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        国柄探訪:「神話による国家主義」という神話

            「かつての日本では、天皇は神として礼拝されていた」
            というのは、事実だろうか?
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■1.「天皇は神の末裔であると教え込まれ」 ■

         金正日はほとんど神格化されているとはいえ、まだ「将
        軍さま」「首領さま」であって、神様ではない。誰も彼を
        神様とは呼ばないし、礼拝もしない。しかしかつての日本
        では、天皇は現人神とされ、神として礼拝されていたので
        ある。国民は、子どものときから、天皇は神の末裔である
        と教え込まれ、ことあるごとに儀式的礼拝が強制されてい
        たから、ほとんどの国民はそう信じ込んでいた。だから、
        あの戦争でも、多くの兵士が天皇陛下万歳を叫びながら天
        皇のために惜しげもなく命を捧げたのである。イスラム教
        徒が、ジハード(聖戦)が宣せられると、この戦争でアラ
        ーのために戦って死ねば天国に行けると信じて、平気で命
        を捨てるようなものである。[1,p17]

    「知の巨人」とも呼ばれるジャーナリスト立花隆の「私の東大
    論」の中の一節だが、ちょっと待てよと、考え込んでしまった。
    当時の日本は、世界最強の戦闘機・零戦や世界最大の戦艦・大
    和を作る科学技術力を持っていた。アジアで最初の近代憲法を
    制定し、戦時下でもきちんと議会が開かれていた。そんな近代
    的国民が、どうして一人の生きた人間を「神として礼拝」し、
    そのために「惜しげもなく命を捧げた」などという前近代的な
    事をしたというのだろう。

     さいわい、このあたりの史実を丹念に調べた「『現人神』
    『国家神道』という幻想」という研究書がある[1]。この本を
    頼りに、事実を探ってみよう。

■2.神話と特定の宗教色を避けた教育勅語■

    「現人神」神話による国家主義の始めとされるのが、明治23
    (1890)年に公布された教育勅語である。その書き出しはこうで
    ある。

         朕惟(オモ)フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠
        ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
        (私(明治天皇)が思うに、皇室の祖先は遠大な理想のも
        とに国家を創建し、深厚な徳を樹立した。弊誌現代語訳)。

     教育勅語の発布まもなく、文部省は東大教授・井上哲治郎に
    その解説書を執筆するよう依頼した。井上が作成した草案では、
    この「皇祖」とは「天照大神」であり、「皇宗」は「神武天皇」
    であるとされていた。

     これにクレームをつけたのが、教育勅語起草の中心者であっ
    た井上毅(こわし)であった。井上は皇祖とは「神武天皇」で
    あり、「皇宗」はその後の歴代の天皇である、と修正を要求し
    た。我が国の建国は天照大神という神話的存在ではなく、あく
    までも歴史的存在である神武天皇から説き始めるべきである、
    というのが井上の主張であった。

    「教育勅語」の起草に関して、首相の山県有朋に書き送った手
    紙にこう述べている。

         勅語ニハ敬天尊神等ノ語ヲ避ケザルベカラズ。何トナレ
        バ此等ノ語ハ忽チ宗旨上ノ争端ヲ引キ起スノ種子トナルベ
        シ
        (勅語には、天を敬うだとか、神を尊ぶなどという特定の
        宗教用語を避けるべきだ。なんとなれば、これらの語はた
        ちまち宗教的論争を引き起こす原因となるからである。)

     「教育」は、儒教、神道、仏教、キリスト教など、様々な宗
    教の対立を引き起こしてはならない。そう考えて、井上は宗教
    用語を注意深く避け、我が国の成立を神話でなく、神武天皇以
    来の歴史から説き起こそうとしたのである。

■3.信教の自由、言論の自由の尊重■

     井上の思惑は成功した。教育勅語発布の後、民間で様々な解
    説書が出されたが、そのなかには仏教やキリスト教の立場から
    のものもあった。たとえば、正教会の石川喜三郎は著書「勅語
    正教解」の中でこう述べている。

         みなこれ神造物主の深き神意に因らずんばあらざるなり。
        神我国に万世一系の皇統を定めて、その万民に幸福せるは
        実(げ)にこれ世界無比なることがらにして亦神恩の高大
        なるを認めざるべからず。

     すなわち、日本に万世一系の皇室が続いてきて、万民を幸福
    にしているという世界にも例のない事は、全知全能の神の深い
    思し召しによるもので、神の恩寵だ、としている。そしてその
    後では教育勅語の徳目を一つずつ、聖書の言葉を引用しながら
    説明し、これらを実践しない者はキリスト教徒ではない、とま
    で言っている。

     大日本帝国憲法は第二十八条に「信教ノ自由ヲ有ス」と謳っ
    ていた。そこで教育勅語は、こどもたちが将来、いずれの宗教
    を信ずることになろうとも、日本国民として備えて欲しい基本
    的徳目を説いたのである。

     井上はまた教育勅語の公表の形式にも慎重な配慮をするよう
    主張した。大日本帝国憲法は第二十九条において「言論著作印
    行集会及結社ノ自由ヲ有ス」と思想・言論の自由を認めている。
    そこで教育勅語は国務上の文書ではなく、天皇の著述という形
    で公表された。これなら国民の思想・言論の自由に干渉しない。

■4.「内村鑑三不敬事件」の真相■

     現代のあるホームページには、

         教育勅語に敬意を示さない者に対しては政府はそれを抑
        える強い態度に出た。その代表的な事件が教育勅語発布翌
        年早々の内村鑑三不敬事件である。

    などという記述があるが、このように国家主義的思想統制の代
    表事例として引用されるのが「内村鑑三不敬事件」である。

     明治24年1月9日、東京の第一高等学校の始業式にあたっ
    て、教育勅語奉読式が行われた。式場中央に「御真影」(天皇
    皇后のお写真)が掲げられ、その前面の卓上に「御親署(天皇
    が署名された)の勅語」が置かれていた。

     当日、欠勤していた校長に代わって、教頭が勅語を奉読し、
    以下、教員から生徒まで次々と登壇して「御親署の勅語」に
    「礼拝」することになった。これは教頭が新たに考え出した儀
    式だったようで、非常勤講師として出席していた内村鑑三は、
    勅語の内容には共感していたものの、偶像崇拝を禁じられてい
    るキリスト教徒として、少しだけ頭をさげて「敬礼」するにと
    どめた。

     この内村の態度に教師や生徒が怒り、一般ジャーナリズムも
    「不敬事件」として報じて、大事件になってしまった。事態を
    憂慮した校長が「お辞儀は天皇に対する礼拝ではなく、尊敬の
    表現である」と説明した所、「良心のとがめ」のなくなった内
    村は教育勅語に最敬礼することとしたが、病気が重かったので、
    友人の教授に代拝してもらった。しかし、これでは事態は収ま
    らず、ジャーナリズムが免職処分を求める主張を展開し、また
    内村の知らない所で辞職願が代筆され、依願解嘱となってしまっ
    た。

     しかし、「政府はそれを抑える強い態度に出た」などという
    のは事実ではなく、政府も警察もこの騒ぎにはまったく介入せ
    ずに、自由な論争を許していた。キリスト教徒の柏木義円など
    は、天皇は立憲君主であり、思想信条に介入することはできず、
    良心の自由を侵すことはかえって教育勅語の精神に反する、と
    堂々と主張していた。

     この事件は、言論の自由が保証された中でのあくまでも民間
    レベルの思想騒動だったのである。現代日本でも広島の高等学
    校の卒業式で国旗掲揚をしようとした校長が教職員組合の圧力
    で、自殺に追い込まれた事件があったが、こちらの方がよほど
    非文明的ではないか。[a]

■5.「皇室を中心とする家族のやうな国家」■

     教育において、特定の神話や宗教色を注意深く排除しながら、
    君民一体の歴史を通じて徳育を図る、という井上の方針は、現
    実の教育にも実践された。たとえば、大正10年の尋常小学校
    の修身用教科書ではこう書かれている。

         神武天皇の御即位の年から今日まで二千五百八十余年に
        なります。此の間、我が国は皇室を中心として、全国が一
        つの大きな家族のやうになつて栄えて来ました。御代々の
        天皇は我等臣民を子のやうにおいつくしみになり、我等臣
        民は祖先以来、天皇を親のやうにしたひ奉つて忠君愛国の
        道に尽くしました。世界に国は多うございますが、我が大
        日本帝国のやうに、万世一系の天皇をいただき皇室と国民
        が一体になつている国は外にございません。

     立花氏は「子どものときから、天皇は神の末裔であると教え
    込まれ」と言うが、それは昭和14年以降、戦争が間近に迫っ
    てからの事である。大正の頃までは、このように我が国の国柄
    を「皇室を中心とする家族のやうな国家」として描いていた。
    これなら理科など子どもの合理的思考を伸ばす教育とも矛盾せ
    ず、また仏教やキリスト教徒の家庭で育った子どもも違和感な
    く、基本的な徳目を学ぶことができたであろう。

■6.ソビエト共産主義の衝撃■

     このような合理的な教育が変質するのは、昭和に入ってソ連
    共産主義の脅威を受けるようになってからである。ソ連共産党
    は世界の共産革命を推進するためにコミンテルンを組織し、そ
    の日本支部として日本共産党が結成され、運動方針も資金もモ
    スクワから与えられて、昭和3年2月の第1回普通選挙では
    「天皇制打倒」を掲げて登場した。

     ソ連は、国内は政治警察で思想統制し、海外へは共産主義思
    想を輸出して世界革命を推進しようとしたので、欧米でもそれ
    に対抗すべく治安立法と政治警察が流行した。日本の治安維持
    法もその一環である。第1回普通選挙後に共産党員の全国一斉
    の摘発が行われたが、その中には東京帝大以下32校148名
    もの大学生が含まれていた。国家の将来を担うエリート層への
    共産主義の浸透ぶりは国内に衝撃を与えた。

     同時にソビエト革命のもう一つの影響として、陸軍や革新官
    僚の中には統制経済や全体主義の考え方が浸透していった。こ
    こから「天皇を中心とする国家社会主義」などという習合思想
    が生まれた。

     いずれにしろ、共産主義に対抗しうる思想体系の確立が必要
    だという考えが広まり、文部省を中心に「日本精神」や「国体」
    などをイデオロギーとして体系化する動きが始まった。

■7.「絶対神とか、全知全能の神とは異なり」■

     こうした動きの中で、文部省が昭和12年3月にまとめたの
    が、国家主義の宣伝書として悪名高き「国体の本義」である。
    その中で「現人神」については、こう説明されている。

         この現御神(あきつみかみ)或は現人神と申し奉るのは、
        所謂(いわゆる)絶対神とか、全知全能の神とは異なり、
        皇祖皇宗がその神裔(しんえい)であらせられる天皇に現
        れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣
        民・国土の生々発展にましまし、限りなき尊く畏(かしこ)
        き御方であることを示すのである。

     キリスト教やイスラム教の「絶対神とか、全知全能の神とは
    異なり」と明確に述べられている。同様のことが昭和14年の
    小学校の修身教科書ではこう教えられている。

         我等国民が神と仰ぎ奉る天皇は、天照大神の御裔であら
        せられ、常に天照大神の御心を御心として国をお治めにな
        られます。

■8.利己的な迷信ではなかった■

     この時期には、確かに立花氏の言うように「国民は、子ども
    のときから、天皇は神の末裔であると教え込まれ」たが、それ
    はキリスト教徒が唯一絶対神の子であるイエス・キリストを崇
    めるが如く、天皇崇拝を教え込まれていた、という事ではない。

     そもそも国民のほとんどは、まして子供たちはキリスト教的
    な唯一絶対神の概念などは持っていなかった。当時の子供たち
    にとっての「神」とは、村の鎮守の神であったり、各地の天満
    宮で祀られている学問の神様・菅原道真であったり、あるいは
    新しい所では乃木神社の軍神・乃木希典など、身近にたくさん
    いる神々であった。

     それらの八百万の神々の御本家が天照大神で、お天道様のよ
    うに国民に慈しみを降り注いでくれる神様であった。その末裔
    として、その御心を受け継いで、国民の安寧を祈られる尊い存
    在が天皇である。「神として崇める」とか、「現人神」という
    のは、そういう存在への感謝と畏敬を込めた言い方である。

     さらに立花氏は「イスラム教徒が、ジハード(聖戦)が宣せ
    られると、この戦争でアラーのために戦って死ねば天国に行け
    ると信じて、平気で命を捨てるように」「多くの兵士が天皇陛
    下万歳を叫びながら天皇のために惜しげもなく命を捧げたので
    ある」というが、それが事実かどうかは、弊誌で今までに紹介
    した特攻隊員の遺書を読めばすぐに分かることである。

     そこに見られるのは、家族を思い、国の行く末を案じて、我
    々子孫のために命を捧げようとした青年たちの自己犠牲の思い
    である。天皇のために死ねば天国に行ける、などという利己的
    な迷信ではなかった。[b]

■9.占領軍の創作した「神話」■

     終戦の翌昭和21(1946)年1月1日、昭和天皇は「昭和21年年
    頭の詔書」を発表された。そこには、占領軍の意向により、次
    のような一節が入れられた。

         朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによ
        りて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあら
        ず。天皇をもって現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国
        民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を
        支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにも
        あらず。

     この詔書は、マスコミによって「人間宣言」と呼ばれるよう
    になるが、この名称自体、「現人神神話による国家主義」とい
    う占領軍の創作した「神話」を信じ込んだ結果である。

     今日の歴史教育では、戦前の「国民は、子どものときから、
    天皇は神の末裔であると教え込まれ」と「教え込まれ」、「ほ
    とんどの国民はそう信じ込んでいた」と「信じ込んでいる。」
    そうした「迷信」を盲信して、事実も見ずに先祖を貶めるのは、
    文明国の国民のする事ではない。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(114) 恐怖と無法の広島公教育界
    「自分の選ぶ道がどこにもない」と言い残して校長は自殺し
   た。
b. JOG(306) 笑顔で往った若者たち
    ブラジル日系人の子弟が日本で最も驚いた事は、戦争に往っ
   た若者たちの気持ちだった。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 新田均、「『現人神』『国家神道』という幻想」★★★、
   PHP研究所、H15


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■「『神話による国家主義』という神話」について 

                                       「さいとう」さんより
     天下の公器マスコミですら、国体の本義から教育勅語まで、
    実は本当にはよく分かっていなかったこと。そして、世のイン
    テリといわれた人ほど、実態は「国内は思想・言論から政治ま
    で、統制」であった共産主義に本気で共鳴していたのは、大き
    な過ちでした。

     むしろ、愚民・大衆といわれる人たちの方が、そういう生半
    可な思考やいたずらな学問がない分、かえってよく物事の本質
    や正しい道を直覚できていたのではないでしょうか。

     いずれにしましても、今後の私たちは、本当の意味でのイン
    テリや識者、マスコミを養っていくことに努めなければならな
    いと痛切に感じます。

         (伊勢雅臣: マルクス主義など、外国の学問を直輸入
         していれば、学者としてやっていけたという時代は卒業
     して、自らの頭脳と胸中から湧き出るオリジナリティの
     ある学問の発展を期待します。)

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