「複写ハガキ」のこと   坂田成美

『ハガキ道に生きる』(第二集)━━複写にのこるいのちの交流       
    坂田成美・川原作太郎 著 昭和61年 自費出版 より引用(pp.3-21)

出会い

“人生は出会いである”と言われていますが、すべてその“出会い”によって私達の人生が、大きくひらかれてゆきます。その出会いをよろこび、より深める道具のひとつとして「ハガキ」があり、それは手軽く簡便ですので、このスピード時代にマッチして、今から特に大事なものとなってきます。

日記

 一枚のハガキによって、人生が変わる場合もあり、また人生は"出会いの連続"でもありますので、毎日書くハガキは日記であり、自分の歩いた道程であり、自分史です。そしてそれは、自分の毎日の生きる姿勢そのものを子孫に残す、もっとも良い伝言であり、一日いちにちをどのように生きたかという、一種の遺言にもなります。ですから、ハガキを複写にして、すべて控えを残すことは、ことさら重要なことだと言えます。

森 信三先生

 その「複写ハガキ」を書くようになりましたのは、今から十五年前のこと、現代の隠者であり、全一学者、教育哲学者とも言われている「森信三先生」との不思議な出会いからですが、先生はお忙しい生活の中にありながら、寸暇をおしんで、全国の縁ある人に実に多くのハガキを書いておられるのでした。先生の言葉の中に、「縁なき人の書物を数十ページ読むのが大事か、それとも手紙の返事を書くほうが大事か━━このいずれをとるかによって、人間が分かれるといえよう。」というのがあります。先生は今九十一才ですが、不自由な身体でありながら、ハガキを書き続けられていて、そのハガキの末尾には必ず“マヒの右手もて━━━━九十一才、不尽”としるされています。

複写ハガキの元祖

 特別に手ほどきを受けたのは「森先生」に師事され、「百年一出の教育的巨人」「超凡破格の教育者」と言われていた、熊本県出身の「複写ハガキの元祖」ともいえる「徳永康起先生」です。先生は「ハガキの控えこそ、子孫に残す最大の遺言だ。」と言わて、早暁の日課として「複写ハガキ」に向っていられました。そのお姿は一種の行者に見えて、なくなられて数年過ぎた今でも、その気醜のこもった姿勢が目に浮かびます。

命の分身

 ハガキを書き始めましたところ、周りの人からは軽く見られて、色々と中傷もされました。ですがどんなに粗末で、つまらないように見えても、たゆまず書き続けたのが良かったのでしょうか。それとも、小さな紙片に見えるハガキでさえも、知らずしらずのうちに書く者の人生が込められていて、ハガキはその人の「命の分身」でもあるということがわかり、それが見直されたのでしょうか。ここ二、三年前から、広島の地でも「複写ハガキ」を書く人が随分と多くなってまいりました。

実業の人のハガキ

 それと同時に実業の人達の間にも、ハガキが全国的に広がってまいりました。特に、直接お客様を相手にされる職業のお方は、ハガキを書き始められますと、より深い人間的な生活をめざし、喜べる商いをされるようになり、それによって新しい境地を開いたお方もかなり多くおられて、その人達から「ハガキを書き始めて人生が変った。」という、うれしい便りを貰っております。「セールスの成果は対面の回数である。」と言われていますが、その対面の中には、@直接会う A 電話で会う B 便りで会う、の三つの方法があり、今までは「便りで会うこと」はあまりなされていませんでした。

情報化社会

 現代は情報化社会だと言われていますが、発信の手段を持った人のみが、この社会をより大きく生きられるのであって、受けるばかりの人にとっては、かえって害になる面もあります。受け身の世界では「情報化社会」はなんの役にも立たないとも言えるでしょう。私の家はテレビがありませんので、自分の時間をより多く持つことができて、すがすがしい毎日を送っています。

ハガキの親類

 ハガキを書いていますと、町外、県外、国外と、遠くの人とも、少しのお金とわずかな時間で、たえず対面することができます。そしてその心の通える友人とは、血のつながった親類よりも密度の濃いおつきあいが始まりますので、それを「ハガキの親類」だと言っています。そのように、意外にも今まで知らなかった深い大きな世界が開けてきます。

一日一信

 あるお方は、母親に毎日ハガキを書いていられますが、ほのぼのとした親子のしあわせを思います。「徳永康起先生」は数人の人から、一日一信を受けられていられましたが、この一日一信は参禅にもまさる現代の修養法だと言われています。

週一信

 子供を遠く離している親にとっては、ハガキを書くことによって、自分の生活をみつめ、ハガキに毎日の人生を刻みこむことになり、同時に子供も励まされます。遠くに離れている子供の家族からの、田舎への週一度の定期のハガキは、老いた親にとっては、慰めであり、何ものにもかえがたい生き甲斐になっています。そして、老父母から孫への便りは、田舎のにおいが伝わり、なんとほほえましいものでしょうか。ハガキの中では、親子のハガキが一番に、しあわせなもののようです。

単身赴任

 子供の教育を重視するためか最近は単身赴任が普通になり、いたるところで単身赴任者に出会っていますが、複写ハガキを書き始められて家族と連絡する人が増えています。あるお人は、その土地のめずらしい自然や風俗をせっせと書きこんで、赴任先ごとに、パンフレットにまとめると言っています。

妻に

 妻にハガキを書きますと、涙ながらに読んでくれて、主人が帰ってみますと、そのハガキが額に入れられていたそうです。それから一段と深い心のつながりが持てるようになり、仕事が充実している人もいます。

上司から

 上司からの家庭に舞いこむ主人あての一枚の"ねぎらい"のハガキによって、家族の者は一家の働き手の苦労と大事さに目覚めます。

家族も読者

 ハガキは宛名の本人と共に家族の者が読むという特徴があり、そのことにより家族の皆様と知らずしらずのうちに、親しくなれます。これは封書との大きな違いです。私の老いた両親の楽しみの一つは、毎日来る私宛のハガキを読むことですが、二人で代る代る読んでいる姿を見る度に、ハガキを書くようになり、多くのお方からハガキを貰えるようになったことを、つくづくとありがたく思います。

病気見舞

 入院している者にとっては、一枚の励ましのハガキはどれだけうれしい気持ちになれるでしょうか。入院患者にとっては、ハガキの方がかえって良い場合があり、家族の人も喜ばれます。

感謝のハガキ

「数多くある店の中で、私の店に足を運び買い上げていただいてありがたい。」という一枚のハガキが書けるお方の、豊かな商い人生を思います。

学校

 この頃、学校ではミニ賞状を出す先生がおられるようですが、その賞状を貰えない子供には、ハガキが良く、その生徒の可能性をみつめ励ました一枚のハガキは、難きずなれがたい絆になり、その子の一生を豊かにする場合があります。今からは、すべての者にあたえられている可能性を、最大限に花ひらかす時代だと言われています。

手作り

 現代のように、機械文明が発達しますと、その反動として、かえって素朴なものが求められるようになり、手作りのものが"ねうち"を持ってきます。ハガキはまさにその手作りといってもよいでしょう。しかもハガキは書くその人の人柄がにじみ出ていて、しみじみと"出会い"をありがたく噛みしめられるようになり、生きている喜びを感じます。

下手に書こう

 書くと聞きますと、すぐに、字や文章の上手、下手を考えてしまいますが、そもそも、ハガキは普段のものですから、その下手なハガキがかえって良く「下手に書こう」と一言っておる人もいます。わからない字はかな書きでいいです。私は辞書を持ち歩いて、たえず引いています。私の願いは小学校五、六年生程度の文章を書くようになりたいことです。自分自身のハガキ、自分そのままの姿が出ているハガキ、普通の自分の表れているハガキが書きたいものです。

字は私達のもの

 字や文章は、自分はだめだと思っている人が多くて、今まで一部の人の専有物に近いものでした。ところが、意志をつたえる道具である字は、もともとすべて私達のものです。文法とか美しい字は、専門家や芸術家にまかせて、少しばかりまずくて誤字などがあってもいいのです。日常の話し言葉で書けば、十分用事を足せます。
下手な字ほど書きこめば“味”のある字になりますし、書き続けてゆけば文章に馴れてきます。そして誰でも思うことが文章になるようになります。

ハガキ道 

 文章を書くことの不得手な私が、辞書を片手にコツコツと書いているうちに、いつのまにか、ハガキに思うことが書けるようになりましたが、ある時「北村慧光様」に「ハガキは書くものではなくて、書かせていただくものだ。」と教えていただき、それから一段と深くハガキに取り組めるようになりました。その時から「ハガキ道」という、一つの人生修業の道が見えだしたようです。

浄化作用

 不思議なことに、ハガキを書き続けている人は、いつの間にか心がきれいになっていることに気付きます。相手さまの魂を鏡にして、無心になって自分を磨くことになるからでしょうか。書くことには浄化作用があるようです。

集中力

 書くという作業は手と頭を使い、かなり集中しなくてはなりませんので、いつのまにか集中力がついてきて、電車の中、駅のベンチ、人ごみの中の雑音のなかでも、ハガキが書けるようになります。この集中力は人生の宝のひとつです。

判断力

 書くということは判断力の練習にもなり、いつのまにか、人様の判断を借りずに、自分自身の判断ができるようになっているから不思議です。自分自身の判断で、自分の道を歩けることはしあわせです。

紙の墓

 複写ハガキで控えを残しておけば、ただちに自分の一生の記録がまとめられ、一冊の本にもなります。それをひらけば、自分の一生を支えてくださった人達との、お附合の歴史がうかがえて、それはどんな本よりも、自分にとっては大事であり値打ちのあるものです。これは報恩録であり、紙の墓でもあると思っています。

御恩返し

 さて、私はいつの頃からか、線ある皆様が少しでも「複写ハガキ」を使用してくださって“豊かなハガキ人生”をお送りくださるようにと、願うようになりました。ハガキで多くのお方と知り会えて、人生を深めさせていただきましたので、その願いが私にあたえられた仕事であり、また「森信三先生」と「徳永康起先生」そして私の小さな本を作ってくださった「寺田清一様」そのほか数々の教えを導いていただいたお方への、御恩返しでもあると思っています。

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