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梵天國

▼ 御伽草子 B-14
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

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淳和天皇の御代に五條の右大臣たかふぢとておはしけるが、容貌美麗に才覺〔才の働き〕いみじきのみならず、四方に四萬の藏をたて、乏しき事ましまさず、年月を送り給へども、一人の孝子けうしを持ち給はであけくれ歎き給ふ。或時つく\〃/と案じ思召しけるは、「われ前の世にいかなる罪を作りてか、一人の子をももたず、七十八十のよはひを保つとも、つひに止まるべきにあらず、亡からむ跡を誰かとふべき、昔より今に至るまで神佛に申す事叶へばこそ、萬の人の申すらめ。」とて、夫婦諸共に清水に參り、五體〔首と手足〕を地に投げ、三千三百三十三度の禮拜を參らせて、願はくば一人の孝子を與へ給へと、種々の願を立て給ひける。
「此の願成就せば、八花形やつはながたおん帳臺〔八稜の花形をした臺をもつ御帳〕を、黄金白銀にて三十三枚づゝ、月ごとにかけて參らすべし、又毎日萬燈まんどうを三年ともして、百人の僧にて法華三昧の不斷經〔三諦圓融して一實に歸する妙理を證せんがため、道場を建て、法華經を日々絶えず讀誦する事〕を、三年讀ませて參らすべし、金泥こんでいの觀音經三千三百三番書かせて參らすべし。」と、祈られける程に、七日と申す曉、いと氣高き御聲にて、「こなたへ。」と召されけるが、寶殿なる所にかうの衣〔香染の衣、茶褐色〕に同じ袈裟かけて、いとかうばしき高僧おはします。彼のしやうめう淨名居士維摩〕、うしろの方丈の間に、三萬六千の床を竝べける〔維摩經に出て居る。維摩の神通力で、方丈に何萬となく佛弟子を納れた事〕も思ひ知られて、いとたつとくて、いづくに立寄るべき(*ママ)とも覺えず。高僧重ねて、「それへ\/。」と召されければ、御前に畏まり給へば、「いかに汝が申す所のけうし〔孝子〕なるべし。」とて、磨ける玉を取出だし、即ち大臣の左の袖に移させ給ふと御覽じて夢さめぬ。其の後下向ありて、程なく北の御方御懷妊あり、若君一人生み給ひ、やがて玉若殿とて喜び給ふ。日に増して成人し給ふにつけて、光るやうにぞおはしける。父の大臣だいじん一時いっときも御身を離さずかしづき給ふ。二歳と申す時、内裏へ參内ありけるにも具足し〔同伴する〕給ふ。天皇聞しめして、「未だ例もなき事かな、七歳の童殿上〔攝關大臣の子弟の幼少で昇殿を許さるゝ者〕と申す事あれども、二歳の殿上は珍らしき事なり、たかふぢが子の事なれば。」とて、四位の侍從になし給ひて、公卿の座へぞ召されける。昇殿の始めにしるしなくてはいかゞとて、丹後但馬兩國を賜はりける。大臣斜ならず御喜びありて、いよ\/いつきかしづき給ひける程に、やう\/七歳にもなり給へば、殊にすぐれて笛をぞ吹き給ひける。
(*了)

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