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不盡言

堀景山
(瀧本誠一 編。日本經濟叢書卷11 日本經濟叢書刊行會 1915.4.19

        
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文學御達者に候はゞ、御慰にも成可申と被仰下候事は、定て詩文に巧になり、博學に成申す事と思召候と存候。勿論人君の學は詩文博學はいらぬもの也。文學達者になると申すことは、成程詩文のことを申にてもあるべく候へ共、愚拙内々存候は、文字に達すると云は、中華の文字の意味に能く通達すること也。詩文を著し博學になると云ことも、先中華の書を讀ての後ならでは、何を以ていたすべき資あるべきや。元來書は皆中華の物なれば、先下地に中華の文字の意味に能通達せねば、書は讀れぬもの也。詩文も慰になるまでは餘程苦勞をし心力を盡さではゆきとゞかぬものなる上に、詩文には人の生れつきて別の才もあるものにて、器用不器用ある也。博學と云も、大體のことにてはならぬ事限もなきこと也。林羅山など博學と云名を傳たる人なれども、その著述の書に考へそこなひ、取りちがへも多くあること也。されば人の常に云ことなれども、中華の文字と申は大きなひがこと也。文字と云ものは元來中華の物にて、日本へ傳へ來れるもの也。日本には文字はなき國なるを、中華の文字と云へば、日本にも又文字あるやうに覺ゆれども、中華より外に文字と云ことはなきこと也。文盲なる人は、いはゆる假名と云ものゝいろはの字を我國の文字とおもひ、甚しくしては、我國の俗書家の一流書通の文字を我國の文字とおもひ、俗書者流の村夫の子など、唐樣はあししとてきらひ、筆法を傳受して我國の一流也と秘訣とする、是皆その本を知らず、文盲なること也。いろはなど云は、文字にてはなし、日本人の語の聲音ひびき也。それを中華の文字の音の似たるものを借用して、以呂波などと草書の體に、おかしく書き崩したるもの也。日本人にて人の常に云文字の音と云ものは、元來唐音を傳へて、それを云そこなひ來れるもの也。我國には文字の音と云もの日本にはなきこと也。日本通用の語を以て文字を飜譯し、一字〳〵に訓をつけたるばかりのこと也。訓と云ものは日本の語也。音と云ものは皆中華の音也。日本にては音は合點のゆかぬこといらぬもの也。日本に傳へたる唐音に二樣ある内に、呉音は對馬の國よりつたはりたるとて、一名を對馬音とも云へり。對馬は唐山からへも近ければ、かの島へわたれる唐人に習ひ來て、ひろまれるなるべし。今の唐音の宮音の内には、日本にて常に云ふ呉音が多くまじりてある也。唐音も中華の代々にて音かはり、國々にて又音も大きにかはれは、呉の音の今宮音の内にまじはれるは、昔の唐人が對馬にて日本人へ傳へたりし時分の音の殘れるならんか。漢音といへるもの定て、いつ時分の唐より傳へたる音ならん。しかれども呉音はあまねく文字に足つて、漢音は音が不足あれば呉音はくはしく傳へ、漢音はこと〴〵く傳へ得ざりしか。又は傳へたれども遺失せるならんか。呉といひ漢といへる名もいづれの世のことかしれぬこと也。かの日用書通の文字も、その本は皆中華の草書の體にて、御家流などの筆づかひは、成程その初は唐の運筆にてありしとみゆる也。そのやつし樣も草體をうしなはぬも多けれども、只其文字の形を野俗にいやしく書くづしたるもの也。かの祖とする尊圓親王の手跡をみれば、其雅麗にして全く唐流をうしなはぬもの也。その末流に至り、轉移して鄙俗になり、かの雅風を取り失ひ、あしく成たるを知らず、傳へ來るまゝをよしとし、これは我朝の筆法なりとこゝろえ、互に相秘授し俗に成かたまりたるもの也。雅をしらず俗をよしとしるは、誠に孟子のいはれし無目者也ともいふべし。日本も上代は遣唐使あつて、筆法は皆唐山からより傳授したるゆゑ、古人は皆手跡古雅にして唐流也。今のやうな鄙俗な、手跡の風はかつてみえぬこと也。遣唐使やみて後に、日本の心にて我流を出し、いつともなくいやしき風にかきくづし、それを段々に傳へ來り、我朝の筆法なりとこゝろえ、唐山とは一流ちがひたることゝ自慢し、文盲なる者はかの俗草の文字までをも、我朝の文字とおもふやからもある也。皆その本を知らぬゆゑ、鄙俗なることを高雅とおもひあやまり、唐人の手の古雅なるをみては、餘所のことのやうにおもひ、又これも一流じやといふやうにあるは、文盲の甚きこと也。文字と云もの一二三の文字に至るまで、元來一つも日本の物にてはなきこと也。日本には日本の語あつて萬事相すむこと也。その語聲四十八音にて、日用の言語こと〴〵くすみ、萬事にさしつかゆることはなき也。それゆゑ中華の文字四十八字の、日本の語聲四十八音に相似たる字を借り用ひて、四十八字の以呂波としたるもの也。日本は文字はなくて語ばかり也。中華の語は皆文字にて、人の云ほどの語は、こと〴〵く文字より出る也。しかれば文字は元來中華の物にて、日本人のひとつも合點のゆかぬもの也。されば書と云もの皆中華の人の言語なるゆゑに、こと〴〵く文字なれば、日本人の學文をするには、文字の意味に通達するが最初の事也。文字の意義に通じて後に、初て書と云ふものが讀まるゝことなり。文字に通達するよりして、學文に入らで外に入り樣はかつてなきことゝ覺る也。

        
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