舞姫 梗概
太田豊太郎は、大学法学部を首席で卒業して、某省に奉職、官長の覚えめでたく、三年間の独逸(ドイツ)留学を命ぜられ、故国に老母一人を残してはるばる異国に旅立った。当時の独逸では、新興の普魯西(プロシア)が国力を充実させていた。初めて見る欧州(ヨーロッパ)の大都伯林(ベルリン)の街路や人々の装いなど、どれも豊太郎の目を奪う壮麗な景観であった。官員との会話もうまく運んで、彼はその抜群の語学力を駆使して仕事に精励する一方、他日政治家として雄飛すべく大学にも聴講に通い、順風満帆の留学生活を送る。
しかし、時が経過し、欧州の生活様式にも慣れるにつれ、大学の自由な学問やそれを育てる気風にも自然感化されてきた豊太郎は、徐々に自分の本領や将来への展望に對して強い疑問を覚えるようになってきたのだった。それは言い換えれば、周囲の期待や仕向けに対して従順に自己を検束し、ひたすら勉学に明け暮れてきた自分を反省することだった。生き字引や歩く法律に飽き足りない彼は、自由に己れの信念を周囲に主張するように努めはじめた。官長に対しては、瑣事の処理に囚われるのでなく、根本的な立法の精神を会得すべきことを大胆に進言しさえしたが、こうした彼の態度の変化は実務一辺倒の官僚の世界から疎んじられるようになってきた。
こんなある日、豊太郎は下宿への帰途、いつも立ち寄る伯林の裏町の一角、とある寺院の扉の前にすすり泣く少女を見とがめ、憐れみの情に駆られて大胆にも声を掛けた。聞けば、少女の父が亡くなったが、家では葬儀を出す費用もなく、抱えの劇場主から無体な要求を突きつけられていたのである。太田は有り合わせの時計を渡して一時の急を救ったが、これが縁となり、少女は豊太郎と親しくなり、彼から上流社会の正しい言葉遣いを教わるなど、楽しい師弟の交際を始めるようになる。けれども、豊太郎の不幸はそこに萌していた。元来、彼は堅物で同僚の留学生仲間との社交が下手だった。本当の彼は意固地な堅物などではなく、老母と別れた船の中でひそかに涙を禁じ得なかったほどの繊細で優しい心根と内気で臆病な性質の持ち主だったのだが、同輩の誰一人としてそれに気づこうとする者すら無かった。彼らは豊太郎を疎んじ、その才能を嫉むばかりでなく、ついには彼がある女優といかがわしい交際をしているということを日本の官長に讒言することさえした。官長は豊太郎の遠慮ない進言を憎々しく思っていたので、これを口実として豊太郎を一方的に罷免してしまった。
その悲嘆のさなか、故郷から最愛の老母の死を知らせた手紙が舞い込むということもあり、豊太郎は平常心を失ってしまった。彼の免職を聞いた少女エリスは、彼に同情の気持ちを示し、二人の仲を裂かれぬよう自分の母親には事実を隠すように忠告する。これを境に、豊太郎のエリスを愛する気持ちはにわかに強くなり、かえって二人は離れがたい仲となってしまった。
帰国か滞在かをめぐって一身の進退の岐路に豊太郎が直面していた時、彼を助けてくれたのはかつて豊太郎と大学の同窓であり、今は天方伯の秘書官を務めている友人の相沢謙吉だった。相沢は豊太郎をある新聞社の海外通信員に斡旋してくれ、豊太郎は独逸滞留のまま生活を続けることが可能になった。身分も収入も以前とは比べものにならなかったが、豊太郎はエリスの家に同居し、つらい中にも楽しい生活が始まった。彼は毎日、市内の新聞縦覧所に通って、独逸語の諸新聞から必要な記事を抄録し、それを故国に報じて生活の資とした。帰りがけには、劇場の温習帰りのエリスを伴って仲良く家路についた。大学に通えなくなって、豊太郎の学問は荒んでしまったが、彼の前には別の意味で活発な現実世界と相渉る、生き生きとした民間学の世界が開けてきた。
そんな生活を続けていた明治二一年の冬のこと、エリスが舞台で卒倒し、豊太郎は彼女の妊娠を告げられる。しかし、彼はこの事でかえってわが身の将来に強い不安を感じるのだった。ある日、彼の許に伯林の消印を捺した手紙が届く。見れば相沢の手跡で、自分が天方伯に随行して当地にやって来ており、天方大臣は豊太郎に会いたがっているので、名誉を回復するためにぜひ来るようにとのことだった。豊太郎はすぐさま大臣の投宿しているホテルに出向く。そして大臣から文書の翻訳を委嘱され、相沢とは午餐を共にした。相沢は昔変わらぬ快活な性質であり、豊太郎のしくじりをさほど気にしていない樣子で、彼の身辺報告に対しても、むしろ豊太郎をかばい、他の留学生仲間を非難していたが、話が一段落した後、厳しい表情になって、豊太郎が豊かな才能にもかかわらず目的のない生活を続けていることを批判した。そして、天方伯の信用を実力でかちえること、いかなる事情があろうとも少女との交際を断ち切るべきことを直言した。豊太郎は大いに迷ったが、友人に対して断りきれないまま、エリスとの関係を断つことを約束してしまった。
翻訳の仕事は順調に片付き、豊太郎は天方伯の信用を徐々に獲得しつつあった。ある日、彼は伯から露西亜(ロシア)訪問の通訳として随行することをじかに打診され、二つ返事で即答する。エリスは舞台を休んだために劇場を解雇されたが、豊太郎は翻訳代を生活費に充て、出発の日はエリスとその母を共に知人の家にやって、数週間の旅に出た。豊太郎は通訳として独逸語のみならず、社交界の公用語である仏蘭西(フランス)語をも自在に操り、露西亜の宮廷でも活躍し、一気に青雲の上に乗ることができた。エリスからは毎日のように寂しさを訴え、近況を知らせる手紙が来た。ある日の手紙は、よほど思いつめた調子で書かれていた。自分の愛する心の深さを知ったこと、もしも豊太郎が大臣に重く用いられて東洋にもどることとなり、自分と独逸に暮らすことがかなわなくなった時には、豊太郎の後について日本まで行くという決意がそこには書き綴ってあった。豊太郎は、エリスのこの手紙に接して、初めて自分の置かれた位置を悟ることができた。これまでは自分の果たすべき任務のことだけに専念して他を顧みる余裕のなかった豊太郎は、ここに至って自分の行為が大臣や相沢、エリスたちにとってどのような意味を持つことになるのかという関係について、およびわが身の将来について、ようやく認識する機会を得たのである。独逸にやって来て、自分の意志で自由を手に入れたと思ったのもつかの間、再び天方大臣に従うことでその自由をみずから投げ出そうとしていたとは、何という皮肉なことだったろう。
豊太郎が伯林に帰ってきたのは、翌明治二二年の元旦だった。寝静まった朝の町に馬車を走らせ、クロステル街のエリスの家に戻り、階段を昇りかけた時、エリスが駆け下りてきて二人は固く抱擁し合った。この一刹那、彼の迷いの心は全く去ったのだった。エリスはテーブルの上にうずたかく積み上げた産着を彼に見せ、一緒に教会の洗礼に行く日を心待ちにしていることを話した。
数日後、豊太郎は大臣に招かれ、ホテルに出向いた。大臣は豊太郎の通訳としての活躍をねぎらった後、自分の通訳官となって帰国する決意はないかと尋ねた。相沢の報告で障害の無いことを知って安心したという大臣の言葉を聞いて、豊太郎は「ああ、しまった。」と思ったが、相沢の話は嘘ではないうえに、もしこの手づるを失ったならば、二度と名誉を回復する機会もなくなり、この広漠たる欧州大都の人の海に葬られることになるかという思いが衝動的に湧き起こり、未練にも「承知致しました。」と答えたのだった。もはやエリスに合わせる顔もなく、豊太郎は沈みきって帰路に就いた。道の東西も分からず、獣苑のベンチにうずくまり、いつか降り出した雪に埋もれていた。夜中近くになって、ようやく家路をたどったが、その間、自分は許すことのできない罪人であるという一念だけが脳中に満ちていた。屋根裏のエリスの部屋に入った時、振り返ったエリスは一声叫んだが、豊太郎は答えることもできず、そのまま昏倒してしまった。
数週間後、意識を取り戻した豊太郎が見たものは、病床に付き添うエリスのすっかり変わってしまった表情だった。彼が昏睡状態に陥っていた間に、相沢が訪ねてきて、豊太郎が相沢にさえ隠していたエリスとの生活の様子を知り、大臣には良いように繕い、エリスには豊太郎が彼にした約束、および大臣の申し出を承服した旨を、すべて語ったのだった。それを聞いた時、エリスは急に跳び上がり、「私の豊太郎様が、そこまで私を騙していたのか。」と叫んで卒倒した。急激な精神的疲労により、エリスはパラノイアという不治の病に罹り、一切の判断力を失って、生ける屍になってしまった。相沢は豊太郎の病気の間、彼らの生活の面倒を見てやったが、精神的にはエリスを殺してしまったのだ。豊太郎は相沢と協議して、エリスの母には生活資金を与えて、憐れな狂女の身籠もった子の世話をも依頼して帰国の途に上ったのだった。
帰国の船中で白紙のままだった日記は、ここに「人知れぬ恨み」の概略を綴り終えた。まことに、相沢謙吉ほどの良友はこの世にまたといない。しかし、その彼に対して自分の脳裏には一点の憎しみの心が今日まで残っているのだ、と豊太郎は述懐を結んだ。