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狹衣物語 卷第一之上


(武笠 三 校訂『狹衣物語』全 有朋堂文庫 有朋堂書店 1925.11.23

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 1 狭衣中将、源氏宮を訪ふ。狭衣の煩悶。  2 狭衣の一家。狭衣の人柄。  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
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卷第一之上

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1 狹衣中將源氏宮を訪ふ。狹衣の煩悶。

少年の春は惜めども留まらぬものなりければ、彌生の二十日餘にもなりぬ。御前の木立なにとなく青み渡りて木暗きなかに、中島の藤は松にとのみ思はず咲きかゝりて、山郭公待ち顔なるに、池の汀の八重山吹は、井手のわたりに異ならず見渡さるゝ、夕映のをかしさを、獨見給ふも飽かねば、侍童さぶらひわらはのをかしげなるして、一枝折らせ給ひて、源氏の宮の御方に持て參り給へれば、御前には中納言中將などやうの人々ばかり侍ひて、は御手習し繪などかきすさびて添ひ臥させ給へるに、
「この花の夕映こそ常よりもをかしう見え侍れ。春宮の、『盛には必ず見せよ。』と宣はするものを。」
とて、うち置き給ふを、すこし起上りて見おこせ給へる御まみ、つらつきなどの美しさ、花の匂・藤のしなひにも、こよなくまさりて見え給ふを、例の胸ふたがりまさりて、つく\〃/とまぼられ給ふに、
「花こそ花の」
と取分き給ひて、山吹を手まさぐりし給へる御手つきの、いとゞ持囃もてはやされて、世に知らず美しげなるを、人目も知らず我身に引き添へまほしく思さるゝぞいみじきや。
「くちなしにしも咲きそめけむ契こそくちをしけれ。心の中いかに苦しかるらむ。」
と宣へば、中納言の君
中納言君 「さるは言の葉は多く侍るものを。」
といふ。
  いかにせむ 言はぬ色なる 花なれば 心のうちを 知る人ぞなき [1]
と思ひつゞけられ給へど、げに人も知らざりけり。
「たつ苧環をだまきの」
と、うち歎かれて、母屋の柱に寄りゐ給へる御かたちぞ、なほたぐひなく見え給ふに、よしなしごとにより、ばかりめでたき御身を、「室の八島のけぶりならでは」と思しこがるゝ樣ぞ、いと心苦しきや。さるはこの烟のたゝずまひ、知らせ奉らむ事もおよびなく、「いかならむ便にて」など思し煩ふにはあらず。唯二葉より露ばかりへだつる事なく生ひ立ち給ひて、親達を始め奉り、よその人々、春宮も一ついもせと思しめしおきたるに、「我は我」とかゝる心のつき初めて、思ひ侘び、「ほのめかしてもかひなきものから、『哀に思ひかはし給へるに、思はずなる心のありける。』と思し疎まれこそせめ。」と、「大殿なども類なき御志といひながら、この御事は『さらばさてもあれ。』とも世に任せ給はじ。世の人の聞き思はむ事も、ゆかしげなく、けしからずもあるべきかな。」と、とざまかうざまに世のもどきになりぬべき事なれば、あるまじき事に深く思し取るにしもぞ、あやにくに心は碎け勝りつゝ、「つひに如何なる樣にか身をなし果てむ。」と心細き折がちなり。今始めたる事にはあらねど、なほ世の中のさらでもありぬべかりける事は、餘りよろづすぐれ給へらむ女の御あたりには、まことの御兄ならざらむ男は、いみじうとも、睦じうこそおほしたて給ふまじきわざなりけれ。

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2 狹衣の一家。狹衣の人柄。

この頃堀川の大臣と聞えて關白し給ふは、一條院當帝たうだいなどの一つ后腹の二の御子ぞかし。母后もうちつゞき帝の御筋にて、いづ方につけても、おしなべて同じ大臣と聞えさするもいと忝き御身の程なれど、何の罪にか凡人たゞうどになり給ひにければ、故院の御遺言のまゝに、うち代り、たゞこの御心に世を任せ聞えさせ給ひて、いとあらまほしうめでたき御有樣どもなり。二條堀川のわたり四町よまちつきこめて、三つに隔てて造りみがきたまへる玉の臺に、北の方三人みたりをぞ住ませ奉り給へる。

 1 狭衣中将、源氏宮を訪ふ。狭衣の煩悶。  2 狭衣の一家。狭衣の人柄。  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
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