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篁物語

参考:日本古典文学大系  
※ 漢字は新字体とした。句読点・仮名遣い等、適宜加除・変更した。 
※ 節区分・見出しを任意を付加した。〈* 〉は入力者の注記。 

 −馴れ初め師走の十五日
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馴れ初め

親(オヤ:名::)の(ノ:格助::)いと(イト:副::)よく(ヨシ:形:ク:用)かしづき(カシヅク:動:カ四:用)ける(ケリ:助動:過去:体)、人(ヒト:名::)の(ノ:格助::)むすめ(ムスメ:名::)あり(アリ:動:ラ変:用)けり(ケリ:助動:過去:終)。女(ヲンナ:名::)の(ノ:格助::)する(ス:動:サ変:体)ざえ(ザエ:名::)の(ノ:格助::)かぎり(カギリ:名::)し(ス:動:サ変:用)つくし(ツクス:動:サ四:用)て(テ:接助::)、今(イマ:名::)は(ハ:係助::)「書(フミ:名::)読ま(ヨム:動:マ四:未)せ(ス:助動:使役:未)ん(ム:助動:意志:終)。」と(ト:格助::)て(テ:接助::)、「博士(ハカセ:名::)に(ニ:格助::)は(ハ:係助::)むつましから(ムツマシ:形:シク:未)ん(ム:助動:仮定・婉曲:体)人(ヒト:名::)を(ヲ:格助::)せ(ス:動:サ変:未)ん(ム:助動:意志:終)。」と(ト:格助::)て(テ:接助::)、異腹(コトハラ:名::)の(ノ:格助::)子(コ:名::)の(ノ:格助::)大学(ダイガク:名::)の(ノ:格助::)衆(シュウ:名::)に(ナリ:助動:断定:用)て(テ:接助::)あり(アリ:動:ラ変:用)ける(ケリ:助動:過去:体)、異腹(コトハラ:名::)なり(ナリ:助動:断定:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ば(バ:接助::)、うとく(ウトシ:形:ク:用)て(テ:接助::)、「あひ見(アヒミル:動:マ上一:未)ず(ズ:助動:打消:終)。」など(ナド:副助::)あり(アリ:動:ラ変:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ど(ド:接助::)、「知ら(シル:動:ラ四:未)ぬ(ズ:助動:打消:体)人(ヒト:名::)より(ヨリ:格助::)は(ハ:係助::)。」と(ト:格助::)て(テ:接助::)、すだれ越し(スダレゴシ:名::)に(ニ:格助::)几帳(キチャウ:名::)たて(タツ:動:タ下二:用)て(テ:接助::)ぞ(ゾ:係助::)読ま(ヨム:動:マ四:未)せ(ス:助動:使役:用)ける(ケリ:助動:過去:体)。こ(コ:代名::)の(ノ:格助::)男(ヲトコ:名::)、〈*女の〉いと(イト:副::)をかしき(ヲカシ:形:シク:体)さま(サマ:名::)を(ヲ:格助::)見(ミル:動:マ上一:用)て(テ:接助::)、〈*女も〉すこし(スコシ:副::)馴れ(ナル:動:ラ下二:用)ゆく(ユク:動:カ四:体)まま(ママ:名::)に(ニ:格助::)、顔(カホ:名::)を(ヲ:格助::)見え(ミユ:動:ヤ下二:用)物語(モノガタリ:名::)など(ナド:副助::)も(モ:係助::)し(ス:動:サ変:用)て(テ:接助::)、〈*男の〉文(フミ:名::)の(ノ:格助::)て(テン:名::)〈*点〉と(ト:格助::)いふ(イフ:動:ハ四:体)もの(モノ:名::)を(ヲ:格助::)取ら(トル:動:ラ四:未)せ(ス:助動:使役:用)たり(タリ:助動:完了:用)ける(ケリ:助動:過去:体)を(ヲ:格助::)〈*女が〉見れ(ミル:動:マ上一:已)ば(バ:接助::)、かくひち(カクヒチ:名::)して(シテ:格助::)一首(イッシュ:名::)を(ヲ:格助::)なん(ナム:係助::)書き(カク:動:カ四:用)たり(タリ:助動:完了:用)ける(ケリ:助動:過去:体)。

なか(ナカ:名::)に(ニ:格助::)ゆく(ユク:動:カ四:体)吉野の河(ヨシノノカハ:名::)は(ハ:係助::)あせ(アス:動:サ下二:用)な(ヌ:助動:強意:未)なん(ナム:終助::)妹背の山(イモセノヤマ:名::)を(ヲ:格助::)越え(コユ:動:ヤ下二:用)て(テ:接助::)見る(ミル:動:マ上一:終)べく(ベシ:助動:可能:用)

と(ト:格助::)あり(アリ:動:ラ変:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ば(バ:接助::)、「かゝり(カカリ:動:ラ変:用)ける(ケリ:助動:詠嘆:体)。」と(ト:格助::)心づかひし(ココロヅカヒス:動:サ変:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ど(ド:接助::)、「なさけなく(ナサケナシ:形:ク:用)や(ヤ:係助::)は(ハ:係助::)。」と(ト:格助::)て(テ:接助::)、

妹背山(イモセヤマ:名::)かげ(カゲ:名::)だに(ダニ:副助::)見え(ミユ:動:ヤ下二:未)で(デ:接助::)やみ(ヤム:動:マ四:用)ぬ(ヌ:助動:強意:終)べく(ベシ:助動:推量:用)吉野の河(ヨシノノカハ:名::)は(ハ:係助::)濁れ(ニゴル:動:ラ四:命)と(ト:格助::)ぞ(ゾ:係助::)思ふ(オモフ:動:ハ四:体)

また(マタ:接続::)、男(ヲトコ:名::)、

濁る(ニゴル:動:ラ四:体)瀬(セ:名::)は(ハ:係助::)しばし(シバシ:副::)ばかり(バカリ:副助::)ぞ(ゾ:係助::)水(ミヅ:名::)し(シ:副助::)あら(アリ:動:ラ変:未)ば(バ:接助::)澄み(スム:動:マ四:用)な(ヌ:助動:強意:未)む(ム:助動:推量:終)と(ト:格助::)こそ(コソ:係助::)頼み(タノム:動:マ四:用)渡ら(ワタル:動:ラ四:未)め(ム:助動:勧誘:已)

女、

淵瀬(フチセ:名::)を(ヲ:格助::)ば(ハ:係助::)いかに(イカニ:副::)知り(シル:動:ラ四:用)て(テ:接助::)か(カ:係助::)渡ら(ワタル:動:ラ四:未)む(ム:助動:意志:終)と(ト:格助::)心(ココロ:名::)を(ヲ:格助::)先(サキ:名::)に(ニ:格助::)人(ヒト:名::)の(ノ:格助::)言ふ(イフ:動:ハ四:終)らん(ラム:助動:原因推量:体)

男(ヲトコ:名::)、

身(ミ:名::)の(ノ:格助::)なら(ナル:動:ラ四:未)む(ム:助動:婉曲:体)淵瀬(フチセ:名::)も(モ:係助::)知ら(シル:動:ラ四:未)ず(ズ:助動:打消:終)妹背川(イモセガハ:名::)降り立ち(オリタツ:動:タ四:用)ぬ(ヌ:助動:強意:用)べき(ベシ:助動:推量:体)ここち(ココチ:名::)のみ(ノミ:副助::)し(ス:動:サ変:用)て(テ:接助::)

かく(カク:副::)言ふ(イフ:動:ハ四:体)程(ホド:名::)に(ニ:格助::)、人にくから(ヒトニクシ:形:ク:未)ぬ(ズ:助動:打消:体)世(ヨ:名::)なれ(ナリ:助動:断定:已)ば(バ:接助::)、いと(イト:副::)けうとく(ケウトシ:形:ク:用)なかり(ナシ:形:ク:用)けり(ケリ:助動:過去:終)。


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師走の十五日

師走(シハス:名::)の(ノ:格助::)もち(モチ:名::)ごろ(コロ:名::)、月(ツキ:名::)いと(イト:副::)あかき(アカシ:形:ク:体)に(ニ:格助::)、物語し(モノガタリス:動:サ変:用)ける(ケリ:助動:過去:体)を(ヲ:格助::)人(ヒト:名::)見(ミル:動:マ上一:用)て(テ:接助::)、「誰(タレ:代名::)ぞ(ゾ:係助::)。あな(アナ:感動::)、すさまじ(スサマジ:形:シク:語幹)。師走(シハス:名::)の(ノ:格助::)月夜(ツクヨ:名::)と(ト:格助::)も(モ:係助::)ある(アリ:動:ラ変:体)かな(カナ:終助::)。」と(ト:格助::)言ひ(イフ:動:ハ四:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ば(バ:接助::)、

春(ハル:名::)を(ヲ:格助::)待つ(マツ:動:タ四:体)冬(フユ:名::)の(ノ:格助::)かぎり(カギリ:名::)と(ト:格助::)思ふ(オモフ:動:ハ四:体)に(ニ:格助::)は(ハ:係助::)か(カ:代名::)の(ノ:格助::)月(ツキ:名::)しも(シモ:副助::)ぞ(ゾ:係助::)あはれなり(アハレナリ:形動:ナリ:用)ける(ケリ:助動:詠嘆:体)

返し(カヘシ:名::)、

年(トシ:名::)を(ヲ:格助::)へ(フ:動:ハ下二:用)て(テ:接助::)思ふ(オモフ:動:ハ四:体)も(モ:係助::)あか(アク:動:カ四:未)じ(ジ:助動:打消推量:終)こ(コ:代名::)の(ノ:格助::)月(ツキ:名::)は(ハ:係助::)みそか(ミソカ:名::)の(ノ:格助::)人(ヒト:名::)や(ヤ:係助::)あはれ(アハレ:感動::)と(ト:格助::)思は(オモフ:動:ハ四:未)む(ム:助動:推量:体)

かく(カク:副::)言ふ(イフ:動:ハ四:体)程(ホド:名::)に(ニ:格助::)、夜(ヨ:名::)ふけ(フク:動:カ下二:用)に(ヌ:助動:完了:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ば(バ:接助::)、「人(ヒト:名::)うたて(ウタテ:副::)見(ミル:動:マ上一:未)ん(ム:助動:推量:体)もの(モノ:名::)。」と(ト:格助::)て(テ:接助::)、入り(イル:動:ラ四:用)に(ヌ:助動:完了:用)けり(ケリ:助動:過去:終)。男(ヲトコ:名::)は(ハ:係助::)曹司(ザウシ:名::)に(ニ:格助::)とみに(トミナリ:形動:ナリ:用)も(モ:係助::)入ら(イル:動:ラ四:未)で(デ:接助::)、うそぶき(ウソブク:動:カ四:用)ありき(アリク:動:カ四:用)けり(ケリ:助動:過去:終)。

さて(サテ:接続::)、あした(アシタ:名::)に(ニ:格助::)、久しく(ヒサシ:形:シク:用)書(フミ:名::)読ま(ヨム:動:マ四:未)せ(ス:助動:使役:未)ざり(ズ:助動:打消:用)けれ(ケリ:助動:過去:已)ば(バ:接助::)、父ぬし(チチヌシ:名::)、「あやしく(アヤシ:形:シク:用)篁(タカムラ:名::)が(ガ:格助::)見え(ミユ:動:ヤ下二:未)ぬ(ズ:助動:打消:体)かな(カナ:終助::)。」と(ト:格助::)言ひ(イフ:動:ハ四:用)て(テ:接助::)呼び(ヨブ:動:バ四:用)に(ニ:格助::)やる(ヤル:動:ラ四:体)に(ニ:接助::)、男(ヲトコ:名::)来(ク:動:カ変:用)て(テ:接助::)、れいの(レイノ:連語::)、書(フミ:名::)かき集めて教へけるまゝになん、この女のみ心に入りて、ひがごとをのみなむしける。かう教ふる中に、かくひちして、「かやう、初の書はひがごとつかうまつるらん。このごろは、物覚えずぞや。

君をのみ思ふ心は忘られず契(ちぎり)しこともまどふ心か

返し、

博士とはいかゞ頼まむ人知れずもの忘れする人の心を

又、男、

読み聞きてよろづの書は忘るとも君ひとりをば思ひもたらん

かくて、この男は、てふくみをぞ常に作りかへける。


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さて、この女、願ありて、如月の初午(はつむま)に稲荷に詣(まゐ〔まい〕)りけり。供に人多くもあらで、おとな二人・童二人ぞありける。おとなはいろ\/の袿(うちぎ)、二人は同じ色をなん着たりける。君は綾のかい練りの単がさね、唐のうすものの桜色の細長着て、花染めの綾の細長をりてぞ着たりける。髪はうるはしくて、たけに一尺ばかりあまりて、頭つきいと清げにて、顔もあやしく世人には似ず、めでたくなんありける。男(を)の童三四人、さてはこの兄(せうと)とぞありける。ませにはあらねど、先立ちおくれ〔をくれ〕て来ける。詣(まう)でざまに困じにければ、兄いとほしがり〔いとおかしがり・いとおしがり〕て、「篁にかゝり給へ。」とて寄りければ、「いで、いな\/。」と言ひて、道中に去にけり。さる程に、兵衛佐ばかりの人、かたち清げにて年廿ばかりなりけるが詣であひて、かへさに、女の道にゐたる、「あな、くるし。かくてやは出で立ち給へる。」もの嫉みして、男申すに、「かしは車作りて、このわたりなる木さきの屏にすゑ〔すへ〕奉らん。女の身には大王、みかどには誰をかと。」と言ふ程に暮れぬれば、わりごさがして食はせんとするに、この佐をやりすぐす。この男、休むやうにて、降りて、

人知れぬ心たゞすの神ならば思ふ心をそらに知らなん
返し、
社にもあだきねすゑぬ石神は知ること難し人の心を
またもおこせけれど、この兄、いそがして、車に乗せてゐて去ぬ。この佐、人をつけて、「いづくにか率て去ぬる。」と見せければ、「その家。」と見てけり。あしたに文あり。「神の教へ給(たまひ)しかばなむ、さして奉る。かの石神の御もとにて、今日あらば。」文を取り入れて見れば、この兄、出で走りて、「父ぬし聞き給(たまふ)に。いともの騒がしう〔さはがしう〕。この童はいづくから来たるぞ〔来たるに〕。いづれのすき者の使ひぞ。」と言ひければ、「御文は奉らせつれど、昨日いませしぬしの『いづれの使ひぞ。』との給を、うちからは翁びたる声にて『なにごとぞ。』などの給つれば、わづらはしさになむ参(まう)で来ぬる。」と言ひければ、「とうめの童や。」と言ひて、またのあしたに、「昨日の御返(かへり)。たび\/、いとおぼつかなし。この童の、あとはかなくて参(ま)で来にしかば。
あとはかもなくやありにし浜千鳥おぼつかなみに騒ぐところか
この兄、大学に出でにけり。樋洗童、取り入れて奉る。文をも取り、「大学のぬしもぞみつくる〔ぬしもふみつくる〕。近からん人の家にすゑよ。」とて、「昨日も見しかども、いさや。
たまぼこの道交(か)ひ〔みちかゐ〕なりし君なればあとはかもなくなると知らずや
見て、「ざれたるべき人かな。うたて、まが\/しうもいひたる〔いりたる〕かな。いかに言はまし。」と思ふ。時の大納言〔時大納言〕の子なりけり。「あとはかもなしと、誰も。道にこそゐ給へりしか。
しば\/にあとはかなしと言ふことも同じ道には又もあひなん
また、これをれいの童、もて来たり。兄、道にさしあひて、「今、これより。」と言ひて、やりてけり。「かく。」など言へば、「れいの、心肝もなき童かな。先にけしきあしう言ひけむ人にや、取らすべき。この稲荷にて、まなこゐ〔まならひ〕ものしげに思へりし者ぞや。男よりのものぞや。そもそも、御返(かへり)。」とりてやりつ。御返りにくしと思ふものゝやうに、兄、出であひて、「御文奉り給人は、夜べ男にぬすまれたまひしかば、求めにゆくを。もし、この御文給へる人とも知らず。うち率ていけ。」と言ひければ、しりへ答へ〔答ゑ〕に答へて、走りにけり。「さもあらん。」と思ひて、文もやらずなりにけり。女、兄のはかりたるとは知らで、「あやしうをとづれぬ。」と思(おもひ)をり。この兄、れいのごとあるなり。「道あひの、知りも知らぬ人に、文かよはし懸想じ給、人の御心こそありけれ。かの人は、御妻のやがてあはせ奉らん。仲人(なかうど)こそよからめ。ゆるされたまはでは、不用ぞ。」など言ひければ、「なでう、目にかつかん。いかに知りてか、ともかうも思はん。」「世を知らざらん人は、さやうにも言はでこそあらめ。見つかずの御ありさまや。心うし〔心うしと〕。思はずなり。」など言へば、妹いとほしうて〔いとおしうて〕、「なにか、目につか〔ちか〕ざらん人を、しひて〔しひ〕も見給へと思はん。」とて入りにけり。


れいの書読みに、「内侍になさん。」の心ありて、親は書教ふるなりけり。文かよはしにはいひ〔しゝ〕たれど、この兄、心をまどはして思ひ出られけり。男言ふやう、「かく思ひ出でられ、かぎりなき心を思(おもひ)知らずして、よそなる人を思ひたまへるこそ、つらけれ。

目に近く見るかひ〔かい〕もなく思ふとも心をほかにやらばつらしな」
と言ひければ、「人の御心も知らずや。
あはれとは君ばかりをぞ思ふらんやるかたもなき心とを知れ
思ひぐまなや〔思ひくさなや〕(*あるいは「思ひくたさなや」の意か。)」と言ひければ、すこし心ゆきて、
いとゞしく君が嘆きのこがるればやらぬ思ひも燃えまさりけり
かく言ひて、心はかよひけれど、親にもつゝみ、人にもさはりければ、心とけて久しくも語らはずあり。されど、いかでか入りけむ、この妹の寝たるところへ入りにけり。いとしのびて、まだ夜ぶかく、出でにけり。たまさかに、這ひ入り〔這い入り〕\/たりけれど、あふことは難かりけり。常に向かひゐたりければ、夜はあはず、中\/に心はそらにて、「いかにせん。」と思ひ嘆きて、
うちとけぬものゆゑ〔ゆへ〕夢を見て覚めてあかぬもの思ふころにもあるかな
返し、
いを寝ずは夢にも見えじをあふことの嘆く\/もあかしはてしを


かく夢のごとある人は、はらみにけり。書読む心ちもなし。「れいの、さはりせず。」など、うたてあるけしきを見て、人\〃/言ふ。この兄も、「いとほし〔いとをし〕。」と見て、春のことにやありけん、ものも食はで、はなかうじ・橘をなむねがひける。知らぬ程は、親求めて食はせ、兄、大学のあるじするに、「みな取らまほし。」と思ひけれど、二三ばかり、たゝみ紙に入れて、取らす。

あだに散る花橘のにほひには緑の衣の香こそまさらめ
これをきこしめすなればなん。」返事に、「御ふところにありければなん、
似たりとや花橘をかぎつれば緑の香さへうつらざりけり


かゝることを母おとゞ聞き給て、ものもの給はでうかゞひたまひて向かひたまひたりけるを、手を取りて、引きもてゆきて、部屋にこめてけり。これを父ぬし聞きたまひて、のどかなりける人なりければ、「男もかしこき者にて、女をさなき〔おさなき〕者にあらず。さしたるやうあらむな。なほ〔なを〕ゆるしたまひて、の給へ。」とありければ、「おのが身を思ふとて、の給に。」とて、いよ\/鍵の穴に土ぬりて、「大学のぬしをば、家の中にな入れそ。」とて追ひ〔追い〕ければ、曹司にこもりゐて泣きけり。妹のこもりたる所にいきて見れば、かべの穴いさゝかありけるを、くじりて、「こゝもとに寄り給へ。」と呼び寄せて、物語して泣きをり〔おり〕て、出でなまほしく思へど、まだいと若くて、いたりたべき人もなくわびければ、ともかくもえせで、いといみじく思ひて語らひをる程に、夜あけぬべし。男、

かずならばかゝらましやは世の中にいと悲しきはしづのをだまき〔おだまき〕
返し、
いさゝめにつけし思ひの煙こそ身をうき雲となりてはてけれ
と言ひて、泣きあへりけり。夜あけにければ、曹司に帰りて、この女食ひつべきやにものをてうじて〔てかへて〕、もてゆかんとするに、心まどひて足もえふみたてず。もの覚えざりければ、むつまじく使ふ雑色を使ひにて、「たゞ今心ちあしくて、え参り来ず。その程これすき給へ。ためらひて、参らむ。」女、穴のもとにて待つに、かく言ひたれば、
誰がためと思ふ命のあらばこそ消ぬべき身をも惜しみとゞめめ
取り入れず。帰りて、「かくなむ。」と言ひければ、かしこくして、また\/いきて見れば、三四日ものも食はで、もの思ひければ、いとくちをしく〔くちおしく〕息もせず。「いかゞおはします。」と言ひければ、
消えはてて身こそは灰になりはてめ夢の魂(たましひ〔たましゐ〕)君にあひそへ
返し、
魂は身をもかすめずほのかにて君まじりなばなににかはせん
とて、よろづのことを言ひて泣けど、答へせずなりにければ、「死ぬ。」とて泣き騒(さわ〔さは〕)げば、声を聞きて、ときあけて見れば、絶え〔絶へ〕入るけしきを見て、まどひ出(いで)て〔まどゐ出(で)て〕、ほかの家(いへ〔いゑ〕)に去(い〔ゐ〕)にけり。親出でてのちに、いで〔ゐで〕、率(ゐ〔い〕)て(*この「ゐて」は衍文か。)入りて見れば、死にて臥せり。泣きまどへどかひなし。その日のようさり、火をほのかにかきあげて泣き臥せり。あとのかた、そゝめきけり。火を消ちて見れば、そひ臥す心ちしけり。死にし妹(いもうと)の声にて、よろづの悲しきことを言ひて、泣く声と言ふとも、たゞそれなりければ、もろともに語らひて、泣く\/さぐれば、手にもさはらず、手にだにあたらず。ふところにかき入れて、わが身のならんやうもしらず〔しず〕、臥さまほしきことかぎりなし。
泣き流す涙の上にありしにもさらぬわかれにあはにむすべる〔さらぬあはの山かへる〕
女、返し、
常に寄るしばしばかりは泡なればついに溶けなんことぞ悲しき
といふ程に、夜のあけにければ、なし。親はすてて去にければ、とかくおさむることはたゞこの兄ぞしける。人はみなすててゆきにければ、たゞこの兄、従者(ずさ)三四人・学生(がくさう)一人して、この女の〔女を〕死にける屋をいとよくはらひて、花・香たきて、遠き所に、火をともしてゐたれば、この魂(たましひ〔たましゐ〕)なん夜な\/来て語らひける。三七日は、いとあざやかなり。四七日は、とき\/見えけり。この男、涙つきせず泣く。その涙を硯の水にて、法花経を書きて、比叡(ひえ)の三昧堂にて、七日のわざしけり。その人、七日はなしはてても、ほのめくこと絶えざりけり。三年すぎては、夢にもたしかに見えざりけり。なほ〔なを〕悲しかりければ、初めのごとしてなん、まかせたりける。妻にも寄らで、ひとりなんありける。


時の右大臣のむすめ賜へと、文をおもしろく作りて、内に参り給とて、御車よりとりたまふとに、ついふるまいて奉れたぶに、取りて見たまひ、「うけ給りぬ。今、家にまかりて、御返(かへり)聞えん。」との給。大学に入りにけり。殿に帰りて、御女(むすめ)三人おはしけり。大君に、「しか\〃/のことなんある。いかに。」と聞え給へば、怨(ゑ)じて、泣きて入り給ぬ。中君、同じごと聞え給。三君に聞えたまふ。「ともかくも、おほせごとにこそ従はめ。」との給へば、いと清げに寝(しん〔しむ〕)殿作りて、よき日して呼び給。御消息(せうそく)ありければ、いと悲しう、橡(つるばみ)の、やれ困じたる着て、しりゐたる沓はきて、ふくめる(*「ふくだめる」か。)文のちゝ取りて、来にけり。帳(ちやう)のうちに入りて、まづこの文巻を奉れば、取り給はねば、篁さしていけば、この君、皮の帯を取りて、引きとめ給へば、とまりたまひにけり。これをかいまみて、父おとゞ見たまひて、「いとかしこくしつ。」と喜びたまふ。「出でて去なましかば〔去なまし。〕いかに人聞きやさしからまし。いとかしこきことなり。」と喜びたまふ。
三日の夜、いといかめしうて待ち給。たゞ童ひとりぞ、具し給ける。さて、このころ妹のありし屋にいきたりければ、いと悲しかりければ、寝にけり。妹、

見し人にそれかあらぬかおぼつかなもの忘れせじと思ひしものを
と言ひければ、かの殿にもいかで〔いかにて〕ぞ泣きをりける。久しう来ねば、大臣殿、「あやし。」と思(おぼ)したりけり。七日ばかりありて、来たり。「などか、見え給ざりける。」とのたまへば、すなほなり〔すなをなり〕ける人にて、ことかくさで〔かくして〕言ひければ、妻、「いとあるべかしきことにて、あはれのことや。わがためにも(*「わがためには」か。)、さらずはおはせめ。わいてもこそは、むかし人は心もかたちも、さものし給ければこそ、年をへてえ忘れがたくし給らめ。さる人を見たまひけんに、言ひ知らで見え奉るよ。後世いかならん。
あかずしてすぎける人の魂に生ける心を見せたまふらん
あな、はづかし。」との給に、男、「なにか、それは思しめす。かくては、はてはえ知(しろ)しめさじ。御魂のあるやうも見るべく、こゝろみにさへなり給はぬ。」とて、
別れなばをのがさま\〃/なりぬともおどろかさねばあらじとぞ思(おもふ)
出でてまかりしを、引きとゞめて、今日までさぶらはせたまふ。うるさしかし。」と言ひける。
この男は、若き間は、いとねんごろにあはで、ほかに夜がれなどもしけり。なり出でて、宰相よりも上(かみ)になりにけり。これなん、名にたつ篁なりける。才学はさうにもいはず、うたつくる〔山たつる〕こともえたり顔、この国人にはたらずぞありける。このこむまこ共にて〔こんまうのゝこて〕、かく歌よまぬはなかりけり。聞きたまはざりし姉二所は、いとわろき人の妻にて、この御徳を見給ける。いとよくなり出でければ、この三君を、また二つなくもてかしづき奉る。今の人、まさに大学のせうをむこに取る大臣〔だいし〕もあらむや。 たゞ心・かたち・才(さい)を〔お〕とり給なるべし。又、あらじかし、かやうに思ひて、文作る人は。


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