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文意考

賀茂真淵
賀茂百樹 増訂増訂 賀茂真淵全集』巻10 吉川弘文館 1930.10.10
※ 句読点を適宜変更・省略した。見出しを付けた。
〔原注〕 (異本)、(*入力者注記)

 文意考序(荒木田久老)
 1 歌と文の本性  2 和歌・和文の復興−荷田春満・契沖・真淵  3 記紀・風土記・祝詞・宣命の諸文体を抄記  4 文辞の例  5 抄記(文意考)の抜粋

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(文意考序)

こたみ何くれと、(*賀茂真淵の書おかれしものら板にゑらせて、おのれにものとひ、ふること學せす人等にしめしなむとするを、この文のこゝろよ、あるが中に草の草にして、もとよりかたへをぬき出給へるよしなれば、たへる事難き書なれど、これのみ殘しおかむもあたらしくて、うたの意(*うたのこころ=歌意考)の末に加へて一册とはなしぬなり。
寛政十二年(*1800年)神無月
あらき田神主久おゆ(*荒木田久老


文のこゝろのうち

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1 歌と文の本性
いとも/\かみつ代の人、こゝろにしぬばぬ(*しのばぬ)おもひあれば、言にいでゝうたへり。こをうたといへり。また目に見、みゝに聞事の、もだすべからぬわざある時は、言をつらねていふ。こをたゝへ言といへり。これを後の世にふみとなむいふなる。しかあれば、うたは内よりおこり、たゝへ言はほかよりきたるものなり。かれ世の中の人、ことにつけて此ふたつをいひつゝ、わがおもひをやり、人のこゝろをもなぐさめ、天地の神わざをたゝへ、君臣きみおみのおほまつろへ事をものりませれば、萬にたらはぬ事なむあらざりき。かくていにしへは、常いふことばもよろしければ、哥をもたゝへ言をも先は常のことばもていひつゞくりたるが中に、うたといひ、ふみとしもいふにいたりては、おのづからあやにつゞけなせるによりて、めでたきものとなりにたり。是をたとへば、草木も色香のよきをばよみし、鳥虫も聲ふしのあしきをばあしむ(*憎む、か。)は、人のこゝろにしあれば、何のことばもよろしく、おもしろくこそいひなすべきなりけれ。かくてぞいはまくもかしこき
あま神祖かむろぎも、ふとき厚きのりとごと(*「太祝詞」の「太」は美称)をめで給ひて、久かたの(*原文「久がたの」)天照しおはしまし、かけまくもたふとき天皇すめらみことも高き〔くうるはしきおほみことのりをもて、ちはやぶる人をやはし給ふなれば、すめらみ國にうまれとうまるゝ人、誰かはこのことばをよろこばざらむ。
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2 和歌・和文の復興−荷田春満・契沖・真淵
かゝるに、さいぐさの(*「中」「三」を導く枕詞)中つ世に、言さへく(*原文「言さへぐ」。「韓」「百済」を導く枕詞)からの文のわたり來しゆ(*より)〔後の人 せばくけたなる事の、とく得やすきまゝに、そをのみとなふるものさはになりにて(*なってしまって)、あがすめらぎのひろく天地にかなへる道はさとりかねて、こゝの(*当国の)いにしへのふみまねぶことなければ、人みなおのが國の手ぶりをわすれ〔行 て、此いにしへぶりのふみを書人かくひとあらずなむなりぬる。〔猶 たまさかに書ぬといへども、或はかの言佐敝ことさへ(*原文「言佐敝ぐ」)文のさまにいひうつし、あるはから文字もじこゑをまじへて、やまとにもからにもつかず、中ぞらなるもあり。またそをわろしとおもひて、こゝの言もてかく人〔し もあれど、おごそかに在べきふみに、後のものがたりぶみらのこと葉をとり用〔ゐ 、またをとこ女のことばのわかちをも思はず。或はものにつけことによりて、さまことなるべき事をもわかず。或はいにしへと後との、心こと葉をもわきまへずして、いひつらねつゝなむ在けるよ。
時なるかも、玉しきの都なる荷田かたの宿禰東麻呂うし(*荷田春満先生)は、 天皇の道/\の〔いにしへの〕(*「道/\の」の傍注)ふみらを分とほり、此ふみのくさ/〃\をもつばらにかきわけて、八千代のいにしへにかへり、おしてるや難波の法師契冲は、ふるき言の葉の道の、後の世におひおほどれる(*生〔お〕ひ撓〔をを〕れる:生い茂っている)をどろ(*荊棘・藪)をかりわくる事のはじめをなすがついで、この文のこゝろをも知て、事にふれて書ることばに、あやあることもおほかりき。
おのれをぢなかれど(*をぢなけれど:拙いけれど)、はやくよりこの手ぶりをこのみて、いさゝけも(*些かも)いとまある朝にけに、久かたの(*原文「久がたの」)日月つきひのうつるをもおもほえず、あらがねの土もさくてふ夏の日はあせもしとゞにこゝろをめぐらし、足曳のあらし吹なる冬の夜は身さへこるがにとなへあかして、百づたふ五十ちまりの齡になりてこそ、さはなるふることをも、ふみのこゝろをも、やゝおもひ通るべくなりにたれ。
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3 記紀・風土記・祝詞・宣命の諸文体を抄記
かれ、あがあがたゐ(*県居:田舎住まい。浜松にあった真淵の私宅の号でもあった。)〔を〕となふる(*おとなふ)友の、乞がまに/\しるしつゝ、そのしるせる事等は、ふることぶみ古事記やまとぶみ日本紀・ふとのりとごと〔太祝詞〕(*原注「大祝詞」)・おほみことのり〔宣命〕くに/〃\のことかけるふみ風土記。是等が中に、にぎび(*にきび〔和び〕:和らぎ親しむこと)・をたけび・よろこび(*原文「よろこひ」)・たのしみ・かなしみ・うらみ・かむほぎ・人ほぎ・宮ほぎ・むろほぎ・かみぶり・宮ぶり・ひなぶり・道ゆきぶりらの、ふるくもかたくも、にほひあり、おもしろかる、あはれなる、くさぐさのさましたるを、ぬき出しるして、それがこゝろをいさゝか解しるし、又後の世々にかける、哥のはじめに書るふみ・旅ゆくこと葉・哥のはしの詞(*詞書)・物語ぶみの中なることばの、ふしあるをも擧つ。
後の世なるを、後の人の心ゆ見ては、「何ぞはいにしへは、こといたらぬほどぞ。」などおもふべかれど(*おもふべけれど)、そはいまだしき也。よくおもひ、ふかくものを知る人の、いにしへをめでざるやはある。後のあやは、中つ世のにしきにしかず。中つ世のにしきは、かみつ代のしづはた(*倭文機:荒栲)にしかざる事は、おりたちて(*自身熱中して)知る人こそしらめ。しかいにしへをよくしらば、物なほく、事みやびかなる心も、うつろひなりなむ。人のこゝろしなほくみやびゆかば、いにしへの安國やすぐにのたり御代にかへらざらめや。いにしへ・今をわかちあへぬからに、古ことしぬばへる人少なきこそうれはしけれ。「かみつ世には、文のあやてふこともなく、後の世にぞ、よろづにうるはしき事はあり。」といふ人有は、上つ代のふみらを見も知らで、おしはかりにいふになむある。
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4 文辞の例
よりてくさ/〃\のすがたをあげしらするが中に、ひとつふたつをこれに〔は 書り。そもそもいにしへのふみのあやよ、
神日本磐余彦かむやまといはれびこの天皇(*神武天皇の、橿原宮に初て天の下しらすることをほめまつりていへらく、「したついはねに宮ばしらふとしり、高天が原にちぎたかしりて、初國はつぐにしらすすめらみこと(*原文「すめらみごと」)」ゝたゝへ申せしは、その宮柱たつる、下つ綱根をかたくし、みやの棟を高く造らしゝてふ事をいふのみなる(*なり)。かくこと大らかにとりひろめて、みやびかにいひなすこと、中つ世よりこなたの人はかなはず。其いひひろむるのみかは。ことおほくあるをば、かへりてつゞめて、初國しらすすめらみこと(*原文「すめらみごと」)ゝいひなせしもたへならずや。
祈年としごひ祝詞のりとごとに、「皇神すめかみたちのよさしまつらむ、奧津おきづ御年みとしを。ひぢ水沫みなわかきたり、向股むかもゝひぢかきよせて、とり作らむおきつ御年を。」云々しか/〃\てふは、たみどもの田作るとて、水にひぢ、ぬまにおりたちつゝ、くるしき業すめるさまをいふのみなるを、しかいひなさるゝもの歟。
また、すめ〔べ らぎの食國をすぐには、ひろくは天雲を限り、こまかには一寸ひとき一咫ひとた(*「咫〔あた〕」は古代の長さの単位。親指と中指〔または人差し指〕を広げた長さ。)も殘らざるよしをたとへて、「天雲のおりゐ、向伏むかぶすかぎり、谷蝦蟆たにぐゝ狹渡さわたる極み、潮沫しほなわのとゞまるかぎり、ふなのへのいたれるきはみ」などいへる也。
かゝるたぐひの、かぎりなく多きを見知なば、いかでいにしへをおもひとらざらむ(*思ひ取る:心にわきまえ悟る)
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4 抄記(文意考)の抜粋
をたけび
はやすさのをの命、云々、あめにのぼり給ふ時に、山川もこと/〃\くとよ、國土もみなふりぬれば、天照大御神きこしおどろき給ひて、のたまはせらく、「あが奈勢なせの命の、登來ますゆゑは、必うるはしき心ならじ。あが國をうばはまくするなり。」とて、御髪みかみをとき御髻みづらにまかし、左右ひだりみぎりのみゝづらにも御鬘みかづらにも、ひだりみぎりの御手にも、おの/\八さかの勾玉の五百〔の みすまるの玉をまきもたして、そびらには千のり(*「のり」は箆入。千本の矢の入った)ゆぎをおば〔び し、いほのりのゆぎをつけ、又みたゞむきにはいつの高鞆たかとも(*鞆は弦受けの腕輪)を取はかし、づゑふりたてゝ、堅庭かたにはを向股にふみなづみ、あわゆき〔沫雪〕なす〔成〕くゑはららかし〔蹴散〕〔て 、いつ(*原文「いづ」)をたけび(*太字の体裁−入力者)にふみたけびて、まち問申さくは、「何ぞのゆゑに上り來ましぬや。」と云々。
にきび(*原文「にぎび」)
速素戔嗚尊まをしたまはく、「吾心あかし。かれ、あがうめる子は手弱女たわやめを得き。よりていへば、おのづからあれ〔吾〕かち〔勝〕ぬ。」とのたまひて、勝佐備かちさび(*勝利者らしく振る舞うこと)に、あまてらす大みかみ御田みたのあはなち〔畔放〕、溝うめ、またおほみけ(*原文「おほみべ」)きこしめす御殿みあらかくそ麻理まりあかつ(*散つ:散らす。原文「あがつ」)。かれ、しかすといへども、天照大御神はとがめまさずて、のたまはく、「くそなす(*原文「くぞなす」)は、醉てたぐり〔吐〕あかつ〔散〕(*原文「あがつ」)とこそ、吾なせの命は如此かくすなれ。また田のはなち、みぞうむるは、ところをあたらし〔惜〕とこそ、あがなせのみことはかくすなれ。」と、のたまひ直したまはすれども、なほそのさがなきわざやまずして、うたてあり。
此たけび給ひ、にきび(*原文「にぎひ」)給ふをふかくおもふべし。姫大御神といへども、こと〔と 有ときは、雄たけびをなして、おごそかなる御いつ(*原文「いづ」)をもてをさめまし、常にはこのにきび(*原文「にぎび」)たる御こゝろ(*原文「御ごゝろ」)もて、大かたの事をば、見なほし聞直して治めますぞ、いともかしこき神の道のもとにして、國も家もをさまる御をしへなる。
大国主の大神おほがみ、云々、「此葦原の中つ國は、おほみことのりのまに/\、既に奉りぬ。唯おのれがすみなむところは、天の神の御子の、天つ日繼しらす、とたる天の御栖みすなして、底つ巖根に宮柱太敷、高天の原に垂木ちぎ高知てをさめたまはゞ、おのれはもゝたらず八十隈でにかくりて侍りなむ。またおのれが子ども百八十がみは、即八重事代主の神、かみの御尾みをさきとなりて仕まつらむに、違ひまつる神はあらじ。」と。かくまをして、出雲の國の多藝斯たぎし小濱をはまに、天の御舍みあらかを造りて、水戸の神のうまご〔はつこ−左ルビ〕、くしやだまの神を膳夫かしはでとして、〔天の 御饗みあへたてまつりぬるときに、のみまをして、奇八玉神くしやだまのかみうのとりとなりて、海底うなぞこに入、そこつはにをくひ出て、天の八十ひらか〔瓮〕を作り、め〔海布〕のから〔柯〕をかりて火きりうすを作り、こも〔海蓴〕のからをもて火きりぎねに作りて、火をきり出していはく、「このあがきれる火は、たかまの原は神御魂かんみむすひ(*原文ルビ「かんみむすび」)御祖みおやの命の、とだるあまのにひす〔新巣〕のすゝの八擧やつかたるゝまでたきあげ、つちの下は、そこつ磐禰に燒こらして、栲繩たくなは(*原文ルビ「たぐなは」)の千ひろなは打はへて、海人がつらする、くちぶとの尾ひれすゞき、さわ/\に引よせあげて、うち竹のとをゝとをゝに、天のまなぐひ〔眞魚咋〕奉る。」云々。
室賀むろほぎ御詞みことば
小計をけのみこ、たちて衣ひもをつくろひて、むろほぎの詞をのたまふ。「つきたつるわかむろつなねに、つき立る柱は、この家ぎみのみ心のしづもり也。取ふけるむねはりは、この家ぎみのみこゝろ(*原文ルビ「みごゝろ」)のさかえ也。とりおけるちぎは、この家ぎみのみこゝろ(*原文ルビ「みごゝろ」)のとゝのほりなり。とりおけるえつり(*桟)は、この家ぎみのみ心の平らぎ也。取ゆへるかづらは、この家ぎみのみいのちのかため也。とりふるかやは、此いへぎみの富の餘りなり。出雲は新ばりにひはり十握稻とつかしねの穗を、さらけにかめるをうまらにをやらふるがねや。あごらが、あしひきこのかたやま、さをしかのつぬをさゝげてたちまへば、うまざけ〔は ゑがの市に、あたひもてかへず。たなそこもならゝに、うちあげ給ふあがとこよたち。
このたぐひのふるきふみども多く書て、文のこゝろことにあり。こゝにはそのかたへをかけるのみ。(*荒木田久老の序文によれば、『文意考』は未定稿である。)
加茂の眞淵

(*『文意考』 <了>)

 文意考序(荒木田久老)
 1 歌と文の本性  2 和歌・和文の復興−荷田春満・契沖・真淵  3 記紀・風土記・祝詞・宣命の諸文体を抄記  4 文辞の例  5 抄記(文意考)の抜粋

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