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七草草紙

▼ 御伽草子 B-7
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

※ 句読点を適宜改めたほか、引用符を施し、段落を分けた。
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抑正月七日に野に出でて、七草をつみて、みかどへ供御ぐご〔食膳〕に備ふるといふなる由來を尋ぬるに、もろこし楚國のかたはらに、大しうといふ者あり。かれは親に孝あるものなり。既にはや百年もゝとせに及ぶ父母あり。腰などもかゞみ、目などもかすみ、言ふことも聞えず。さるほどに老いければ、大しうこの朽ちはてたる御姿を見まゐらするたびに、歎き悲しむ事限りなし。大しう思ふやうは、二人の親の御姿を、二たび若くなさまほしく思ひて、あけくれ天道てんたうに祷りけるは、「わが親の御姿ふたたび若くなしてたび給へ。」と、佛神三寶〔佛法僧〕に訴へ、「これ叶はぬものならば、わが姿に轉じかへてたび給へ。わが身はおいとなりて朽ちはつるとも、二人の親をわかくなし給へ。」と、あたり近きとうこうせんによぢ上りて、三七日が間つまさきをつまだてて、肝膽を碎き祈りける。
さても諸天諸佛は、これを憐み給ひ、三七日滿ずる暮方くれかたに、かたじけなくも、帝釋天王〔■(立心偏+刀:とう::10305)利天喜見城の主、佛教守護の神、天帝に等しい。〕は天降り給ひ、大しうに向つて宣ふやうは、「汝淺からず親をあはれみ、偏に天道に訴ふる事、上は梵天・帝釋・上品・上生、下はりんしんかいほん〔下は龍神戒品。戒品は上品上生に對稱せしめた語。〕までも、納受を垂れ給ふによつて、われこれまで來るなり。いで\/汝が親を若くなさむ。」とて、藥を與へ給ふぞありがたき。「しかるに須彌〔須彌山〕の南に白鵞鳥はくがてうといふ鳥あり。かの鳥の長生ながいきをする事八千年なり。この鳥春の初め毎に、七色の草を集めて服する故に長生をするなり。白鵞鳥の命を、汝が親の命に轉じかへて取らせむ。七種なゝいろの草を集めて、柳の木の盤にのせて、玉椿の枝にて、正月六日の酉の時〔午后六時〕より始めて、この草をうつべし。酉の時には芹といふ草をうつべし。戌の時〔午后八時〕にはなづなといふ草をうち、亥の時〔午后十時〕には、五形といふ草〔御形、はゝこぐさの事、鼠麹草〕、子の時〔午前十二時〕には、たびらこ〔鷄膓草、かはらけ菜とも云ひ佛の座とも云ふ。〕といふ草、丑の時〔午前二時〕には佛の座〔前のたびらこの事。七草には■(艸冠/繁:はん::32512)■(艸冠/婁:ろう::31813)が入る可きを誤つたのである。〕といふ草、寅の時〔午前四時〕にはすゞな〔たうな〕といふ草、卯の時〔午前六時〕にすゞしろ〔大根〕といふ草をうちて、辰の時〔午前八時〕には七種の草を合はせて、東の方より岩井の水をむすびあげて若水と名づけ、此の水にて白鵞鳥の渡らぬさきに服するならば、一時に十年づゝの齡を經かへり、七時には七十年の年を忽ちに若くなりて、その後八千年までの壽命を汝親子三人へ授くるなり。」と、教へ給ふぞ有り難き。
大しう大きに喜び、とうせんより立歸り、をりしも頃は新玉の元日より、この草を集めて、父母ちゝはゝにこそ與へける(*ママ)。すでに正月七日には二人の親の御姿を見奉れば、忽ち二十ばかりに經かへりけり。大しうこれを見て、喜ぶこと限りなし。七草を正月七日に、みかどへ供ふる事は、この時より始まれり。又若菜、若水などといふことも、このいはれなるべし。
さる程に此の事天下にかくれなし。帝も叡聞まし\/て、世にたぐひなき事なりとて、いそぎ大しうを雲上へめされ、長安城のみかどの御位を、大しうにゆづり給ふ。これすなはち親に孝あるゆゑあなりと、聞く人殊勝にありがたく、皆感涙をもよほしけり。正月に筋もなき者〔系統もよくない者〕を位になし給ふを、あるためし〔ある例ともとれるが、これはあがためし即ち縣召の誤りではないかと思ふ。〕といふ事あり。これもこの時より始まれり。今の世までも、親孝行の人は天道の惠みにあづかるべし。必ず人をあはれめば、其の報い早くして、わが身のためになるとかや。大しう親を深くあはれみける故に、大王の御位になり給ふ。ありがたき事なりけるためしなり。
(*了)

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