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■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■ 旭日旗がそのまま自衛艦旗として受け継がれた経緯 伊勢雅臣 ■転送歓迎■ No.1427 ■ H20.04.14 ■ 9,690 部 ■■■■■■■ 海上自衛隊の艦艇が掲げる旭日旗(自衛艦旗)をご存じだろ うか。日の丸から16条の旭光が出ているデザインである。各 国の海軍軍艦は、それぞれの軍艦旗を掲げるが、「自衛艦」は 国際的には日本海軍の軍艦であり、自衛艦旗はその「軍艦旗」 にあたる。 軍艦は国土の延長とされ、軍艦旗を掲揚する艦艇に行き会っ た民間船は自らの国旗を少し下げ、元の位置に戻す、という形 で敬礼をするのが国際慣行である。 実は自衛艦旗は戦前の日本海軍の軍艦旗そのままのデザイン なのである。海軍が「海上自衛隊」、軍艦が「自衛艦」などと 戦後の言い換えが進められた中で、なぜそのシンボルである軍 艦旗のデザインがそのまま護られたのか。そこには軍艦旗を護 ろうとした人々の陰ながらの苦心があった。 昭和29年の自衛隊創設の際に、当時の反軍的世論を鑑みて、 軍艦旗のデザインも再考することとなり、米内穂豊画伯に図案 作成の依頼が持ち込まれた。 画伯は悩み抜いた末、結論に至る。 「軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線 の配合など実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考え ようがない。それで、軍艦旗そのままの寸法で1枚書き上 げた。お気に召さなければご辞退致します。画家としての 良心が許しませんので」 “画伯の作品”は「創設する海自への影響」「国民感情」 などを焦点に庁議にかけられたが、保安庁長官は裁可した。 詰まる所、旗の持つ動かしがたいきらびやかさ、雄雄しさ、 芸術性は、敗戦で自信を失った関係者の心を揺さぶり、引 いてはならぬ一線=誇りの存在を気付かせたのではないか。 海軍魂の象徴・軍艦旗の消滅を惜しんだ海軍OBや芸術家、 官僚らが期せずして心を一にし、阿吽(あうん)の呼吸の 結果、軍艦旗を自衛艦旗として蘇生(そせい)させたので はないか。 自衛艦旗を最終的に承認した吉田茂首相も「呼吸」を共 にした一人に違いない。説明を聞いた首相は、こう語って いる。 「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても 日本の艦だと一目瞭然(りょうぜん)で誠に結構だ。海軍 の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやって もらいたい」[1] こうして日本海軍の旭日旗は、そのまま海上自衛隊の自衛艦 旗として引き継がれた。吉田首相の「海軍の良い伝統を受け継 ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」とは、多く の国民が共有する願いでもあろう。 ■参考■ 1. 産経新聞、H20.04.03「【野口裕之の安全保障読本】軍艦旗救っ た画家の良心」、東京朝刊、5頁© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.