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■■ Japan On the Globe(360)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

             Common Sense: 金メダル以上の幸せ

          レスリング浜口京子選手は「国民のみなさんとともに
         金メダルへ向かってともに戦えたことが幸せ」と語った。
■■■■ H16.09.05 ■■ 32,812 Copies ■■ 1,291,829 Views■

■1.「楽しむために来たわけじゃないんで、私は」■

     アテネオリンピックに初出場した卓球の福原愛ちゃん。初戦
    では0−2から大逆転を演じてみせ、3回戦では世界ランク上
    位をストレートで破ったが、4回戦で惜しくも敗退。敗戦後に
    記者から「楽しめましたか」と聞かれて、「楽しむために来た
    わけじゃないんで、私は」と応じた。

     こんな質問が出たのには理由がある。80年代後半から90
    年代にかけて選手たちの間で「五輪を楽しみたい」という言葉
    が流行したからだ。筆者自身、この言葉に非常な違和感を覚え
    たのを今でも思い出す。国家を代表して、国費でオリンピック
    に派遣される以上、「国民の期待に応えられるよう頑張ります」
    というのが筋ではないか。それを「楽しみたい」などと、個人
    的な次元でしか捉えない所に、どこかおかしい、と感じたもの
    だった。

    「五輪を楽しみたい」という言葉が流行した80年代後半から
    90年代は、日本のメダル数も低迷した。

           大 会            金 銀 銅 計
        '64  東京           16   5   8  29
        '68  メキシコ       11   7   7  25
        '72  ミュンヘン     13   8   8  29
        '76  モントリオール  9   6  10  25
        '80  モスクワ       --- 不参加 ---
        '84  ロサンゼルス   10   8  14  32
        '88  ソウル          4   3   7  14
        '92  バルセロナ      3   8  11  22
        '96  アトランタ      3   6   5  14
        '00  シドニー        5   8   5  18
        '04  アテネ         16   9  12  37

     84年のロサンゼルス大会までは、金を10個前後とっていた
    のに、88年のソウル大会以降は3〜5個と激減した。合計のメ
    ダル数も半分ほどになった。

     その長期低迷から脱したのが、今回のアテネである。初出場
    の愛ちゃんは15歳ながら、勝負にかける真剣な表情は、まさ
    に勝負師の感があった。そんな愛ちゃんの「楽しむために来た
    わけじゃない」という言葉に、日本選手全体の変化が象徴され
    ているような気がする。

■2.「田村で金、谷でも金」■

     金メダルラッシュの先陣役を果たした柔道のやわらちゃん、
    こと谷亮子選手。「田村で金、谷でも金」と結婚して夫の姓で
    の連覇を目指した。まさに金メダルをとるためにアテネに来た
    のである。そして公約通り、金をとった。

         勝利の瞬間、両手を合わせ、祈るようなしぐさを見せた。
        観客席の最前列まで駆け下りた夫の野球日本代表、佳知選
        手(31)(オリックス)が「亮子っ」と大声で叫んでい
        るのに気付くと、両手をぐっと握り、ガッツポーズを繰り
        返す。佳知選手が身を乗り出して、「足、大丈夫か」と聞
        くと、両目をみるみる潤ませ、「大丈夫」と答えた。

         谷選手は、試合後のインタビューで、「シドニーの時よ
        りも何倍もうれしい」と声を詰まらせた。佳知選手も一緒
        に観戦していた野球日本代表の仲間から「おめでとう」と
        祝福され、「彼女にとって最高の大会になった」とおえつ
        した。[1]

■3.「たくさんの方の応援を力に変えることができた」■

     試合後のインタビューでは、「決勝戦は最初からどんどん攻
    めていきましたね」と記者に聞かれて、

         オリンピック連覇という夢に向かって一生懸命練習した
        ので、それを発揮できました。

    「だんなさんにどう報告しますか」という記者の問いには、

         本当にあらゆる面で応援してくれました。谷亮子として
        オリンピックチャンピオンになれてうれしく思います。

    「直前には足を痛めたが」と水を向けられると、

         いろいろと父(田村勝美さん)に治療をしてもらい、テ
        ーピングも工夫してもらった。一日一日が真剣勝負だった
        のでいい報告ができます。

     そして、勝因としては、

         たくさんの方の応援と、その応援を力に変えることがで
        きたことが勝因になりました。[2]

     こう語る谷選手も「楽しむために来たわけじゃない」という
    愛ちゃんの言葉に心底から共感するだろう。オリンピック連覇
    という夢を掲げ、それを応援し、支えてくれる両親や夫、そし
    てたくさんの人々の期待に応えるために、彼女はアテネにやっ
    て来たのである。

■4.「この屈辱、悔しさはいまだかつて味わったことがない」■

    「楽しむために来たわけじゃない」とは、他の多くの選手も同
    感だろう。谷に続いてオリンピック3連覇を果たした柔道男子
    60キロ級の野村忠宏選手、「金が似合うのはおれや」と豪語
    して、それをそのまま実現した。

     もちろん金メダルを狙いながら、それが叶わなかった選手も
    いる。柔道男子100キロ級の井上康生選手は、世界選手権三
    連覇を果たし、五輪での二連覇を目指した。ところが準決勝を
    前にした四回戦で、背負い投げでのまさかの一本負け。敗者復
    活戦でも一本負けを喫し、銅メダルにさえ届かなかった。

     報道陣には「この屈辱、悔しさはいまだかつて味わったこと
    がない」と語った。いかにも武道家らしい潔い言である。金メ
    ダルを取るという目標があるからこそ、失敗した時の「屈辱、
    悔しさ」は人一倍のものがある。

     実は五輪3連覇を果たした野村選手も、昨年の世界選手権で
    は3回戦で散々ポイントを奪った末に息切れして逆転負けして
    いる。「あんな舞台でみじめな思いをして。精いっぱいやった
    けど負けた、じゃ納得できない」と、以後、練習時間の短さで
    知られていた天才・野村が、柔道漬けの生活を始めた。「金が
    似合うのはおれや」との豪語の陰には、こういう意地があった。

     金メダルを目指しているからこそ、猛練習に打ち込み、勝っ
    ては心底から喜び、負けては身体一杯に悔しさを漲らせる。そ
    ういう真剣勝負が我々を感動させるのである。その喜びも悔し
    さも「五輪を楽しみたい」という傍観者的な「楽しみ」とはまっ
    たく別次元のものである。

■5.親子、姉妹、そしてライバルとともに■

     谷亮子選手の「人々の応援を力にした」という点もまた、今
    回のアテネ五輪の多くの選手に見られた共通点である。

     女子レスリングの浜口京子選手は、勝利を確実視されながら
    準決勝で敗れ、茫然とした表情がテレビ画面で大きく映し出さ
    れた。しかし、父アニマル浜口さんや母親の励ましに気を取り
    直し、3位決定戦で全力勝負して銅メダルを獲得。まぶたを大
    きく腫らしながら、父親と抱き合って喜ぶ姿は感動を呼んだ。

    「人生の中で金メダル以上のものを教えてもらった」と笑顔で
    銅メダルを掲げた。「金メダル以上のもの」とは、応援してく
    れる両親はじめ多くの人々との一体感ではなかったか。

     48キロ級の伊調千春(いちょうちはる)選手と63キロ級
    の伊調馨(かおり)選手は姉妹で金メダルに挑戦した。姉の千
    春選手は惜しくも決勝で判定負け。「延長でポイントを取らな
    いと負けるのは分かっていた。自分の勇気のなさで金から銀に
    変わった。」 そういう姉から「勇気を持て」と励まされた妹
    の馨は、その言葉を力にして決勝で勝利を収めた。

     55キロ級の吉田沙保里選手は、世界選手権V3の山本聖子
    を破ってのオリンピック出場だった。2人の戦いで代表切符を
    獲得するのは、アテネで優勝するより難しいといわれた。その
    山本を破っての五輪出場に「絶対に聖子ちゃんのために金メダ
    ルを獲る」と誓った。そしてその誓い通り、決勝では相手に付
    け入るすきを与えず、6―0の完勝を納めた。

    「五輪を楽しみたい」では一人ぽっちの「楽しみ」だが、これ
    らの選手たちは、応援してくれる人々に支えられ、それらの人
    々のためにも頑張ろう、という姿勢がある。

■6.地元の大応援■

     平泳ぎ百メートル、二百メートルで金メダル2個を獲得した
    北島康介選手。「チョー気持ちいい」などという言葉から、新
    人類の典型のように誤解される面もあったが、勝利後のコメン
    トを聞いていると、思慮深い青年であることが窺われた。

     北島選手が勝因として挙げたのは、水泳選手団のチームワー
    クだ。大会前の日本チームの合宿はスタッフも含めて強制参加
    だった。3大会連続出場の山本貴司が主将としてチームをまと
    め、コーチ陣は所属チームの垣根を越えて協力態勢をつくった。
    水泳は個人競技だが、選手どうしの励まし合いが大きな支えと
    なったと、北島選手は語った。

     応援ははるか地球の裏側の日本からもやって来た。北島選手
    の地元、東京都荒川区では、四百人以上が大型スクリーンの前
    で、「チャチャチャ康介」などと声援を送った。

         会場では、北島の実家の精肉店が揚げたメンチカツ二百
        五十個が無料配布され、十分もかからずになくなった。最
        後の一個を手に入れた遠藤愛子さん(六一)は「このメン
        チカツには北島家の勝利の執念がつまっている」とほおばっ
        た。

         アテネで応援している区民応援団の小野沢幸雄団長と藤
        沢志光区長からは国際電話が入り、プールサイドの様子を
        リポート。小野沢団長は「とても暑いが、応援団はみんな
        顔にペインティングをして、そろいのTシャツ、うちわで
        応援している。荒川の声援をアテネの北島に伝えます」と
        力強く話した。[3]

     家族や仲間、郷土、その延長線上にあるのが、祖国である。
    北島選手はスタート前、胸の日の丸に手を当てて競技に臨み、
    表彰台では誇らしげに君が代を口ずさんだ。女子八百メートル
    自由形で優勝した柴田亜衣選手はコーチ陣から手渡された日の
    丸の扇子をスタンドに向けて振り、表彰後のインタビューで、
    「日の丸を見て、君が代を聞き、感激した」と語った。

■7.メダル低迷と反日・自虐・ゆとり教育■

     テレビで見ていても、スタンドで打ち振られる無数の色鮮や
    かな日の丸が目立った。応援する人々は日の丸の鉢巻きに頬に
    は日の丸ペイント。まさに日の丸の洪水だった。ほんの数年前
    まで日の丸はアジア侵略の象徴だとか、君が代は天皇制賛美だ、
    などと反対していた人々がいて、わざわざ「国旗及び国歌に関
    する法律」まで作られたのが嘘のようだ。

     1988年のソウル大会から2000年のシドニー大会まで、日本の
    メダル数が大きく低迷していた時期は、同時に反日・自虐教育、
    ゆとり教育がピークを迎えていた時期でもあった。

     朝日新聞が「教科書検定で侵略を進出と書き換えさせた」と
    の虚報で中韓からの抗議を招き、教科書検定基準に「近隣諸国
    条項」が設けられたのが昭和57(1982)年。以降、教科書に
    「侵略」の文字が氾濫するようになる。[b]

     昭和60(1985)年には中曽根首相の靖国参拝を中国が批判し、
    これに屈して以降、歴代首相は靖国参拝を遠慮するようになっ
    た。[c]

     平成4(1992)年には、朝日新聞が「慰安所、軍関与示す資料」
    と、さも日本軍が慰安婦を強制徴集したかの如く見せかける記
    事を発表して、韓国内で反日デモを起こさせ、翌年、事実解明
    もないまま謝罪した河野談話が発表される。以後、慰安婦問題
    の記述が多くの歴史教科書に取りあげられるようになる。[d]

     一方、この年には、ゆとり教育の推進者・文部省の職業教育
    課長だった寺脇研が、偏差値教育反対の立場から、中学の業者
    テスト追放の旗振り役を務め「ミスター偏差値」の異名を得た。
    [e]

■8.縛られた選手たち■

     こうして反日・自虐教育とゆとり教育がピークに達する中で、
    当時のオリンピック選手たちは、国民のために頑張るなどとい
    う意識を持てなくなった。同時に、メダルのために頑張ること
    は「ゆとり」のない「ダサイ」ことだという風潮に染まった。

     メダル獲得という夢を公言することが憚られ、応援してくれ
    る国民のために頑張るという道もふさがれた選手たちが逃げ込
    んだ先が「オリンピックを楽しみたい」という閉ざされた「個」
    の世界だったのである。

     そういう呪縛の中で本来の実力を出し切れずに、あと一歩の
    所でメダルを逃した選手が多かった。互いに世界最高度の技を
    競うオリンピックでは、最後の勝負を決めるのは、勝利への執
    念であり、応援してくれる人のために、郷土のために、そして
    国民のためにメダルをとろう、という集中力の差なのである。

■9.「金メダル以上の喜びをありがとうございました」■

     こうした反日・自虐教育への反発が出てきて、平成13
    (2001)年には「新しい歴史教科書」が登場する。また平成14
    (2002)年には、ゆとり教育による学力低下の危機感が国民の間
    に高まり、文科省も「ゆとり教育が『ゆるみ』になっている」
    (小野元之・文部科学省次官)と軌道修正を始める。

     ようやく反日・自虐教育とゆとり教育の呪縛が解けて、今回
    の選手たちは、メダルをとる事を自分の夢とし、応援してくれ
    る家族・郷土・国民のために頑張る、という姿勢を当然のよう
    に示すようになった。8月31日に帰国した浜口京子選手は、
    記者会見でこう語った。

         国民のみなさんとともに金メダルへ向かってともに戦え
        たことが幸せ。金メダル以上の喜びをありがとうございま
        した。

     金メダルに向かって、家族・郷土・国民の声援を受けて「と
    もに戦うことが幸せ」であり、「金メダル以上の喜び」なので
    ある。アテネ・オリンピックでは、国民が一つの夢に向かって
    一体となることの大切さ、幸せを知った。金メダルを取れば選
    手と共に喜び、取れなければ共に悔しがる、そういうかけがえ
    のない一体感を味わえた。

    「金メダル以上の喜びをありがとうございました」とは、アテ
    ネで頑張った選手たちに我々国民がお返ししたい言葉でもある。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(026) オリンピックでの国旗掲揚
    ソウル五輪の陸上競技で星条旗が掲揚されたとき、スタジア
   ムの観客の中で起立しなかったのは日本から卒業旅行に来てい
   た高校の生徒と先生だけだった。
b. JOG(044) 虚に吠えたマスコミ
    教科書事件での中国と朝日の連携
c. JOG(356) 作られた「反日」
    サッカー場の過激な「反日ファン」は、江沢民政権の歴史教
   育とマスコミ統制が作った。
d. JOG(131)  学力崩壊が階級社会を招く
    「結果の平等」思想は、貧しい家庭の子どもたちの自己実現
   の機会を奪い、愚民として平等化することである

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 読売新聞、「アテネ五輪 亮子万歳!「谷でも金」
  「足、大丈夫か」夫の声に涙」、H16.08.15
2. 産経新聞、「【アテネ五輪】「谷で金」喜び倍々
    谷の一問一答」H16.08.15
3. 産経新聞、「【アテネ五輪】北島、伝説超えた 
   「めちゃくちゃハッピー」」、H16.08.19

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「金メダル以上の幸せ」について
                                           ケンイチさんより
     私は現在、中米のエルサルバドルで、青年海外協力隊の活動
    をしています。国立の工業高校に配属され、技術指導、授業の
    改善などを行なっています。こちらに着いてから、はや9ヶ月
    が経過し、祖国へ帰れるのは1年3ヵ月後です。

     今回の「金メダル以上の幸せ」、出場選手の心境を思いなが
    ら、久しぶりに生の日本人の心に触れた思いで、読んでいるあ
    いだ中、感動して涙が止まりませんでした。本当に、魂を揺さ
    ぶられる思いでした。

     自分でも何故、ここまで感動するんだろうと不思議に思い考
    えてみると、これまで、ずっとエルサルバドルの人々に接して
    きて、忘れかけた感情が一気に噴出したのだと思います。エル
    サルバドルの国民には、世界でメダルをこんなに取るのは難し
    いと思います。それは途上国だからというのではなく、国が小
    さいからというのでもなく、魂の違いだと思うからです。

     この国では、縦社会が非常に強く、上からの命令は絶対で、
    下にいる人は上に対して、意見すら言うことをしません。個人
    の殻の外は、何にでも契約がつきまとい、生活で相手の気持ち
    を汲んだり、思いを馳せようなどということはなく、個人がば
    らばらに生きているような気がします。一歩家から外へ出ると、
    犯罪だらけで自分の身は自分で守るしかない。優秀な人は海外
    へ出て行き、成功すれば、もう国には戻ってきません。いくら
    援助しても発展できないのは、ここにあると感じています。

     それに対して、日本は塊だと感じます。島国であり、長い歴
    史、独自の文化。日本の強さの秘密は、精神力しかないと思い
    ます。そして、アテネオリンピックのメダル獲得までの過程は、
    今、日本でかかえている多くの問題の解決の糸口になるように
    感じます。私は祖国日本が好きです。今回、その思いを新たに、
    強くしました。

    【伊勢雅臣: 日本の強さも幸せも、国民が同胞感を持ってい
    る所から来ているのでしょうね。】

                                             みやこさんより
     快勝に次ぐ快勝で、今回のオリンピックは本当に面白かった
    ですね。こんなに日本人が金メダルを取ったのに、昼間の録画
    放送で、日の丸掲揚を観ることは全くありませんでした。(表
    彰台で選手が首にメダルをかけてもらって終わり)

     でも、選手も、応援の人達も、日の丸を精一杯アピールして
    いるのが、どんなに情報操作されても、ひしひしと伝わり、心
    が熱くなりました。

    「金メダル以上の幸せ」を読んで、共感することがたくさんあ
    りました。しかし、「オリンピックを楽しみたい」という選手
    の発言については、異論があります。山本貴司選手(バタフラ
    イ銀)が帰国後、ワイドスクランブルに出演され、レースの前
    に奥さん(千葉すず)に電話をしたら、「楽しんでおいで」と
    言われてリラックスできたと言いました。すると、北野教授が
    「最近の人はいいね。日の丸を背負ってなんて暗いイメージじゃ
    なくて」と言ったのですが、山本選手はすぐに、「いいえ! 
    その中にもです!! 僕達は白地に赤の日の丸をいつも背負っ
    て、応援している人のことも常に思っていて、その中にも、で
    す。その中にも楽しみを見付けているんです」と切り返したの
    です。

    【伊勢雅臣:こういう「楽しみ」なら、本物です。】

                                             ハマダさんより
    「今回のオリンピック選手達、表彰式後や帰国後のコメントに
    『国民(の皆さん)』という言葉が多いような気がするけど、
    気のせい?」

    「気のせいじゃないよ。ほんの6年前、スケートの某選手は 
    言いかけた『国民』を『ファンの皆様』に慌てて言い換えてい
    たよ」

     先日、友人とこのような会話を交わしたばかりです。同じよ
    うに日の丸を着けて競技に臨むのに、あの頃の選手達とアテネ
    の選手達とではどうしてこうも違うのだろうと思いました。選
    手達というより、国内の風潮の違いが大きかったのですね。

     堂々と「祖国」を背負えることの幸せと、もう一つ、多くの
    日本人が感動したであろう要素は「家族」だったと思います。

     産経新聞でも「厳父」の存在が取り上げられていましたが、
    例えば伊勢様も取り上げられた浜口京子選手。アニマル浜口さ
    んは、大会中はひたすら京子さんを応援する優しいお父さんで
    したが、それはそれは厳しく京子さんを鍛え育てたそうです。
    そして時には父に怯える京子さんを優しく庇ってきたお母さん。
    「厳父」「慈母」が揃った家庭がどれほど幸せか、その典型の
    いくつかをアテネ五輪はあらためて日本人に見せてくれたと思
    います。

    「子供に嫌われるのがいやだなんて言う甘々な親は 子供に自
    立心が芽生えてきたら即、見捨てられちゃうよ。 だって”ご
    機嫌取り”が子供から尊敬されるはずないんだから」

     これは浜口親子の在り方に感動した同僚の言葉ですが、私は
    全面的に同意します。祖国を大事に思うことが当たり前になっ
    てきたように、家族の在り方もあるべき姿に戻っていけばいい
    と思います。

    【伊勢雅臣:立派な家族があってこそ、郷土や国も立派になる
    のですね。】

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