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■■ Japan On the Globe(528)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 国柄探訪: 正月行事と先祖の祈り 正月は子孫に無病息災と豊穣をもたらす 歳神様をお迎えする時。 ■転送歓迎■ H19.12.23 ■ 35,794 Copies ■ 2,719,033 Views■ ■1.元旦とともに東からやってくる歳神様■ 現在の暦では正月は冬のさなかで、「新年」という実感には 乏しいが、旧暦では来年の元日は2月1日。冬至と春分の中間 にあたる立春のあたりで、寒さはまだ厳しいだろうが、少しず つ日が長くなり、春の訪れが感じられる時期である。 旧暦は月の満ち欠けに基づく太陰暦なので、大晦日(おおみ そか)は闇夜だが、元日の夜には細い弓のような「新月」が現 れ、新しい月が始まる。 その闇夜が明ける卯の刻(午前6時)に、歳神様が東の方か らやってくる。歳神様は正月様とも呼ばれるが、祖先の御霊 (みたま)である。わが国では、死者が子孫を見捨てて、自分 一人、天国や西方浄土に行ってしまうとは考えなかった。祖先 の霊は子孫をいつも見守ってくれている一家の守護神であり、 同時に豊作をもたらす穀霊でもあった。[a] 歳神様のお陰で、一家が一年を無事に過ごせたことに感謝し、 また新しい年も幸福に過ごせるようにお祈りする。年末から年 始にかけて様々な行事があるが、それらのほとんどは、歳神様 をお迎えするためのものなのである。 その由来を辿ってみれば、我々の先祖が、一つ一つの行事に どのような祈りを込めてきたのか、思い出すことができるだろ う。 ■2.歳暮、餅つき■ 年末には親やお世話になった人々にお歳暮を贈る。歳暮とは、 文字通り「歳の暮れ」を指すが、もともとは、歳の暮れになっ て歳神様に米、餅、魚などをお供えしたのが始まりだった。そ れが都会に出て帰省できない子供や遠方の親戚が、本家の祭壇 にお供えしてもらうよう、供物(くもつ)を贈るようになり、 それとともに両親の長寿を願ったのが、お歳暮という習慣に変 わっていった。 お歳暮として塩ザケや塩ブリが好まれたが、これらは「年取 り肴(さかな)」と呼ばれ、年越しの食膳には必ず出されたも のである。長期保存ができる点も重宝がられた。 年末には餅つきをして鏡餅を作る。鏡餅も歳神様への供え物 であり、またご降臨された年神様が家の中で鎮座される場所だっ た。 もともと餅は神様に供える神聖な食べ物と考えられていた。 鏡餅と呼ばれるのは、昔の鏡が円形だったからで、丸い形は神 の御霊を象徴している。大小二つ重ね合わせるのは、月(陰) と日(陽)を表して、月日をめでたく重ねる、あるいは、福徳 を重ねるという意味が込められていたようだ。 ■3.大掃除、門松、注連(しめ)飾り■ 年末には大掃除もする。これは歳神様をお迎えするために住 居のお清めをする「すす払い」に由来する。住まいが清められ て、人間の方もすがすがしい気持ちで新年を迎えることができ る。 それに門松。これは歳神様が迷わずにご降臨されるために門 につける目印である。とくに松が飾られるようになったのは平 安時代からで、松は古くから神が宿る木と考えられていたため だ。さらにまっすぐに節を伸ばす竹が、長寿を招く縁起物とし て門松に添えられるようになった。 玄関口や神棚には「注連(しめ)飾り」をつける。神社でし め縄を張るのと同じで、家の中が歳神様を迎える神聖な場所で ある事を示す。しめ縄の簡略化されたものが、しめ飾りや輪飾 りである。 「年男」とは現代ではその年の干支に当たる人を指すが、もと もとは歳神様をお迎えする準備を取り仕切る人を意味した。室 町幕府や江戸幕府では、古い儀礼に通じた人が任ぜられたが、 一般の家庭でも家長、あるいは、長男などが当たるようになっ た。 年男は正月が近づいた暮れの大掃除から、門松や注連飾りな どの飾り付け、鏡餅や若水などの歳神様への供え物、おせち料 理の準備など一切を取り仕切る。 こうして清められ、供え物も整った所に、いよいよ歳神様を お迎えするのである。 ■4.大晦日■ 1年の最後の日を「大晦日(おおみそか)」と呼ぶ。 大晦日の「晦」は「暗い」という意味で、この日は月の出な い闇夜だからである。月の満ち欠けを基準にする旧暦では、 毎月の最後の日が闇夜だったので、その日を「晦日(みそか)」 と言った。そして一年の最後の「晦日」を、「大晦日」と呼ん だのである。 大晦日は「おおつごもり」とも言う。「つごもり」は「月籠 もり」が転じたものである。この夜は月が籠もって姿を現さな い。翌晩に出てくるのは新月であり、それが徐々に半月になり、 満月へと成長していく。その後はまた次第に細っていき、「月 籠もり」を迎える。我々の先祖は月の満ち欠けに人間の生死と 同じサイクルを観じていたのである。 古くは一日の終わりは日没と考えられていたので、一年の終 わりは大晦日の日没時である。それとともに新年が始まる。そ して大晦日の晩は身を清め、寝ないで翌朝の歳神様のご来臨を 待つ。 大晦日の晩を「除夜」とも言うが、「除く」とは「押しのけ る」という意味で、「古い年を押しのけて新年を迎える夜」と いう意味がある。あるいは、「寝ないで朝まで起きているので、 夜が除かれるから」という説もある。 ■5.初詣、除夜の鐘、おみくじ■ 大晦日の夜は、神社では境内で火を焚き、夜を徹して神主が 罪や穢(けが)れを清める大祓(おおはら)えを行う。一家の 長は、氏神の社に除夜から翌朝まで籠もって歳神を向かえる。 これを年籠り(としごもり)と呼んだ。 この年籠もりが、大晦日の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」 の2つに分かれ、後者が現在の「初詣」の原型になった。 寺院では、午前零時を前にして除夜の鐘をつき始め、108 回鳴らす。これは中国の宋代に始まった慣習だが、静かな夜更 けに響く鐘の音は、いかにも荘厳な雰囲気を盛り上げる。年神 様を迎える聖なる時にいかにもふさわしい。 異国から伝えられた仏教行事も八百万の神々のおわすわが国 では、土着の慣習に自然に融合しているのである。 初詣の際に、おみくじを引くようになったのは、江戸時代ご ろからのようであるが、くじによって神意をうかがうことは、 そのはるか昔から行われていた。鎌倉時代には、農村で用水を 田に引く順番を決めるときや、漁村で漁場の割り当てを決める ときに、話し合いがつかない際には、村人たちがそれぞれ名前 を紙片に書き、神主がお祓いをしてから紙片を引いて決めた。 「神仏の配慮は公平」と信じられており、おみくじは、地域共 同体を円滑にまとめる手段であった。日本の神様はこんな所で も助けてくれる。 ■6.「神人共食」■ 歳神様のご降臨の前、午前4時頃に最初に井戸から汲む水を 「若水」といった。これも歳神様にお供えするものである。 若水を汲むことを「若水迎え」と言って、その途中で人に出 会っても話をするのは厳禁とされた。神棚に供えたあとの若水 を飲めば一年の邪気を除くと信じられていた。 おせち料理は、もともと季節の変わり目として何回かある節 句の時に歳神様にお供えする「お節料理」だった。やがて、節 句のなかでも正月がもっとも重要なものということから、正月 料理を指すようになった。 またお雑煮は、歳神様に供えた餅を神棚から下ろし、それを 野菜や鶏肉、魚などを煮込んで作る。関西では丸餅を使うが、 これは現在でも歳神様に供えた鏡餅をかたどっているためと言 われている。 おせち料理やお雑煮などを食べるのに使う祝い箸は両端が細 くなっている。これは一方で歳神様が食べられるからである。 このように歳神様と家族とで一緒に食事をすることを「神人共 食」という。 どこの国でも、お客に食事を出して一緒に食べることが、お 互いの親密度を高める手段となっているが、それが神様にまで 適用されているのが、わが国の面白い所である。日本の神様は 一神教のように天地を創造した超越神ではなく、子孫の家に上 がり込んで饗応を受ける、気さくな親しみ深い存在なのである。 ■7.数え年とお年玉■ 元旦に飲むおとそは、もともとは中国の唐代から飲まれるよ うになった薬酒の一種で「お屠蘇」と書く。「悪鬼を屠(ほふ) り、死者を蘇らせる」という意味で、こう書くと、日本人の感 覚からするとややグロテスクである。 元旦にお屠蘇を飲む習慣は、平安時代に日本に伝わって、宮 中の元旦の儀式として取り入れられ、やがて庶民の間にも広まっ ていった。御神酒を神様に供えるという日本古来の風習との親 和性があったからだろう。除夜の鐘と同じく、異国の習慣でも、 古来からの日本の風習と親和性があるものは、素直に取り入れ る所に、我が祖先の柔軟性が窺われる。 数え年では、元日に家族全員が一斉に年をとる。だから、古 い年を無事に過ごし、新しい年を一緒に迎える正月は、格別の ものがあったろう。西洋流に個人毎に異なる誕生日を持つとい う風習が広まって以来、年をとるということは、ひどく個人的 な営みになってしまった。 一緒に年を取るのは家族ばかりではない。家で飼っている牛 や馬、臼や鍋、釜、包丁、鉈などの道具も一緒に年をとると考 え、餅を供えたりする。動物や道具も一緒にこの世で生を営ん でいるという仲間意識のようなものを持っていたからであろう。 正月に子供たちが貰うお年玉は、もともとは歳神様からの贈 り物だった。歳神様にお供えした餅を下ろし、年少者に分け与 えたのが始まりと言われている。地域によっては、歳神に扮装 した村人が元旦に各家庭を回って、子供たちに丸餅を配って歩 く風習がいまだに続いている。 ■8.鏡開き、小正月■ 1月11日には、歳神様に供えた鏡餅を下ろして、雑煮や汁 粉にして食べる。これを「鏡開き」と言う。歳神様が宿ってい る鏡餅に刃物を入れるのは忌むべきことなので、手や木槌で割 る。また「切る」「割る」とは縁起の悪い言葉なので「開き」 と言いかえる。 昔の武家では、鏡餅で作った雑煮や汁粉を主君と家来が揃っ て食べ、商家でも主人と使用人たちが一緒に食べた。「神人同 食」と同様、同じ食物を共に食べることで、親密さを深めるこ とができるのである。 1月15日を「小正月」という。新年の最初の満月の日であ る。この日の朝には小豆がゆを食べる習慣があった。小豆のよ うな赤い色の食べ物は、身体の邪気を払うと考えられていた。 めでたい時に、赤飯を炊くのもこの理由からだろう。 この日の前後に「左義長」または「どんど焼き」「どんど祭 り」などと呼ばれる火祭りが行われる。正月に飾った門松やし め飾りを、神社や寺院の境内に持ち寄って燃やす。その時の煙 に乗って、新年に訪れた歳神様が天上に帰って行く。 この時に、餅や芋、だんごなどを棒に刺して、焼いて食べる と、その年は無病息災であると信じられていた。 ■9.ハレとケ■ 古来から日本人はハレの日とケの日を厳密に分けていた、と いう民俗学の説がある。ケの日はふだんどおりの日常生活を送 るが、それが続くと次第に生きるエネルギーが枯渇してくる。 それが「ケ枯れ」(汚れ)である、という。 「ケ枯れ」を回復するために、人々はハレの日の祭事を行う。 日常を抜け出して、「晴れ着」を着たり、神聖な食べ物である 赤飯や餅を食べたり、酒を飲んだりする。 正月は、そのハレの日の中でも中心的なものであった。禊ぎ をして身のケガレをとり、家のお祓いをして、歳神様をお迎え する。歳神様は一家の守護神であり、また豊穣の神でもあった。 この慈愛あふれる歳神様と酒食を共にすることで、人々は新た なる年に向かうエネルギーをいただく。 我々の祖先は、こうした豊かな世界観に基づいて、正月行事 を行い、そこから新しい一年に向かうエネルギーを得ていたの である。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(326) 日本人の一年(ひととせ) 我々の祖先は四季折々おりおりに神々に祈り、感謝しつつ、 一年を送ってきた。 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1. 飯倉晴武『日本人のしきたり―正月行事、豆まき、大安吉日、 厄年…に込められた知恵と心』★★、青春出版社、H15 ■「正月行事と先祖の祈り」に寄せられたおたより Keikoさんより 今回のお話、知らないことがたくさんあったのですが、それ は私だけではなかろうと思いますので、自分のメルマガ「イタ リアからボンジョルノ!」でも紹介させていただきますことを ご了解ください。 貴誌に出会えなかったらとっくの昔に日本人としての誇りを 忘れていたかもしれない思うとぞっとします。 イタリア人と家庭を持っているので、希望すればすぐにでも イタリア国籍を取得できるのですが、私は日本人のままで一生 を終えたいと思います。 イタリアに終生滞在できる権利は有しているので、国籍は特 にほしいとは思いません。美しい国、日本に生まれたことを誇 りに一生日本人として生きていきます。 どうか好いお年をお迎えください。© 平成19年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.