門 〜 自主独立と民営化の精神」について

                                                 環さんより
     松永安左ヱ衛門氏の話はかねてから日経などの記事で承知し
    ておりましたが、

         今回の一件は国家の将来にも影響を与える大事なのだ。
        その事態の中で、仮に太田垣君の生命が奪われたとしても、
        それは男子の本懐の部類に属することだ。[2,p91]

     のくだり、思わず息をのみました。それは日本の将来を具体
    的に見据え、人に使命を与えることなのです。これだけのこと
    が言える政財界人がいまの日本に居りますでしょうか。これだ
    けのことが言える指導者がいれば「失われた10年」なんか存
    在しなかったと思います。

     日本の戦後教育ではなぜか現代史についてはほとんどふれま
    せん。でも松永翁のことは歴史なり、国語なり、道徳の教科書
    で登場させるべきです。他人の命についても「男子の本懐」と
    言い切れるこの自信、そして見通し、改めて深く頭を下げます。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     松永翁のような偉人が、ごろごろしている所に、日本の歴史
    の素晴らしさ、有り難さを感じます。 

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