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さゞれいし

▼ 御伽草子 B-10
尾上八郎 解題、山崎麓 校註
『お伽草子・鳴門中將物語・松帆浦物語・鳥部山物語・秋の夜の長物語・鴉鷺合戰物語』
(校註日本文學大系19 國民圖書株式會社 1925.9.23)

※ 句読点を適宜改めたほか、引用符を施し、段落を分けた。
※ ルビは<ruby><rt></rt></ruby>タグで表した。IE5 等で見える。


神武天皇より十二代成務天皇と申し奉るは、限りなくめでたき御世なり。此の帝に男みこ、姫宮三十八人の皇子わうじおはしける。三十八人めは姫君にて渡らせ給ふ。數も知らぬ程の皇子たちの御末なればとて、その御名をさゞれ石の宮とぞ申しける。御容貌おんかたち世に勝れてめでたくおはしければ、數多の御中にもこえて〔多くの皇子の中で特別に〕、御寵愛斜ならずいつきかしづき給ひける。さるほどに御年十四にて、攝政殿の北の政所に移しまゐらせ給ふ。めでたき御おぼえ、一天四海のうちに〔國中で〕上こす人こそなかりけり。
さゞれ石の宮、世間の有爲轉變のことわりを、つく\〃/思召しよりて、「それ佛道を願ふに、淨土は十方にありと聞けども、中にもめでたき淨土は、東方淨瑠璃世界〔藥師如來の支配さるゝ淨土〕に若くはなし。」と思しとりて、つねに怠らず、藥師の御名號、南無藥師瑠璃光如來と唱へ給ふ。ある夕暮の事なるに、月の出づる山の端打ちながめ給ひ、「わが生れん淨土はそなたぞ。」と思しめし、獨りたゝずみ給ふに、御前に虚空より〔大空から〕黄金の天冠を額にあてたるくわんにん〔官人〕一人まゐり、さゞれ石の宮に瑠璃の壺を捧げ申しければ、「藥師如來の御つかはしめ、金毘羅大將〔釋迦如來、佛教保護のため化して千頭千臂の鬼神と現はれたのが此の大將だと云ふ。十二神將の一。〕なり。」とぞ申しける。
「此の壺に妙藥あり。これすなはち不老不死の藥なり。これをきこしめされば、御年もよりたまはず、わづらはしき御心ちもなく、いつも變らぬ御姿にて、御命の終りもなく、いつまでもめでたく榮え給はむ。」とて、かき消すやうに失せにけり。さゞれ石の宮、此の壺をうけ取らせ給ひ、「あら、ありがたや。年月願ひ奉るしるしかな。」とて、三度らいし、良藥らうやく嘗め給ふに、あまた〔非常に〕味ひ言ふばかりなし。青き壺に白き文字あり。よみて御覽ずれば、歌なり。
君が代は千代に八千代にさゞれ石のいはほとなりて苔のむすまで〔古今集賀歌の「我が君は千代に八千代に」云々から採つた。〕
とあり。これすなはち藥師如來の御詠歌なるべし。それより御名を引きかへて〔改名されて〕、いはほの宮とぞ申しける。
其の後年月を送り給ふに、聊か物の悲しき事もなく、いつも常磐の御姿〔永久に變らぬ御姿〕にて、榮花にほこり給ふ。御命長く渡らせ給ふ事は、すべて八百餘歳なり。成務天皇仲哀天皇神功皇后應神天皇仁徳天皇履仲天皇反正天皇允恭天皇安康天皇雄畧天皇清寧天皇、十一代の間、いつもかはらぬ御姿にて、榮えさせ給ふなり。
さゞれ石の宮(*ママ)、あるよもすがら燈火ともしびを掲げ、藥師眞言を念じおはしけるに、かたじけなくも藥師如來、いとも貴き御姿にて、いはほの宮に對ひ宣ふは、「汝はいつまで此の世界にあらむ。人間の樂しみはわづかの事なり。それ淨瑠璃世界の地は、すなはち瑠璃なり。汝を移さむ淨土は、七寶の蓮花の上に玉の寶殿を立てて、黄金の扉をならべ、玉のすだれをかけ、床には錦のしとねを敷き、綾羅莊嚴しゃうごんを以て身を飾りたる、數千人の女官にょくゎん、時々刻々に守護を加へ、百味の飮食おんじきをさゝぐる事ひまもなし。此の世界にて契り深き人は、目の前に竝み居つゝ、何事も心の儘の極樂なれば、さのみはいかで八苦〔生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、五盛陰苦、求不得苦、怨憎會苦。〕の世界にあらむ。」とて、いはほの宮を東方淨瑠璃世界に導き給ふ。其の身をもかへずして成佛し給ふこと〔死なないでそのまゝ佛になられる事。即身成佛。〕、稀代きたい不思議のためしとかや。上代も末代も斯かるめでたきためしなし。今は末世のこと、かほどにこそはおはせずとも、神や佛を念ずる人は、やはか其のしるしの無かるべき。南無藥師瑠璃光如來\/、おんころ\/せんだりまとうきそはか\/〔最後の「そはか」は蘇波訶で眞言の結句。他の咒文が著しく訛つた句であらう〕。

(*了)

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