社會と自分
夏目漱石
(縮刷版 實業之日本社 1915.11.10)
※ 縮刷第卅版(1924.2.25)に拠った。
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文藝と道コ
―明治四十四年八月大阪に於て述―
私は此の大阪で講演をやるのは始めてゞあります。又斯う云ふ大勢の前に立つのも初めてであります。實は演説をやる積りではない、寧ろ講義をする氣で來たのですが、講義と云ふものは斯んな多人數を對手にする性質のものでありません。是れ丈の聽衆全體に通るやうな聲を出さうとすれば──第一出る譯がないけれども、萬一出るにしても十五分位で壇を降りなければ遣り切れないだらうと思ひます。從つて始めての事でもある。是れ程御集りになつたゥ君の御厚意に對しても成るべく御滿足の行く樣に、十分面白い講演をして歸りたいのは山山であるけれども、併し餘り大勢お出でになつたから──と云つて、決して詰らぬ演説をわざわざしよう抔といふ惡意は毛頭無いのですけれども、まあ成るべく短く切り上げる事にしてさうして──まだ後にも面白いのが大分ありますから、其の方で埋め合せをして、先づ數でコナすやうなことにしようと思ふ。實際此の暑いのに斯うお集まりになつて竹の皮へ包んだ壽司の樣に押し合つてゐては堪りますまい。又講演者の方でも周圍前後左右から出る人の息だけでも、一寸此所へ立つて御覽になればすぐ分りますが──實際容易なものではありません。實は斯う云ふ(*原文ルビ「う」)やうに原稿紙へノートが取つてありますから、時々之を見ながら進行すれば順序も整ひ遺漏も少なく、大變キ合が好いのですけれども、そんな手温い事をしてゐては迚もゥ君がおとなしく聽いて居て下さるまいと思ふから、所々──ではない大部分端折つて仕舞つてやる積りであります。併し若しおとなしく聽いて下されば十分にやるかも知れない。遣らうと思へば遣れるのです。
問題は彼處に書いてある通り、「文藝と道コ」と云ふのですが、御承知の通り私は小説を書いたり批評を書いたり大體文學の方に從事して居る爲に文藝の方のことをお話する傾きが多うございます。大阪へ來て文藝を談ずると云ふことの可否は知りません。儲ける話でもしたら一番宜からうと思つて居るんですが、「文藝と道コ」では題をお聽きになつた丈でも儲かりません。其の内容をお聽きになつては尚儲かりません。けれども別に損をするといふ程の縁起の惡い題でもなからうと思ふのです。勿論御聽きになる時間ぐらゐは損になりますが、其の位な損は不運と諦めて辛抱して聽いて戴きたい。
昔の道コと今の道コと云ふものゝ區別、それからお話をしたいと思ひますが──どうも落着いてやつて居られない樣な氣がして堪らない。其の前に一寸此の題の説明をしますが、「道コと文藝」とある以上、つまり文藝と道コとの關係に歸着するのだから、道コの關係しない方面、或は部分の文藝と云ふものは此所に論ずる限りでない。從つて文藝の中でも道コの意味を帶びた倫理的の臭味を脱却する事の出來ない文藝上の述作に就てのお話と云つても宜し、文藝と交渉のある道コのお話と云つても宜いのです。夫れで先づ道コと云ふものに就て昔と今の區別からお話を始めて段々進行する事に致します。
昔の道コ、是れは無論日本での御話ですから昔の道コといへば維新前の道コ、即ちコ川氏時代の道コを指すものでありますが、其の昔の道コはどんなものであるかと云ふと、貴方方も御承知の通り、一口に申しますと、完全な一種の理想的の型を拵へて、其の型を標凖として其の型は吾人が努力の結果實現の出來るものとして出立したものであります。だから忠臣でも孝子でも若くは貞女でも、悉く完全な模範を前へ置いて、我々如き至らぬものも意思の如何、努力の如何(*原文ルビ「いか」)に依つては、此の模範通りの事が出來るんだと云つたやうなヘへ方、コ義の立て方であつたのです。尤も一概に完全と云ひましても、意味の取り方で、いろ/\になりますけれども、此所に云ふのは佛語などで使ふ純一無雜先づ混り氣のない所と見たら差支ないでせう。例へば鑛の樣に種々な異分子を含んだ自然物でなくつて純金と云つたやうに汚Bした忠臣なり孝子なりを意味して居ります。斯く完全な模型を標榜して、それに達し得る念力を以て修養の功を積むべく餘儀なくされたのが昔のコ育であります。もう少し細かく申す筈ですが、略して先づ其の位にして次に移ります。
偖斯う云ふ風の倫理觀やコ育がどんな影響を個人に與へどんな結果を社會に生ずるかを考へて見ますと、まづ個人にあつては既に模範が出來上り又その模範が完全といふ資格を具へたものとしてあるのだから、どうしても此の模範通りにならなければならん。完全の域に進まなければならんと云ふ内部の刺戟やら外部の鞭撻があるから、模倣といふ意味は離れますまいが、其の代り生活全體としては、向上の艶_に富んだ氣概の強い邁往の勇を鼓舞される樣な一種感激性の活計を營むやうになります。又社會一般から云ふと、既にかういふ風な模範的な間然する所なき忠臣孝子貞女を押し立てゝ、それらの存在を認める位だから、個人に對する一般の倫理上の要求は隨分苛酷なものである。又個人の過失に對しては非常に嚴格な態度をもつて居る。少しの過ちがあつても許さない。すぐ命に關係してくる。さうでせう、昔の人は何ぞと云ふと腹を切つて申譯をしたのはゥ君も御承知である。今では容易に腹を切りません。是れは腹を切らないで濟むからして切らないので、昔だつて切りたい腹では決してなかつたんでせう。けれども切らせられる。所謂詰腹で、社會の制裁が非常に惡辣苛酷なため生きて人に顔が合はされないから無暗に安く命を棄てるのでせう。
今の人から見れば、完全かも知れないが實際あるかないか分らない理想的人物を描いて、それらの偶像に向つて瞬間の絶間なく努力し感激し、發憤し、又隨喜し渇仰(*ママ)して、さうして社會からはコ義上の弱點に對して微塵の容赦もなく嚴重に取扱はれて、よく人が辛抱して居つたものだといふ疑も起るが、是れにはいろ/\の原因もありませう。第一には今の樣に科學的の觀察が行屆かなかつた。つまり人間はどうヘ育したつて不完全なものであると云ふことに氣が付かなかつた。不完全なのは、我々の心掛が至らぬからの横着に起因するのだからして、もう少し修養してK砂糖を白砂糖に艶サするやうな具合に向上しなければならんといふ考で一所懸命に努力したのである。即ち昔の人には批判的艶_が乏しかつた。昔から云ひ傳へて居る孝子とか貞女とか稱するものが、そつくり其の儘の姿で再現出來ると云ふ信念が強くて、批判的に是れ等の模範を視る艶_に乏しかつたと云ふのが主なる原因でありませう。一口に云へば科學と云ふものが餘り開けなかつたからと云つて宜うございます。のみならず其の當時は交通が非常に不便でありまして、東京から大阪へ一寸手紙一本で呼出されて來て講演をすると云ふやうなことすら、出來ないとは限りませんが、中々臆劫で斯う手輕には行きません。來るにしても駕籠に搖られて五十三次を順々に越すのだから、容易くは間に合ひかねます。間に合はないで濟むとすれば、私がどんな人間であるかは、ゥ君に知れずに濟んで仕舞ふ譯である。知らなければ餘程えらい人だと思つて呉れやしないかと思ふ。斯うやつて演壇に立つて、フロツクコートも着ず、妙な神戸邊の商館の手代が着る樣な背廣などを着てひよこ/\して居ては安つぽくて不可ない。ウンあんな奴かと云ふ氣が起るに極つてゐる。が駕籠の時代ならさう迄器量を下げずに濟んだかも知れない。交通の不便な昔は、山の中に仙人が居ると思つて居つた位だから、江戸には潄石といつて仙人ではないが、まあ仙人に近い人間が居るさうだ位の評判で持ち切つて下されば私も甚だ滿足の至りであつたらうが、今日汽車電話の世の中では既に仙人其の物が消滅したから、仙人に近い人間の價値も自然下落して、商館の手代其の儘の風采を殘念ながらゥ君の御覽に入れなければならない始末になります。次に、昔は階級制度で社會が括られてゐたのだから、階級が違ふと容易に接觸すら出來なくなる場合も多かつた。今でも天子樣などには無暗に近づけません。私はまだ拜謁をしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づき難い階級のものが澤山(*原文ルビ「たくたん」)居つたのです。一國の領主に言葉を交へるのすら平民には大變な異例でせう。土下座とか云つて地面に坐つて、ピタリと頭を下げて、肝腎の駕籠が通る時にはどんな顔の人がゐるのか丸で物色する事が出來なかつた。第一駕籠の中には化物がゐるのか人間がゐるのかさへ分らなかつた位のものと聞いてゐます。して見ると階級が違へば種類が違ふと云ふ意味になつて其の極はどんな人間が世の中にあらうと不思議を挾む餘地のない位に自他の生活に懸隔のある社會制度であつた。從つて突拍子もない偉い人間即ち模範的な忠臣孝子其の他が世の中には現に居るといふ觀念が何處かにあつたに違ひない。
以上のゥ原因からして自然模範的の道コを一般に強ひて怪しまなかつたのでありませう。又強ひられて默つて居もし、或は自から進んで己(*原文ルビ「すで」)に強ひもしたのでせう。所が維新以後四十四五年を經過した今日になつて此の道コの推移した經路を振返つて見るとちやんと一定の方向があつて、たゞ其の方向にのみ遲疑なく流れて來たやうに見えるのは、社會の現象を研究する學者に取つて甚だ興味のある事柄と云はなければなりません。然らば維新後の道コが維新前とどういふ風に違つて來たかと云ふと、かのピタリと理想通りに定つて完全の道コと云ふものを人に強ふる勢力が漸々微弱になる許でなく、昔渇仰した理想其の物が何時の間にか偶像視せられて、其の代り事實と云ふものを土臺にして夫れから道コを造り上げつゝ今日迄進んで來た樣に思はれる。人間は完全なものでない、初めは無論、何時迄行つても不純であると事實の觀察に本いた主義を標榜したと云つては間違になるが自然の成行を逆に點檢して四十四年の道コ界を貫いてゐる潮流を一句につゞめて見ると此の主義に外ならん樣に思はれるから、つまりは吾々が知らず識らずの間に此の主義を實行して今日に至つたと同じ結果になつたのであります。偖自然の事實を其の儘に申せば、たとひ如何な忠臣でも孝子でも貞女でも、一方から云へばそれ/〃\相當の美コを具へてゐるのは無論であるが之と同時に一方では隨分如何はしい缺點を有つてゐる。即ち忠であり孝であり貞であると共に、不忠でもあり不孝でも不貞でもあると云ふ事である。斯う言葉に現はして云ふと何だか非常に惡くなりますが、如何に至コの人でも何處かしらに惡い所があるやうに、人も解釋し自分でも認めつゝあるのは疑もない眞實だらうと思ふのです。現に私が斯うやつて演壇に立つのは全然ゥ君の爲に立つのである。唯ゥ君の爲に立つのである、と救世軍のやうなことを言つたつてゥ君は承知しないでせう。誰の爲に立つて居るかと聞かれたら、社の爲に立つて居る。朝日新聞の廣告の爲に立つて居る。或は夏目潄石を天下に紹介する爲に立つて居ると答へられるでせう。夫れで宜しい。決して純粹な生一本の動機から此所に立つて大きな聲を出してゐるのではない。此暑さに襟のグタ/\になる程汗を垂らして迄ゥ君の爲に有uな話をしなければ今晩眠られないと云ふ程奇特な心掛は實の所ありません。と云つた所で斯う見えても、滿更好意も人情も無い我儘一方の男でもない。打ち明けた所を申せば今度の講演を私が斷つたつて免職になる程の大事件ではないので、東京に寢てゐて、差支があるとか健康が許さないとか何とか蚊とか言譯の種を拵へさへすれば、夫で濟むのです。けれどもゥ君の爲を思ひ、又社の爲を思ひ、と云ふと急に僞善めきますが、まあ義理やら好意やらを加味した動機から早速出て來たとすれば矢張幾分か善人の面影もある。有體に白状すれば私は善人でもあり惡人でも──惡人と云ふのは、自分ながら少々非道い樣だが、先づ善惡とも多少混つた人間なる一種の代物で、砂も附き泥もつき汚ない中に金と云ふものが有るか無いか位に含まれて居る位の所だらうと思ふ。私が斯ういふ事を平氣でゥ君の前で述べて、それで貴方方は笑つて聽いて居る位なのだから、今の人は昔に比べると餘程倫理上の意見に就ても寛大になつてゐる事が分ります。是れが制裁の嚴重で模範的行動を他に強ひなければ已まない舊幕時代であつたら、斯んな露骨を無遠慮にいふ私は屹度社長に叱られます。もし社長が大名だつたなら叱られる許でなく切腹を仰付かるかも知れない所ですけれど、明治四十四年の今日は社長だつて默つて居る。さうして貴方方は笑つて居る。是れ程世の中は穩かになつて來たのです。倫理觀の程度が低くなつて(*原文「低なくつて」)來たのです。段々住み易い世の中になつて御互(*原文ルビ「ごたがひ」)に仕合でせう。
斯く社會が倫理的動物としての吾人に對して人間らしい卑近なコ義を要求して夫れで我慢する樣になつて、完全(*原文ルビ「ぐわんぜん」)とか至極とか云ふ理想上の要求を漸次に撤囘(*原文ルビ「ていくわい」)してしまつた結果はどうなるかと云ふと、先づ從前から存在してゐた評價率(道コ上の)が自然(*原文ルビ「じぜん」)の間に違つて來なければならない譯になります。世の中は恐ろしいもので、漸々と道コが崩れて來るとそれを評價する眼が違つて來る。昔はお辭儀の仕方が氣に入らぬ(*原文「入らなぬ」)と刀の束へ手を懸けた事もありましたらうが、今ではたとひ親密な間柄でも手數のかゝるやうな挨拶は遣らないやうであります。夫れで自他共に不愉快を感ぜずに濟む所が私の所謂評價率の變化といふ意味になります。御辭儀(*原文ルビ「おじき」)抔はほんの一例ですが、凡て倫理的意義を含む個人の行爲が幾分か從前よりは自由になつたため、窮屈の度が取れたため、即ち昔のやうに強ひて行ひ、無理にも爲すといふ瘠我慢も壓迫も微弱になつたため、一言にして云へばコ義上の評價が何時となく推移したため、自分の弱點と認めるやうなことを恐れもなく人に話すのみか、其の弱點を行爲の上に露出して我も怪しまず、人も咎めぬと云ふ世の中になつたのであります。私は明治維新の丁度前の年に生れた人間でありますから、今日此の聽衆ゥ君の中に御見えになる若い方とは違つて、どつちか(*原文「どつちが」)といふと中途半端のヘ育を受けた海陸兩棲動物のやうな怪しげなものでありますが、私等のやうな年輩の過去に比べると、今の若い人は餘程自由が利いて居るやうに見えます。又社會が夫丈の自由を許して居るやうに見えます。漢學塾へ二年でも三年でも通つた經驗のある我我には豪くもないのに豪さうな顏をして見たり、性を矯めて瘠我慢を言ひ張つて見たりする癖が能くあつたものです。──今でも大分其の氣味があるかも知れませんが。──所が今の若い人は存外淡白で、昔の樣な感激性の詩趣を倫理的に發揮する事は出來ないかも知れないが、大體吹き拔けの空筒で何でも隱さない所が宜い。