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■■ Japan On the Globe(583)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

     人物探訪: C・W ニコル 〜 誇り高き日本人として

                     「私は、これからも誇り高き日本人として
                     精いっぱい生きていきたいと思っている」
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■1.「日本のどこがそんなにいいんですか」■

     英国生まれのC・Wニコルさんは、平成7(1995)年、日本国
    籍を取得した。その理由を、こう語っている。

         日本が私の家であり、もっとも愛する国だからだ。どの
        国にもまして、私は日本でいちばん多くの時間を過ごして
        いる。家族も友人も世界中にいるけど、私のいちばん親し
        い人たちはほとんどが日本人だ。日本は私に衣食住を与え、
        移動を許し、私を守ってくれる。[1,p201]

     こう言うと、よく「日本のどこがそんなにいいんですか」と
    尋ねられる。そう聞くのは、いつも決まって日本人だという。

     ニコルさんはケルト系日本人と自称する。ウェールズで生ま
    れたケルト人だからだ。これほどまでに日本を愛するケルト系
    日本人に、「どこがそんなにいいんですか」と聞く日系日本人。
    この光景に、現代日本人の精神的な問題が現れている。

■2.「僕もニコルになりたいです」■

     ニコルさんは1940(昭和15)年、英国西部のウェールズに生
    まれた。実父は幼い頃に戦争で亡くなっている。

     未亡人となった若く美しい母親に言い寄る男は多かったが、
    5歳のニコル少年は客のミルクティーにミミズを入れたりして、
    撃退した。

     10歳になった時、母親は背の高い海軍軍人に出合った。ハ
    ンサムで男らしく、人を笑わせるのが得意な人で、その人の姓
    がニコルだった。ニコル少年は「父親にするなら、この人だ」
    と思った。母親が結婚した後、弁護士に呼ばれ、「お母さんの
    名前がニコルに変わったのは知っている?」と聞かれた。父親
    から「養子縁組をしたい」という申請が出ていたからだ。

     少年は「知っていますとも。僕もニコルになりたいです」と
    答えた。後にこれを聞いた父親は、男泣きしたという。

         かくて私の苗字はニコルとなった。この名前は私の誇り
        だ。・・・私たちはたがいに選び会った親子だ。父が息子
        を選び、息子も父を選んだのだ。[1,p12]

    「父の自慢の息子になりたい」という一心で、シー・カデット
    (英国海軍の精神に基づいた青少年育成活動を行う慈善団体)
    に入った。将来は英国海軍に入隊するという野望を胸に秘めて。
    学校は嫌いだったが、規律の厳しいシー・カデットの訓練は大
    好きだった。

■3.「日本人は残忍で恐ろしい国民なの」■
    
     シー・カデットで柔道の手ほどきを受け、ニコル少年はYM
    CA柔道クラブに通うようになった。指導者は元コマンド、す
    なわち英国海兵隊特別奇襲部隊の隊員だった人物だった。茶帯
    で柔道一級の資格を持っていた。

     ニコル少年が熱心に柔道クラブに通う姿を見て、母親が言っ
    た。なぜおまえはそんなに「中国のレスリング」に熱中するの?

     ニコル少年が「柔道は中国ではなくて日本の格闘技だよ」と
    答えると、母親は激怒した。

         日本だって? おまえ、日本のスポーツをやっているの?
        許しませんよ。いいかい、日本人は残忍で恐ろしい国民な
        の。戦時中、英国人捕虜にどれだけ残酷なことをしたか、
        お前は知らないのかい?

     ニコル少年が「降参するからいけないんだ。日本の兵士は決
    して降参しないよ。死ぬまで戦えと言っておくべきだったんだ」
    と元コマンドの受け売りで口答えすると、母親は息子の頬を思
    い切り平手で打った。

     父親は泣き出した母親を抱きしめながら、ニコル少年にしば
    らく外に出ていろ、と顎で合図した。あとで、父親は「しばら
    くこの家で日本の話はしないことだな」とニコル少年を諭した。
    
■4.初めて出合った日本人■

     柔道クラブでは、みなでお金を出し合って、ロンドンから黒
    帯の先生を招き、3日間の特別講習をしてもらうことになった。
    「小泉先生」という日本人の中でも一流の黒帯が来てくれると
    いう。

     ニコル少年は小泉先生の姿を想像してみた。戦後の映画には
    日本人の悪役がよく出ていた。それから察するに、ずんぐりと
    した体型で、太い首が肩につながっていて、脚は太くガニマタ、
    目は細くつり上がっている。声はうなり声に近いだろう。

     皆で駅まで迎えに行って、汽車から出てきた人物を見たとき、
    これは何かの間違いだと思った。中背で、背筋がしゃんと伸び
    た引き締まった体つき、よく手入れされた口ひげと洗練された
    服装、物腰。口から出てくる英語は、この上なく丁寧で非の打
    ち所がなかった。こんな紳士が本当に黒帯の柔道家なのか。

     小泉先生は、第二次大戦のはるか以前、日英同盟があった時
    代に、講道館から英国に派遣された柔道5段の人物だった。

     稽古の第一日目は、正しい並び方やお辞儀の仕方について、
    たっぷりと講義を受けた。この人は本当に強い柔道家なのか、
    と皆怪しんだ。

     最後に、小泉先生は元コマンド教師に向かって、「見本に軽
    く乱取りをやってみせましょう。お相手願いできませんか」と
    丁寧な口調で頼んだ。そしていざ乱取りを始めると、小泉先生
    は元コマンドの巨体を人形か何かのように易々と投げ飛ばした。
    10分の間に、彼は何度も投げ飛ばされ、顔は真っ赤、全身汗
    まみれ、息も絶え絶えっという有様になった。

     この一部始終を見ていた、ニコル少年は、思わず唸った。柔
    道に対する畏敬の念がふつふつと湧き上がってきた。そして、
    小泉先生という初めて出合った日本人に対しても。この出会い
    を機に、ニコル少年は、いつか日本に行って武道を学ぼうと決
    意を固めていった。
    
■5.母親の日本人への反感を拭い去った金沢先生■

     ニコルさんは、22歳で初めて日本を訪れた。母親は日本行
    きを止めてもムダだと分かってくれたが、反日感情はなかなか
    捨てなかった。

     日本では空手を学んだが、その教師・金沢ヒロカズ先生が、
    英国を訪問し、両親の住む町の空手クラブで指導をすることに
    なった。ニコルさんはぜひ両親の家に泊まるようにと勧め、金
    沢先生は喜んでその申し出を受け入れた。

     日本人への偏見とは無縁の父親は、ハンサムで礼儀正しい金
    沢先生とすっかり仲良くなり、わしの「ヒーロー」と呼び始め
    た。さらに金沢先生の人間的魅力は、母親の心をほぐし、日本
    人への反感を拭い去った。母親は、自分が今までとんだ誤解を
    していたと、周囲の人に言うまでになった。

     戦争が生み出した憎しみを、一人の日本人が個人的なつきあ
    いを通じて、拭い去ったのであった。

     武道のほかに、ニコルさんは日本にいる間に、もう一つ、心
    動かされる経験をした。鬱蒼としたブナの森を歩いた時のこと
    である。

         樹木の霊気に包まれた私の胸に、かつて経験したことの
        ない不思議な感動がこみあげてきた。私はその場に立ちつ
        くしたまま、頬を伝う涙をぬぐうことも忘れていた。ここ
        はエデンの園なのか。はるか昔のブリテン島で、ケルト人
        の心を熱くしたのはこの感動だったのだろうか。[1,p212]
    
■6.「心から愛する日本のために力を尽くそう」■

     ニコルさんが、日本で二度目の長期滞在を始めたのは、昭和
    45(1970)年のことだった。そして昭和55(1980)年に、自然
    豊かな長野県の黒姫に家を建てて定住した。

     しかし、時あたかもバブル期の絶頂で、黒姫でも古い森林は
    伐採され、川はコンクリートで固められ、湿地はゴミで埋め立
    てられ、人びとは金儲けに目の色を変えていた。

         山、川、野尻湖、それに澄んだ空気が気に入ってこの地
        に住み着いた私は、この環境の変化に戸惑い、あれほど大
        好きだった日本がなぜこのようになってしまったのか、あ
        れほど大好きだった日本人がなぜこの馬鹿げた騒ぎの愚か
        しさに気づかないのかと大いに悩み、落ち込んだ。
        [1,p161]

     そんな時、生まれ故郷のウェールズから便りが届いた。そこ
    では、かつて炭坑の町として栄えて、すっかり木々のなくなっ
    た谷と丘に新しい森を作ろうという運動が展開されているとい
    う。ニコルさんは驚いて、自分の目で見ようと故郷を訪れた。

         そして私は喜びと希望に満ちあふれた。そこには確かに
        若い森があったのだ。人々がボタ山にバケツ一杯の土と苗
        木を持ち寄り、森を作ったのだ。

         このような土地に森がつくれるならば、私も日本ででき
        ることがある。もう文句ばかりいうのはやめよう、私も彼
        らにならって心から愛する日本のために力を尽くそう、と
        心に決めた。[1,p162]

     こうしてニコルさんは黒姫で、見捨てられた田畑や荒れ果て
    た林などを次々と買い集め、もともとそこにあったはずの木を
    植え、丹念に手入れをして、森を育てていった。
    
■7.「森を守るには手をかけなければならない」■

     森を守るには、手をかけなければならない、とニコルさんは
    言う。

         まず下草をはらい間伐を行って発育不全の木をとり除く。
        これで土壌の養分がすみずみの木々に行き渡るし、地面に
        も太陽の光が届く。その結果、丈夫でまっすぐな若木の生
        育が期待できる。草花にも生い茂る場所が与えられ、ラン、
        ユリ、アネモネ、リンドウ、スミレ、その他さまざまな野
        生植物が咲き乱れるようになる。

         ただし、心がけたいことがある。下草狩りの際、小鳥た
        ちが巣をつくれそうな茂みを残してやることだ。木に絡み
        つくツル性食物を切る時も、クマや鳥が好きなヤマブドウ、
        アケビ、サルナシなど実をつける植物は残しておく。
        ・・・

         その他の作業としては、池掘りと詰まった水路の清掃。
        この作業の目的は、カエル、イモリ、水生植物に水生昆虫、
        さらにサギ、カモ、カワセミといった水鳥の生息環境を整
        えることにある。また、シジュウカラ、フクロウにように
        木の開いた大きな「うろ穴」に営巣する鳥のために巣箱を
        設置し、鳥たちが使っているかどうか常時、観察している。
        [1,p217]

     森とは、かくも多種多様な動植物が共生する場なのである。

■8.「この一人の異邦人はやっと帰るべき故郷を得た」■

     ニコルさんは「日本の原生林は日本の国の大切な宝です」と
    言う。北海道の北の端から南の西表島まで、森の動植物の生息
    地域がきわめて広い範囲にわたっている。生物学的に素晴らし
    い多様性をそなえ、まさに遺伝子の宝庫である。日本はそうし
    た遺伝子から得られた情報を医学や農業、工業に生かしながら、
    日本の森のわずか2パーセントに過ぎない原生林を保つ先見の
    明も持てないのか、と主張する。

     それどころか、林野庁は天然混交林をつぶして単一種の針葉
    樹を植える人員への給与支払いに、多額の税金を投入している。
    その一方で、安価な外国産木材の輸入に反対し、国家一丸となっ
    て将来のために、健全な森を育てよう、という熱意がないこと
    を、ニコルさんは非難した。

     また、森を保護するには、レンジャー(監視員)が必要だ。
    密猟者を取り締まり、見学者を案内し、さらに遭難者の捜索救
    助活動を担当する。カナダには4千人、アメリカにはその倍の
    レンジャーがいるが、日本には200人ほどしかいない。ニコ
    ルさんはレンジャー養成のための学校創設を環境庁に提案し、
    実際に有志が設立した学校で、学生たちのフィールドワークを
    指導するようになった。ニコルさんの育てた森がフィールドワ
    ークの現場として活用されている。

         ケルト系日本人の年老いたアカオニにとって、森から貰っ
        た最高のプレゼントは森との一体感だ。私の死後も森は生
        き続けてくれる。この一人の異邦人はやっと帰るべき故郷
        を得た。正真正銘の日本の国民になれたのだ。[1,p220]
    
■9.「誇り高き日本人として」■

    「正真正銘の日本の国民」になれたニコルさんから見ると、現
    代の日本人は「大切にすべき自らのアイデンティティーをいと
    も簡単に投げ捨てているように見える」。

         日本人が最も大切にすべきものの一つに森がある。日本
        は国土の70パーセントを木に覆われた世界に冠たる森の
        国である。・・・私は、縄文時代以来、日本の文化的基層
        は、森との関わりの中で築かれたものだと思っている。
        ・・・人は死んで皆お山、すなわち森に還るというのが、
        仏教が日本に伝わる以前から人々に根強くある死生観だと
        思う。・・・

         その森に対する意識が全く希薄になり、森を愛さぬばか
        りか、平気で原生林を破壊したりする日本人が出現してい
        ることが私には不可解でならない。[1,p224]

     日本人が忘れ去りつつある、もう一つのアイデンティティー
    が武士道精神である。

         私は日本の武士道に憧れる一方、父や父祖からは騎士道
        精神を叩き込まれて育った。この二つに共通するものは、
        自己犠牲の精神と勇気であり、それは私自身の願っている
        生き方である。それにしても、日本人のモラル・バックボ
        ーンであり続けた武士道的精神がどこかに消え失せてしまっ
        たのはなぜだろう。[1,p225]

     ニコルさんが愛する日本人とは、森と心を通わせ、自己犠牲
    と勇気の精神を持って生きる人々なのだ。

         私は、これからも誇り高き日本人として精いっぱい生き
        ていきたいと思っている。[1,p226]
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(070) フランスからの日本待望論
    現代人をして守銭奴以外の何者かたらしめるためには世界は
   日本を必要としている。
b. JOG(582) 愛国心で経済再生
    消費者と企業が、その消費と生産にささやかな愛国心を込め
   れば、日本経済は再生する。
c. JOG(390) 「鎮守の森」を世界へ 
    鎮守の森から学んだ最新生態学理論で宮脇昭は 国内外のふる
   さとの森づくりを進めている。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. C・W. ニコル『誇り高き日本人でいたい』★★★、アートデイズ、H16

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「C・W ニコル 〜 誇り高き日本人として」に寄せられたおたより

                                                 純夫さんより
     この記事の中では簡単にしか触れられていませんが,C. W. 
    ニコルさんの実父は英国陸軍軍人で,第二次世界大戦の時シン
    ガポールで日本陸軍に処刑されています。ですからニコルさん
    の母上が日本人に対して嫌悪感を示すのは当然でしたでしょう。

     しかしながら,C. W. ニコルさんが子どものころ,まだ第二
    次世界大戦の傷跡が強く残っている頃ですら,日本人の本質を
    正しく理解していた英国人が彼の周囲にいたということが,幸
    運だったと思います。その代表的な人物が義理の父上であり,
    小泉先生を招いた英国海兵隊特別奇襲部隊の元コマンドでしょ
    う。すなわち,英国海軍関係者には日本に対して好意的だった
    人達が大勢いたということであり,それはとにもかくにも日英
    同盟の時に地中海に派遣された日本帝国海軍第二特務艦隊の獅
    子奮迅の働きによるものが大であると思っております。

     以前にも投書しましたが,わたしの祖父はその第二特務艦隊
    の駆逐艦榊の乗務員として地中海に赴き,ドイツのUボートに
    撃沈された輸送船トランシルバニア号から1800人もの英国陸軍
    将兵を救助しております。その1か月後に今度はオーストリア
    海軍のUボートの攻撃により駆逐艦榊は大破し,艦長を筆頭に
    58名が殉職しましたが,祖父は間一髪命拾いしております。

     その記憶が英国海軍の中に残っているのでしょう。

     この祖父の活躍が縁でC. W. ニコルさんの知己を得,彼の小
    説「特務艦隊」(文藝春秋)には祖父が実名で登場しておりま
    す。
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

     実際に日本軍と戦った英軍将兵が反日感情を持っていなかっ
    たというのも、騎士道と武士道でつながっている処があるから
    でしょう。

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