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■■ Japan On the Globe(389)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 人物探訪: 昭和天皇を護った二人のキリスト者(下) 天皇を処刑して、共産革命を引きおこそうと するソ連の野望にフェラーズは立ち向かった。 ■■■■ H17.04.03 ■■ 32,900 Copies ■■ 1,541,034 Views■ ■1.マッカーサーへの意見書■ フェラーズは、天皇が帰られた後に、執務室に閉じこもり、 マッカーサーへの意見書の仕上げに没頭した。意見書の原稿を 書き上げると、すぐに恵泉女学園の河井のもとに届けさせた。 河井からの意見をもとに修正し、再度チェックを受けてOKを 貰ったのが10月1日。翌日、フェラーズは完成した意見書を マッカーサーに提出した。二人の合作と言ってよい。 意見書では、冒頭で「彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民 族の生ける象徴である」と、ハーンから継承した天皇観から説 き始め、次に今回の戦争に関しては、「天皇が自ら起こしたも のではないことを立証しうる」と述べた。続いて、 大衆は、裕仁に対して格別に敬慕の念を抱いている。彼 らは、天皇がみずから直接に国民に語りかけることによっ て、天皇はかつて例がないほど彼らにとって身近になると 感じている。和を求める詔書は、彼らの心を喜びで満たし た。彼らは天皇がけっして傀儡などでないことを知ってい る。また、天皇を存置しても、彼らが選びうる最も自由主 義的な政府の樹立を妨げることはないと考えている。 [1,p225] 最後の一節は、軍国主義を復活させないためには、天皇制を 廃止する必要がある、という連合国内の意見に釘を刺したもの である。 ■2.戦争裁判で天皇を裁けば■ 無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を 要求した。天皇の命令により、700万人の兵士が武器を 放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置に よって何万何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予 定よりもはるかに早く終結した。 フェラーズは同様の文章を家族の手紙にも書いており、この 部分はまさに彼の実感そのままである。 したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦 争裁判のかどにより彼を裁くならば、それは、日本国民の 目には背信に等しいものであろう。それのみならず、日本 国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件 降伏とは、天皇を含む国家統治機構の存続を意味するもの と考えている。 もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるなら ば、統治機構は崩壊し、全国民的反乱が避けられないであ ろう。国民は、それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも非 を鳴らすことなく耐えるであろう。 後半は河井道の「陛下が殺されるようなことがあったら、血 なまぐさい反乱が起きるに違いありません」とフェラーズに語っ た言葉に基づくもののようだ。 そして「それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも耐えるであ ろう」とは、「堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に 太平を開かむと欲す」という終戦の詔勅を思わせる。これも終 戦の詔勅に関して、「天皇の父親らしい戒めに対して、国民は 孝心を明らかにして従順に従ったのであった」と語った河井の 思いが反映しているのだろう。 フェラーズの意見書には、河井を通じて、当時の日本国民の 天皇への「敬慕の念」が注ぎ込まれていた。 ■3.「相互の尊敬と信頼と理解」■ 彼らは武装解除されているにせよ、混乱と流血が起こる であろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍 を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、 日本国民を疎隔してしまうことになろう。 米国の長期的利益のためには、相互の尊敬と信頼と理解 にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つことが必要であ る。結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせないこと が国家的に最も重要である。 意見書はこう結ばれた。「相互の尊敬と信頼と理解」という 言葉には、初めて来日した時に「日本は魅惑的で美しい。神秘 に満ちた心温まる国だ」と感じて、河井らとの交友を築いてき たフェラーズの体験が窺われる。そうした友好関係こそ「米国 の長期的利益」となる、というのがフェラーズの信条であった。 ■4.「ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる」■ 2日おいて、10月4日にフェラーズは第2の覚え書きを提 出した。 ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる。我が国 (アメリカ)の政策は、革命を期待しているかのようだ。 革命には、天皇の排除が最も有効なのである。[2,p89] 当時、ソ連の共産党機関誌「プラウダ」は激しい天皇制批判 を繰り返していた。また日本共産党も「戦争犯罪人追求人民大 会」を開き、1600人にのぼる戦犯リストの冒頭に昭和天皇を挙 げていた。 天皇が戦犯裁判で処刑となり、国中に反乱が起きれば、それ が共産革命の引き金になり、日本を共産陣営に追い込む結果と なりかねない。フェラーズは危機感を募らせていた。 10月2日、皇族の梨本宮守正元帥が、そして6日には元首 相・近衛文麿、天皇側近の内大臣・木戸幸一と、皇族と側近に まで逮捕の手が伸びていた。 ■5.マッカーサーの回答■ 11月29日、アメリカの統合参謀本部は、マッカーサーに 対して指令を伝えた。 裕仁は、戦争犯罪人として逮捕・裁判・処罰を免れては いないというのが米国政府の態度である。天皇抜きでも占 領が満足すべき形で進行しうると思われる時点で、天皇裁 判問題が提起されるものと考えてよかろう。[2,90] 米国政府は天皇訴追を十分ありうるものとして、マッカーサ ーに判断に必要な証拠の収集を命じた。この回答として、翌昭 和21(1946)年1月25日、陸軍参謀総長アイゼンハワーあて に電報が送られた。 過去十年間に、程度はさまざまであるにせよ、天皇が日 本帝国の政治上の諸決定に関与したことを示す同人の正確 な行動については、明白確実な証拠は何も発見されていな い。 と始まるこの回答で、まず大日本帝国憲法はヨーロッパの立憲 君主制と同じ原則に則っており、内閣が行った政治的決定を天 皇は裁可するだけで、拒否する権限はなかった事が説明されて いる。 昭和天皇は立憲君主の立場をよくわきまえ、可能なかぎ りその原則に従って行動した天皇だった。帝国議会の議決 を裁可しなかった例は一度もなかったし、国務大臣の補弼 (ほひつ)を俟(ま)たずに大権を行使する独断政治を強 行したこともなかった。 つけ加えれば、日米開戦までの過程で戦争を避けるため に、自らの立場で可能な範囲で軍部や内閣に意見を述べて いる。昭和天皇は決して好戦主義者ではなかった。外交交 渉を優先させることで、なんとか戦争を回避しようと努力 した。 最後の一節には、また河井道の影響が窺われる。河井はフェ ラーズに勅語や御製を示して、天皇の平和を求めるお気持ちを 伝えていた。恐らくは、開戦前の御前会議で昭和天皇が「四方 の海みなはらから(同胞)と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ」 との明治天皇御製を示されて、再度の外交交渉を求められた事 もその中にあっただろう。 ■6.「あれはカワイ・ミチから授かったものだ」■ 続いて、回答書では天皇を訴追した場合に、「日本国民の間 に必ずや大騒乱を惹き起こし」、そのような事態に対処するに は、百万の軍隊と数十万の行政官が必要となる、としている。 主張の内容は、フェラーズの覚え書きをそのまま引き写したも のである。 マッカーサーはフェラーズの覚え書きを机の左の引き出しの 一番上に入れ、しばしば取り出しては読んでいた。フェラーズ は後に語っている。 私はあの覚書の内容について自信が持てなかった。あれ はカワイ・ミチから授かったものだ。彼女は実に偉大な女 性だった。彼女が私を助けてくれた、彼女は知らないだろ うが、マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな 影響を及ぼしたと思う。[1,p228] このマッカーサーの回答書で、米政府の天皇不起訴の方針は 固まった。 ■7.東条の覚悟■ 米国はこれで固まったが、ソ連は強硬に天皇訴追を要求して いた。3月2日から東京に終結した連合国各国の国際検察局に よる被告人選定作業が始まった。 フェラーズはこの時期、天皇の無罪を立証すべくあらゆる手 を尽くした。3月6日、終戦時の海軍大臣・米内光政を総司令 部に呼んで、こう言った。 ・・・ソ連は全世界の共産主義化を狙って、日本の天皇 制とマッカーサーの存在を邪魔にしている。アメリカ国内 でも上層部に天皇を戦犯として裁くべきだとの主張が相当 ある。 その対策としては、天皇が何ら罪のないことを日本側が 立証してくれることが最も好都合だ。そのためには近々開 始される裁判が最善の機会だと思う。この裁判で東条に全 責任を負わせるようにすることだ。 そこで、東条に次のことをいわせてもらいたい。開戦前 の御前会議において、たとえ陛下が反対されても、自分は 強引に戦争にまでもっていく腹をすでに決めていたと。 [1,p266] 米内は「まったく同感です」と賛同し、獄中の東条に弁護人 を通じてフェラーズの意を伝えた。東条は答えた。 そんなことは心配ないと、米内君にいってくれ。おれが 恥を忍んで生きているのも、この一点があればこそだ。 東条は東京裁判において、大東亜戦争は自衛戦であり国際法 に違反していないこと、また開戦の決定は内閣の責任であり、 昭和天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も、慣行上もな かったことを堂々と述べた。[a,b] ■8.「昭和天皇独白録」とバイニング夫人■ フェラーズはさらに次々と手を打っていった。第2の手は昭 和天皇ご自身に直接語っていただくことだった。風邪を引いて 寝込まれていた昭和天皇に、戦争への関わりと思いを語っても らい、寺崎英成ら側近たちが記録した。この記録は44年後に 発見されて「昭和天皇独白録」としてセンセーションを起こし た。その英語版がフェラーズの残した文庫から発見された。 この文書がどのように使われたのかは分かっていない。ただ、 天皇不起訴という決定に対して米世論が反発した場合、あるい は天皇が証人喚問された場合には、この文書が使われただろう。 [2,p149] フェラーズがもう一つ打った手は、皇太子にアメリカ人女性 の家庭教師をつけることだった。それによって欧米の世論を軟 化させようというのが、狙いだった。フェラーズが選んだエリ ザベス・バイニング夫人は、彼と同じクエーカー教徒であり、 また夫人の児童文学者としての才能と評判を彼はよく知ってい た。 バイニング夫人は4年間、皇太子の家庭教師を務め、帰国後 の1952年に著した『皇太子の窓』はアメリカでベストセラーと なり、皇室に対するアメリカ人のイメージを変えるのに大きな 役割を果たした。 ■9.「天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人」■ 東京裁判開廷から2ヶ月過ぎた昭和21(1946)年7月、フェ ラーズは陸軍を退役して帰国の途についた。その際に、次のよ うな手紙を、天皇の側近・寺崎英成に書き送った。 あなたの有能な上司、すなわち天皇陛下に次に会うとき、 私の気持ちをぜひ伝えてください。私が日本を去るのは、 私が日本にいるよりもアメリカに帰った方が、日米両国の 相互理解の増進により多くの貢献ができると確信したから です。天皇陛下に心からの敬意を払っています。[1,p273] フェラーズはこの言葉通り、帰国後は全米各地を回って極東 問題やソ連についての講演を行い、雑誌に記事を投稿した。 『リーダーズ・ダイジェスト』1947年7月号には、『降伏のた めに戦った天皇裕仁』と題して、昭和天皇を讃えた。その中で はソ連が東洋における支配的地位を狙って、日本からの和平斡 旋の依頼を握りつぶして、戦争を長引かせ、自らに最も好都合 な時に対日戦を始めた事を指摘した。 1950年2月、ソ連は突如として天皇を細菌化学戦争の計画立 案に関わった罪で「追加戦犯」として、国際軍事法廷で裁くこ とをアメリカに求めた。しかし米国は解決済みの問題として、 これを黙殺した。 昭和46(1971)年2月、日本政府はフェラーズに対して、勲 二等瑞宝章を贈った。その申請書にはこう書かれていた。 ボナー・フェラーズ准将は・・・連合国軍総司令部に於 ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる 大恩人である。[1,p190] (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(121) 笹川良一(上) 獄中の東条英機に命をあきらめて国家を弁護せよと叱咤した 男 b. JOG(122) 笹川良一(下) 東京裁判での罪なきBC級戦犯釈放に奔走 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1. 岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし―河井道とボナー・フェラ ーズ 」★★★、ホーム社、H14 2. 東野真「昭和天皇二つの『独白録』」★、日本放送出版協会、H10 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■「昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)」について 「じゅんどん」さんより 私は生まれたときから教会に通い、現在もクリスチャンです。 神の存在を信じていますし、キリスト教こそ救いであると信じ ています。ただ、日本におけるキリスト教の皇室、国旗、国歌 に対する態度や国家感には少なからず、いや相当違和感を感じ ている者でもあります。 他にも新渡戸稲造や(色々な評価があると思いますが)内村 鑑三などすばらしいクリスチャンがいますが、今回、このメル マガを通して河井先生のような立派で健全な国家感を持った日 本人のクリスチャンが存在したのだと言うことを再認識できた ことをとても感謝しています。 それにしてもここ数年の日本のキリスト教の「国旗・国歌」 に対する態度、言論は正に異常です。いつまでたっても戦前、 戦中の弾圧に対する被害妄想が抜けない体質には私も相当辟易 としていますが、新たな価値観を創造すべく努力したいと考え ています。 ■ 編集長・伊勢雅臣より 第2、第3の新渡戸稲造や河井道が登場することを期待して ます。© 平成16年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.