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■■ Japan On the Globe(369)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

          Common Sense: 独立国家とコモン・センス
                〜 「国際派時事コラム」泉幸男氏との対話

             福沢諭吉曰く「独立の気力なき者は、国を思うこと
            深切ならず」。
■■■■ H16.11.07 ■■ 32,504 Copies ■■ 1,362,200 Views■

■1.バンコクのタイ料理レストランにて■

    「私は学生の頃、朝日新聞の記者になりたかったのです。」と
    思いもかけない言葉から、泉さんは話を始めた。

     所はバンコク中心街の高級ホテルにある静かで気品あるタイ
    料理レストラン。日が暮れて大きなガラス窓の外にはしゃれた
    小庭園の向こうに高層ビルの窓明かりが見える。前に座る泉さ
    んは、見るからに折り目正しい日本のエリート商社マンという
    趣き(実態もその通りなのだが)。一瞬、赤坂あたりにいるよ
    うな錯覚にとらわれる。しかし、その泉氏がタイ人のウェイタ
    ーにタイ語でなにやら注文する光景が、そんな錯覚を吹き飛ば
    す。

     泉幸男さんはメールマガジン「国際派時事コラム・商社マン
    に技あり!」[1]の著者である。深い洞察と機知に富んだ論評
    は、本誌の姉妹誌、「国際派日本人のための情報ファイル」
    (JOG Wing)に、何度も転載させていただいている。
    最近はバンコクで仕事をされているというので、私がタイに立
    ち寄ったのを機に、初めてお会いした次第である。

     国際常識豊かな泉さんのコラムから、まさか「朝日新聞の記
    者になりたかった」などという言葉を聞くとは予想だにしてい
    なかった。「国際非常識」を振りまく朝日新聞は、某実話系夕
    刊紙と同様、国際派ビジネスマンたる者が人前で手にすべき新
    聞ではない、というのが私の偏見だからである。

         学校時代は、毎日1時間半ほども、朝日新聞を読んでい
        ました。名コラムニストの深代惇郎さんや、ユニークな国
        際派記者の石弘之さんが活躍していたころですよ。大学は
        法学部で、卒業を前に朝日新聞社の入社試験を受けました
        が、今思えば幸いにも選に漏れました。就職先もないのに
        留年だけは絶対するなと親が言うので、教養学部に学士入
        学で入り直したんです。

     泉さんは卒業論文をロシア語で書かれたという。その外、エ
    スペラント語をマスターして、小学館の百科事典のエスペラン
    ト語の項目も執筆。さらに商社マンとして中国語やタイ語まで
    駆使するようになる。国際派ビジネスマンとはこういう人の事
    を言うのだろう。それがなぜ朝日を?

■2.「朝日的な常識」の非常識■

     商社に入っても朝日ファンだった。3年間北京に駐在し、帰
    国した翌年の平成2年、読むに堪えない天声人語が何度も続い
    て、百年の恋が冷めた。

    泉:  朝日新聞は、国が溶ろけていくのは良いことだと教え
         ていますが、その朝日が崇める中国では、逆に、国の枠
         組みを確立しようと一生懸命です。せっかく中国さまが
         教えてくれていることが、朝日には理解できないらしい。

     こういうワサビの効いた物言いは「国際派時事コラム」の語
    り口そのままである。その後、泉さんはアジアン・ウォールス
    トリート・ジャーナルで、国家のあり方を論じた骨太の論説の
    数々を読んで、ものの見方に自信をもったという。

    伊勢: やはり外国でしばらく暮らすと、日本の中の「朝日的
          な常識」が、実は非常に国際常識からはずれたものであ
          る、という事がよく分かるのではないでしょうか。私も
          4年間、カリフォルニアで暮らして、外から母国を見る
          と、日本というのは一種の温室で、その中でしか通用し
          ない非常識がずいぶんあるように思いました。

           ですから、外国に出て、異なる常識に身を浸してみる
          のが一番の特効薬だと思っています。たとえば、日教組
          で「朝日的」教育をしている先生方も、1、2年、海外
          留学でもさせれば、すぐに自分たちが教えてきたことが、
          いかに非常識だったか、実感できるでしょう。

    泉:  そうですね。典型的朝日記者も、中国の僻地でしばら
          く社会部記者をやれば、よく分かるでしょう。

■3.学校が教えない常識■

    泉:  私には娘がいますが、学校では国とは何か、という事
          をほとんど教えてくれない。せいぜい、古代国家ができ
          るとともに、人々は税金をとられて搾取されるようにな
          りました、という教えでしょう。

           ある時代には常識だったことが、一世代経つと、親の
          世代の常識が失われる。子供の世代は、昔の出来事を判
          断する座標軸がないままに、下手をすると巧妙な宣伝に
          騙されてしまう。そういう落とし穴がよくあります。

    伊勢: 朝日新聞などがふりまいた自虐史観は、その代表的な
          ものでしょう。まさしく日本と世界の常識が一番ずれて
          いるのが、その国家とは何のためにあるのか、という点
          ですね。戦後は朝日新聞のように「国家は悪い存在なの
          だから、溶ろけていくのが一番良い」という意見が罷り
          通ってきました。

    泉:  国家というのは、広く人々が受け入れる常識を確立し
          て、非常識がのさばらないようにする仕組を作るために
          あると思うのですよ。

     最後の一節は深い含蓄を含んでいて、こういう事をサラリと
    言う所に泉氏の持ち味があるのだが、この点は後で立ち戻って
    考えよう。

■4.「良き農村の感覚」■

    泉:  たとえば、日本の一部の政治家は、日本の良き農村の
          感覚を外交に持ち込み、全ての経緯を脇に置いて「ごめ
          んなさい」と言えば万事が終わると思っていました。私
          はこういう人を「悪辣」ならぬ「善辣なる人々」と呼ん
          でいます。謝罪が「終わり」ではなく、苦しみのはじま
          りだという事を知らなかった訳ですね。そして、「日本
          式の善辣なる常識」を相手に押しつけようした報いがず
          しりと来た。外交の世界の常識の線は、やはり英米の流
          儀でしょう。つまり、情報収集・分析を他人まかせにせ
          ず、歴史的経緯を絶対おろそかにしないことですよね。

     このあたりは、商社マンとしての体験がにじんでいるな、と
    思いつつ、伺っていた。政治家は謝罪して、国庫から金を払っ
    ても業績になるが、国際ビジネスの常識はそうではない。

    伊勢: そういう点では、「相手を信頼する」「謝れば水に流
          す」という日本人の「良き農村の感覚」は、実は世界の
          常識から数世紀進んでしまっているから「非常識」なの
          ではないか、と思います。江戸時代に立派な温室社会が
          できて、その中でお互いに信頼し、安心して生きていけ
          る、そんな暮らしを数世紀続けてきたからでしょう。

           現在の国際社会はそこまで進んでいないので、お互い
          を不信の目で見る所から始めなければなりません。そう
          いう国際社会に日本人が慣れる、という事には、一抹の
          寂しさがあります。田舎から出てきた人の良い青年が
          「良き農村の感覚」を棚上げして、騙し騙されの大都会
          に身を投じなければならない、というのと同じです。

           日本人は国家に対しても、実は内心の深い所では信頼
          をしている。だから国家に甘えて、国に守られつつ、国
          が溶けていく方が良い、などと虫の良い事を言っていら
          れるのでしょう。

    泉:  中国は社会主義国を看板にしていますから、所得再分
          配はしっかりやっているのだろうと思っていたら、そう
          ではない。ニューヨーク・タイムズ紙で中国・安徽(あ
          んき)省の農村ルポを読んだら、貧しい農村へ中央政府
          からの補助金はゼロ。村役場維持のために、極貧の農民
          からも容赦なく税金が徴収されると言う。驚きでした。

    伊勢: 昔の中国の地方の役人には、給料がでなかったと言
          います。自分でその土地から税金や賄賂を巻き上げて、
          収入としていたわけです。中国では、税金はまさしく国
          家による人民の搾取、収奪だった。だから中国人は内心
          では国家を信じていない。平気で国を捨てて、外国に出
          て行くという、一種の「国際感覚」もそこから来ていま
          す。日本人の「良き農村の感覚」とはまったく違います。

■5.福沢諭吉の闘い■

    泉:  福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、世の中の常識を説い
          た書物として、130年後の今日でも十分味読に耐えるも
          のですが、明治5年に刊行が始まってからしばらくは、
          当時のマスコミに相当叩かれました。明治7年になると、
          脅迫状まで舞い込み、身辺も危ないほどだったと福沢諭
          吉自身が書いています。

           そのような世間の反発に対して、福沢諭吉はひるむこ
          となく手をかえ品をかえて持論を説明する。そういう努
          力のすえに、『学問のすゝめ』が新しい世の中の常識と
          して定着するのですね。

    伊勢: そうでしたか。『学問のすゝめ』は、明治のベストセ
          ラーとして即座に朝野に歓迎された、とばかり思ってい
          ました。

           そう言われてみると、長い平和な江戸時代を経て、弱
          肉強食の国際社会に直面した明治初期と、戦後の冷戦下、
          アメリカの庇護の下で平穏な温室時代を過ごした後で、
          久しぶりに国際政治の荒海に漕ぎ出した現代日本とは、
          構造的に良く似ていますね。

■6.共同体とコモン・センス■

    「常識」というテーマから、いきなり『学問のすゝめ』を持ち
    出してきたのは「国際派時事コラム」でおなじみの、読者の意
    表をつく泉さん一流の語り口だ。当然そこには巧妙な伏線が敷
    かれている。まず「常識」という言葉から考えてみよう。

     よく「こんな事は誰でも知っている常識だよ」などと言うが、
    この場合の「常識」とは「誰でも持っている知識」というほど
    の意味である。

     一方、「常識」にあたる英語は「コモン・センス(Common
    Sense)」である。「コモン」とは、「社会に共有された」とい
    う意味であり、「センス」は感覚、ひいては考え方や価値観ま
    でも含む。したがって「コモン・センス」とは、その社会で共
    有された感じ方、価値観であり、「良き農村の感覚」とは、ま
    さしく農村社会のコモン・センスなのである。弊誌にも「Common
    Sense」という一ジャンルがあるが、この意味で用いている。

     コモン・センスは、一つの共同体社会がその歴史を通じて、
    育ててきたものである。その共同体社会の文化、伝統、慣習を、
    一人一人の心の中で支えているのが、コモン・センスだと言っ
    てよい。そしてコモン・センスを共有することで、人々は同胞
    意識で結ばれ、それが共同体の統合を内から支える。

         国家というのは、広く人々が受け入れる常識を確立して、
        非常識がのさばらないようにする仕組を作るためにあると
        思うのですよ。

     と、泉さんが言ったのは、こういう意味だと私は受けとめた。

     親の世代のコモン・センスを子供の世代に伝えていくという
    のが教育の役割であり、またコモン・センスを磨いたり、新し
    い時代環境に適合させていくのが、学問の役割である。いずれ
    にしろ、健全なコモン・センスを維持し発展させるには、絶え
    ざる意識的努力がいるのである。福沢諭吉の『学問のすゝめ』
    も、そのための努力であったと言える。

■7.福沢諭吉の危機感■

    『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を
    造らず」との冒頭の一節から、人間平等を謳ったものと思いこ
    んでいる人が多いが、すぐに次のような一節に続く。

         人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を
        勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学な
        る者は貧人となり下人となるなり。(一編)

     ここから『学問のすゝめ』となるわけだが、こう諭吉が説く
    背景には国際政治上の危機感があった。当時の国際社会は「学
    問を勤めて物事をよく知る」西洋諸国が、「無学なる」アジア
    ・アフリカ諸国を植民地支配していたからである。

         我日本国中も今より学問に志し、気力を慥(たしか)に
        して先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すこと
        あらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。(三編)

     福沢の勧める学問とは、このように一身の独立から一国の富
    強をもたらし、国際社会においては道義ある振る舞いをなさし
    めるものであった。

■8.「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」■

     諭吉は「国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力
    なきときは一国独立の権義を伸ぶること能わず」と言う。この
    あたりは、世界有数の経済力と技術力を持ちながら、国際政治
    では存在感の薄い現在の日本に見事に当てはまる。

     そして、その理由の第一にあげるのが、「独立の気力なき者
    は、国を思うこと深切ならず」である。独立の気力のない国民
    は、他国に従属しても自分の暮らし向きさえ安泰なら、それで
    良いとする。そういう人間は、自国が植民地化されても気にし
    ない。

     しかし、一国が独立してやっていく、というのはどういう事
    か。それは経済的自立ばかりではない。自分たちの考え方、価
    値観で自ら国家を運営していく、ということだろう。言い換え
    れば、国民が自分たちのコモン・センスに従って行動していく
    ということだ。それが国民主権ということでもある。

     たとえば、中国が小泉首相の靖国参拝を批判するのは、「死
    者に鞭打つ」のを憚らない中国固有のコモン・センスの現れで
    ある。それは「死者の罪を赦し、恨みも水に流す」という我が
    国のコモン・センスを踏みにじるばかりでなく、内政干渉とい
    う形で国際外交の常識すら無視している。こういう形で外国の
    コモン・センスに従属することこそ、独立の一部を失うという
    ことに他ならない。

     そう言えば、タイはアジアで独立を維持した数少ない国の一
    つだが、それを成し遂げたのが「国を思うこと深切」なる多く
    の愛国者たちであった[a,b]。タイこそ諭吉の言葉に似つかわ
    しい国である。泉氏の用意してくれた車で空港に向う途中、バ
    ンコクの賑わしい夜景を眺めつつ、そんな事を思った。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(063) 日泰友好小史(上)
    日本と同盟したタイ
b. JOG(064) 日泰友好小史(下)
    終戦後の日本を支援してくれたタイ

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 泉幸男、国際派時事コラム「商社マンに技あり!」
   (メールマガジン)★★★★
   

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「独立国家とコモン・センス」について

                                           ガーシーさんより
     私は1年間韓国に留学した経験があります。

     今回の泉幸男氏のように朝日新聞をはじめ北海道新聞などの
    新聞の愛読者でした。できるならば記者としてそのような新聞
    に勤めてみたいとも考えたこともありました。ところが留学し
    てみて、つまり海外から日本という国を客観的に見る機会に恵
    まれていかに日本の大新聞と呼ばれる新聞社が「世界の常識」
    からかけ離れているか考えされられました。また一般的な日本
    人(自分の周りにいる日本人という意味ですが)もまた同じで
    した。それは平和主義という事なかれ主義が日本には蔓延って
    いるとおもわれます。

     確かに現在の日本のように国家という存在を意識せず暮らせ
    ることはとても幸せなことと思います。政治家に対して国民す
    べてが責任転嫁している状態であり、いうなれば一種の甘えと
    いえます。自ら責任を負わないのであればそんなに楽なことは
    ありません。しかしそれでいいのかという気持ちがふつふつと
    湧き上がったことを留学生活中に経験しました。

     日本のように地震が起きれば政府がなんとか対策を練ってく
    れるような国は世界を見ても稀な例とおもわなければなりませ
    ん。たとえば去年、猛威を振るった台風14号(台風メミ)は
    韓国で甚大な被害が出ました。しかしながら韓国では政府の援
    助よりも民間の支援に頼る状態であったと聞きました。日本に
    いれば当たり前のようなことが海外に目をむけるとそうではな
    いことを感じました。

     私的な考えですが国家の存在意義とは、目に見えない形で国
    民の「痒いところに手が届く存在」であることだと思います。
    それでいて、その国民も見えざる貢献に恩義を感じ相互信頼し
    あえる状態であればより理想的でしょう。日本のムラ社会の本
    質はそこにあると感じます。

     ところが現代では、権利は主張するが義務は履行しない、つ
    まり貰うだけもらって与えることはしないという社会です。一
    言で言えばわがままなんだと思います。しかしそんな理想的な
    社会を築き上げたのが江戸時代なんだと思います。日本人は過
    去のすばらしい制度を捨てて今のような時代を生きていること
    はなんだかさみしい気がします。それでも世界に類をみない
    「温室社会」を保持していることは大いに誇るべきで、それを
    今後生かさない手はありません。

     正直言えば、現在の世界の常識とは冷徹であり日本の制度に
    はかなわないと思っています。私は大学で国際法を学んでいま
    すが、国際的には国家を統制するような機関がない、つまり国
    家のエゴとエゴのぶつかり合いの中から妥協点を見つけてお互
    い共存しています。そのため妥協点が見つからない場合は常に
    紛争がおこります。日本のようにお互いがむしろ謙譲してバッ
    ファー(緩衝域)を広げることで防げることがたくさんあるよ
    うに思えます。それは何より互いの信頼関係にかかっているで
    しょう。

     朝日新聞のような論調はあくまでも理想論で現実的ではあり
    ません。理想論は常に現実にはかないません。それであるなら
    ば、現実的な議論からはじめて理想に近づけることが最短のア
    プローチだと考えます。
    
    (伊勢雅臣: 海外での生活体験を持つ人が多くなってきた事
     が、「朝日的非常識」が退潮しつつある、一つの理由でしょ
   う。)

                                               吉田さんより
     私は、タイ在住の40歳の男性です。貴誌を欠かさず読ませて
    いただいております。以前呼んだ本の中にこんなくだりがあり
    ました。

     地獄と天国には実は同じものが置いてある。テーブルの中央
    の大皿に、たくさんの料理が山盛りになっていて、テーブルの
    周りにぐるりと座っている人々は、めいめい非常に長い箸を持っ
    ている。天国では、向い合った人の口に食べ物を入れあい、み
    んなが料理を堪能している。地獄では、お互いの箸から食べ物
    を落とし合いをしていて、みんなが腹を減らしている。

     私は、タイに来る前に、ほんの1週間程ですが、仕事でフィ
    リピンと中国へ行ったことがあります。

     フィリピンの工場で驚いたのは、工場の守衛がライフルを担
    いでいたことです。一体何事かと思ったら、その守衛が、車の
    ドアを開けてくれ、さらに日傘を差してくれました。しかし、
    工場の壁を乗り越えて侵入してきた人は、守衛によって即座に
    射殺されるそうです。また、貧富の差が非常に激しく、金持ち
    は、高い塀の中の高級住宅街に、守衛に守られて暮らしていま
    す。

     中国の工場では、誰かがミスをしたとき、誰がやったか中国
    人に尋ねると、そこに居る人々がいっせいに、ミスをした人を
    指差すのだそうです。

     一方、タイはそんな国でははありません。タイは、微笑みの
    国と呼ばれるように、人々の気持ちがおおらかです。貧富の差
    が激しいので、いろいろ問題もありますが、上記の比喩で言え
    ば、天国側の国だと思います。中国やフィリピンに比べて、住
    むのに不安感がありません。

     日本もどちらかといえば、天国側の国だと思います。

    (伊勢雅臣: 共同体の価値を説く上で、これほど分かりやす
     いたとえ話はないですね。)

                                             norikoさんより
     我が家では祖父の代からずっと朝日を取り続けていたのです
    が、いろいろあって次女の私が家長になってからは産経に換え
    てみました。するとどうでしょう、皇室への崇敬、自虐史観の
    否定、政府の親米政策路線に対する理解など、朝日とは180度
    違う内容であることに、驚きを覚えました。朝日新聞の正義感
    とは、幼稚で世間知らずなものであることを発見することがで
    きました。

     けれども、社会にあまり関与せぬまま若くして結婚し、子ど
    もを持った姉は、婚家で未だに朝日を購読し続けています。彼
    女は三児の母なのに、未だ朝日的価値観で発言するのには閉口
    することがあります。

     たとえば朝日は自衛隊のイラク派遣に関しては感情的でなり
    ふりかまわぬ筆を揮って反対しました。購読者たる我が姉はすっ
    かり染まっていますので、「ウチの子が兵隊にとられ、国家の
    言うがままに砂漠の国へ遣られる法律だから」という理由で自
    衛隊派遣に反対でした。

     自衛隊が外国へ派遣されることは、第二次世界大戦で赤紙に
    よる招集がかかり、無条件に国民が駆り出されたこととは大き
    く異なります。けれども朝日は「有事への構えすなわち赤紙」
    という論調で善良な読者を煽るため、小さな子どもを持つお母
    さんが青くなるのも無理ないのです。

     中学の国語の授業では天声人語が題材となり、高校大学入試
    問題にも毎年必ず社説が引用され、すっかり日本国家の代表的
    新聞の座に君臨している朝日ですが、その幼稚で身勝手かつ非
    常に矛盾した国家観に基づいた報道姿勢であることを、私たち
    は知らされずに大人になっています。

     たとえば太平洋戦争の場合でも「狂信的に天皇制を支持して
    いた日本人は間違っていた、アジアはかわいそう!」という結
    論だけで歴史とするなら、これほど簡単なことはありません。
    かわいそうなアジアの人々を必要以上に擁護することで、国家
    に殉じた数多くの同胞を否定することにつながるのですが、国
    家そのものを否定しているのですから、彼ら先祖同胞を悼む気
    持ちが生れるはずがありません。そんな朝日に騙されて・・・
    というのが、現代に生きて少し目の覚めてしまった日本人が感
    じる、苦々しい感想です。

    (伊勢雅臣: 単純なイデオロギーで国民を愚かにするのが、
      共産主義国家や全体主義国家の常套手段ですね。)

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