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■■ Japan On the Globe(374)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

             国柄探訪: いのちの結び
                     〜 現代科学と日本文明
                 現代科学の自然観は、日本古来からの世界観に
                近づいている。
■■■■ H16.12.12 ■■ 32,568 Copies ■■ 1,396,370 Views■

■1.日本料理と中華料理■

     バンコクを旅行していた時である。たまたまミャンマーから
    の旅行者と一緒になり、いろいろ話をしているうちに、ひょい
    と「日本は中国文明の一部なんだろう」などというセリフが出
    た。悪気のある言葉ではなかったが、私はいたく機嫌を損ねて、
    「ノー、ノー」と激しく首を横に振った。もう少しでむち打ち
    症になる所だった。

     しかしいざ反論しようとすると何と言ってよいか分からなかっ
    た。確かに、日本人と中国人は外見では見分けがつかないし、
    「日本ではチャイニーズ・キャラクター(漢字)を使っている
    じゃないか」と言われたら、言い訳もややこしい。文明論の専
    門家でもない限り、「日本は中国人から別れた一民族」などと
    いう認識を持たれていても、仕方ないだろう。

     しかし、最近、一般人でもすぐに分かる言い方を見つけた。
    まずは「ハチントンの『文明の衝突』でも述べられているよう
    に、日本文明は中国文明とは異なる独立した文明である、とい
    う見方が文明論者の間の『定説』です」と、虎の威を借りて先
    制パンチを繰り出す。その後で、こんな具体例を話す。

         あなたは日本料理、たとえば寿司を知っているでしょう。
        (寿司ぐらいならこの頃は欧米では一般人でも食べるし、
        アジアでも外国旅行をするほどの富裕階級なら知っている。)

         魚やエビ、タコなど海の幸のさまざまな素材を生のまま、
        それぞれの独特の味を楽しみます。しかし中華料理は何で
        も熱を通して原形をとどめないほどに加工してしまいます。
        この点では中華料理は西洋料理に近いのです。

         また寿司は、それぞれの素材の色や形も生かして、見た
        目にも美しく飾ります。自然のさまざまな恵みを、それぞ
        れの味や美しさを最大限に生かして楽しむ。言わば、素材
        の多様な個性をそのままに生かしながら、それらが総合的
        なハーモニーを生み出す。これが日本文明の特徴です。

         日本料理と中華料理を食べ比べてみれば、両者が本質的
        に異なる文明である事が体験的に理解できるでしょう。

■2.竜安寺の石庭とベルサイユ宮殿の庭園■

     多様な個性が相互の関係性を通じて、全体的に優れたパフォ
    ーマンスを発揮するというのは、日本文明の得意のパターンだ。
    日本庭園もその一つである。

     西洋の庭園は幾何学的な法則性に美を求める。たとえば、ベ
    ルサイユ宮殿の庭園は四角な池の左右と正面に樹木が並ぶ。樹
    木は種類と高さが揃っており、一本一本の個性は目立たないよ
    うになっていて、全体として直線性が強調されている。個々の
    要素の個性は捨象して、その奥にある抽象的な法則性を際だた
    せるという手法である。

     京都・竜安寺の石庭はそれとは対照的だ。大きさも形も不揃
    いのいくつかの岩が砂地の上にとびとびに置かれている。それ
    が静かな入り江に浮かぶ島々を連想させて、不思議な静謐感を
    醸し出す。

     幾何学的な対称美を求める西洋人の精神は、自然の多様な有
    様の奥に唯一絶対の法則性を求める近代科学にも現れている。
    そこでは岩の大きさや形などという個性は捨象されてしまう。
    それに対して、日本人は様々の岩の持つ個性をそのままに楽し
    み、それらが生み出すハーモニーを感じ取る。

     この点では、中国も西洋人に近いようで、唐文化の影響を受
    けた薬師寺は塔も回廊も左右対称に対置されているが、法隆寺
    は左手に塔、右手に金堂と非対称の美しさを醸し出している。

■3.「千年を過ぎた木がまだ生きているんです」■

     法隆寺の建築の技法そのものにも「多様な個性の関係性を通
    じて、全体としての優れたパフォーマンスを発揮する」という
    思想が見られる。

     法隆寺の五重塔は千三百年前に建てられた現存する世界最古
    の木造建築である。代々、法隆寺に仕えてきた宮大工・西岡常
    一氏は、こう言う。

         それもただ建っているというんやないんでっせ。五重塔
        の軒を見られたらわかりますけど、きちんと天に向って一
        直線になっていますのや。千三百年たってもその姿に乱れ
        がないんです。 おんぼろになって建っているというんや
        ないですからな。

         しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。
        塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反
        りが戻ってきますし、鉋(かんな)をかければ今でも品の
        いい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです。
        [1,p26]

     長寿の秘密の一つは「ヤリガンナ」という独自の工具によっ
    て、木の繊維に添って「割る」という工法にある。それぞれの
    木の個性に従って加工するので、格子にしても不揃いで同じも
    のがない。現代の工法では一本一本の木の木目など無視して、
    直線的に削ってしまうので、繊維が千切れて、耐用年数がはる
    かに短くなってしまう。

■4.「木の命」■

     宮大工の技術は「口伝(言い伝え)」として残されているが、
    その一つに「木は生育の方位のままに使え」というものがある。
    同じ檜(ひのき)でも南斜面に生育した木と北斜面に生育した
    檜では、硬さ、しなやかさなど性質が異なる。また風の吹く方
    向によって、捻れがある。

     一本一本の性質を見ながら、加重のかかる部分は丈夫な木を
    使い、またねじれがゆっくり戻っていく過程で、より構造がしっ
    かりするよう、組み付け方向を考える。

         飛鳥の建築は、外の形にとらわれずに木そのものの命を
        どう有効に、生かして使うかということが考えられている
        んですな。・・・

         法隆寺のことでは、いつも学者といい合いしていました。
        学者はこういうものを木の命だとか、一本一本のくせとか
        で見ませんのや。形や寸法だとかからばかり見ています。
        それでは分かりません。[1,p151]

     現代技術は、一本一本の木のくせなど無視して、機械的に同
    じ形と寸法に加工して、建築物を作る。それに対して、日本古
    来からの建築技術は自然界の多様な「いのち」をどう生かして、
    組み合わせるか、というアプローチからなりたっている。

■5.自然治癒力を重視する新しい医学■

     興味深いことに、現代科学は従来の西洋文明の捉え方から、
    日本文明に近づきつつある。医学を例にとれば、今までは人間
    の身体をさまざまなパーツからなりたつ機械であると捉えてい
    た。病気はその特定のパーツの故障であると考えるため、分析
    的な検査により故障箇所を発見し、その部分の修復を行う。は
    なはだしきは病んだ臓器を他人の健康な臓器と交換してしまお
    う、などという発想まで出てくる。

     こういう分析的な見方をするので、例えば精神的な悩みから、
    体調を崩すなどという症状は、精神と肉体をはじめから別々に
    分析する西洋医学では治癒が難しい。

     このような反省から、人間を精神と身体の統合された全体と
    して捉える新しい「ホリスティック(holistic)」医学協会が
    1978年にアメリカで結成された。ホリスティックはギリシャ語
    のホロス(holos, 全体)という単語を語源としており、個別の
    要素を分析的に見るのではなく、全体的に、かつ各要素の関連
    性を重視する捉え方を指す。

     近代医学とホリスティック医学の違いを端的に表すのは、
    「自然治癒力」の考え方である。近代西洋医学では自然治癒力
    という概念そのものがなかった。身体を機械であると捉えれば、
    機械は壊れても自らを治す力など持たないからである。ホリス
    ティック医学では、患者を自然治癒力を持つ存在ととらえ、医
    師はそれを助ける役割を持つ。また医師も機械修理工ではなく、
    全人的な存在として、患者との間での人間的な触れあいを重視
    する。

■6.自律的な連携■

     ホリスティックな立場から生命現象を観察すると、いろいろ
    面白い現象が見つかってきた。ネズミの心臓細胞を一つ一つバ
    ラバラにしてから、体外で高密度に培養する。培養開始直後は、
    それぞれの細胞が勝手なリズムでピクピクと脈動しているが、
    一日もすると培養器内のすべての心臓細胞が揃って同じリズム
    で脈動するようになる。

     心臓の鼓動はこのような細胞同士の自律的な協調から生まれ
    るもので、外部からの刺激による強制的な振動ではない事が分
    かる。まるで指揮者のいないオーケストラで、演奏者たちが互
    いに調子を合わせていくようなものだ。

     それだけでなく、細胞は互いの連携を通じて、自分自身の機
    能まで変えてしまう能力を持つ。たとえばニンジンの葉の細胞
    と根の細胞は異なる機能を果たしているが、葉の細胞を培養し
    て、ある程度成長してから土に植えると、一本のニンジンが育
    つ。葉の細胞の一部が、必要に応じて根の細胞となって、全体
    を再構成するのである。一つの細胞の中には、個体のどの部位
    の細胞にもなれる能力が備わっており、全体の必要性から自律
    的に根になったり、葉になったりする。

     これはあたかも地震災害の救援に集まったボランティアたち
    が、特定のリーダーがいる訳でもないのに、それぞれが自律的
    に判断して、ある人は瓦礫の片付けをし、別の人は炊き出しを
    するというように、協力しあうのと同様の現象である。

■7.「いのちの結び」■

     西洋近代科学がようやく発見したこのような自律的な連携現
    象を、我々の先祖は自然の中に直感的に見つけていたようだ。
    古事記の冒頭は以下のように始まる。

         天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たか
        まのはら)になれる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬ
        し)の神。つぎに高御産巣日(たかみむすひ)の神。つぎに
        神産巣日(かむむすひ)の神。

     本居宣長の『古事記伝』によれば、「産巣日」は借字で、産
    巣は「生(むす)」の意で物が成り出る様子をあらわす。「む
    すこ」、「むすめ」とは、「生まれ出た男子、女子」である。
    「日」は「霊」の意と説明されている。この他にも、五穀を実
    らせる和久産巣日(わくむすひ)の神、火を産み出す火産巣日
    (ほむすひ)の神などがいる。

     「むすひ」は「結び」に通ずる。男女が結ばれて、子供が生
    まれる。家々が結びついて、村や国が生まれる。このように自
    然の生成とは、様々な要素が自律的に結びついて生み出される
    ものである。細胞の結びつきが新しい個体生命を生むように、
    さまざまな個性の木材の組み合わせが五重塔を生み出し、大小
    の岩の組み合わせが見事な石庭を生む。「いのちの結び」が新
    しい「いのち」を生むのである。

■8.我々は「いのちの結び」に生かされている■

     我々は自分自身を一個の存在、すなわち「個人」だと考えて
    いるが、「いのちの結び」という視点から考えてみると、自分
    自身もさまざまな「いのち」が結び合って生かされていること
    が分かる。

     まず、前述のように心臓の鼓動は、無数の細胞が互いにリズ
    ムを合わせて生み出している。食物も植物や魚、動物など「い
    のち」あるものであり、それらの「いのち」の一部が我々の体
    内細胞と結びあわされて、身体が作られ、活動エネルギーが生
    まれる。大腸内には約100種類、100兆個もの微生物が存
    在し、それらが老廃物の処理に重要な役割を果たしている。人
    体は孤立しているのではなく、自然との結びの中で生かされて
    いるのである。

     同時に人間は社会のさまざまな結びつきの中でも生かされて
    いる。家族の中で生まれ、また自ら家族を作って子供を産む。
    職場では、同僚達との結びつきの中で仕事が進められる。一国
    の中で、警察や軍隊に守られ、教育や福祉を受ける。

     人間は肉体と精神の結びつきから成り立っているが、その精
    神も文化や歴史の中で生み出されたものだ。言語はその中核で
    あるが、それ自体が長い歴史の中でさまざまな人々の結びつき
    の中から、徐々に生成発展してきたものである。

    「個人」と言うと、いかにも他から独立した一個の存在である
    かのように錯覚してしまうが、このように見れば、実際には自
    然や社会、歴史の無数の結びの中で生み出され、生かされてい
    る存在だという事が分かる。

■9.「いのちの結び」が見えないガン細胞■

     正常な細胞は、常に人体の状況に関する情報を受け取り、そ
    れをもとに他の細胞と連携しながら自律的にそれぞれの働きを
    調整している。ところがガン細胞は正常細胞からの情報が伝わ
    らないので、周囲の状況が「見えなく」なり、その結果、人体
    のニーズや周囲の正常細胞の動きとはお構いなしに増殖を続け、
    ついには人体の結びを破壊して、「いのち」を失わせる。

     近代の人類は、科学技術によって自然とのつながりを見失い、
    勝手な増殖を繰り返して、今日のような地球環境破壊を招いた。
    自然から見れば、まさにガン細胞のようなものであった。

     戦後の日本では、西洋の個人主義を曲解し、個人の自由のた
    めには国家社会の秩序を無視しても良いという思想の持ち主が
    現れた。また自虐史観から自分自身を生み育ててくれた歴史を
    断罪し、そこから断絶しようという一派もあった。さらにはフェ
    ミニスト達のように伝統的な家族という結びつきを破壊するこ
    とに熱をあげる人々もいる。これらも社会や歴史の中の「いの
    ちの結び」が見えないガン細胞の類ではないか。

     自虐史観をもたらしたマルクス主義もフェミニズムも、地球
    環境破壊を招いた近代科学技術と同様、「いのちの結び」を見
    失った近代西洋思想の一種である。これらから社会や歴史の
    「いのち」を守るには、まず自分自身が自然、社会、歴史の結
    びの中で生かされている事に気がつかなければならない。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(041) 地球を救う自然観
    日本古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現す
   る新しい科学技術を世界に積極的に提案し、提供していくこと
   が、日本のこれからの世界史的使命であるかもしれない。
b. JOG(330) ハイテクを生み出す産霊(ムスヒ)の力
   多くの日本企業がいまだに守り神を祀っている理由は?

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 石川光男「複雑系思考でよみがえる日本文明」★★、法蔵館
   H11


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■「いのちの結び」について

                                           匿名希望の方より
     今回の「いのちの結び」は、私のなかでもやもやしていたも
    のを、雲が晴れるがごとく、すっきりと解消させてくれたので
    お礼方々感想を述べさせて頂きます。

     私、現在は欧州に住んでいます。旅行の際には各地のお城や
    教会の見学しておりましたが、その都度、不思議な虚無感を感
    じることが頻繁にありました。その建造物から感じるものがな
    ければ、また行きたいと思うこともなかったりします。逆に全
    く無名の小さな街を歩いているときには楽しく感じ、街を離れ
    ても心には充実感を感じることがよくありました。

     そこで今回、日本庭園や五重塔を例にあげた所を読み、私が
    今まで違和感を感じたものは「自然との不調和」だということ
    がやっとわかりました。

     欧州どこにでも石造りのお城・教会がありますが、これらは
    ご存知のとおり概して直線的に切り取られた石(またはレンガ)
    のブロックを積み上げたもので、伊勢殿が表現していた「幾何
    学的な法則性のなかにある美」そのものです。建物の規模や複
    雑な装飾は圧巻です。私自身、幼少時代に教会に通うことがあっ
    たため教会の雰囲気にはなれていますが、欧州の教会はあまり
    落ち着きません。

     一方で小さな街の場合はとてもおちつきます。自然の地形を
    そのまま生かした町が形成されている様子や、自然の姿をとど
    めた木材が住居に使っている様をみることで癒されていたのか
    もしれないと今になって思います。

     日本では地震をはじめとする天災が多いですが、それをも克
    服して自然との調和を達成しているのが日本の建造物だと思い
    ます。

     一見して不揃いに見える城の礎石も緻密な計算の下で積み上
    げられた結果、石の表情をうまく残すことと、天災に耐えうる
    剛性をかね揃えることができているのだと推測します。知恵を
    働かせることで自然との共生を果たすことが出来た先人に尊敬
    の念を抱きます。

     今回のJOG-Magでは、私自身のなかの日本人らしさが強く残っ
    ていることを実感しました。また日本人らしさが街並みに対す
    る趣向にまで及んでいることに驚きました。自分の趣向に自信
    を持つことが出来たので、今後も無機質な大都市よりも、有機
    的なイメージのある小さな街を旅することにします。

                                               Kazyさんより
     今週号は特に深い感銘を受けました。とりわけ、後半の『我
    々は「いのちの結び」に生かされている』という言葉を読んだ
    ときは、感動のあまり胸が詰まる思いが致しました。と同時に、
    このような素晴らしい洞察を確立し得た我が日本人に計り知れ
    ない誇りを憶えるとともに、日本人に生まれて本当に良かった
    と改めて感じました。

     読み終わったあとに、今、我が国で「個人主義」が曲解され
    ているのは、もしかすると、その元々の成り立ちを見落として
    いるからではないかとも思いました。つまり、西洋で「個人主
    義」が確立した頃は、一般の民に「人格」なども認められず、
    ある意味で動物と同じような扱いを受けていたとも言えると思
    います。その中では確かに「人」は「人」として尊重されるべ
    きという「個人主義」がもてはやされたのもうなずけます。

     しかし、我が国では、太古の昔から既に、人も、動物も、森
    羅万象の全て物に至るまで魂が宿るものとして尊重していたの
    ですから、そもそも、精神のレベルが西洋とは比べ物にならな
    いくらい高かったと言えるのではないかと思うのです。ですの
    で、もともと馴染むはずのない「個人主義」を無理やりに根付
    かせようとして、共同体を否定する方向に走ってしまったのが、
    現在の我が国の「曲解された個人主義」なのではないかと思い
    ました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     自分が気のつかない心の深い所で、日本文化は我々の精神を
    支えてくれているのですね。

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