更科日記 <錯簡未修正版>
武笠 三 校訂(西門蘭溪校本に依拠)
『平安朝日記集』(有朋堂文庫 有朋堂書店 1929.1.15)
※ 章の区切りは旺文社文庫版『更級日記』(1978.4.10、1982 重版)に従ったが、錯簡は正していない。旺文社文庫版の配列順に章番号を施した。その章番号に従って現行の本文の並びに近くまとめたものは
修正版を参照。
1 東路の道のはてよりも
東路の道のはてよりも、なほ奧つかたに生ひ出(で)たる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世中に物語といふもののあなるを、いかで見ばやと思ひつゝ、徒然なるひるまよひゐなどに、姉、繼母などやうの人々の、その物語かの物語、光源氏〔源氏物語〕のあるやうなど、ところ\〃/語るを聞くに、いとゞゆかしさまされど、我が思ふまゝに、そらにいかでか覺え語らむ。いみじく心もとなき〔覺束なき〕まゝに、等身(とうしん)〔人とひとしき身長の佛像〕に藥師佛(ぶつ)を作りて、手洗などしてひとま〔人の來ぬ間〕に密(みそか)に入りつゝ、京(みやこ)にとくのぼせ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ、と身を捨てて額(ぬか)をつき〔禮拜す〕祈り申すほどに、十三になる年のぼらむとて、九月(ながづき)三日かどでして、今立(いまだち)といふ所にうつる。年ごろ遊びなれつる所を、あらはに毀ちちらして立ちさわぎて、日の入際のいとすごく霧わたりたるに、車に乘るとてうち見やりたれば、ひとまには參りつゝ額をつきし、藥師佛の立ち給へるを、見捨て奉るかなしくて、人知れずうち泣かれぬ。
2 門出したる所は
門出したる所は、めぐり〔垣根〕などもなくて、かりそめの茅屋の蔀などもなし。簾かけ幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。東西(ひがしにし)は海ちかくていとおもしろし。夕霧たち渡りて、いみじうをかしけれ〔面白し〕ば、朝寢(あさい)などもせず、かた\〃/見つゝ、こゝを立ちなむ事もあはれに悲しきに、おなじ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下野國〔校本に、下野は下總國の誤なるべしとあり〕いかたといふ所にとまりぬ。庵なども、浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐しくて寢も寢られず。野中に岡だちたる所に、たゞ木ぞ三つ立てる。その日は、雨にぬれたる物どもほし、國に立ちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮しつ。
3 十七日のつとめて立つ
十七日のつとめて立つ。昔下總(しもつふさ)國に、眞野の長(をさ)といふ人住みけり。引布を千むら萬むら織らせ、晒させけるが家の跡とて、ふかき川を舟にて渡る。むかしの門の柱のまだ殘りたるとて、おほきなる柱川の中に四つ立てり。人々歌よむを聞きて、心のうちに、
朽ちもせぬこの川柱のこらずばむかしのあとをいかで知らまし
その夜はK戸濱(くろどのはま)〔上總國に在り〕といふ所にとまる。片つ方は廣やかなる所の、砂子はる\〃/と白きに、松原しげりて、月いみじうあかきに、風の音もいみじう心ぼそし。人々をかしがりて、歌よみなどするに、
まどろまじこよひならではいつか見むくろどの濱の秋の夜の月
4 その翌朝そこを立ちて
その翌朝(つとめて)そこを立ちて、下總と武藏の境にて、あすだ川〔隅田川の古名〕といふ、在五中將〔在原業平〕の、いざこと問はむと詠みける渡なり。中將の集には隅田川とあり。かゞみのせ、まつさとの渡(わたり)の津にとまりて、夜一夜、舟にてかず\/物などわたす。乳母なる人は、男などもなくなして〔乳母の夫うせて〕、さかひにて子産みたりしかば、離れて別(べち)にのぼる。いと戀しければ往かまほしく思ふに、兄(せうと)なる人〔和泉守定義〕抱きゐて往きたり。皆人はかりそめの假屋などいへど、風すさまじく引綿〔綿を引被ること歟〕などもしなどしたるに、これは男〔乳母の夫〕なども添はねば、いと手ばなちにあら\/しげに、苫といふものを一重うち葺きたれば、月のこりなくさし入りたるに、紅(くれなゐ)の衣うへに著て、うちなやみて臥したる。月影さやうの人にはこよなく透きて、いと白く清げにて珍しと思ひて、かき撫でつゝうち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、いそぎ出で別るゝ心地、いと飽かずわりなし。俤(おもかげ)に覺えて悲しければ、月の興も覺えず屈(くん)じ臥しぬ。つとめて舟に車かき据ゑて渡して、あなたの岸に車ひき立てて、送りに來つる人々、これより皆かへりぬ。のぼるは〔都に上る人は〕宿(とまり)などしていき別るゝ程、行くも留るも皆泣きなどす。をさな心地にもあはれに見ゆ。
5 今は武藏國になりぬ
今は武藏國になりぬ。殊にをかしき所も見えず。濱も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢのやうにて、紫生ふと聞く野〔武藏野〕も、芦荻のみ高く生ひて、馬に乘りて弓もたるすゑ見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、たけしばといふ寺あり、遙にいゝさらふ〔一本「はゝさう」又一本「はゝさうふ」〕といふ所の、廊のあとの礎(いしずゑ)などあり。「いかなる所ぞ」と問へば、「これは古(いにしへ)竹芝といふさがなき〔原本「さがなり」今一本に從ふ〕國人のありけるを、火燒屋(ひたきや)の火たく衞士にさし奉りたりけるに、御前の庭を掃くとて、「などや苦しき目を見るらむ。わが國〔武藏をさす〕に七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見でかくてあるよ」と獨(ひとり)打ちつぶやきけるを、その時帝の御女(おんむすめ)、いみじうかしづかれ給ふ、只ひとり御簾の際に立ち出で給ひて、柱にかゝりて御覽ずるに、この男の斯くひとりごつを、いと哀にいかなる瓢のいかに靡くらむ、といみじうゆかしく思されければ、御簾を押しあげて、「あの男(をのこ)こち寄れ」と召しければ、かしこまりて、勾欄のつらに參りたりければ、「言ひつる事いま一返(ひとかへり)、我にいひて聞かせよ」と仰せければ、酒壺のこと今ひとかへり申しければ、「我ゐて往きて見せよ。さいふやうあり」と仰せられければ、かしこく恐しく思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひ奉りて下るに、便なく人追ひて來らむ、と思ひて、その夜、瀬多橋のもとに此宮を居ゑ奉りて、瀬多橋を一間(ひとま)ばかり毀ちて、それを飛びこえて、此宮をかき負ひ奉りて、七日七夜といふに、武藏國に行き著きにけり。帝、后、御子(みこ)うせ給ひぬ、と思し惑ひもとめ給ふに、「武藏國の衞士〔諸國より召されて内裡を守る武士〕の男なむ、いとかうばしきものを頸に引きかけて、飛ぶやうに迯げける」と申し出でて、此男を尋ぬるに、なかりけり。論なくもとの國にこそ行くらめ、と朝廷(おほやけ)より使くだりて追ふに、瀬多橋毀(こぼ)れてえ行きやらず。三月(やよひ)といふに、武藏國に往きつきて、この男を尋ぬるに、此御子、おほやけの使を召して、「われ、さるべきにやありけむ、この男の家ゆかしくて率て行け、といひしかば、率てきたり。いみじくこゝありよく〔住みよく〕覺ゆ。この男罪にしうせられば、われは如何にあれど、(*と。)これも、前の世にこの國に跡をたるべき宿世こそありけめ。はやかへりて、朝廷にこのよしを奏せよ」と仰せられければ、いはむ方なくてのぼりて、帝に、斯くなむありつる、と奏しければ、いふかひなし。その男を罪しても、今はこの宮を取りかへし、都にかへし奉るべきにもあらず。竹芝の男に、生けらむ世のかぎり武藏國をあづけ取らせて、おほやけ事〔租調〕もなさせじ。たゞ宮にその國を預け奉らせ給ふ由の宣旨下りにければ、此家を内裏(うち)の如く造りて、すませ奉りける家を、宮などうせ給ひにければ、寺になしたるを、竹芝寺といふなり。その宮のうみ給へる子どもは、やがて武藏といふ姓(しゃう)を得てなむありける。それより後、火燒屋〔夜番の爲め衞士の篝を焚き居る舍〕に女は居るなり」とかたる。
6 野山芦荻の中を
野山芦荻の中を分くるより外のことなくて、武藏と相摸(さがみ)との中にふとゐ川あり。舟にて渡りぬれば、相摸國になりぬ。にしとみといふ所の山、繪よく書きたらむ屏風を立て並べたらむやうなり。片つ方は、海濱の樣も寄返る浪の景色も、いみじくおもしろし。もろこしが原〔相模國〕といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。夏は倭瞿麥(やまとなでしこ)の濃く薄く、錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬといふに、なほ所々はうちこぼれつゝ、あはれげに咲きわたれり。もろこしが原に倭瞿麥の咲きけむこそなど、人々をかしがる。
7 足柄山といふは
足柄山といふは、四五日(か)かねて恐しげに暗がりわたり、やう\/入りたつ麓のほどだに、空の氣色はか\〃/しくも見えず、えもいはず茂り渡りて、いと恐しげなり。麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の闇に惑ふやうなるに、あそび〔遊女〕三人、何處(いづく)よりともなく出できたり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる十四五なるとあり。庵(いほ)のまへに傘(からかさ)をさゝせて居ゑたり。男ども火をともして見れば、昔こはだ〔古の名妓か〕といひけむが孫(まご)といふ。髪いと長く額いとよくかゝりて、色しろくきたなげなくて、さてもありぬべき下仕(したづかへ)などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、聲すべて似るものなく、空にすみのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けぢかくて人々もて興ずるに、「西國(にしくに)のあそびは、えかゝらじ」などいふを聞きて、「難波わたりにくらぶれば〔今樣の一句〕」とめでたく歌ひたり。見る目のいときたなげなきに、聲さへ似る物なく歌ひて、さばかり恐しげなる山中(やまなか)に立ちて行くを、人々あかず思ひて皆泣くを、をさなき心地〔一本「をさな心地」〕には、まして此宿(やどり)を立たむことさへ飽かずおぼゆ。まだ曉より足柄を越ゆ。まいて山の中の恐しげなる事いはむかたなし。雲は足の下にふまる。山のなから許の木(こ)の下のわづかなるに、葵(あふひ)の唯三筋ばかりあるを、世はなれて、かゝる山中にしも生ひ出でけむよ、と人々あはれがる。水は其山に三所(みところ)流れたる、辛うじて越え出でて關山にとゞまりぬ。これよりは駿河なり。よこばしりの關の傍に岩壺といふ所あり。えもいはず大なる石の四方なる中に、穴のあきたる中より出づる水の、清くつめたき事かぎりなし。
8A 富士山はこの國なり
富士山(ふじのやま)はこの國なり。わが生ひ出でし國にては、西面に見えし山なり。その山の樣、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、紺青(こんじゃう)を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積りたれば、色濃き衣に白き袙(あこめ)〔裝束の時用ゆる短き下著〕著たらむやうに見えて、山の巓(いたゞき)のすこし平ぎたるより煙(けぶり)は立ちのぼる。夕暮は火の燃え立つも見ゆ。
9 富士川といふは
富士川といふは、富士山より落ち來る水なり。その國の人の出でて語るやう、「一歳(ひととせ)ごろ物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつら〔水面〕に休みつゝ見れば、川上のかたより黄なるもの流れ來て、物につきてとゞまりたるを見れば、反古(ほぐ)なり。とりあげて見れば、黄なる紙にして、濃くうるはしく書かれたり。あやしくて見れば、來年なるべき國どもを、除目〔任官の公事〕のごと皆かきて、この國來年あぐべき〔國守の滿期〕にも守なして、又〔塙本「文」〕そへて二人〔國守一人、後任者一人〕をなしたり。怪しあさましと思ひて、とり上げて干してをさめたりしを、かへる年の司召などは、今年この山に、そこばくの神々あつまりて爲い給ふなりけりと見給へし、めづらかなることに侍(さぶら)ふ」とかたる。
8B (清見が關は)
清見が關は、片つ方は海なるに、關屋ども數多ありて、海までくぎぬき〔柵〕したり。煙あふにやあらむ、清見が關の浪も高くなりぬべし。おもしろき事かぎりなし。田子浦は浪たかくて、舟にて漕ぎめぐる。沼尻といふ所もするすると過ぎて、(*「沼尻…過ぎて」→10の初めに)大井川といふ渡あり。水の瀬の常ならず、すりこ〔磨粉〕などを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり。
10 沼尻といふ所も
(*「沼尻といふ所もするすると過ぎて、」→8B)
いみじく煩ひ出でて遠江にかゝる。小夜中山など越えけむ程も覺えず、いみじく苦しければ、天龍といふ川のつら〔河邊〕に、假屋つくり設けたりければ、そこにて日比(ひごろ)すぐる程にぞ、やう\/おこたる〔苦しさが〕。冬深くなりたれば、河風はげしく吹き上げて、堪へがたく覺えけり。その渡(わたり)しつゝ濱名橋に著いたり。濱名橋くだりし時は、K木を渡したりし、この度は跡だに見えねば、舟にてわたる。入江に渡せし橋なり。外(と)の海はいといみじく荒く、浪高くて、入江のいたづらなる洲どもに、ことものもなく、松原の茂れる中より、浪の寄せかへるも、いろ\/の玉のやうに見え、實(まこと)に松の末より浪は越ゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。
11 それよりかみは
(*11_a)それよりかみは、井の鼻といふ坂の、えもいはず侘しきをのぼりぬれば、三河國高師濱といふ。しかすがの渡、實(げ)に思ひ煩ひぬべくをかし。(*11_d)宮路山といふ所越ゆるほど、十月晦日(つごもり)なるに、紅葉(もみぢ)してさかりなり。
嵐こそ吹き來ざりけれみやぢ山まだもみぢ葉の散らでのこれる
(*11_c)二村山の中にとまりたる夜、おほきなる柿の木(こ)の下(もと)に庵(いほり)をつくりたれば、夜ひと夜庵のうへに、柿の落ちかゝりたるを、人々拾ひなどす。(*11_b)八橋〔杜若の名所〕は名のみして、橋のかたもなく何の見所もなし。
12 尾張國鳴海浦を
三河と尾張となる(*「しかすがのわたり」の初めに来る→11_a)尾張國鳴海浦を過ぐるに、夕潮たゞみちにみちて、今宵宿からむも、ちうげん〔中程〕に潮みち來なばこゝをも過ぎじと、あるかぎり走り惑ひ過ぎぬ。美濃國なる境に、すのまたといふ渡して、野上といふ所につきぬ。そこに遊びども出で來て、夜ひと夜うたふに、足柄なりしおもひ出でられて、哀に戀しきこと限なし。雪ふりあれ惑ふに、物の興もなくて、不破の關、あつみの山など越えて、近江國おきなかといふ人の家にやどりて、四五日あり。みつさか山の麓に、よるひる、時雨、霰降りみだれて、日の光もさやかならず、いみじう物むつかし。そこを立ちて、犬上、神崎、野洲(やす)、くる本などいふ所々、何となく過ぎぬ。湖の面はる\〃/として、なでしま、竹生島(ちくぶじま)などいふ所々の見えたる、いとおもしろし。瀬多橋、皆くづれて渡りわづらふ。
13 粟津にとゞまりて
粟津にとゞまりて、十二月(しはすの)二日京に入る。くらく〔夜に入りて〕往き著くべしと、申の時ばかりに立ちて行(ゆ)けば、關〔逢坂關〕ちかくなりて、山づらにかりそめなるきりかけ〔板塀に似たるもの〕といふ物したる上(かみ)より、丈六の佛〔一丈六尺の佛像〕のいまだ荒作(あらづくり)におはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに人ばなれて、何處(いづこ)ともなくておはする佛かな、と打見やりて過ぎぬ。こゝらの〔數多の〕國々を過ぎぬるに、駿河の清見が關と、逢坂關とばかりはなかりけり〔風景のよきは〕。いと暗くなりて、三條宮〔一品■(女偏+原:げん::大漢和6606)子内親王〕の西なる所につきぬ。
14A ひろ\〃/とあれたる所の
ひろ\〃/とあれたる所の過ぎ來つる山々にもおとらず、おほきに恐しげなる深山木どものやうにて。
34B (母なくなりし姪どもも)
母なくなりにし姪(めひ)どもも、生れしよりひとつにて、夜は左右(ひだりみぎ)に臥し起きするも、あはれに思ひ出でられなどして、心もそらに咏め暮さる。立聞きかいまむ〔覗き見る〕人のけはひして、いといみじく物つゝまし〔恥かし〕。十日ばかりありて退出(まかで)たれば〔三條宮より〕、父母(てゝはゝ)、炭櫃に火などおこして待ち居たりけり。車より降りたるをうち見て、「おはする時こそ、人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日比は人聲もせず、前に人かげも見えず、いと心ぼそく侘しかりつる。かうで〔斯くて〕のみも、まろが身をば如何がせむとかする」とうち泣くを見るもいとかなし。翌朝も、「今日はかくておはすれば、内外(うちと)人おほく、こよなく賑(にぎは)しくもなりたるかな」とうちいひて對ひ居たるも、いと哀に、何のにほひのあるにか、と涙ぐましう聞ゆ。
35A ひじりなどすら
ひじり〔高僧〕などすら、前の世のこと夢に見るは、いとかたかンなるを〔難き事にあるを〕、いとかう跡はかないやうに、はか\〃/しからぬ心地に見るやう、清水の禮堂(らいだう)に居たれば、別當とおぼしき人出で來て、「そこ〔君〕は、さきの生(しゃう)に、この御寺の僧にてなむありし。佛師にて、佛をいと多くつくり奉りし功徳によりて、ありしすざう〔種性(*ママ)なるべし〕まさりて、人と生れたるなり。これは御堂の東(ひんがし)におはする丈六の佛は、そこの作りたりしなり。箔をおしさして、なくなりしぞ」と。「あないみじ。さば〔しからば〕、あれに箔おし奉らむ」といへば、「なくなりにしかば、こと人、はくおし奉りて、こと人供養もしてし、(*。」)と見て後、清水にねんごろに參り仕う奉(まつ)らましかば、前の世に、その御寺に佛念じ申しけむ力に、おのづから、ようも〔能くも〕(*以下→35_b)
33B (をこがましく見えしかば)
をこがましく見えしかば、我はかくてとぢ籠りぬべきぞ」とのみ殘なげに世を思ひいふめるに、心ぼそさ堪へず。東は野のはる\〃/とあるに、東の山際は、比叡山(ひえのやま)よりして稻荷などいふ山まで、あらはに見えわたり、西は雙岡(ならびのをか)の松風、いと耳ちかう心ぼそく聞えて、内にはいたゞきのもとまで、田といふもののひた〔鳴子板〕引きならす音など、田舍の心地していとをかしきに、月のあかき夜などはいとおもしろきを、眺めあかし暮すに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。便(たより)につけて、「何事かあらむ」とつたふる人に驚きて、
おもひ出でて人こそ問はね山里のまがきの荻にあきかぜぞ吹く〔新拾遺集秋上にあり〕
といひてやる。
十月(かみなづき)になりて、京にうつろふ。
母尼になりて、おなじ家の内なれど、かたことに〔別々に〕住み離れてあり。
父(てゝ)は、唯
我を大人にしすゑて、我は世にもいでまじらはず、蔭にかくれたらむやうにて居たるを、見るもたのもしげなく心細く覺ゆるに、聞し召すゆかりある所〔
祐子内親王〕に、何となく徒然に心細くてあらむよりは、と召すを、古代の
おやは、宮仕人はいと憂きことなり、と思ひて過ぐさするを、今の世の人は、さのみこそはいでたて、さてもおのづから(*原文「おのつから」)よき例もあり。さてもこゝろみよ、といふ人々ありて、しぶ\/に出(いだ)したてらる。まづ一夜まゐる。菊の濃く薄き八ばかりに、濃き掻練(かいねり)〔かさね〕をうへに著たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るより外に、行き通ふるゐ〔一類、同族〕、親族(しぞく)などだに殊になく、こだいの
親どもの影ばかりにて、月をも花をも見るより外の事はなきならひに立ちいづるほどの心地、あれにもあらず現とも覺えで、曉にはまか
ンでぬ。さとびたる心地には、なか\/定りたる里住よりは、をかしきことをも見聞きて、心も慰みやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなくて〔手持無沙汰にて〕悲しかるべき事にこそあるべか
ンめれ、と思へどいかゞせむ。十二月(しはす)になりて又まゐる。局して此度は日比さぶらふ。うへには、時々夜々ものぼりて、知らぬ人の中にうち臥して、つゆ〔少しも〕まどろまれず。恥しう物のつゝましきまゝに、忍びてうち泣かれつゝ、曉には夜ぶかくおりて、日くらして、この老い衰へて、
我を子としも頼しからむかげのやうに、おもひ頼みむかひ居たるに、戀しく覺束なくのみ覺ゆ。(*以下→34_b)
38B (如何によしなかりける心なり)
くちをし(*「物くるほし」の一部か)。如何によしなかりける心なり、と思ひしみ果てて、まめ\/しくすぐすとならば、さても〔其まゝに〕ありはてず、まゐり初めし所にも、かくかき籠りぬるを、實(まこと)とも思しめしたらぬ樣に、人々もつゆ絶えず召しなどする中にも、わざと召して、「わかい人參らせよ」と仰くだれば、えさらず〔已むを得ず〕出したつるにひかされて、また時々出でたてど、過ぎにし方のやうなる、あいなだのみ〔甲斐なき憑み〕の心おごりをだに、すべき樣もなくて、さすがに若い人にひかれて、をり\/さし出づるにも、馴れたる人は、こよなく何事につけてもありつき顔に、我はいと若人(わかうど)にあるべきにもあらず、また大人にせらるべき覺もなく、時々の客人(まらうど)にさしはなたれて、すゞろなる樣なれど、ひとへにそなた一つを頼むべきならねば、我よりまさる人あるも、羨しくもあらず。なか\/心やすく覺えて、さるべき折節まゐりて、つれづれ慰むべき人と物語などして、めでたき事ども、をかしく面白きをり\/も、我が身はかやうに立ち交り、いたく人にも見知られむにも、憚りあるべければ、たゞ大方の事にのみ聞きつゝすぐすに、内の御(おん)供〔參内の御供〕に參りたる折、有明の月いとあかきに、我が念じ申す天照大神(あまてるおんかみ)は、内にぞおはしますなるかし。かゝる折に參りて、拜み奉らむと思ひて、四月(うづき)ばかりの月のあかきに、いと忍びて參りたれば、はかせの命婦は、しる便(たより)あれば、燈籠(とうろ)の火のいとほのかなるに、あさましくおい神さびて、さすがにいとよう物など言ひ居たるが、人ともおぼえず、神のあらはれ給へるかと覺ゆ。
またの夜も、月のいとあかきに、藤壺の東(ひんがし)の戸を押しあけて、さべき人々物がたりしつゝ、月をながむるに、梅壺(うめつぼ)の女御〔藤原生子、内大臣教通の女〕のぼらせ給ふなるおとなひ、いみじく心にくゝ優なるにも、「故宮〔長暦三年にうせし中宮源■(女偏+原:げん::大漢和6606)(*子)〕のおはします世ならましかば、斯樣にのぼらせ給はましや」など、人々言ひ出づる、實(げ)にいとあはれなりかし。
天の戸を雲井ながらもよそに見てむかしのあとを戀ふる月かな
39A 冬になりて
冬になりて、月なく雪も降らずながら、星の光に空さすがに隈なく、さえ渡りたる夜のかぎり、殿の御方にさぶらふ人々と物語し明しつゝ、明くれば(*以下→39_b)
35B (たちやあらまし)
たちやあらまし〔誤脱あらんか〕。いといふ效(かひ)なくまうで仕うまつる事もなくて止みにき。
36 十二月二十五日
十二月(しはす)二十五日〔一本「十二月の五日」〕、宮の御佛名(みぶつみゃう)に召しあれば、その夜ばかりと思ひて參りぬ。しろき衣どもに、濃き掻練を皆著て、四十餘人ばかり出で居たり。しるべし出でし人の、かげに隱れて、あるが中に、うちほのめいて、曉にはまかづ。雪うち散りて、いみじく烈しく冴えこほる曉方の月のほのかに、濃き掻練の袖にうつれるも、實(げ)にぬるゝがほなり。道すがら、
年はくれ夜はあけがたの月かげの袖にうつれるほどぞはかなき
37 かう立ち出でぬとならば
かう立ち出でぬとならば、さても宮仕の方にもたち馴れ、世にまぎれたるも、ねぢけがましき覺もなき程は、おのづから人のやうにもおぼし、もてなさせ給ふ様(やう)にもあらまし。親だちもいと心得ず、ほどもなくこめすゑつ。さりとてその有樣の、忽にきら\/しき勢など、あンべい樣(やう)〔あるべき樣〕もなく、いとよしなかりけるすゞろ心にても、殊の外に違ひぬる有樣なりかし。
いく千たび水の田芹をつみしかど思ひしことのつゆもかなはぬ
と許ひとりごたれて止みぬ。
38A その後は何となくまぎらはしきに
その後は、何となくまぎらはしきに、物語のことも、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに心もなりはててぞ、などて多くの年月を、いたづらにて臥し起きしに、行(おこなひ)をも物詣をもせざりけむ。このあらまし事とても思ひし事どもは、この世にあンべかりける事どもなりや。
光源氏ばかりの人は、この世におはしけるやは。薫大將(かをるたいしゃう)の宇治に隱しすゑ給ふべくもなき世なり。あな物狂ほしや、(*以下→38_b)
27B (物詣を僅にしても)
國にて物詣を僅にしても、はか\〃/しく人の樣(やう)ならむとも念ぜられず。このごろの世の人は、十七八よりこそ經よみ行をもすれ。さること思ひがけられず、辛うじて思ひよる事は、いみじくやむごとなく、形有樣、物語にある光源氏などやうにもおはせむ人を、年に一度(ひとたび)にても通はし奉りて、浮舟の女君のやうに、山里にかくし居ゑられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめと許思ひつゞけ、あらましごと〔豫想〕にも覺えけり。
28 親となりなば
親となりなば〔自ら母親となりなば〕、いみじうやむごとなく、我が身もなりなむなど、たゞ行くへなき事を、打ちおもひすぐすに、親、からうじて遙にとほき東(あづま)になりて、「年比はいつしか思ふやうに、ちかき所にをりたらば、まづ胸あくばかり傅(かしづ)きたてて、率てくだりて、海山の景色も見せ、それをばさるものにて、我が身よりも高うもてなし傅きて見むとこそ思ひつれ。われも人も、宿世のつたなかりければ、あり\/て〔年月を經て〕かく遙なる國になりにたり。幼(をさな)かりし時、東の國にゐて下りてだに、心地もいさゝかあしければ、これをや此國に見捨てて、惑はむとすらむと思ふ。人の國の恐しきにつけても、我が身ひとつならば、やすらかならましを、所せう〔所狹く〕ひきぐして、いはまほしき事もえ言はず、せまほしき事もえせずなどあるが、侘しうもある哉、と心をくだきしに、今は、まいて大人になりにたるを率てくだりて、わが命も知らず、京(みやこ)の中にてさすらへむは例の事。あづまの國、田舍人になりて惑はむは、いみじかるべし。京とても、たのもしう迎へ取りてむと思ふ類(るゐ)親族(しぞく)もなし。さりとて、わづかになりたる國〔辛うじて得たる國守の官〕を辭し申すべきにもあらねば、京(みやこ)にとゞめて、ながき別にて止みぬべきなり。京にもさるべき樣にもてなして、とゞめむとは思ひよる事にもあらず」と夜晝なげかるゝを聞く心地、花紅葉のおもひも皆忘れて、悲しくいみじく思ひなげかるれど、いかゞはせむ。
七月(ふみづき)十三日にくだる。五日、かねては見むもなか\/なるべければ、うちにもいらず〔一本「ゆにもいらず」〕。まいてその日は立ちさわぎて時なりぬれば、今はとて簾をひきあげてうち見合せて、涙をほろ\/と落して、やがて出でぬるを見送る心地、目もくれ惑ひて、やがて臥されぬるに、とまる男のおくりしてかへるに、懷紙(ふところがみ)に、
思ふことこころにかなふ身なりせば秋のわかれをふかく知らまし
と許かゝれたるを、見えやられず、ことよろしき時こそ、腰をれかゝりたる事〔腰折歌〕も思ひつづけらるれ。ともかくも言ふべき方もおぼえぬまゝに、
かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君にわかるべしとは
とや書かれにけむ。いとゞ人目も見えず、淋しく心細くうち眺めつゝ、いづこばかりと明暮思ひやる。道の程も知りにしかば、はるかに戀しく、心ぼそき事かぎりなし。明くるより暮るゝまで、東の山際を詠めて(*ママ)過(すぐ)す。
29 八月ばかりに太秦に籠るに
八月(はづき)ばかりに太秦〔廣隆寺〕に籠るに、一條より詣づる道に、男車(をとこぐるま)〔男の乘りし車〕二つばかり引き立てて物へ行くに、諸共にくべき人待つなるべし、過ぎて行くに、隨身だつものをおこせて、
花見にゆくときみを見るかな
といはせたれば、「斯る程のことは、いらへぬも便なし」などあれば、
千種なるこころならひに秋の野の
と許いはせていき過ぎぬ。七日さぶらふ程も、たゞ東路のみ思ひやられてよしなし。とかくして、離れて〔一本になし〕たひらかにあひ見せ給へと申せば、佛もあはれと聞き入れさせ給ひけむかし。冬になりて、日ぐらし雨ふりくらいたる夜、雲かへる風烈しううち吹きて、空晴れて、月いみじうあかうなりて、軒ちかき荻の、いみじく風にふかれて碎けまどふがいと哀にて、
秋をいかにおもひ出づらむ冬ふかみあらしにまどふ荻の枯葉も〔一本「枯葉は」〕
30 東より人きたる
東より人きたる。
神拜〔國中の神社に國守の參詣すること〕といふわざして、國の中ありきしに、水をかしく流れたる野のはる\〃/とあるに、森のあるをかしき所かな、みせて、と先(まづ)思ひ出でて、こゝは何處(いづこ)とかいふ、と問へば、こしのび〔子忍〕の森となむ申す、と答へたりしが、身によそへられて、いみじく悲しかりしかば、馬よりおりて、そこに二時なむながめられし。
とどめおきて我がごと物や思ひけむ見るに悲しきこしのびの森
となむ覺えし。
とあるを、見る心地いへば更なり。返事に、
こしのびを聞くにつけてもとどめおきし秩父の山のつらき東路
31 かうで徒然とながむるに
かうで徒然とながむるに、など物まうでもせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬にはあなおそろし、奈良坂にて人にとられなば如何せむ。石山、關山越えていとおそろし。鞍馬は、さる山ゐて出でむいとおそろしや。親のぼりて兎も角も」と、さしはなちたる人のやうに煩はしがりて、僅に清水にゐて籠りたり。それにも例のくせは、まことしかンべい事もおもひ申されず、彼岸のほどにて、いみじう騒しう、おそろしきまで覺えて、うちまどろみ入りたるに、御帳(みちゃう)のかたの犬防(いぬふせぎ)〔佛壇の前なる格子〕の中(うち)に、あをき織物の衣を著て、錦を頭(かしら)にもかづき、足にもはいたる僧の別當とおぼしきが寄り來て、行先のあはれならむも知らず。さもよしなし事をのみとうちむづかりて、御帳の内に入りぬと見ても、うち驚きても、かくなむ見えつるとも語らず、心に思ひとゞめてまかでぬ。
32 幅一尺の鏡を鑄させて
幅一尺の鏡を鑄させて、え率て參らせぬかはりにとて、僧をいだしたてて、初瀬に詣でさすめり。三日さぶらひて、この人〔孝標の女をさす〕のあンべからむ樣〔未來の有樣〕、夢に見せ給へなどいひて、詣でさするなンめり。そのほどは精進(さうじん)せさす。この僧かへりて、「夢をだに見でまかでなむが、本意なき事、いかゞ歸りても申すべきといみじう額づき行ひて、寢たりしかば、御帳の方よりいみじうけだかう清げにおはする女の、麗しうさうぞき給へるが、奉りし鏡をひきさげて、「この鏡には、文やそひたりし」と問ひ給へば、かしこまりて、「文(ふみ)もさぶらはざりき。この鏡をなむ奉れと侍りし」と答(こた)へ奉れば、「あやしかりける事かな。文そふべきものを」とて、「この鏡を、こなたに移れる影を見よ。これを見れば、あはれに悲しきぞ」とて、さめ\〃/と泣き給ふを見れば、ふしまろび泣き歎きたる影うつれり。『この影を見れば、いみじうかなしな。これ見よ』とて、今かたつ方に移れる影を見せ給へば、御簾ども青やかに、几帳おし出でたる下より、いろ\/の衣こぼれ出でて、梅櫻咲きたるに、鶯木づたひ鳴きたるを見せて、『これを見るは嬉し』など、宣ふとなむ見えし」と語るなり。いかに見えけるぞとだに耳もとゞめず、ものはかなき心にも、つねに天照大神を念じ申せといふ人あり。いづくにおはします神佛にかは〔「かは」は反語にあらず、「は」は感動詞〕など、さはいへど、やう\/思ひわかれて、人に問へば、「神におはします。伊勢におはします。紀の國に、きのこくそうと申すは、この御(おん)神なり。さては内侍所に皇神(すべらがみ)となむおはします(*ママ)」といふ。伊勢國までは、思ひかくべきにもあらざンなり。内侍所にもいかでかは參り拜み奉らむ。空の光を念じ申すべきにこそはなど、うきて覺ゆ。親族(しぞく)なる人尼になりて、修學院(すがくゐん)に入りぬるに、冬の比、
なみださへ降りはへつつぞ思ひやるあらし吹くらむ冬のやま里
かへし、
わけて問ふ心のほどの見ゆるかな木かげをぐらき夏のしげりを
33A 東にくだりし親
東にくだりし親、辛じてのぼりて、西山なる所におちつきたれば、そこに皆渡りて見るに、いみじう嬉しきに、月のあかき夜(*原文「、」)ひと夜物語などして、
かかる夜もありけるものを限とてきみにわかれし秋はいかにぞ
といひたれば、いみじく泣きて、
おもふことかなはずなどと〔一本「かなはずのみと」〕いとひこし命のほども今ぞうれしき
これぞ別の門出と、言ひ知らせしほどの悲しさよりは、たひらかに待ちつけたる嬉しさも限なけれど、人のうへにても見しに、老い衰へて、世に出でまじらひしは、(*以下→33_b)
14B (都の中とも見えぬ所のさまなり)
都の中とも見えぬ所のさまなり。ありもつかず、いみじう物騷しけれども、いつしかと思ひし事なれば、「物語もとめて見せよ見せよ」と母を責むれば、三條殿宮に、親族なる人の衞門命婦とて侍ひける、尋ねて文やりたれば、珍しがりて、よろこびて、「御前のをおろしたる〔御前にありし草紙を頂戴したり〕」とて、わざとめでたき草紙ども、硯の箱の葢(ふた)に入れておこせたり。嬉しくいみじくて、夜晝これを見るよりうち初(はじめ)、また\/も見まほしきに、ありもつかぬ京(みやこ)のほとりに、誰かは物語もとめ見する人のあらむ。
15 繼母なりし人は
繼母なりし人は、宮仕せしが下りしなれば、思ひしにあらぬ事どもなどありて、世中うらめしげにて、外に渡るとて、五つばかりなる兒どもなどして、「哀なりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」などいひて、梅の木のつま〔軒〕近くて、いと大なるを、「これが花の咲かむ折は、來むよ」と言ひおきて渡りぬるを、心のうちに戀しくあはれなり、と思ひつゝ、忍びねをのみ泣きて、その年もかへりぬ〔治安元年〕。いつしか梅咲かなむ、來むとありしを、さやある〔音信やある〕、と目をかけて待ちわたるに、花もみな咲きぬれど音もせず、思ひわびて、花を折りてやる。
たのめしをなほや待つべき霜がれし梅をも春はわすれざりけり
といひやりたれば、哀なる事ども書きて、
なほたのめ梅の立枝(たちえ)はちぎりおかぬ思ひのほかの人も問ふなり
16 その春世の中いみじう譟しうて
その春、世の中いみじう譟(さわが)しうて、まつざとの渡の月影〔前に見ゆ〕、あはれに見し乳母も、三月(やよひ)朔日(ついたち)になくなりぬ。せん方なく思ひなげくに、物語のゆかしさも覺えずなりぬ。いみじく泣きくらして見出したれば、夕日のいと花やかにさしたるに、櫻の花のこりなく散りみだる。
散る花もまた來む春は見もやせむやがてわかれし人ぞこひしき
また聞けば、侍從大納言の御女、なくなり給ひぬなり。殿の中將〔長家〕のおぼしなげくなる樣、我が物の悲しき折なれば〔乳母に先だたれて〕、いみじく哀なりと聞く。のぼりつきたりし時、これ手本にせよとて、この姫君の御手(おんて)を取らせたりしを、小夜ふけて寢ざめざりせば〔「郭公人傳にこそ聞くべかりけれ」拾遺集の歌〕、など書きて、
鳥部山谷にけぶりの燃えたらばはかなく見えしわれと知らなむ
といひ知らずをかしげに、めでたく書き給へるを見て、いとゞ涙をそへまさる。
17 かくのみ思ひ屈じたるを
かくのみ思ひ屈じたるを、心も慰めむと心ぐるしがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、實(げ)におのづから慰みゆく。紫のゆかり〔源氏物語〕を見つゝ、つゞきの見まほしく覺ゆれど、人語らひなどもえせず。されどいまだ京(みやこ)なれぬほどにて、え見つけずいみじく心もとなく、ゆかしく覺ゆるまゝに、この源氏物語(げんじのものがたり)一の卷よりして、みな見せ給へ、と心のうちにいのる。親の太秦に籠り給へるにも、こと事なく、此事を申して出でむまゝに、この物語見はてむと思へど見えず。いと口惜しく思ひなげかるゝに、叔母なる人の田舍よりのぼりたる所に渡いたれば、「いと美しうおひなりにけり」など、あはれがり珍しがりて、かへるに、「何をか奉らむ。まめ\/しきものは、まさなかりなむ〔一本「まだなかりなむ」〕。ゆかしくし給ふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十餘卷、櫃に入りながら、在中將、とほぎみ、せり川、しらゝ、あさうづなどいふ物語ども、一袋とり入れてえて歸る心地の嬉しさぞいみじきや。はしるはしる僅に見つゝ、心もえず、心もとなく思ひ、源氏を一の卷よりして、人も交らず、几帳のうちにうち臥して、ひき出でつゝ見る心地、后の位も何にかはせむ。晝は日ぐらし、夜(よる)は目の覺めたるかぎり、火を近くともして、これを見るより外の事なければ、おのづから名などはそらにおぼえ浮ぶを、いみじき事に思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟著たるが來て、「法華經五卷(まき)を疾く習へ」といふと見れど、人にもかたらず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、我はこの比わろきぞかし〔容貌見苦し〕。さかりにならば、かたちも限なくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光源氏の夕顔、宇治の大將(たいしゃう)の浮舟の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、まづいとはかなく淺まし。
18 五月朔日ごろ
五月(さつき)朔日ごろ、つま〔軒の〕ちかき花橘の、いと白く散りたるをながめて、
時ならず降る雪かとぞながめまし花たちばなのかをらざりせば
足柄といひし山の麓に、闇(くら)がり渡りたりし木の樣(やう)に茂れる所なれば、十月(かみなづき)ばかりの紅葉、四方の山邊よりも、實にいみじくおもしろく、錦をひける樣なるに、外(ほか)よりきたる人の、「今まゐりつる道に、紅葉のいとおもしろき所のありつる」といふに、ふと、
いづこにもおとらじものを我宿の世をあきはつる氣色ばかりは〔續千載集に入る〕
19 物語のことを
物語のことを、晝は日ぐらし思ひつゞけ、夜(よ)も目のさめたるかぎりは、これをのみ心にかけたるに、夢に見るやう、この比、皇太后宮(くゎうたいこうぐう)〔三條院皇后研子〕の一品宮〔貞子、陽明門院〕の御料に、六角堂に遣水をなむつくる、といふ人あるを、そはいかに、と問へば、天照大神を念じませ、といふと見て、人にもかたらず、何ともおもはでやみぬる、いといふかひなし。春ごとに、この一品宮をながめやりつゝ、
咲くとまち散りぬとなげく春はただわがやどがほに花を見るかな
三月(やよひ)晦日(つごもり)がた、土忌(つちいみ)〔土を忌む日暦にあり〕に人のもとに渡りたるに、櫻のさかりに面白く今まで散らぬもあり。かへりて又の日、
あかざりし宿のさくらを春くれて散りがたにしもひとり見しかな
といひにやる。
20 花の咲き散る折毎に
花の咲き散る折毎に、乳母なくなりし折ぞかし、とのみ哀なるに、おなじ折なくなり給ひし、侍從大納言の御(おん)女の書(ふみ)を見つゝすゞろに哀なるに、五月(さつき)ばかり夜ふくるまで、物語を讀みておき居たれば、來つらむ方も見えぬに、猫のいと長う啼いたるを、驚きて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。いづくより來つる猫ぞと見るに、姉なる人、「あなかま〔禁止の詞〕、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり、かはむ」とあるに、いみじう人馴れつゝ傍にうち臥したり。尋ぬる人やある、とこれを隱してかふに、凡て下衆のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、物もきたなげなるは、ほかざまに顔をむけてくはず。姉弟(おとゝ)の中に、つとまとはれて、をかしがりらうたげなる程に、姉の惱む事あるに、物さわがしくて、この猫を北面(きたおもて)にのみあらせて、呼ばねば、かしがましく啼きのゝしれども、猶さるにてこそは、と思ひてあるに、わづらふ姉おどろきて、「いづら、猫はこちゐてことあるを」など問へば、夢にこの猫の側に來て、「己は、侍從大納言殿の御女のかくなりたるなり。さるべき縁のいさゝかありて、この中の君の、すゞろに哀とおもひ出で給へば、たゞ暫(しばし)こゝにあるを、このごろ下衆の中にありて、いみじうわびしき事」といひて、いみじう泣くさまは、あてに〔貴く〕をかしげなる人と見えて、うち驚きたれば、この猫の聲にてありつるが、いみじく哀なり。その後は、この猫を北面にも出さず、思ひかしづく。唯ひとり居たる所に、この猫がむかひ居たれば、掻い撫でつゝ、「侍從大納言の姫君のおはするな。大納言殿に、知らせ奉らばや」と言ひかくれば、顔をうちまもりつゝ、長う啼くも心の思なし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。
21 世の中に長恨歌といふ文を
世の中に、長恨歌〔白樂天が唐玄宗と楊貴妃との契を作れる詩〕といふ文を、物語に書きてある所あンなりと聞くに、いみじうゆかしけれど、え言ひよらぬに、さるべき便(たより)をたづねて、七月(ふみづき)七日(なぬか)いひやる。
契りけむむかしの今日〔七月七日玄宗帝楊貴妃と長生殿に契る〕のゆかしきに天のかは浪うち出づるかな
かへし、
たちいづる天の河邊のゆかしさにつねはゆゆしき事もわすれぬ
その十三日の夜の月、いみじく隈なくあかきに、皆人も寢たる夜中ばかりに、縁に出で居て、あねなる人、空をつく\〃/とながめて、「只今ゆくへなく飛びうせなば、いかゞ思ふべき」〔姉の詞〕と問ふに、なまおそろしと思へる氣色を見て、他事(ことごと)にいひなして、笑ひなどして聞けば、かたはらなる所に、先おふ車とまりて、「荻の葉\/〔女の名なるべし〕」と呼ばすれど、答(こた)へざンなり。呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすまして過ぎぬなり。
笛の音のただ秋かぜときこゆるになど荻の葉のそよとこたへぬ
といひたれば、實にとて、
荻の葉の答ふるまでも吹きよらでただに過ぎぬる笛の音ぞうき
斯樣に明くるまで詠めあかいて、夜明けてぞ皆人寢(ね)ぬる。
22 そのかへる年
そのかへる年〔治安三年〕、四月(うづき)の夜半(よなか)ばかりに火の事ありて、大納言殿の姫君と思ひかしづきし猫も燒けぬ。大納言殿の姫君と呼びしかば、聞き知り顔に泣きて、歩み來などせしかば、父なりし人も、「めづらかに哀なることなり。大納言に申さむ」などありし程に、いみじうあはれに口惜しく覺ゆ。ひろびろと物ふかき深山のやうにはありながら、花紅葉のをりは、四方の山邊も何ならぬを見ならひたるに、たとしへなく狹(せば)き所の庭の、ほどもなく木などもなきにいと心憂きに、向ひなる所に、梅の紅梅など咲き亂れて、風につけて薫り來るにつけても、住み馴れし古郷かぎりなく思ひ出でらる。
にほひ來るとなりの風を身にしめてありし軒端の梅ぞこひしき
23 その五月の朔日に
その五月(さつき)の朔日に、あねなる人、子うみてなくなりぬ。よその事だに〔他人にても〕、をさなくよりいみじく哀とおもひ渡るに、まして言はむかたなく、あはれ悲しと思ひなげかる。母などは、皆なくなりたる方にあるに、形見に〔姉の〕とまりたる、幼き人々を左右にふせたるに、荒れたる板屋の隙(ひま)より月のもり來て、兒の顔にあたりたるが、いとゆゝしく覺ゆれば、袖をうちおほひて、今一人をもかきよせて思ふぞいみじきや。そのほど過ぎて、親族なる人のもとより、昔の人〔うせにし姉〕の必ずもとめておこせよ、とありしかば、もとめしに、その折はえ見出でずなりにしを、今しも人のおこせたるが、あはれに悲しき事とて、かばねたづぬるみやといふ物語をおこせたり。まことに哀なるや。返事に、
うづもれぬかばねを何にたづねけむ苔の下には身こそなりぬれ
乳母なりし人、今は何につけてかがな、と泣く\/もとありける所〔一本に「ける」の二字なし〕にかへり渡るに、
「故郷にかくこそ人はかへりけれあはれ如何なるわかれなりけむ
昔の形見には、いかでとなむ思ふ」など書きて、「硯の水のこほれば、皆とぢられて、とゞめつ」と言ひたるに、
かき流すあとはつららにとぢてけり何を忘れぬかたみとか見む
といひやりたる返事に、
なぐさむるかたもなぎさの濱千鳥何かうき世にあともとどめむ〔玉葉集雜五にあり〕
この乳母、墓所(はかどころ)見て泣く\/歸りたりし。
のぼりけむ野邊は烟(けぶり)もなかりけりいづこをはか〔當、墓所〕と尋ねてか見し
これを聞きて、繼母なりし人、
そこはかと知りて行かねどさきにたつ涙ぞ道のしるべなりける
かばねたづぬるみや、おこせたりし人、
すみ馴れぬ野邊の笹原あとはかも泣く泣くいかに尋ね侘びけむ
これを見て、兄〔定義朝臣〕は、その夜おくりに行きたりしかば、
見しままに燃えしけぶりの盡きにしをいかが尋ねし野邊の笹原
雪の日を經て降るころ、吉野山に住む尼君を思ひやる。
雪ふりてまれの人めも絶えぬらむよし野の山のみねのかけみち
24 かへる年正月の司召に
かへる年〔萬壽二年〕、正月(むつき)の司召に、親のよろこびすべき事ありしに、かひなき翌朝、おなじ心におもふべき人〔父の事を思ふ人〕の許より、「さりともと思ひつゝ、明くるを待ちける心もとなさ」といひて、
明くる待つ鐘のこゑにも夢さめて秋のもも夜のここちせしかな
といひたる返事に、
あかつきをなにに待ちけむ思ふ事なる〔鐘の鳴る、成就する〕とも聞かぬかねの音ゆゑ
25 四月晦日がた
四月(うづき)晦日がた、さるべき故ありて、東山なる所へうつろふ。道のほど、田の苗代、水まかせたるも植ゑたるも、何となく青み、をかしう見えわたりたる山のかげくらう、前ちかく見えて、心細くぞあはれなる。ゆふぐれ水鷄(くひな)いみじくなく、
たたくともたれか水鷄のくれぬるに山路を深くたづねては來む
靈山(りゃうぜん)ちかき所なれば、詣でて拜み奉るに、いと苦しければ、山寺なる石井によりて、手にむすびつゝ飮みて、「此水のあかず覺ゆるかな」といふ人のあるに、
おく山の石間(いはま)の水をむすびあげて飽かぬものとは今のみや知る
といひたれば、水飮む人、
山の井のしづくににごる水よりもこはなほあかぬ心地こそすれ
歸りて、夕日けざやかにさしたるに、京(みやこ)のかたも殘りなく見やらるゝに、この雫に濁る人は、京にかへるとて、心苦しげに思ひて、又つとめて、
山の端に入る日のかげは入りはてて心ぼそくぞながめやられし
念佛(ねぶつ)する僧の、曉にぬかづく音のたふとく聞ゆれば、戸を押しあけたれば、ほの\〃/明けゆく山際は、こぐらき梢どもきりわたりて、花紅葉のさかりよりも、何となく茂りわたれる、空のけしき曇らはしくをかしきに、杜鵑さへ〔一本「杜鵑の聲」〕、いと近き梢にあまたゝび啼いたり。
誰に見せたれに聞かせむ山里のこのあかつきもをちかへる音〔杜鵑の往き返り鳴く音〕も
この晦日の日、谷のかたなる木のうへ〔一本「木の前」〕に、杜鵑かしがましく啼いたり。
都には待つらむものをほととぎす今日ひねもすに鳴きくらす哉
などのみ詠めつゝ、もろともにある人〔同行の人々〕、「只今京(みやこ)にも聞きたらむ人あらむや。かくて眺むらむと思ひおこする人あらむ」などいひて、
山ふかくたれかおもひはおこすべき月見る人はおほからめども
といへば、
ふかき夜に月見るをりは知らねどもまづ山里ぞおもひやらるる
曉になりやしぬらむと思ふほどに、山の方より人あまた來るおとす。驚きて見やりたれば、鹿の縁のもとまで來てうち鳴いたる、近うては〔鹿の聲の近きは〕なつかしからぬものの聲なり。
あきの夜のつま戀ひかぬる鹿の音は遠山にこそ聞くべかりけれ
知りたる人の、近きほどに來てかへりぬと聞くに、
まだ人めしらぬ山邊のまつかぜも音して〔おとづれをして〕かへるものとこそ聞け
八月(はづき)になりて、廿餘日(はつかあまり)の曉方の月はいみじくあはれに、山のかたはこぐらく、瀧の音も似るものなくのみ詠められて、
おもひ知る〔玉葉集には「あはれ知る」とあり〕人に見せばや山ざとのあきの夜ふかきありあけの月
26 京にかへり出づるに
京にかへり出づるに、わたりし時は、水ばかり見えし田どもも、みな刈り果ててげり。
苗代の水かげばかり見えし田の刈り果つるまでなが居しにけり
十月晦日がたに、あからさまに來て見れば、こぐらう茂りし木の葉ども、のこりなく散りみだれて、いみじくあはれげに見え渡りて、心地よげにさゞらぎ〔さら\/と流るゝ〕流れし水も、木の葉うづもれて、跡ばかり見ゆ。
水さへにすみ絶えにけり木の葉ちるあらしのやまの心ぼそさに
そこなる尼に、「春まで命あらば必ず來む。花さかりはまづ告げよ」などいひて歸りにしを、年かへりて〔萬壽二年〕、三月(やよひ)十餘日(とをかあまり)になるまで音もせねば、
契りおきし花のさかりをつげぬかな春やまだ來ぬ花やにほはぬ
旅なる所に來て、月のころ竹のもと近くて、風の音に目のみ覺めて、うちとけて寢られぬ比、
竹の葉のそよぐ〔續拾遺集に入る、「さやぐ」とあり〕夜ごとに寢ざめして何ともなきにものぞ悲しき
秋のころ、そこを立ちて、外(ほか)へうつろひて、その主(あるじ)に、
いづことも露〔一本「秋」〕のあはれはわかれじを淺茅がはらの秋ぞこひしき
27A 繼母なりし人
繼母なりし人、くだりし國の名〔上總〕を宮にも言はるゝに、こと人かよはして後も、猶その名をいはるゝと聞きて、親の今はあいなきよし、言ひにやらむ、とあるに、
あさくら〔神樂歌の曲〕や今は雲井に聞くものを〔他人の妻となりしをいふ〕猶木のまろが名のりをやする
斯樣に、そこはかとなき事を思ひつゞく。(*以下→27_b)
39B (たちわかれ\/しつゝ)
わかれ\/しつゝまかでしを、思ひ出でければ、
月もなく花も見ざりしふゆの夜のこころにしみて戀しきやなぞ
我もさ思ふことなるを、おなじ心なるもをかしうて、
さえし夜の氷はそでにまだとけで冬の夜ながら音をこそはなけ
御前に臥して聞けば、池の鳥どものよもすがら、聲々はぶきさわぐ音のするに、目もさめて、
わがごとぞ水のうきねに明しつつうは毛の霜をはらひ侘ぶなる〔一本「わびける」〕
とひとりごちたるを、傍に臥し給へる人、聞きつけて、
まして思へ水のかりね〔假寢、雁〕の程だにもうはげの霜をはらひ侘びける
かたらふ人どち、局のへだてなる遣戸をあけ合せて、物語などし暮す日、又語らふ人の、「うへにものし給ふを、度々よびおろすに、せちに事あらば如何」とあるに、枯れたる薄のあるにつけて、
冬がれのしののをすすき袖たゆみまねきもよせじ風にまかせむ
40 上達部殿上人などに
上達部(かんだちめ)、殿上人などに對面する人は、定りたるやうなれば、うひ\/しき里人は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月朔日ごろのいと暗き夜(よ)、ふだん經〔常に經よむ事〕に聲よき人々讀むほどなりとて、そなた近き戸ぐちに二人ばかり立ち出でて、來つゝ物語してよりふしてあるに、參りたる人のあるを、にげ入りて、「局なる人々呼びあげなどせむも見ぐるし。さばれ唯をりからこそ、斯くてだに」といふ。今一人のあれば、傍にて聞き居たるに、おとなしく靜なるけはひにて物などいふ、口惜しからざンなり。今一人はなど問ひて、世の常のうちつけの、懸想びてなどもいひなさず、世の中のあはれなる事どもなど、細やかに〔一本「まめやかに」〕いひ出でて、流石にきびしう引き入る方はふし\〃/ありて、我も人も答へなどするを、まだ知らぬ人のありけるなど珍しがりて、頓にたつべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、打ちしぐれつゝ、木葉にかゝる音のをかしきを、「なか\/に艷にをかしき夜かな。月の隈なくあかゝらむも、はしたなくまばゆかり〔恥かし〕ぬべかりけり。」春秋の事などいひて、「時にしたがひ見る事には、春霞おもしろく、空ものどかに霞み、月のおもてもいと明うもあらず、遠う流るゝやうに見えたるに、琵琶の風香調(ふがうてう)、ゆるやかに彈きならしたる、いといみじく聞ゆるに、また秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧わたりたれど、手にとる許さやかに澄みわたりたるに、風の音、蟲の聲、とりあつめたる心地するに、箏(さう)の琴かきならされたる平調(ひゃうでう)の吹きすまされたるは、何の春〔秋の誤か〕とおぼゆかし(*ママ)。又さると思へば、冬の夜の空さへ冴えわたり、いみじきに雪のふり積りひかり合ひたるに、篳篥のわなゝき出でたるは、春秋も皆忘れぬかし」と言ひつゞけて、「いづれにか〔春秋〕御心とゞまる」と問ふに、秋の夜に心をよせて答(こた)へ給ふを、さのみ同じ樣にはいはじとて、
あさみどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月
と答へたれば、かへす\〃/うち誦じて、さば秋の夜はおぼし捨てつるななりな。
今宵より後のいのちのもしもあらばさば春の夜を形見と思はむ
といふに、秋にこゝろをよせたる人、
人はみな春にこころをよせつめりわれのみや見むあきの夜の月
とあるに、いみじう興じおもひ煩ひたるけしきにて、「唐土などにも、昔より春秋のさだめは、えし侍らざンなるを、このかう思しわかせ給ひけむ御心ども、思ふにゆゑ侍らむかし。我が心のなびき、その折のあはれともをかしとも思ふ事のある時、やがてその折のけしきも、月も花も、心にそめらるゝにこそあンべかンめれ。春秋を知らせ給ひけむ事のふしなむ、いみじう承らまほしき。冬の夜の月は、昔よりすさまじき物の例にひかれて侍りけるに、又いと寒くなどして、ことに見られざりしを、齋宮(*■(女偏+專:せん::大漢和6662)子内親王)の御裳着〔萬壽六年齋宮御裳著勅使藏人右兵衞督佐(*右兵衛佐)資通〕の勅使にてくだりしに、曉にのぼらむとて、日比ふり積みたる雪に、月のいとあかきに、旅の空とさへ思へば、心ぼそくおぼゆるに、まかり申し〔御暇乞〕に參りたれば、よの所にも似ず、思ひなしさへ、け恐しきに、さべき〔さるべき〕所に召して、圓融院の御代より參りたりける人の、いといみじく神(かん)さび、古めいたるけはひのいとよし深く、昔の故事(ふること)ども言ひいで、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさし出でられたりしは、この世の事とも覺えず。夜の明けなむもをしう、京(みやこ)のことも思ひ絶えぬばかり、おぼえ侍りしよりなむ、冬の夜の雪ふれる夜は思ひ知られて、火桶などを抱きても、必ず出で居てなむ見られ侍る。おまへたちも、必ずさ思すゆゑ〔春をよしと思ふ所以〕侍らむかし。さらば、今宵よりは、くらき闇の夜のしぐれうちせむは、また心にしみ侍りなむかし。齋宮の雪の夜におとるべき心地もせずなむ」などいひて別れにし後は、誰と知られじと思ひしを、又の年〔長久四年〕の八月(はづき)に、内へいらせ給ふに、夜もすがら殿上にて〔一本(*「八月に…殿上にて」)此二十字なし〕御遊(おんあそび)ありけるに、この人の侍(さぶら)ひけるも知らず。その夜はしもにあかして、細殿の遣戸を押しあけて見出したれば、曉がたの月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓の聲聞えて、讀經などする人もあり。讀經の人は〔一本になし〕、この遣戸口に立ちとまりて、物などいふに答へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、片時わすれず戀しく侍れ」といふに、ことながう答(こた)ふべき程ならねば、
何さまで思ひ出でけむなほざりの木の葉にかけし時雨ばかりを
ともいひやらぬを、人々また來あへば、やがてすべり入りて、その夜さりまかンでにしかば、もろともなりし人尋ねて、返(かへし)〔返歌〕したりしなども、後にぞ聞く。ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音のおぼゆるかぎり彈きて聞かせむとなむある、と聞くに、ゆかしくて我もさるべき折を待つに更になし。春比ののどやかなる夕つ方、參りたりと聞きて、その夜、もろともなりし人とゐざり出づるに、外に人々まゐり、内にも例の人々あれば、いでまかンで入りぬ。あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮を、推し量りて參りたりけるに、騷しかりければ、まかンづめり。
かしまみてなるとの浦にこがれ出づるこころはえきや磯のあま人
と許にてやみにけり。あの人柄もいとすくよかに、世の常ならぬ人にて、その人はかの人はなども、尋ね問はで過ぎぬ。
41 今は昔のよしなし心も
今は昔のよしなし心も悔しかりけり、とのみ思ひ知りはて、親の物へ率て參りなどせでやみにしも、もどかしく思ひ出でらるれば、今はひとへに豐なるいきほひになりて、二葉の人〔幼き子〕をも思ふざまに傅(かしづ)きおふしたて、我が身もみくらの山に積みあまる許にて、後の世までの事をも思はむと思ひはげみて、十一月(しもつき)の廿日餘、石山にまゐる。雪うち降りつつ道のほどさへをかしきに、逢坂の關を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひいでらるるに、その程しもいとあらう〔荒く〕吹いたり。
逢坂の關のやまかぜ〔一本「關風」〕吹くこゑはむかし聞きしにかはらざりけり
關寺のいかめしう造られたるを見るにも、その折、あらづくりの御(み)顔〔大佛の〕ばかり見られし折思ひ出でられて、年月の過ぎにけるもいと哀なり。打出の濱のほどなど見しにもかはらず、暮れかゝる程にまうで著きて、湯屋におりて御堂に上るに、人聲もせず。山風おそろしう覺えて、行ひさして、うちまどろみたる夢に、「中堂より御かう〔佛の來迎か〕賜はりぬ。疾くかしこへ告げよ」といふ人あるに、うち驚きたれば、夢なりけり、と思ふに、よき事ならむかしと思ひて行ひあかす。又の日もいみじく雪ふり荒れて、宮にかたらひ聞ゆる人の具し給へると物語して、心ぼそさを慰む、三日さぶらひてまかンでぬ。
42 そのかへる年の十月廿五日
そのかへる年の十月廿五日、大嘗會の御禊とのゝしるに、初瀬の精進はじめて、その日京を出づるに、さるべき人々、「一代に一度の見物にて、田舍世界の人だに見るものを、月日おほかり。その日しも、京をふり出でて往かむも、いと物ぐるほしく、ながれての〔後世の〕物語ともなりぬべき事なり」など、兄弟(はらから)なる人はいひ腹立てど、兒どもの親なる人は、いかにいかに、心にこそあらめとて、いふに隨ひて、出したつる心ばへもあはれなり。ともに行く人々も、いといみじく物ゆかしげなるはいとほしけれど、物見て何にかはせむ。斯る折にまうでむ志をさりとも覺しなむ。かならず佛の御(おん)驗を見むと思ひ立ちて、その曉に京と出づるに、二條の大路をしも渡りて往くに、先にみあかし〔燈明〕もたせ、供の人々淨衣姿なるを、そこら棧敷どもに移るとて、いきちがふ馬も車もかち人もあれば、なぞ事やすからず言ひ驚き、あざみ笑ひあざける者どももあり。良頼の兵衞督と申しゝ人の家のまへを過ぐれば、それ棧敷へわたり給ふなるべし。門ひろうおし開けて、人々立てるが、「あれは物まうで人なンめりな。月日しもこそ世に多かめれ」と笑ふ中に、いかなる心ある人にか、「一時(とき)が目をこやして何にかはせむ。いみじくおぼし立ちて、佛の御(おん)徳、かならず見給ふべき人にこそあンめれ。よしなしかし。物見でかうこそ思ひたつべかりけれ」とまめやかにいふ人ひとりぞある。道、顯證(けんぞう)ならぬさき〔夜のあけぬ中〕に、と夜ふかう出でしかば、立ち後れたる人々も待ち、いとおそろしう深き霧をも少しはるけむとて、法性寺(ほうしゃうじ)の大門(だいもん)にたち止りたるに、田舍より物見にのぼる者どもの、水の流るゝやうにぞ見ゆるや。すべて道もさりあへず、物の心知りげもなきあやしの童〔賤しき童兒〕まで、ひきよげて行き過ぐるを、車を驚きあざみたる事限なし。これらを見るに、實にいかに出で立ちし道なりともと覺ゆれど、ひたぶるに佛を念じ奉りて、宇治のわたりにいき著きぬ。そこにも猶しも、此方ざまに渡りする者ども立ちこえたれば、舟の■(楫+戈:しゅう::大漢和15677)とりたる男ども、船をまつ人の數も知らぬに、心おごりしたる氣色にて、袖をかいまくりて、顔にあてて棹に押しかゝりて、頓に舟も寄せず、うそぶいて見まはし、いといみじうすみたる〔沈着なる〕樣なり。むごに〔いつまで〕え渡らで、つく\〃/と見るに、紫の物語〔源氏物語〕に、宇治宮のむすめどもの事あるを、いかなる所なれば、そこにしも住ませたるならむ、とゆかしく思ひし所ぞかし。實にをかしき所かな、と思ひつゝ、辛うじて渡りて、殿のさぶらふ所の、宇治殿を入りて見るにも、浮舟の女君(をうなぎみ)の、かゝる所にやありけむなど、まづ思ひ出でらる。夜ふかく出でしかば、人々困じてや、ひろうちといふ所にとゞまりて、物食ひなどする程にしも、供なるものども、「高名の栗駒山〔源氏物語椎が本にあり、大和物語に「くりこまの山に朝たつ雉よりも云々」とあり〕にはあらずや。日も暮方になりぬめり。ぬしたち、調度とりおはさうぜよや」と言ふを、いと物おそろしう聞く。その山越え果てて、にへの池の邊へ行き著きたる程、日は山の端にかゝりにたり。いまは宿とれて〔「とれとて」歟〕、人々あかれて〔分れて〕宿もとむる。「所はしたにて、いとあやしげなる下種(げす)の小家なむある」といふに、如何はせむとて、そこに宿りぬ。みな人々京にまかりぬとて、あやしの男二人ぞ居たる。その夜もいも寢ず。此男のいで入りしありくを、奧の方なる女ども、「など斯くしありかるゝぞ」と問ふなれば、「いなや、心も知らぬ人を宿(やど)し奉りて、釜ばしもひきぬかれ〔盜まれ〕なば、如何にすべきぞと思ひて、え寢(ね)でまはりありくぞかし」と寢たると思ひていふ。聞くに、いとむく\/しく〔厭はしく〕をかし。翌朝、そこを立ちて、東大寺によりて拜み奉る。いそのかみも誠にふりにける事想ひやられて、無下に荒れ果てにけり。その夜、山邊といふ所の寺にやどりて、いと苦しけれど、經すこし讀み奉りてうちやすみたる夢に、いみじくやむごとなく清らなる女のおはするに參りたれば、風いみじう吹く。見つけてうち笑みて、「何しにおはしつるぞ」と問ひ給へば、「いかでかは參らざらむ」と申せば、「其處(そこ)はうちにこそ〔禁中で〕あらむとすれ。はかせの命婦をこそよく語らはめ。」と宣ふと思ひて、嬉しくたのもしくて、いよ\/念じ奉りて、初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺〔初瀬寺〕にまうで著きぬ。祓などしてのぼる。三日さぶらひて、曉まかでむとて打ちねぶりたるよさり、御堂のかたより、「すは稻荷よりたまはるしるしの杉〔「稻荷山しるしの杉を尋ね來てあまねく人のかざす今日かな」顯仲の詠〕よ」とて、物を投げ出づるやうにするに、うち驚きたれば夢なりけり。曉夜ぶかく出でてえとまらねば、奈良坂のこなたなる家を尋ねて宿りぬ。これもいみじげなる小家なり。「ここはけしきある所なンめり。ゆめ寢ぬな、靈怪(りゃうくゎい)の事あらむに、あなかしこ、おびえさわがせ給ふな、息もせで臥させ給へ」といふを聞くにも、いといみじう、侘しくおそろしうて、夜を明すほど、千歳を過す心地す。辛うじて明けたつほどに見れば、盜人の家なり。「あるじの女、けしきある事〔寢をまちて盜まむ氣色〕をしてなむありける」といふ。いみじう風の吹く日、宇治のわたりを過ぐるに、網代いと近うこぎよりたり。
音にのみ聞きわたり來し宇治川のあじろの浪もけふぞかぞふる
43 二三年、四五年へだてたる事を
二三年、四五年へだてたる事を次第もなく書きつゞくれば、やがてつゞきだちたる修行者(すぎゃうざ)めきたれど、さにはあらず。年月へだたれる事なり。春ごろ鞍馬に籠りたり。山際かすみわたり長閑なるに、山の方より僅にところ〔野生の薯蕷〕など掘りもて來るもをかし。出づる道は、花も皆散り果てにければ、何ともなきを、十月(かんなづき)ばかりにまうづるに、道のほど山の氣色、この比はいみじうぞ勝るものなりける。山の端、錦をひろげたるやうなり。たぎりて流れゆく水、水晶をちらす樣にわきかへるなど、いづれにも勝れたり。まうで著きて、僧坊にいき著きたるほど、かきしぐれたる紅葉の、たぐひなくぞ見ゆるや。
おく山の紅葉のにしき外よりも如何にしぐれてふかくそめけむ〔一本「そむらむ」〕
とぞ見やらるゝ、二年ばかりありて、また石山に籠りたれば、夜もすがら雨ぞいみじく降る。旅居は雨いとむづかしきものと聞きて、蔀を押しあげて見れば、有明の月、谷の底さへ曇りなく澄みわたり、雨と聞えつるは、木の根より水の流るゝ音なり。
たに川のながれはあめと聞ゆれどほかよりけなる〔まさる〕ありあけの月
44 また初瀬にまうづれば
また初瀬にまうづれば、初にこよなく物たのもし。處々にまうけ〔饗應〕などして行きもやらず。山城國、柞(はゝそ)の杜(もり)などに、紅葉いとをかしき程なり。初瀬川わたるに、
初瀬川立ちかへりつつたづぬれば杉のしるしもこのたびや見む
と思ふもいとたのもし。三日さぶらひて罷(まかん)でぬれば、例の奈良坂のこなたに、小家などに、此度はいと類ひろければ〔仲間大勢なれば〕、え宿るまじうて、野中にかりそめに庵(いほ)つくりて居ゑたれば、人はたゞ野に居て夜をあかす。草のうへに行縢(むかばき)などをうち敷きて、うへに蓆(むしろ)を敷きて、いとはかなくて夜を明す。頭もしとゞに露おく。曉方の月のいといみじく澄みわたりてよに知らずをかし。
ゆくへなき旅のそらにもおくれぬは都にて見しありあけの月
何事も心にかなはぬ事もなきまゝに、かやうに立ち離れたる物詣をしても、道のほどををかしとも苦しとも見るに、おのづから心も慰め、さりともたのもしう、さしあたりて歎かしなど覺ゆる事どもないまゝに、唯をさなき人々を、いつしか思ふ樣(さま)にしたてて見むと思ふに、年月の過ぎ行くを心もとなく、たのむ人〔夫の君〕だに人のやうなる喜しては、とのみ思ひわたる心地たのもしかし。
45 古いみじうかたらひ
古いみじうかたらひ、夜晝歌などよみかはしさぶらふ人のありありても、いと昔のやうにこそあらね、絶えずいひわたる。越前守のよめにて下りしが、書き絶え音もせぬに、辛うじてたより尋ねて、これより〔孝標の女の方より〕、
たえざりし思ひもいまは絶えにけり越のわたりの雪のふかさに
といひたる返事に、
白山(しらやま)のゆきのしたなるさざれ石〔小石〕の中(うち)のおもひは消えむものかは
三月(やよひ)の朔日ごろに、西山の奧なる所にいきたる、人目も見えず、のど\/と霞みわたりたるに、あはれに心細く、花ばかり咲きみだれたり。
里とほみあまりおくなるやま路には花見にとても人來ざりけり
世中むづかしう覺ゆるころ、太秦にこもりたるに、宮にかたらひ聞ゆる人の御許より文ある。返事聞ゆるほどに、鐘の音の聞ゆれば、
しげかりしうき世のことも忘られず〔一本「忘られぬ」〕入相の鐘のこころぼそさに
と書きて遣りつ。
46 うら\/とのどかなる宮にて
うら\/とのどかなる宮にて、おなじ心なる人三人(みたり)ばかり、物語などして罷出(まかんで)て、又の日つれ\〃/なるまゝに、戀しう思ひ出でらるれば、二人が中に、
袖ぬるるあらいそ波と知りながらともにかづき〔水中に泳ぎ入ること〕をせしぞ戀しき
と聞えたれば、
あら磯はあされど何のかひなくてうしほに濕(ぬ)るるあまの袖かな
いま一人、
みるめ〔海松、海草〕生ふる浦にあらずば荒磯のなみまかぞふる蜑もあらじを
おなじ心に斯樣にいひかはし、世中の憂きも辛きもをかしきも、互(かたみ)に言ひかたらふ人、筑前にくだりて後、月のいみじう明きに、かやうなりし夜、宮にまゐりて、あひては露まどろまず、眺めあかしゝものを、戀しく思ひつゝ寢入りにけり。宮にまゐりあひて、現にありし樣にてありと見てうち驚きたれば、夢なりけり。月も山の端近うなりにけり。さめざらましを〔「思ひつゝぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを」小町の歌〕と、いとゞ詠められて、
夢さめて寢ざめのとこのうくばかり戀ひきと告げよ西へゆく月
47 さるべきやうありて
さるべきやうありて、秋ごろ和泉にくだるに、淀といふよりして、道のほどの、をかしうあはれなる事言ひ盡すべうもあらず。高濱といふ所にとゞまりたる夜、いと闇きに夜いたう更けて、舟の■(楫+戈:しゅう::大漢和15677)の音聞ゆとふなれば、遊女(あそび)のきたるなりけり。人々興じて、舟にさしつけさせたり。とほき火の光に、單衣(ひとへ)の袖ながやかに、扇さしかくして歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。又の日、山の端に日のかゝるほど、住吉の浦を過ぐ。空もひとつに霧りわたれる、松の梢も海のおもても、波の寄せくる渚のほども、繪に書きても、及ぶべき方なうおもしろし。
いかにいひ何にたとへてかたらまし秋のゆふべのすみよしの浦
と見つゝ、綱手ひき過ぐるほど、顧みのみせられて飽かず覺ゆ。冬になりてのぼるに、大江といふ浦に、舟に乘りたるに、その夜雨風、岩も動くばかり降りふゞきて〔一本に「降りつゞきて」〕、神〔雷〕さへなりて轟くに、浪の立ち來る音なひ、風の吹き惑ひたるさま、恐しげなること命かぎりつと思ひまどはる。岡のうへに、舟を引きあげて夜をあかす。雨はやみたれど、風なほ吹きて舟いださず。ゆくへもなき岡のうへに、五六日を過す。辛うじて風いさゝかやみたる程、舟の簾卷きあげて見渡せば、夕潮たゞみちに滿ちくるさまとりもあへず、入江の田鶴の聲をしまぬも、をかしく見ゆ。國の人々あつまり來て、「その夜この浦を出でさせ給ひて、石津に著かせ給へらましかば、やがてこの御舟なごりなくなり〔難船して〕なまし」などいふ。心ぼそう聞ゆ。
荒るる海に風よりさきに舟出していしづの浪と消えなましかば
48 世中にとにかくに
世中に、とにかくに心のみ盡すに、宮仕とても、ことばひとすぢに、仕う奉りつゞかばや、いかゞあらむ。時々立ち出でば、何なるべくもなかンめり。年はやゝさだ過ぎ〔女の盛を過ぎ〕行くに、わか\/しき樣(やう)なるも、つきなう覺えなげかるゝうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物語などせし事も、得せずなりたれば、わくらば〔たま\/〕の立ち出でも絶えて、長らふべき心地もせぬまゝに、幼き人々を、いかにも\/我があらむ世に見おく事もがな、とふしおき思ひなげき、頼む人のよろこびの程を、心もとなく待ち歎かるゝに、秋になりて〔天喜五年の秋になりて〕待ちいでたる樣なれど、思ひしにはあらず、いと本意なく口惜し。親のをりより立ち歸りつゝ見し東路よりは、近きやうに聞ゆれば、いかゞはせむにて、程もなく下るべき事ども急ぐに、門出は、女(むすめ)なる人のあたらしく渡りたる所に、八月(はづき)十餘日(とをかあまり)にす。後(のち)の事は知らず、そのほどの有樣は物さわがしきまで、人おほくいきほひたり。
廿七日にくだるに、男(をとこ)なる〔仲俊〕は添ひて下る。紅(くれなゐ)のうちたるに、萩のあを〔萩の襖〕、紫苑の織物の指貫著て、太刀佩きて、しりに立ちてあゆみ出づるを、それも〔仲俊をさしていふ〕織物のあをに、緋色の指貫、狩衣〔一本なし〕著て、廊のほどにて馬に乘りぬ。のゝしり滿ちてくだりぬる後、こよなう徒然なれど、いといたう遠きほどならずと聞けば、さき\〃/の樣に、心ぼそくなどは覺えであるに、おくりの人々、又の日かへりて、「いみじうきら\/しうて下りぬ」などいひて、「この曉に、いみじく大なる人魂の立ちて、京ざまへなむ來ぬる」と語れど、供の人などのにこそは、と思ふ。ゆゝしきさまに思ひだによらむやは。今はいかで、このこの若き人々、おとなびさせむと思ふより外の事なきに、かへる年の四月(うづき)にのぼり來て、夏秋も過ぎぬ。九月(ながつき)二十五日よりわづらひ出でて、十月五日〔通俊朝臣の卒せられし康平五年〕(*康平元年)に、夢のやうに見ないて思ふ心地、世中にまた類(たぐひ)ある事ともおぼえず。初瀬に鏡たてまつりしに、伏しまろび泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。嬉しげなりけむ影は、きし方もなかりき。いま行末はあンべいやうもなし。廿三日、はかなくも煙になす〔火葬にす〕に、去年の秋、いみじくしたて傅かれて、うちそひて下りしを見やりしを、いとくろき衣のうへに、ゆゝしげなる物を著て、車のともに泣く\/歩み出で行くを、見いだしておもひ出づる心地、すべてたとへむ方なきまゝに、やがて夢路に惑ひてぞ思ふに、その(*そを?)人やみにけむかし。昔よりよしなき物語、歌の事をのみ心にしめで、よるひる思ひて行ひをせましかば、いとかゝる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にてまへの度は、稻荷より賜ふしるしの杉よとて、なげ出でられしを、いでしまゝに稻荷に詣でたらましかば、かゝらずやあらまし。としごろ天照大神を念じ奉れと見ゆる夢は、人の御(おん)乳母として内裏わたりにあり、帝、后(きさい)の御蔭(おんかげ)に、かくるべきさまをのみ、夢ときもあはせしかども、その事は、ひとつかなはで止みぬ。たゞ悲しげなりと見し、鏡のかげのみ違はぬ、あはれに心憂し。かうのみ心に物のかなふ方なうて止みぬる人なれば、功徳〔後生菩提の功徳〕もつくらずなどしてたゞよふ。
49 さすがに命は
さすがに命は、憂きにも絶えずながらふめれど、後の世もおもふに叶はずぞあらむかしとぞうしろめたきに、頼むことひとつぞありける。天喜三年、十月十三日の夜の夢に、居たる所の屋(や)のつまの庭に、阿彌陀佛立ち給へり。さだかには見え給はず。霧一重へだたれるやうに透きて見え給ふを、せめてたえまに見奉れば、蓮花の座の土をあがりたる高さ三四尺(さく)、佛の御丈(みたけ)六尺ばかりにて、金色にひかりかゞやき給ひて、御(おん)手片つ方をばひろげたる樣に、いま片つ方にはいんを作り〔印を結ぶこと〕給ひたるを、こと人の目には見つけ奉らず。我一人見奉りて、さすがにいみじくけ恐しければ、簾のもと近くよりてもえ見奉らねば、佛、「さは此度はかへりて、後むかへに來む」と宣ふ聲、我が耳ひとつに聞き居て、人はえ聞きつけずと見るに、うち驚きたれば、十四日なり。この夢ばかりぞ、後の頼(たのみ)としけるを、(*旺文社文庫版は「しける。」で改段。)
50 いもとなどひと所にて
いもとなどひと所にて朝夕見るに、かうあはれに悲しきことの後は、所々になりなどして、誰も見ゆることかたうあるに、いと闇い夜、六波羅にあンなる甥(をひ)の來(きた)るに、珍しうおぼえて、
月も出でで〔なき夫の事をいふ〕やみにくれたる姨捨に何とてこよひたづね來つらむ
とぞいはれにける。懇に語らふ人の、かうで後おとづれぬに、
今は世にあらじものとや思ふらむあはれ泣く泣く猶こそはふれ
十月ばかり、月のいみじうあかきを、泣く\/眺めて、
ひまもなき涙にくもるこころにもあかしと見ゆる月のかげかな
51 年月は過ぎかはり行けど
年月(としつき)は過ぎかはり行けど、夢のやうなりしほどを思ひ出づれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、その程のことは、又さだかにも覺えず。人々は皆外(ほか)にすみあかれ(*原文「あがれ」)て、故郷にひとり、いみじう心ぼそく悲しくて、眺めあかし侘びて、久しうおとづれぬ人に、
茂りゆくよもぎが露にそぼち(*原文「そほぢ」)つつ人に問はれぬ音をのみぞ泣く
尼なる人なり。
世のつねの宿のよもぎに思ひやれそむき果てたる庭のくさむら
更科日記 終