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                    日台同盟の志士たち

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1271 ■ H19.04.09 ■ 8,841 部 ■■■■■■■

     昨日配信した国際派日本人養成講座491号「日台の掛け橋
    となった『台湾大使』」では、内田勝久氏をご紹介したが、そ
    のほかにも日台関係を維持・強化するために力を尽くしている
    日本人は少なくない。

■1.外務政務次官を辞職して訪台した水野賢一氏■

     内田氏が「大使」として赴任した2002(平成14)年は、奇し
    くも日中国交回復30周年にあたっていた。中国政府は日本政
    界の大物を多数北京に招待して盛大な祝賀行事を準備していた。

     そこに外務省にとって想定外の事態が起こった。自民党議員
    で外務政務官を勤めていた水野賢一氏が台湾訪問の希望を表明
    したのだった。「日中国交回復30周年とは、取りも直さず日
    台断交30周年である。台湾の国民感情に配慮する日本人は一
    人もいないのか」というのが、水野氏の心情であった。

     外務省は20年前から「訪台できるのは課長補佐以下」とい
    う内規を定め、中国に気を使っていた。外務政務次官が訪台し
    たら、中国が怒り、祝賀ムードもぶち壊しになる。川口順子外
    相は反対したが、水野氏は政務官を辞任し、一人で台湾に旅
    発って、大歓迎を受けた。一人の日本人の武士道的振る舞いが、
    台湾人を全面的な日本不信に追いやる事態を防いだのであった。

■2.台湾の世界保険機構(WHO)参加支持■

     台湾は中国の反対のために、世界保険機構(WHO)へのオブザ
    ーバー参加すら拒まれていた。そのため2003年に中国国内で発
    生したSARSについてもWHOを通じての十分な情報がもた
    らされず、結局、台湾でも84名の死者が出たのである。

     その前年の2002年5月14日、WHO年次大会がジュネーブ
    で開かれている最中に、福田康夫官房長官が記者会見で「日本
    としては、関係者の満足する形で台湾がオブザーバー参加する
    ことが望ましい」と述べた。台湾の総統府、外交府をはじめと
    する関係者からは内田大使のもとに日本政府への謝意伝達依頼
    が殺到した。

     親中派と呼ばれる福田康夫氏が、中国の神経を逆なでするよ
    うな意見を率先して公の場で述べるとも思われないので、これ
    は日本政府のトップレベルの誰かの意向であると思われる。

■3.森元総理の台湾訪問■

     元首相森喜朗氏も志士の一人であろう。首相時代の平成13
    (2001)年、李登輝氏が心臓病の治療のため、訪日ビザの申請を
    行ったが、槙田邦彦外務省アジア太平洋局長は申請を握りつぶ
    し、さらに申請を受けていないなどとの虚偽の発言までして訪
    日を阻止しようとした。この時、事の真相を知った森首相の決
    断で、訪日治療が実現した。

     また、首相退任後の平成15(2003)年には、非公式かつ私的
    な形ながら、台湾を訪問した。日台断交後、首相経験者が訪台
    したのは92年の福田赳夫氏に次いで2人目である。中国側は
    事前に何度も「遺憾と強い不満」の意を表明したが、それを押
    し切った形となった。

     しかし、外務省は内田大使に「出迎えや見送りを含め一切の
    行事への参加を差し控えれらたい」と訓令を送った。森前首相
    は内田氏をホテルの呼び出し、「一体、誰がそんな訓令を出し
    たのか。これから帰国までちゃんとフォローしてほしい」と叱っ
    た。内田氏は外務省の訓令に違反して、森元首相に見送りまで
    付き添い、ねぎらいの言葉をかけられた。

■4.愛知万博への参加と、ビザ免除■

     平成17(2005)年の愛知万博(愛・地球博)にも、台湾は国
    際博覧会のメンバーでないので、公式参加は出来なかった。台
    湾政府は智恵を絞って民間出展ゾーンや、コンベンション・ホ
    ール一般公募による出展を打診したが、「敷地が満杯である」
    「企画が不十分である」といった理由で拒否された。内田大使
    は、また日本政府が政治的問題を回避しようとしているとの意
    図を感じた。

     ところが、内田大使の知らない所で、新しい展開があった。
    万博会場の外側ではあるが、会場前広場で台湾側が飲食店を開
    き、土産物を販売し、またアトラクションも開催できるという
    のである。内田大使は「私はここにいたる経緯は何も承知して
    いないが、日本側で大きな政治の力と知恵が働いたのであろう。
    それ以外に考えようがない」と述べている。

     同時に特別立法により「愛・地球博」の期間中に、台湾人に
    た対する観光ビザの免除が実現した。その後、万博以後も恒久
    的に台湾人にはビザ免除が継続できるよう入国管理の法改正が
    行われた。ビザ免除は総統以下、台湾側要人から事ある事に要
    請されてきたことだった。

     こうした成果も、名前は明かされていないが、日台関係の強
    化を目指す志士たちの活躍の賜であろう。

■リンク■
a. JOG(491) 日台の掛け橋となった「台湾大使」
    内田前台湾大使は、李登輝前総統の訪日実現などで断交後、
   最良の日台関係を作り出した。

■参考■
1. 内田勝久『大丈夫か、日台関係』★★★、産経新聞出版、H18

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