[御伽草子目次]

文正ざうし

▼ 御伽草子 B-1
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

※ 句読点を適宜改めたほか、引用符を施し、段落・章を分けた。
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 文正長者  大明神の利生  中将の東下り  御堂の奏楽  昇殿

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(文正長者)

それ昔より今に至るまで、めでたき事を聞き傳ふるに、賤しきものの殊のほかになりいでて〔非常に出世して〕、始めより後までも、ものうきことなくめでたきは、常陸の國に、鹽燒の文正と申すものにてぞはんべりける。そのゆゑを尋ぬれば、國中十六郡のうちに、鹿島の大明神〔常陸鹿島郡の社。武甕槌命を祀る。官幣大社。〕とて、靈社まし\/けり。かの宮の神主に、大宮司と申す人おはしけるが、長者にてぞまし\/ける。四方に四萬の倉をたて、七珍萬寶のたから滿ち\/て一つ缺けたることもなく、よろづ心にまかせて〔あらゆる事思ひ通りになって〕、色々あり。家のかずは一萬八千軒なり。郎黨に至るまで數をしらず。女房たち仲居の者〔殿中の奧の間に勤める女〕、八百六十人なり。男子なんし五人ともに、みめかたち藝能萬人に優れたり。又大宮司殿の雜色〔こゝでは單に驅使につかふ家僕〕に、文太ぶんだといふ者あり。年頃のもの〔多年仕へた者〕なり。下郎なれども心は正直に、しうの事を大事に思ひ、よるひる心に違はじと〔御意にそむくまいと〕、宮仕へしけれども、心を見むとや思はれけむ、主の大宮司殿、「汝年頃の者といへども、わが心にたがふなり。いかならむ處へも行きて過ぐべし〔世を渡れ〕。又思ひもなほしたらむには〔自分が考へ直したならば〕、歸り參れ。」とのたまひければ、文太思ひけるは、「たとひ千人萬人ありといふとも、わが命あらむ限りは、奉公申すべきと存じ候ひつるに、かかる仰せくだるうへは力なし。さりながらいづくに事もおろかに思ひ申すべからず〔何處に行つても主人を疎畧には思ふまい〕。又やがて〔又直ぐ〕こそまゐり申すべし。」とて、いづちともなく行くほどに、つのをかが磯、鹽燒く浦につきにけり。ある鹽屋〔鹽を燒きつくる小屋〕に入りて申すやう、「これは旅のものにて候。御目をかけて給はれ。」と申しければ、あるじ聞きて、うはの空なるもの〔いゝ加減の者。一面識もない風來者〕なれども、見るよりそゞろにいとほしく思ひて、その家におきける。日數ふるほどに、あるじ申しけるは、「かくてつれ\〃/におはせむより、鹽やく薪なりとも、取り給へ。」と言ひければ、「いと易き事なり。」とて薪をぞ採りける。もとより大ぢからなれば、五六人して持ちけるよりも多くしてぞ來りける。
あるじなのめに〔非常に〕悦びて、又なき者と思ひける。かくて年月を經る程に文太申しけるは、われも鹽やきて賣らばやとおもひ、あるじに申すやう、「この年月、奉公つかまつり候御恩に、鹽竃一つ給はり候へかし。あまりに便りなく候へば〔餘り心細いから〕、あきなひして見候はむ。」と申しければ、もとよりいとほしく思ひければ、鹽釜二つとらせけるに、鹽やきて賣りければ、此の文太が鹽と申すは、こゝろよくてくふ人病なく若くなり、又鹽の多さつもりもなく、三十層倍にもなりければ、やがて徳人とくじん〔得人、富んだ人〕になりたまふ。年月ふるほどに、いまは長者とぞなりにける。さる程につのをかが磯の鹽屋ども皆々從ひける。さる程に名をかへて、文正つねをかとぞ申しける。堀のうち七十五町にかいこめて、四方に八十三の倉をたて、家の棟かず九十間つくり竝べたり。昔の須達しゅだつ長者〔印度の富豪、此の子の創めたのが所謂祇園精舍である。〕もかくやと思ひける。されば常陸の國のものども此の頃のことなれば、「主な嫌ひそ。恩をきらへ。〔主人の身分を兎や角云ふな。恩惠の厚薄を考へよ。〕なにか苦しかるべき。」とて、皆々文正にぞ使はれける。しかれば家の子郎黨に至るまで、三百餘人のほか、雜色、草刈、しもべに至るまで、そのかず知らず。たからはいかなる十善の君〔天子〕と申すとも、これには過ぎじとぞ覺えける。

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(大明神の利生)

さりながら男子なんしにても女子にょしにても、子はなかりける。あるとき大宮司殿此の由きこしめし、さても不思議におぼしめし、「彼を召して尋ねむ。」と思ひ給ひ、文太をぞ召されける。久しくまゐり候はねば、うれしく思ひて、いそぎまゐりける。大庭〔家の前の廣庭。こゝでは單に中庭。〕にかしこまりてゐ申しける。大宮司殿御覽じて、「その身こそ賤しきとも、めでたきものなれば〔立派な人物であるから〕、いかで庭には置くべき。」とて、「これへ\/。」とこそ召されける。さる程に文太は廣縁〔家の周圍にある縁の内側にある細長き部屋。廣廂、或は廂間とも云ふ。〕までぞ參りける。大宮司殿のたまひけるは、「文太はまことや限りなき長者となり、『十善の君にてましますとも、われにはいかで勝り給ふべき。』と、かたじけなくも申すとかや〔勿體なくも云ふさうだな〕。さやうに冥加なきこと、何とてか申すぞ。」とのたまへば、文太かしこまつて申すやう、「わが身の賤しき有樣にて、これ程の寶を持ちて候事おぼえず。あやなく申して候なり〔前後の考へもなく言つたのであります〕。」と申しければ、「いか程のたからなれば、かやうに思ふぞ。」とのたまへば、「金銀綾錦、七珍萬寶數しらず。四方に造り竝べたる倉を申すに數知らず。」とぞ申しける。大宮司殿きこしめし、「誠にめでたきものの果報かな。さて末を繼ぐべき子はあるか。」とのたまへば、「未だ候はず。」と申しける。「それこそつたなき〔運の乏しい〕ことなれ。人の身には子程の寶よもあらじ。只その寶を神佛にまゐらせむ。一人にても子を申すべし。」とのたまへば、文太げにもと思ひ、家に歸りて是非なく〔むやみに〕女房を叱り、既に追ひ出す。女房、「これはいかなる事ぞ。」と騷ぎければ、文正申しけるは、「大宮司殿一人の子をもたぬ事を、本意なく思召すなり。急ぎ子を産みてたび候へ。」と申しければ、「廿卅の時だにうまぬ子が、四十になりて何として叶ふべき。その儀ならば力なし。」と言ひければ、文正げにもと思ひ、「大宮司殿も『神佛にも申せ。』とこそ仰せられつれ。」と思ひて、「さらば神佛へまゐりて申しうくべし。」と申しける。女房げにもと思ひ、七日精進して、鹿島の大明神へぞまゐりける。いろ\/の寶をまゐらせ、三十三度の禮拜らいはいをして、「ねがはくは一人の子をたび給へ。」とぞ祈り申しける。七日と申す夜半に、かたじけなくも御寶殿〔單に神殿の意。〕の御戸を開き給ひ、誠にけだかき御聲にて、「汝申すところさり難きにより〔斷りがたいから〕、この七日のうち到らぬ處なく求むれども、汝が子になるべき者なし。さりながらこれをたぶ。」とて、蓮華を二房給はりて、かき消すやうに失せにけり。
さる程に、文正よろこび、「八箇國に勝れたる男子を生ましめ給へ。」とぞ申しける。九月の苦しみ十月とつきの末には、産の紐をときたる。三十二相〔佛の相好から轉じて美人の條件。〕たらひたる〔滿足に具備した〕いつくしき姫にてありける。文正腹をたて、「約束申せしかひもなく、女を生みたる事よ。」とて叱りける。その中におとなしき〔頭だつた〕女房達申すやう、「人の子に姫君こそ末繁昌してめでたき御事にて候へ。」と申しければ、「さらば内へ入れ申せ。」とて、寵愛申しける。乳母・かいしやく〔介妁或は介錯。つきそうて介抱する者。〕までも、みめよきをすぐり付けにけり〔選んで附隨させた〕。又つぎの年も尚光るほどの姫御前ひめごぜんをまうけける。文正、「何ぞ。」と申せば、「いつものもの〔例の通りの者即ち女子〕。」と申しける。文正腹をたて、「さきこそ約束違へめ、さのみはいかで人の命を背き給ふぞ。その子具して急ぎ出で給へ。」と、叱りける事限りなし。その時御前おんまへにありし人々申しけるは、「男子にてましまさば、大宮司殿にこそつかはれさせ給はむに、御かたち勝れたる姫たちにて候へば、國々の大名、いづれか婿にならせ給はざるべき。又は大宮司殿の公達と申すとも、御むこにならせ給ふべし。これほど然るべき事なし〔これ程結構なことはない〕。」と申しければ、その時文正げにもと思ひ、「さらばとく\/入れ申せ。」とありければ、見るに姉御前よりもいつくしく有りければ、又乳母・かいしやくまでも、みめかたちよきを揃へてつけにけり。姫達の御名をば夢想〔夢中の神託〕にまかせ、れんげを賜はると見たれば、姉は蓮華、妹を蓮御前はちすごぜんと付け、いつきかしづき給ふほどに〔大切にして育てられたうちに〕、年月かさなり、光る程の君に見え給ふ。よみ書きよろづ利根〔怜悧な天性〕にて歌草子ならぶかたなし。これを聞き八箇國の大名たち、われも\/と心をつくし、文玉章たまづさかぎりなし。姫たち思ひ給ふやう、「斯かるあづまに生れけるぞや。都のほとりにも生れなば、世にあるかひには〔此の人の世に産れ出たからには〕、女御后の位をも心がけ、さて世の常のことは思ひよらず。」と思はれける。文正は國中こくちうの大名、いづれも仰せをかうぶり、面目と思ひて、姫に此の由申せば、耳にも更に聞きいれず、あかし暮し給ふ。父母ちゝはゝも子ながら心にたがはじと、もてなし給ふ。此の姫達は來世の事まで深く思ひいりて、常にものまゐり〔神佛への參詣〕し給ひけるを、大名たち道にて取るべきよし聞えければ、文正此の由を聞き、西のはうに御堂をたて、阿彌陀の三尊〔中央が阿彌陀如來、左が觀音、右が勢至。〕をすゑ奉り、心のまゝに姫たちをまゐらせけり。かやうに用心深くいたせば、道にて奪ひとる事もかなはず。
大宮司殿此の由を聞召し、文正を召して、「汝まことや光るほどの姫をもちたると聞く。大名達の方へ出すべからず。わが子に出すべし。」とのたまへば、文正うれしく思ひ、やがてわが家にかへり、「あなめでたや、大宮司殿の公達を、婿にとるなり。皆々御供せよ。」とのゝしりける。やがて姫達のかたへ行きて、「めでたや、大宮司殿よめにすべきよし仰せ候。」と申しける。姫達は淺ましげなる氣色〔いやなやうな樣子〕にて涙の色みえければ、あきれはててぞゐたりける。姫たち仰せけるは、「いかなる女御后にも、又は位高き公達などこそ、もしも思ひつき候はむずれ〔位階の高い公卿の若君などならばひょっとしたら承知しませう〕。さなくば尼になりて後世菩提を願ふべし。」と申しける。文正面目なく、大宮司殿に此の有樣を申せば、大宮司殿は腹をたて、「汝が子共の分として、自らを嫌はむこと不思議なれ。急ぎ進らせずば汝を罪科に及ばすべし。」とのたまへば、文正又娘のかたへ行き、此の由申ければ、姫たち仰せけるは、「かやうの道〔かかる男女の縁の道〕はたかきも賤しきにもよらぬ事にて候へ。只尼になりて、うき世を厭ふか、さなくば淵河へも身をいれむ。」と歎きける。文正さめ\〃/と泣きて、又大宮司殿へまゐり、此の由を申しければ、「それ程の儀ならば、力なし。」とぞ仰せける。

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(中将の東下り)

さてその後、衞府の藏人〔衞府の武官で藏人を兼ねた人。藏人は天子の秘書官に當る。〕みちしげと申す人、常陸の國司を賜はりてくだりたまひけり〔京都から常陸へ赴任した〕。此の人はなのめならず〔非常に〕色好みにて、いかなるやまがつ〔山に住む身分賤しい人。例へば木樵。〕・いづの女なりとも、みめかたち世にすぐれたる人をと心がけておはしける。國中の大名たちわれも\/と見せけれども〔自分の娘などを見せたけれども〕、心にあはずして〔氣に入らないで〕、あかし暮し給ひけり。ある人申すやう、「鹿島の大宮司の雜色に文正と申すもの、光るほどの娘を持ちて候。國中大名われも\/と申されけれども、用ひ候はず。これは天人のあまくだりたまふかとおぼえ候ほどの娘二人もちて候。主の大宮司仰せられて召され候へかし。」と申しければ、よろこび給ひ、大宮司を召し、「まことやみうちの雜色に、文正とやらむもの、ならびなき娘をもちたる由うけたまはりて候。御はからひにて給はり候へ。そのよろこび〔その御禮に〕は國司を讓り申すべし。」とのたまへば、「かしこまつて候へども、すべて人の申す事をも聞かず、親の命に從はず候なり。さりながら申してみ候はむ。」とて、御前をたち給ふ。文正も御とも申しけるを召して、「斯かるめでたき事なれば、汝が娘を國司の御みだい〔御御臺で奧方の事。敬語が一つ多すぎたのである。〕に參らせよと仰せあり。さあらば國司をわれに給はらむとなり。汝をば大官になすべきなり。面目此の上はあるべからず。」と宣へば、文正うれしげにて、「かしこまつて承り候。さりながら親の申すことを用ひぬものにて候へば、いかゞ申し候はむ。」とて歸りける。
かどの程より〔自分の邸の門をはひる時から〕、「あな、めでたや。女子をんなごは、持つべき物なり。國司の御舅になるぞや。みな\/用意して御供申せ。」と申しつゝ、娘に向ひて申すやう、「さて\/めでたき事なり。」〔此の下に脱文があるらしい。〕いちいちに申せば、之をも受けで潸々さめ\〃/と泣きて居たりける。も文正も、「これをさへ嫌ひ給ふことの淺ましさよ。此の事叶はぬものならば、つねをか何となるべき〔つねをかは文正の名。私自身がどうなるかわからぬ〕。」と言ひて、いろ\/申せども返事へんじもせず。あまりに口説きければ、姫たちは、「大宮司殿の公達を嫌ひて候へば、大宮司殿も心のうちは、さこそ思召さむ。たゞ身を投げむ。」とぞ申しける。
此の上はとて、大宮司殿へまゐり此の由申しければ、大宮司殿は、國司へはじめより終りまで語り給へば、此の由聞召し、「此の程はあひみむ事を思ひて、ものうき鄙の住居も慰みぬ。今はそのかひなし。〔此の間までは美しい姫と逢つて見ようと云ふ事を考へて居て、田舍住ひも慰みになつて我慢したのであるが、今はそのかひもない。〕」とて、都へ上り給ひける。日數かさなりて、都へつかせ給ふ。まづ天下の御所〔殿下の御所の訛。關白の邸宅〕へ參りける。折節國々の物語ども侍りしに、衞府の藏人、わが心にかゝるまゝに申しけるは、「いづれの國と申すとも、常陸の國ほど、不思議なる者のある國は候まじ。」と申しければ、天下の御子に二位の中將殿、此の由聞召し、「何事やらむ。」と御尋ねありければ、「鹿島の大宮司と申すものが雜色に、文正と申すもの、いかなる前世のいはれにや、七珍萬寶たからに飽きみち、樂しみ榮ゆるのみならず候。かの大明神より御利生〔利益衆生に御の字を附したのである。〕に賜はりたる姫を二人もちて候が、優にやさしく光る程のみめかたち、心ざま藝能に至るまで、人間のわざとも覺えず候ときき、みちしげもとかく申して候ひしかども、更に靡くけしきもなく候。主の大宮司をはじめて、國々の大名ども、われも\/と申しけれども聞きいれず、二人の親が申すことも聽かず候。」と、語り申しければ、中將殿はつく\〃/と聞召し、やがて見ぬ戀とならせ給ひて、いつとなく惱み給ふ。その頃しかるべき〔相應な身分の〕公卿・殿上人の姫君達を、われも\/と申されけれども、更にききいれ給はず、うちふし給ひける。殿下北の政所〔攝政關白の夫人の尊稱〕、御祈りさま\〃/なり。やう\/月日もたちければ、秋のなかばなれば、隈なき月にあこがれ、中將殿たちいで給ひければ、なぐさみ申さむとて、管絃をぞはじめ給ひ、さまざまの御あそび共あり。中將殿かくなむ、
月見ればやらむかたなく悲しきをこととふ人〔訪ね慰める人〕のなど無かるらむ
かやうによませ給ひて、袖を顔にあて涙ぐませ給ひて、又うちふし給ふを、兵衞のすけみとゞめ申して〔見咎め奉り〕、「此の程君の例ならぬ御うち、いかなる御事にやと思ひ候へば、人知れず物思はせ給ひけるを、今までさとり申さぬ事よ。」とて、兵衞のすけ式部の大夫とうまのすけ、三人御まへにまゐりて申しけるは、「これ程におぼしめし候御ことを、仰せもいださせ給はず、いかなる唐土までも尋ね申すべし。何か苦しく候べき。」などと申しければ、「包めど色にいでけることの〔胸につゝみ隱して居たけれど外面に表はれ出た事の〕恥かしさよ。」と思召し、「われながらうはの空なるやうに〔自分ながら夢中になつて居て〕、憚り多くはべれども、今は何をか包むべき。過ぎにし春のころ、衞府の藏人が物語り候ひし大宮司がうちの雜色に、文正むすめに、かたちすぐれたるを持ちたる由をききしより、一すぢに思ひ侍るなり。人をくだして召したりけれども、世のそしりも憚りあれば、只思ひに身をくだき候。」とて、御涙にむせび給ひければ、人々申されけるは、「昔より戀の道かくこそ候へ。たゞ常陸の國へ御とも申してくだり候はむ。」と申しければ、中將殿の御よろこびは限りなし。
かくは申しながら、「いかゞして下り申すべき。都にてだにも紛れなく〔都に居てさへ他人とまぎれず目立つて〕、いつくしくましますに、あづまの奧にては、いよ\/まがふかたも有るべからず。」と、案じめぐらすに、「たゞ商人あきびとのまねをして、いろ\/の賣物をもちたらば然るべし。」とて、さま\〃/の物をもちて、各々せんだんびつ〔千駄櫃。行商人の用ゐる入れ物。商人を入れた櫃を高く重ね背負うて行くもの。〕を背負ひ、既に下らむとぞし給ひける。中將殿、さすがはるばるの道に赴き給はむに、「今一度父母たちにも見えたてまつらむ。」と思召し、御前に參り給へば、「此の程は何とやらむ惱みがちにておはしませしが、立ちいで給ふ嬉しさよ。」と、よろこびあひ給へば、中將殿は、「遠國をんごくへ下らむ事もしろしめさず、あとにて歎き給はむことよ。」となげき御涙ぐみ給へば、御ふたところ〔御兩親〕ながら、袖を顔にあて給ふ。中將殿思ひきつていで給ひけり。御心のうちかきくれて〔心中が悲しみのためくらくなつて〕、御裝束をぬぎおかせ給ひて、御直衣おんなほしの袖にかくなむ、
東路のかたみとてこそぬぎ置くにかはるまでとは思ふなよ君
かやうにあそばして、いつ召しなれたる事もなき〔一度も著馴れた事もない〕草鞋わらぐつ直垂をめして、御身をやつし給ふ〔自分の姿を惡く變へられる〕。御ともの人々、同じくやつれくだり給ふ。中將殿は十八、式部の大夫二十五、いづれも若殿上にて、いつくしかりける御姿にて、御身をやつし下り給へども、まがふべきかたもなし。十月十日あまりのころ、都をたち出でさせ給ひて、常陸の國へぞくだり給ふ。道すがら歌をよみ、心をすまし、物あはれにおぼしめし、よろづ草木までも、御目をとゞめて、人々と伴ひくだり給ふ程に、ある山を御覽じて、
身をしれば戀ぞくるしきものぞとてさこそは鹿のひとり鳴くらむ
有明のくまなき空を御らんじて、うらやましとおぼしめし、
うらやまし影もかはらずすむ月のわれには曇れ秋のそらかな
しきぶの大夫
めぐりあはむ程こそくもらむ月影はつひに雲居のひかりましなむ
かくて物ごとに祝ひ申し行くほどに、三河の國八橋〔三河國池鯉鮒。今の知立町、岡崎より三里。〕を過ぎ給ふに、から衣きつゝなれにし古も〔伊勢物語業平の歌「唐衣著つゝ馴れにし妻しあれば遙々來ぬる旅をしぞ思ふ。」〕、今のやうに思召しつゞけて、蜘手くもでに物をこそおもひ給ひけれ〔伊勢物語の句襲用。幾筋にも亂れ思ふ意。續古今集の歌「戀せよとなれる三河の八橋の蜘手に物を思ふ比かな。」〕。ある山中にて、年のよはひ七八十許りなるの、見たてまつりて、「おの\/いかなる人にてましますぞ。」と申しければ、「これは都より物うりにくだる商人あきびとにて候が、常陸の國へくだり候。」とのたまへば、「いや\/商人らとは見申さず候。此の頃天下の御子に二位の中將殿と見申して候。戀路に迷ひいでさせ給ひて候か。此のくれ〔此の歳の暮〕におぼしめす人に必ず逢はせ給ふべし。此の翁よく見申して候ぞ。」と申しけるに、そらおそろしく思召しながら、「思ふ人にひき合はせべきといふが嬉しきに。」とて、御小袖一かさね取りいだして、彼の翁にたびける。「これは聞ゆる見通しの尉〔今で云ふ透視眼の老人と云ふ義。〕にて候。」とて、かき消すやうに失せにけり。
さてその後はたのもしく思召して、御足のいたさも覺えずいそぎ下り給ふ。都には二位の中將殿うせ給へるとて、院中〔關白の邸内〕のさわぎなか\/申すもおろかなり。北の政所の御事は申すに及ばず、京中のさわぎ限りなし。いつとなくむすぼほれておはしませば〔二位中將がいつとなく屈託して居られたから〕、いかなる御怨みもやとて、住み給ひしかたを御覽じ給へば、ぬぎおき給ひし直垂の袖に、あそばしたるを〔書置の殘されたのを〕御覽じて、すこしたのもしく思召しける。さるほどに常陸の國へつき給ふ。まづ鹿島の大明神へまゐり給ひて、御通夜おんつや申させたまひ、「願はくば文正が娘に引合はせ給へ。」と、終夜よもすがら祈念申させ給ひて、あくれば〔その夜が明くれば〕下向し給ひけり。ある家にたちよりて尋ね給へば、あるじ道しるべして教へ申しけるに、文正たち七十町の築地をつき、「斯かる田舍にもめでたき處ありけり。」と思召し、立ちやすらひておはしけるに、下女の出でて申しけるは、「いかなる人ぞ。」と問ひければ、「都の方より物賣に下りて候なり。」と宣へば、「さやうの事をこそ是れにあいさせ給ひ候へ〔此の邸ではお喜びになる〕。申し入れ候はむ。」と言ひければ、嬉しくてやがて續きて入り給ふが、「賣物にとりては〔商品に於ては。商品と云ふものは〕、かぶり裝束、紫の指貫、笏、扇、女房の裝束。春秋の吉野・泊瀬の花、いろ\/をつくし織りたる紅梅、うめ、さくら、柳〔皆女房の裝束の染色の名〕の絲の春風にみだれて物ぞ思ひける、契りの程は知らねども、音にのみきくの水、心つくしぶねこがれて出でにし山吹の、色をしるべにあこがれて、逢ふに命もながらへて、結びかけたる契りをもめしたくや候〔召し度くや候。お買ひになり度う御座いますか〕。夏は涼しき泉殿〔對屋から廊下で續き、池につき出して居る釣殿〕、鴨やをしどり織りかけて、菖蒲がさねの唐衣に、戀の百首を縫ひつくし、そのはながさねの十五夜〔十五一重とかけた〕のこひしき人をみちのくの、しのぶの里は尋ぬれど、あはれを誰かさゝがにの、蜘手に物や思ふらむをも、めしたくや。秋はもみぢの色ふかき、思ふ心のあゐぞめかは〔逢初めと藍染とかけた〕、名のみして袖は朽葉にあこがれて、戀路にまよふ道芝の、露うちはらふ白菊の、うつろふ道もめしたくや候。冬は雪間に根をませば〔雪の下で植物が根を増すと、思ひが心中に増すとをかけた。〕、やがてか人を見るべき、富士のけぶりの空に消ゆる身のゆくへこそあはれなれ。風のたよりのことづてもがな、心のうちの苦しさも、せめてはかくと知らせばやと、色おりたるもめしたくや候。春にとりては白きあかきかけおび〔昔の女の裝飾用帶、裳に附けたもの〕、几帳ひきもの〔帷帳を云ふ〕などもめしたくや候。さて具足〔調度、道具〕のいろ\/は、手筥、硯にかけご〔箱を入れる盆の如き平らな箱〕なり。又みのつぼ〔美濃で出來る油壺〕にあひそへて、豐のあかりの節會〔宮中で行はれる饗宴〕には、くし、疊紙たゝうがみ、紅、むらさき、色ふかき薄樣、すみ、筆、■(三水+冗:ちん:「沈」の異体字:17190)〔香木の名〕(*沈香)、麝香、たきものなども候なり。枕のすぐれておぼゆるは、殊にやさしき花枕〔花の飾りある枕か〕、こすげの枕〔小菅で編んだ枕〕、から枕〔唐枕か〕、戀路に迷ふうき枕〔憂き枕〕、ぢん(三水+冗:ちん:「沈」の異体字:17190)の枕を竝べつゝ、人にはじめて新枕、鏡にとりては、しろがねのうらなる、とりのむかひたる唐の鏡〔山鳥の尾の鏡を引用したのであらう。〕や、ひわ、小鳥、鶯、ひよ鳥などまでも、數を盡して鑄つけたる鏡や召され候。」と、詞に花を咲かせつゝ、「かやうにやさしき賣物ども戀の心をたよりとや、聞きしる人もあるや。」とて賣り給ふ。文正が内のものども多けれども、やまがつなれば聞き知らず。女房たちのそのなかに都人にてありけるが、情も深く、讀みかき和歌の道にくらからず、みめかたちいつくしき人とて、姫君のかいしやくに付けたりしが、此の商人をうち見つゝ、「姿ありさまに至るまで、只人ならぬ風情なり。賣物の言葉つゞき、いとやさしき人なり。不思議なり。もし若殿上人たち聞き及びあこがれて、是れまで下り給ふか。」と、あやしげにこそ思ひけれ。「未だ斯樣のおもしろき賣物こそ候はね。聞かせ給へ。」と言ひければ、文正も出居でゐ〔客殿〕の窗あけて聞きつれば、さもおもしろくぞ覺えける。
「あの殿ばらは、何處の人にてましませば、かく面白くは賣り給ふぞ。『今一度賣り給へ。』と申せ。」人々目を見あはせて、「これこそ聞ゆる文正よ。」とて、又さきの如く賣りたまふ。あまりおもしろきに、二三度までぞ賣らせける。「いかにしてか此の人々をこれに止めむ。」と思ひ、「あの殿ばら達、宿はいづくにて候。」と問ひければ、「宿は候はず。是れへすぐに參りて候。」と申したまへば、うれしと思ひ、やがてなかの出居に入れたてまつり、御足の湯などいだしければ、とうまのすけ御足をすまし〔中將の足を清め洗ひ〕ければ、兵衞のすけ、ねりぬき〔經を生絹、緯を練絹にて織つたきれ〕の御手ぬぐひにてのごひ申しけり。中將殿は御身も衰へやせ給へども、なほ人にはすぐれ見え給ひけり。文正がうちの者ども申しけるは、「せんだんびつもちたる男、大事のはんざふ盥〔半挿盥。湯水をつぐ口ある盥。〕に足を入れて、一人は洗ひ、今一人はいつくしき絹にてのごひ候惜しさよ。」とて笑ひける。文正、「京商人ははづかしきぞ〔こちらが氣がひけるぞ〕。はんなど尋常にしてまゐらせよ。」と言ひければ、高坏〔食物を盛る器。高い臺のついて居るもの。〕に八種の具足〔八種の御菜〕し、皆々同じ樣にして据ゑける。おの\/は取りおろしければ〔隨行の三人は中將に敬意を表し、自分達の分を高坏からおろしたのだ。〕、「都人はをかしきものや。あのやせ男に物をくはせて、ひれふす樣にして、食ひもならはぬやらむ、そなへ〔供へられた馳走〕を皆とり下して食ひけるをかしさよ。」と笑ひける。文正出居に出でて、此の人々に酒をすゝめむとて、色々の肴をこしらへいだし、横座〔正座〕に直り、さかづきを取りて申すやう、「あるじ關白〔主人は一番貴いと云ふ當時の俗諺〕と申す事の候へば、まづ飮み候べし。」とて、三度のみて後に、中將殿にまゐらせければ、力なくてまゐりけり。御ともの人々、目もくるゝ心ちして、「戀ほど悲しきものはなし。院より他は、たれか君よりさきに杯をとらせ給ふべき。」とて、おの\/涙をながす。中將殿もあさましく思召しけれども、力なくまゐりける。さて文正、酒のゑひのまゝ申しけるは、「つねをか〔自分の名を云つたのである。私は〕賤しきものにて候へども、鹿島の大明神より賜はりて、みめよき娘を二人もちて候が、しうなどのやうにもてなし候。八箇國の大名たち、われも\/と申され候へども、更に靡かず。つねをか主の大宮司殿、よめにとおほせ候へども、從ひ申さず候。又國司に下り給ひし京上臈〔都の貴族〕も、とかく仰せ候へども、只一筋に佛道を願ひ申すなり。その女房たちにみめ能きがあまた候。傾城ほしくば、十人も二十人もまゐらせ申すべし。しばらくこれに御逗留候うて、御あそび候へ。」と申しけり。
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(御堂の奏楽)

中將殿をはじめて、をかしくぞ聞き給ふ。其の後いつくしき物ども、箱のなかに入れて、「姫君の方へ。」とてつかはされける。姫たち御覽じて、「多くの物を見つれども、これ程めづらしき物をいまだ見ず。」とて見給へば、硯の下に紅葉がさねの薄樣〔表紅、下青の紙をかさねたもの〕に、
君ゆゑに戀路にまよふ道芝〔道のほとりに生ずる芝。中將自身をさす。〕のいろの深さをいかで知らせむ
姫君これを見給ひて、顔打ちあかめて、つゝましながら〔憚られながら〕見給へば、筆のながれ、墨つき、いまだ見馴れぬなり。此の年月多くの文を見つれども、これ程いつくしきは見ざりける。「物を賣りつる詞つき、さればこそ。」と思ひて、姉姫はかへし給ふを、かいしやくの女房たち、「これ程やさしきものを、御返し候へば、色をも知らぬ樣に覺え候。只御とめ候へ。」と申しければ、げにもとおぼしけむ、とゞめ給ふなり。又、此のいろ\/を御覽じて羨みければ、文正申しけるは、「つねをか娘を二人もちて候。さきにたまはり候ものを、いもうと羨み申し候。これにもたまはり候へ。」と申しければ、かねてより用意しておき給へば、劣らぬいつくしき物どもを贈り給ひける。文正申しけるは、「殿ばら達、つれ\〃/にましまさば、此の西の御堂〔文正の建てた邸内の佛堂〕へ參りて、慰み給へ。」と申しけり。やがて御堂へ參り御覽ずるに、まことに尊くありがたき心ちして、かなたこなた見給へば、琵琶・琴たて竝べおきたるを御覽じて、めづらしく思召し、琵琶をひき寄せひかせ給ふ。兵衞のすけ琴をひき、とうまのすけ笙を吹き、式部の大夫笛を吹き、おもしろく感涙をながしける。文正が内のものこれを聞きて、「よしなき人〔つまらぬ人〕を御堂へ入れ給ひて、垣壁をやぶるらむ〔聞きなれぬ奏樂の音を聞き誤つたのである。〕、ひしめき候。」と申しければ、文正申すは、「見て來れ。」と申しける。十人許り行きて、遲くかへるほどに〔未だ歸らぬ内に〕、又二十人ほど行けどもかへらず。あれ行きこれ行き、行くほどに皆々ゆきてかへらず。文正不思議に思ひて、いそぎ行きてみるに、二三百人白洲〔玄關の前に白砂を敷いた所。〕になみ居たり。近くよりて聞きければ、管絃のおと、耳にあきれたる風情なり。「おもしろさ・尊さ、心もおよばず。これほど面白くありがたき事を今まで聞かざりし事のうたてさよ。ありがたく罪もきえ候。御引出物〔祝儀〕申さむ。」とて、さま\〃/の物進らせければ、此の人々、「かねてより壻引出物取り給ふ。」とて笑ひ給ふ。
姫君はありし硯の下の文、人しれず心にかかりけれども、いひ傳ふべきたよりもなし。其の上ひととせ下り給ひし國司よりも、したの人にて有らむと思ひ亂れ給ひけり。文正つかひを立てて申しけるは、「わが姫たち、今度は聞かすべく候あひだ、今一度面白くひき給へ。」と申しける。中將殿みな\/〔中將殿を始め皆一同〕嬉しくおぼしめし、ひきつくろひて〔裝束など直して〕御堂へうつらせ給ふ。姫君たちもひきつくろひ、女房たち、はしたものにいたるまで、心も及ばず出でたたせ、御堂へ入り給ふ。片田舍とも覺えず、心にくき風情にて、■(三水+冗:ちん:「沈」の異体字:17190)・麝香のにほひ滿ち\/て、由あるさまなれば、いつよりも御心を澄まして、琵琶をひかせ給ふ。姫君は聞きしり給ひて、「撥音ばちおとのけだかさ、愛敬つきたる手あつかひ〔手さばき〕も、たとへむかたなし。御身をやつし給へども、優にけだかくいつくしく、いかなる風のたよりもがな〔何か言ひ寄るべきたよりもあればよい〕。」と思召しける。をりふし嵐烈しく吹きて、みすをさつと吹きあげたるひまより、姫君中將殿の御目を見あはせ給ひける。
彼の姫君の御ありさま、漢の李夫人楊貴妃もこれには過ぎじとぞ見え給ふ。いよ\/たしなみ〔謹み心がけ〕、琴・琵琶をひきあはせ吹きならし給へば、聽聞の人々、あまりのおもしろさに隨喜の涙を流しける。姫たち心のうちにたとへむかたなし。文正又杯をばしらめて〔杯を調べての訛。杯をとゝのへて〕、中將殿にさしにけり。力なくまゐりて〔自分より身分卑しき者の杯を受けるのであるからやむを得ずのまれて〕、又つねをかにたまへば、「いつぞやも申して候。御きらひ候か。姫の方にみめよき女房たちおほく候。いづれにても召され候へ。これより北に候。」とて指をさして教へける。人々目を見あはせて御心の中おしはかり、「嬉しく候。」とて笑ひたまふ。さてその夜をすごしたまふべしとも覺えねば〔此の夜を何もせず空しく過さうとは考へられないから〕、人しづまりて忍び入り給へば、姫君もありつる姿忘れやらず思ひ給ひ、格子もおろさず、月くまなきを眺めつゝ居給ふをりふし、中將殿八重の垣を忍び入りたまへば、例ならず男の影見えければ、胸うちさわぎ、かたはらに入り給へば、中將殿もともに入らせ給ひ、御そばに添ひふさせ給へば、かの人やらむ、おそろしくもあさましく、さしも人々をきらひ、商人にちぎりを結びて、父母の聞き給はむこと、悲しくはづかしくて、「思ひよるまじき」よし〔とても戀をしまひ(*ママ)と云ふ事〕のたまへば、中將殿もことわりと思召し、衞府の藏人語りしより、はじめ今までかきくどき語り給ふに、姫君もうち解け給ひ、いつしか淺からず契り給ふ。さるほどに秋の長き夜なれども、あふ人からの〔古今集の歌「長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば。」〕しのゝめ早くしらみければ、
戀ひ\/てあひ見しよはの短きは睦言つきぬにひまくらかな
と、か樣に宣へば、姫君打ちそばみつゝ、
かずならぬ身には短きよはならしさてしも知らぬしのゝめの空
それより天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝〔白樂天長恨歌の句。〕とぞ契り給ひけり。

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(昇殿)

忍ぶとすれど露はれてさゝやきあへり。母上も聞き給ひて、「あさましや。大名たちを嫌ひて商人に契りし事の悲しさよ。商人につけて追ひ出さむ。」とぞ申しける程に、文正がところにこそ、都より下りたる商人を愛しおきて、管絃させるよし、大宮司殿きこしめし、御使ありしかば、文正うけたまはり、「かしこまつて候。」とて、商人に申しけるは、「大宮司殿御聽聞あらむとのたまふあひだ、いつよりもひきつくろひて、管絃し給へ。」と申しければ、「今日こそあらはれむ〔今日こそ正體を現はさう〕。」と思召し、皇子みこにての御裝束〔皇子は單に貴い公達をかく云つたのである。皇子の服装〕、いづれももたせ給へば、御かぶり束帶の姿にて、かねつけ眉つくり給へば、心も詞も及ばず、いつくしく見え給ふなり。文正がうちの者これを見て、「商人はいづれやらむ。たゞ神佛の現はれたまふか。」と驚きける。大宮司殿、公達五人つれ給ひて、輿にて入らせ給ひ、御堂の正面を見給へば、中將殿と見給ひ、肝をけし輿よりころび落ち、「さても天下の御子に、二位の中將殿うせさせたまふとて、國々を尋ねまゐらせ給ふと承り候。これにましますを夢にも知りたてまつらぬこと。淺ましさよ。」と呆れて、かしこまりてぞゐ給ふ。
さる程に兵衞のすけ立出でて、「いかにさだみつ〔大宮司名〕、これへまゐれ。」とのたまへば、文正いそぎ家にかへり、「淺ましや。人の目をみすまじきものは京の商人なり〔むやみに人に逢はせられないのは京都の商人である〕。かたじけなくもわが君〔文正の主人、大宮司をさす。〕をなめげに申す。」と、ふるひ泣きけり。大宮司殿は文正を召し、「汝知らずや。かたじけなくも、てんか殿の御子に、二位の中將殿と申して、竝ぶかたなき御人なり。さても冥加につきなむ。」と申し給へば、文正うけたまはり、肝たましひも失する心ちして、「この程商人と思ひつるに、てんかの御子にて渡らせ給ふを、夢にも知らず。」と赤面して、又うちへ戻りけり。「壻どのは天下ぞ。天下は壻殿よ。」と、物に狂ふばかりに悦びける。大宮司どのは、手づから御輿をかき、わが宿へうつし申し、八箇國の大名にふれければ、われも\/と參り集まりける。「これ程めでたき幸ひをひき給はむとて、諸人しょにんを嫌ひ給ひける。」と申しける。〔姉姫蓮華の前の事を評する語。〕中將殿は「姫君を具して、都へのぼらん。」と思召し、御いで立ち給ふ。當國の大名一萬餘騎御ともに參りけり。御かいしやくには、大宮司殿北の方をはじめとして、我も\/とぞまゐりける。文正が四方の倉のたから物は「いつの用ぞ〔こんな時に利用しなくつて、いつ使用するのだの意〕。」と、御車をば金銀にて飾り、女房たちをいつくしく飾り、都へ上り給へば、見る人きく人羨まざるはなかりける。
三月十日あまりに〔十日頃に〕、都へつかせ給ふ。天下北の政所も、たゞ夢の心ちせさせ給ひて、嬉しさかぎりなし。「たとひ如何なるものの子なりとも、おろかには思ふべからず。」とて、もてなし給ふ。姫君は藤がさね〔表は淡紫、裏は青〕の七重ぎぬに、えいその唐衣〔えびぞめの誤り。えびぞめは葡萄染〕、さくらのくれなゐ袴、にほやかに著なし給へば、姿かゝり〔風貌、髪の樣子〕誠にいつくしさ譬へむかたなし。「いかなる故に文正とやらむが子には生れ給ふらむ。ひとへに天人の影向やうがう〔靈を現はす事〕か。」と、御寵愛かぎりなし。こんどの御よろこびにとて、常陸の國を大宮司にたびにけり。さて中將殿みかどへ參り給へば、此の程は戀しきをりふしに、御よろこび譬へむかたなし。やがて大將にぞなし給ふ。さて此の程の事ども御尋ねありけるに、一々語り給ふ。おほせありけるは、「定めてよかるらむ。」と宣へば、「よりもまさりて候。」と申したまへば、軈て宣旨をくだされけり。文正此の由きき、「宣旨かたじけなくは候へども、姉は力なし。妹は此の國におき候うて、朝夕見參らせでは叶ふまじき」由申しければ、そのよし奏しけるに、さらばとて父母ともに都へ召しけり。御覽ずれば、姉君よりもいつくしく思召し、御寵愛かぎりなし。よき子をもちぬれば、文正七十にて宰相〔參議〕にぞなされて、引きあげ給へば、五十ばかりにぞ見えにける。姫君は女御になり給ふ。さるほどに例ならず惱み給へば、をはじめさわぎ給へば、ひきかへ御よろこび限りなし〔騷がれたが懷妊とわかつて前の騷ぎにひきかへ帝の御喜びが非常である〕。十月と申すに、御産平安し給ひて、皇子わうじをぞ産み給ふ。御めのとには關白殿の姫君、中宮にまゐり給ひぬ。又おほぢの宰相〔祖父御の參議、即ち文正の事〕は、やがて大納言になされけり。賤しき鹽賣の文正なれども、かやうにめでたき果報ども、中々申すにおよばれず。〔文正の妻〕も二位殿とぞ申しける。いかなる過去のおこなひにやらむ、みな\/繁昌して榮華にほこり、年さへ若く見え給ひ、下人・若黨おほくめし使ひ、女房たち上下に至るまで人に用ひられ、榮耀にほこり給ふ。
さるほどに大納言は高きところに塔をたて〔寺院をつくつたり、人民の便益をはかつたりする意〕、大河に舟をうかめ、小河せうがに橋をかけ、善根數をつくし給ふ。いづれも\/御いのち百歳にあまるまで保ち給ふぞめでたき。まづ\/めでたき事のはじめには、此の草子を御覽じあるべく候。

(*了)

 文正長者  大明神の利生  中将の東下り  御堂の奏楽  昇殿
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