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     600年間守られた雲南省ペー族の「日本人僧侶供養塔」

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1106 ■ H18.03.13 ■ 8,298部 ■■■■■■■

     明代初めの西暦1380年、当時の宰相だった胡惟庸らが日本と
    結託、謀反を図ったとして演武帝(朱元璋)に大量粛清された
    事件(胡惟庸の獄)が起こった。

     この時、日本から留学していた4人の僧侶も事件に巻き込ま
    れたらしい。4人の僧は辺境の雲南省大理に流された。明代の
    詩集には次のような日本人僧侶の詩が残されている。

        故郷を離れて十数年
        異郷をさすらう
        一夜、秋風が吹き
        また故郷を想う

     その後、海外渡航を制限した「海禁政策」により、4人も帰
    国できなかった。大理は仏教が盛んな土地で、住民の少数民族
    ペー族は友好的で、日本人僧らが残した詩などから、地元の僧
    侶だけでなく、一般民衆や知識人との幅広い交流があった事が
    うかがわれる。

     彼らの没後、現地の詩人も日本人僧侶の死を惜しむ詩をささ
    げている。ペー族は、4人の悲劇的な境遇を哀れみ、「日本四
    僧塔」と呼ぶ供養塔を建てた。塔は高さ約五メートル、幅約三
    メートルの縦長のドーム状をしている。

     ペー族はこの塔を600年も護り、共産中国成立後も、大躍
    進運動などで破壊される危機があったが、住民が守ってきたと
    いう。

     仏教は人の心を優しくする。仏教を通じて、日本人僧侶と地
    元の民が心を通わせたことは、心温まる逸話である。

     また、雲南省は長江文明の民が漢民族に敗れて逃れた地であ
    る。その一部は、海に逃れ、台湾を経由して、日本に逃れてき
    た、という仮説がある。とすれば、日本人僧侶とペー族の人々
    とは、遠く祖先を同じくする遠戚の再会だったのかも知れない。

    JOG(304) 日本のルーツ? 長江文明
     漢民族の黄河文明より千年以上も前に栄えていた長江文明こ
    そ、日本人のルーツかも知れない。

    (参考: 産経新聞「明代初期の中国に留学 4人客死 日本
            人僧侶の供養塔を公開」H17.12.20) 

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