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徒然草 (2)

尾上八郎解題、山崎麓校訂
(校註日本文學大系3 國民圖書株式會社 1924.7.23)
※ 本文の句読点をそのまま残した。

 (1) 1-60  (3) 121-180  (4) 181-243

 61 御産の時、甑落す事は  62 延政門院幼くおはしましける時  63 後七日の阿闍梨、武者を集むる事  64 車の五緒は必ず人によらず  65 このごろの冠は  66 岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に  67 賀茂の岩本、橋本は  68 筑紫に、なにがしの押領使  69 書寫の上人は  70 元應の清暑堂の御遊に  71 名を聞くより  72 賤しげなるもの  73 世にかたり傳ふる事  74 蟻の如くに集りて  75 つれ\〃/わぶる人は  76 世のおぼえ花やかなるあたりに  77 世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに  78 今樣の事どもの珍しきを  79 何事も入りたたぬさましたるぞ  80 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ  81 屏風障子などの繪も文字も  82 羅の表紙は  83 竹林院入道左大臣殿、太政大臣に  84 法顯三藏の天竺に渡りて  85 人の心すなほならねば  86 惟繼中納言は、風月の才に  87 下部に酒のまする事は  88 あるもの小野道風の書ける和漢朗詠集とて  89 奧山に、猫またと云ふものありて  90 大納言法印のめしつかひし乙鶴丸  91 赤舌日といふ事  92 ある人弓射る事を習ふに  93 牛を賣る者あり  94 常磐井相國出仕したまひけるに  95 箱のくりかたに緒を著くる事  96 めなもみといふ草あり  97 其の物につきて、その物を費し損ふもの  98 たふとき聖のいひおきけることを  99 堀河の相國は、美男のたのしき人にて  100 久我の相國は、殿上にて水を召しけるに  101 ある人、任大臣の節會の内辨を  102 尹大納言光忠入道、追儺の上卿を  103 大覺寺殿にて、近習の人ども  104 荒れたる宿の人目なきに  105 北の家かげに消え殘りたる雪の  106 高野の證空上人京へ上りけるに  107 女の物いひかけたる返り事  108 寸陰惜しむ人なし  109 高名の木のぼりといひし男  110 雙六の上手といひし人に  111 圍棊雙六このみてあかし暮す人は  112 明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に  113 四十にも餘りぬる人の、色めきたる方  114 今出川のおほい殿、嵯峨へおはしけるに  115 宿河原といふ所にて  116 寺院の號、さらぬ萬の物にも  117 友とするに惡きもの  118 鯉のあつもの食ひたる日は  119 鎌倉の海にかつをといふ魚は  120 唐の物は、藥の外はなくとも  121-
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61
御産の時、甑〔蒸籠、飯をむす器具〕落す事は、定まれることにはあらず。御胞衣(えな)〔胎兒を包める膜、子が敷くため子敷と甑と同音で禁厭に用ゐたのだ。次の大原も大腹と通じ安産を望む心持だ〕滯る時の呪なり。滯らせ給はねばこの事なし。下ざまより事おこりて、させる本説〔正しき確かな據り所〕なし。大原の里の甑をめすなり。ふるき寳藏の繪に、賤しき人の子産みたる所に、甑おとしたるを書きたり。
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62
延政門院〔悦子内親王、後嵯峨帝の女〕幼(いときな)くおはしましける時、院へ參る人に、御ことづてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字〔こ字〕牛の角文字〔い字〕直な文字〔し字〕ゆがみもじ〔く字〕とぞ君はおぼゆる
こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。
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63
後七日〔朝廷で行はるゝ正月八日から七日間の佛會〕の阿闍梨、武者を集むる事、いつとかや盜人に逢ひにけるより、宿直人とてかくこと\〃/しくなりにけり。一とせの相は、この修中に有樣にこそ見ゆなれば、兵を用ひむこと穩かならぬ事なり。
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64
「車の五緒(いつゝを)〔車の簾の縁と編目の絲を被ふ革との間に同じ革で風帶二筋を垂れたもの〕は必ず人によらず、ほどにつけて極むる官位に至りぬれば乘るものなり。」とぞ、ある人おほせられし。
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65
「このごろの冠(かぶり)は、昔よりは遙かに高くなりたるなり。」とぞ、ある人おほせられし。古代の冠桶〔冠の入物〕を持ちたる人は、端(はた)をつぎて今は用ふるなり。
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66
岡本關白殿〔藤原家平、家基の子〕、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙〔雉一番〕をそへて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼下毛野武勝(たけかつ)に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず。」と申しければ、膳部にたづねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば汝が思はむやうにつけて參らせよ。」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つをつけてまゐらせけり。武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるにつく。五葉〔五葉の松〕などにも著く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、かへし刀五分に切る〔枝を斜に切りその先を又反對から五分だけ切る〕、枝のなかばに鳥をつく。著くる枝踏まする枝あり。しゞら藤〔つゞら藤〕の割らぬにて二所つくべし。藤のさきは、火うち羽(ば)のたけに比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし。初雪のあした、枝を肩にかけて、中門より振舞ひてまゐる。大砌(おほみぎり)の石〔軒下の石〕を傳ひて、雪に跡をつけず、雨覆ひの毛〔雉の尾の附根の所にある毛〕を少しかなぐり〔むしる〕散らして、二棟の御所の高欄によせかく。祿をいださるれば、肩にかけて拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪にはまゐらず。雨覆ひの毛を散らすことは、鷹は弱腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし。」と申しき。花に鳥つけずとは、いかなる故にかありけむ。長月ばかりに、梅のつくり枝に雉をつけて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ〔伊勢物語に「我が頼む君がためにと折る花は時しも分かぬものにぞありける」〕。」といへること、伊勢物語に見えたり。作り花は苦しからぬにや。
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67
賀茂の岩本、橋本〔共に上賀茂神の側にある社〕は、業平實方〔藤原實方、家時の子、左近中將〕なり。人の常にいひ紛へ〔混同して云ふこと〕侍れば、一とせ參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを、呼びとゞめて尋ね侍りしに、「實方は御手洗〔神社前の川或は泉、参詣人の手を洗ふ所〕に影のうつりける所と侍れば、橋本やなほ水の近ければと覺えはべる。吉水の和尚(くゎしゃう)〔慈鎭和尚の事、東山吉水に居たからかく云ふ。關白忠通の子〕、
月をめで花をながめし古のやさしき人はこゝにあり原
と詠みたまひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なか\/御存じなどもこそさぶらはめ。」と、いと忝(うや\/)しくいひたりしこそ、いみじく覺えしか。
今出川の院近衞〔今出川院は龜山帝の中宮嬉子、夫に仕へた近衞と云ふ女房〕とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前に、水にて書きて手向けられけり。誠にやんごとなき譽ありて、人の口にある歌おほし。作文詩序などいみじく書く人なり。
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68
筑紫に、なにがしの押領使〔數郡の領守で該地方の惡人鎭定の役人〕などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおほね)〔大根〕を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館(たち)のうちに人もなかりける隙(ひま)をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内につはもの二人出できて、命を惜しまず戰ひて、皆追ひかへしてけり。いと不思議におぼえて、「日頃こゝにものし給ふとも、見ぬ人々のかく戰ひしたまふは、いかなる人ぞ。」と問ひければ、「年來(としごろ)たのみて、あさな\/めしつる土大根らに候。」といひて失せにけり。深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。
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69
書寫の上人〔播磨書寫山に居た性空橘善根の子〕は、法華讀誦の功積りて、六根淨〔六根、眼、耳、鼻、舌、身、意の清淨なること〕にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻〔此の豆殻の話は支那七歩の詩から出て居る。魏文帝曹植を召し七歩の中に詩を作らせ、出來ねば殺すと云つた。その時曹植の詩「煮豆持作羹、漉■(豆+支:::大漢和に無し)(*鼓)以爲汁、黄在2釜下1燃、豆在2釜中1泣、本自2同根1生、相煎何太急。」〕を焚きて豆を■(煮の脚を「火」に作る:::大漢和57153)ける音の、つぶ\/と鳴るを聞きたまひければ、「疎からぬ己等しも、うらめしく我をば■(煮の脚を「火」に作る:::大漢和57153)て、辛(から)き目を見するものかな。」といひけり。焚かるゝ豆がらのはら\/と鳴る音は、「わが心よりする事かは。燒かるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ。」とぞ聞えける。
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70
玄應の清暑堂〔宮中豐樂院の後の殿〕の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣〔藤原兼季、西園寺公相の孫〕、牧馬〔(*玄上と)共に琵琶の名器〕を彈じ給ひけるに、座につきてまづ柱(ぢゅう)をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。御ふところに續飯(そくひ)をもち給ひたるにて付けられにければ、神供(じんぐ)の參るほどに、よく干て事故(ことゆゑ)なかりけり。いかなる意趣〔遺恨〕かありけむ、物見ける衣被(きぬかづき)(*原文ルビ「きぬかつぎ」)の、よりて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ〔顔かくせる婦人の所爲たる事を説明してある〕。
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71
名を聞くより、やがて面影はおしはからるゝ心地するを、見る時は、又かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、この頃の人の家のそこ程にてぞありけむと覺え、人も今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覺ゆるにや。またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
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72
賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂〔佛像位牌など納めて置く所〕に佛の多き、前栽に石草木のおほき、家のうちに子孫(こうまご)のおほき、人にあひて詞のおほき、願文に作善〔自分のした善行、例へば佛像供養、經典書寫の事など書き列ねること〕おほく書き載せたる。おほくて見苦しからぬは、文車〔下に車をつけた持ち運びの容易くできる書棚〕の文、塵塚〔ごみため〕のちり。
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73
世にかたり傳ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人〔頭の惡い理解のない人〕の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も變るものなり。かつ顯はるゝ〔一方から顯はれる〕も顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も實しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げに\/しく、所々うちおぼめき〔わざと所々をあいまいにして〕、能く知らぬよしして、さりながら、つま\〃/合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが爲面目(めんぼく)あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、佛神の奇特(きどく)、權者(ごんじゃ)〔神佛が衆生濟度のため此世にかりに出現せる者の意〕の傳記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は眞しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
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74
蟻の如くに集りて、東西にいそぎ南北に走る。貴(たか)きあり、賎しきあり、老いたるあり、若きあり、行く所あり、歸る家あり、夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。身を養ひて何事をか待つ、期(ご)するところ〔必ず來るもの〕たゞ老(おい)と死とにあり。その來る事速かにして、念々の間〔一刹那一刹那とすぎゆく間〕に留まらず。これを待つ間、何の樂しみかあらむ。惑へるものはこれを恐れず。名利に溺れて、先途〔到著點、死して行く先〕の近きことを顧みねばなり。愚かなる人はまたこれをかなしぶ。常住〔永久不變〕ならむことを思ひて、變化(へんげ)の理を知らねばなり。
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75
つれ\〃/わぶる〔徒然をこまる〕人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に醉へり、醉(ゑひ)の中(なか)に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて〔ぼける事〕忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しづか)にし、事に與らずして心を安くせむこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活(しゃうくゎつ)、人事(にんじ)、技能、學問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止觀〔天台大師の著書、十卷、妙法蓮華經觀心の義を述べたもの、三台三大部の一〕にもはべれ。
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76
世のおぼえ花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く往きとぶらふ中(うち)に、聖法師の交りて、いひ入れ佇みたるこそ、さらずともと見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。
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77
世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさ〔もて囃す材料〕に言ひあへること、いろふ〔取扱ふ、干渉する〕べきにはあらぬ人の、能く案内(あない)知りて、人にもかたり聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね〔呑み込めない〕。殊にかたほとりなる聖法師などぞ、世の人の上はわが如く尋ね聞き、如何でかばかりは知りけむと覺ゆるまでぞ言ひ散らすめる。
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78
今樣の事どもの珍しきを、いひ廣めもてなすこそ、又うけられね。世に事ふりたるまで知らぬ人は心にくし。今更の人〔今あらたに交際する人〕などのある時、こゝもとに〔こちらで〕言ひつけたる〔云ひ馴れた〕言種(ことぐさ)、物の名など心得たるどち、片端言ひかはし、目見合はせ笑ひなどして、心しらぬ人に心得ず思はすること、世なれず〔社交馴れない(かく樂屋落を云つて喜ぶからだ)〕よからぬ人の必ずあることなり。
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79
何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやはいふ。片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば世に恥しき方もあれど、自らもいみじと思へる氣色、かたくななり。よく辨(わきま)へたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。
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80
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷(えびす)〔東國の田舍武士をさす〕は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色(きそく)し〔顔色をする事〕、連歌し〔和歌三十一字を上句下句と二人して詠み一首とする文學、鎖連歌とて長く續くるのもある〕、管絃を嗜みあへり。されどおろかなる己が道より、なほ人に思ひあなづられぬべし。法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)〔三位以上の貴族〕、殿上人〔昇殿を許されて居る貴族、通常五位以上、或は六位の藏人〕、上ざままで、おしなべて武を好む人多かり。百たび戰ひて百たび勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。その故は運に乘じて敵(あた)をくだく時、勇者にあらずといふ人なし。兵盡き矢きはまりて、遂に敵に降らず、死を安くして後、はじめて名を顯はすべき道なり。生けらむほどは武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獸に近きふるまひ、その家〔武術專門の家〕にあらずば、好みて益なきことなり。
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81
屏風障子〔今の唐紙〕などの繪も文字も、かたくななる筆樣(ふでやう)〔下品な書き樣〕して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人(あるじ)の拙く覺ゆるなり。大かた持てる調度にても、心おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまに爲なし、珍しからむとて、用なき事どもしそへ、煩はしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくこと\〃/しからず、費もなくて、物がら〔物の質〕のよきがよきなり。
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82
「羅(うすもの)の表紙は、疾く損ずるが侘しき。」と人のいひしに、頓阿〔歌人、兼好と同時代、四天王の一〕が、「羅は上下はづれ〔本、卷物などの上下の端(*ママ)〕、螺鈿〔漆器に貝を飾りに入れたもの〕の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ。」と申し侍りしこそ、心勝りて覺えしか。一部とある草紙などの、同じ樣にもあらぬを、醜しといへど、弘融僧都兼好と同時代の歌人〕が、「物を必ず一具に整へむとするは拙き者のする事なり。不具なるこそよけれ。」といひしも、いみじく覺えしなり。總て何も皆事整ほりたるはあしき事なり。爲殘したるを、さてうちおきたるは、面白く、生き延ぶる事(わざ)なり。「内裏造らるゝにも、必ず造りはてぬ所を殘す事なり。」と、ある人申し侍りしなり。先賢の作れる内外(ないげ)の文にも、章段の闕けたる事のみこそ侍れ。
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83
竹林院入道左大臣殿〔西園寺公衡、實兼の子〕、太政大臣にあがり給はむに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上(かみ)〔左大臣〕にてやみなむ。」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿〔藤原實泰〕、この事を甘心し給ひて、相國(しゃうごく)〔太政大臣〕の望みおはせざりけり。亢龍(かうりょう)の悔い〔の乾卦に「亢龍有悔」、亢龍は昇天した龍〕ありとかやいふ事侍るなり。滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。萬の事さきの詰りたるは、破れに近き道なり。
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84
法顯(ほふげん)三藏〔支那晉代の高僧、三藏は經律論の三つに精通した僧の尊稱〕の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢〔單に支那の意〕の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き氣色を、人の國〔外國〕にて見え給ひけれ。」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな。」といひたりしこそ、法師の樣にもあらず、心にくく覺えしか。
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85
人の心すなほならねば、僞りなきにしもあらず、されど自ら正直の人などかなからむ。己すなほならねど、人の賢を見て羨むは世の常なり。いたりて愚かなる人は、たま\/賢なる人を見てこれを憎む。「大きなる利を得むが爲に少しきの利を受けず、僞り飾りて名を立てむとす。」と謗る。おのれが心に違へるによりて、この嘲りをなすにて知りぬ。この人は下愚の性うつるべからず〔論語に「上智與2下愚1移。」教育しても善に移す見込のない事〕、僞りて小利をも辭すべからず。假にも愚をまなぶべからず。狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。驥(き)〔千里を走る名馬、楊子法言に「晞驥之馬亦驥之乘也。」〕を學ぶは驥のたぐひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢をまなばむを賢といふべし。
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86
惟繼(これつぐ)中納言葛原親王の裔、高兼の子〕は、風月の才〔自然を詠ずる才、詠歌の才〕に富める人なり。一生精進〔美食せずひたすら佛道に邁進すること〕にて、讀經うちして、寺法師〔園城寺の僧の事〕の圓伊僧正藤伊平(*ママ)の孫尊道の子、歌人〕と同宿して侍りけるに、文保花園帝の御代、文保元年四月二十五日燒失〕に三井寺やかれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ。」といはれけり。いみじき秀句(しうく)〔言語上の洒落の意〕なりけり。
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87
下部に酒のまする事は心すべき事なり。宇治に住みける男(をのこ)、京に具覺坊とてなまめきたる遁世の僧を、小舅なりければ、常に申し睦びけり。ある時迎へに馬を遣したりければ、「遥かなる程なり、口つきの男(をのこ)に、まづ一度せさせよ。」と酒を出したれば、さしうけさしうけよゝと飮みぬ。太刀うち佩きてかひ\〃/しげなれば、頼もしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡〔山城宇治郡〕の程にて、奈良法師の、兵士(ひゃうし)あまた具して逢ひたるに、この男立ち對(むか)ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。とまり候へ。」といひて、太刀をひき拔きければ、人も皆太刀ぬき矢矧げなどしけるを、具覺坊手をすりて、「現心(うつしごゝろ)〔正氣〕なく醉ひたるものに候ふ。枉げて許し給はらむ。」といひければ、おの\/嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず。高名つかまつらむとするを、拔ける太刀空しくなし給ひつること。」と怒りて、ひたぎりに斬り落しつ。さて、「山賊(やまだち)あり。」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山賊よ。」といひて走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負はせ、うち伏せてしばりけり。馬は血つきて宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、男ども數多走らかしたれば、具覺坊は梔原(くちなしばら)〔普通名詞ではなささうであるが現今では不明〕にによび伏し〔うめき伏し〕たるを、求め出でて、舁(か)きもて來つ。からき命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはになりにけり。
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88
あるもの小野道風〔能書家、醍醐朱雀村上三帝に歴仕した〕の書ける和漢朗詠集藤原公任の編著、和漢詩人の妙句及び名歌を輯め、朗詠の材料としたもの〕とて持ちたりけるを、ある人、「御相傳浮けることには侍らじなれども、四條大納言公任の事〕撰ばれたるものを、道風書かむこと、時代や違ひはべらむ、覺束なくこそ。」といひければ、「さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ。」とていよ\/秘藏しけり。
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89
「奧山に、猫また〔老猫の尾がふたまたに分れたもの、怪異をなし獰猛になると一般に信ぜられた〕と云ふものありて、人を食ふなる。」と人のいひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の經あがりて、猫またになりて、人とる事はあなるものを。」といふものありけるを、なに阿彌陀佛とかや連歌しける法師の、行願寺〔革堂(開山行圓)だと云ふ説〕の邊にありけるが聞きて、「一人ありかむ身は心すべきことにこそ。」と思ひける頃しも、ある所にて、夜ふくるまで連歌して、たゞ一人かへりけるに、小川(をがは)の端にて、音に聞きし猫またあやまたず〔案の通り〕足もとへふと寄り來て、やがて掻きつくまゝに、頚のほどを食はむとす。肝心もうせて、防がむとするに力もなく、足も立たず、小川へころび入りて、「助けよや、猫また、よやよや。」と叫べば、家々より松〔松明〕どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。こはいかにとて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物〔連歌の懸賞でとつた賞品〕とりて、扇小箱など懷に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして〔めづらしく、やつと〕助かりたるさまにて、這ふ\/家に入りにけり。飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛びつきたりけるとぞ。
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大納言法印〔氏名不祥〕のめしつかひし乙鶴丸やすら殿といふ者を知りて〔男色の關係で親しくなる意〕、常にゆき通ひしに、ある時いでて歸り來(きた)るを、法印、「いづこへ行きつるぞ。」と問ひしかば、「やすら殿の許(がり)まかりて候。」といふ。「そのやすら殿は、男(をのこ)か法師か。」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候らむ。頭をば見候はず。」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。
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91
赤舌日(しゃくぜつにち)〔赤舌は羅刹神の司る日とて、忌み憚つた、例へば正月七月は、三、九、十五、二十一、二十七日を忌む如き類〕といふ事、陰陽道(おんみゃうだう)〔天文暦數卜筮等を研究する道、もとは陰陽五行の理を研究することから出來た名稱〕には沙汰〔噂、評判〕なき事なり。昔の人これを忌まず。この頃何者のいひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事末通らず〔成就しない〕といひて、その日いひたりしこと、爲たりし事叶はず、得たりし物は失ひ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日(きちにち)を選びてなしたるわざの、末通らぬを數へて見むも、亦等しかるべし。その故は、無常變易(へんやく)の境、ありと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず、望みは絶えず。人の心不定(ふぢゃう)なり、ものみな幻化(げんげ)なり。何事かしばらくも住する。この理(り)を知らざるなり。吉日に惡をなすに必ず凶なり、惡日(あくにち)に善を行ふにかならず吉(きつ)なりといへり。吉凶は人によりて日によらず。
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92
ある人弓射る事を習ふに、もろ矢〔二つの矢を一手に持つこと〕をたばさみて的に向ふ。師の曰く、「初心の人二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり、毎度たゞ得失なく、この一箭(や)に定むべしと思へ。」といふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろそかにせむと思はむや。懈怠(けだい)〔心が怠り、氣のゆるむ事〕の心、みづから知らずといへども、師これを知る。このいましめ萬事にわたるべし。道を學する人、夕には朝あらむことを思ひ、朝には夕あらむことを思ひて、重ねて懇に修せむことを期(ご)せり。況んや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らむや。何ぞたゞ今の一念に〔現在の一刹那に〕おいて、直ちにすることの甚だ難き。
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93
「牛を賣る者あり、買ふ人、明日その價をやりて牛を取らむといふ。夜の間(ま)に牛死ぬ。買はむとする人に利あり、賣らむとする人に損あり。」と語る人あり。これを聞きて傍(かたへ)なるものの曰く、「牛の主まことに損ありといへども、又大なる利あり。その故は、生(しゃう)あるもの死の近き事を知らざること、牛既に然(しか)なり。人またおなじ。はからざるに牛は死し、計らざるに主は存せり。一日の命萬金(まんきん)よりもおもし。牛の價鵝毛(がまう)よりも輕し。萬金を得て一錢を失はむ人、損ありといふべからず。」といふに、皆人嘲りて、「その理は牛の主に限るべからず。」といふ。また曰く、「されば、人死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び日々に樂しまざらむや。愚かなる人この樂しみを忘れて、いたづがはしく(*原文「いたつがはしく」)〔面倒な思ひをして〕外の樂しみをもとめ、この財(たから)〔人の生命を云ふ〕を忘れて、危(あやふ)く他の財〔金錢財寶など〕を貪るには、志滿つる事なし。いける間生を樂しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人みな生を樂しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。もしまた生死(しゃうじ)の相〔生死の姿、現象〕にあづからずといはば、實の理〔眞の悟脱〕を得たりといふべし。」といふに、人いよ\/嘲る。
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94
常磐井相國〔藤原實氏、公經の子、從一位太政大臣〕出仕したまひけるに、敕書を持ちたる北面〔北面の武士、上皇の院を護衞する役〕あひ奉りて、馬よりおりたりけるを、相國後に、「北面なにがしは、敕書を持ちながら下馬し侍りしものなり、かほどのもの、いかでか君に仕うまつり候ふべき。」と申されければ、北面を放たれ〔職を免ぜられる〕にけり。敕書を馬の上ながら捧げて見せ奉るべし、おるべからずとぞ。
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95
「箱のくりかた〔刳つた形、蓋にある〕に緒を著くる事、いづ方につけ侍るべきぞ。」と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸〔箱の左方〕につけ表紙〔箱の右方〕につくること、兩説なれば、何れも難なし。文の箱は多くは右につく。手箱には軸につくるも常のことなり。」と仰せられき。
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96
めなもみ〔稀■(艸冠/僉:れん::大漢和32131)草の俗稱、ナモミの一種、葉は三稜、秋小黄花を開く〕といふ草あり。蝮(くちばみ)にさされたる人、かの草を揉みてつけぬれば、すなはち癒ゆとなむ。見知りておくべし。
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97
其の物につきて、その物を費し損ふもの、數を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。國に賊あり。小人に財(ざい)あり。君子に仁義あり〔君子も仁義に拘泥し形式に墮する弊があるからだ〕。僧に法あり。
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98
たふとき聖のいひおきけることを書きつけて、一言芳談とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心に會(あ)ひて覺えし事ども。
一爲やせまし、爲ずやあらましと思ふことは、おほやう爲ぬはよきなり。
一後世を思はむものは、糂汰(じんだ)〔糠味噌〕瓶一つも持つまじきことなり。持經(ぢきゃう)〔肌身はなさず所有する經卷〕、本尊(ほぞん)にいたるまで、よき物を持つ、よしなきことなり。
一遁世者は、なきに事かけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一上臈〔臈は僧の修行の多少を區別する語、出家者剃髪授戒し一夏九旬を勤行せしものを臈と云ふ〕は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
一佛道を願ふといふは、別のこと無し、暇ある身になりて、世のこと心にかけぬを、第一の道とす。
この外も、ありし事ども、覺えず。
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99
堀河の相國〔太政大臣久我基具、岩倉具實の子〕は、美男のたのしき人〔愉快な快活な人〕にて、その事となく〔それと一定せず、何事によらず〕過差〔豪奢〕を好み給ひけり。御子基俊卿を大理(だいり)〔檢非違使別當の唐名〕になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃〔脚のある櫃〕見苦しとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より傳はりて、そのはじめを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難きよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。
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100
久我の相國〔太政大臣久我雅實、源顯房の子〕は、殿上にて水を召しけるに、主殿司土器(どき)をたてまつりければ、「まがり〔まげもの、木を薄くはいで曲げてつくりし器〕を參らせよ。」とて、まがりしてぞめしける。
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101
ある人、任大臣の節會の内辨〔節會の時、承明門内の諸事を掌る役〕を勤められけるに、内記〔中務省の官吏、詔敕を作り禁中の記事などを録す(*る)役〕のもちたる宣命〔任大臣の辭令をかいたみことのり〕を取らずして堂上せられにけり。きはまりなき失禮(しちらい)なれども、たちかへり取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記〔太政官の官大小公事の詔書奏文を案じ局中に記録する役〕康綱〔中原康綱〕、衣被の女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。
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102
尹(いんの)大納言光忠入道〔源光忠、尹は彈正臺長官〕、追儺の上卿(しゃうけい)を務められけるに、洞院右大臣殿〔藤原實泰、公守の子〕に次第を申し請けられければ、「又五郎をのこを師とするより外の才覺候はじ。」とぞ宣ひける。かの又五郎は老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。近衞殿(*未詳)著陣したまひける時、膝突〔敷物、小半疊のうすべり〕をわすれて、外記をめされければ、火たきて候ひけるが、「まづ膝突をめさるべくや候らむ。」と、忍びやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。
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103
大覺寺(だいかくじ)殿にて、近習の人ども、謎々をつくりて解かれけるところへ、醫師(くすし)忠守(*丹波忠守)參りたりけるに、侍從大納言公明(きんあき)卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな。」となぞ\/にせられたりけるを、唐瓶子と解きて笑ひあはれければ、腹立ちてまかでにけり。
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104
荒れたる宿の人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれ\〃/と籠り居たるを、ある人とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のこと\〃/しく〔仰山らしく〕咎むれば、げす女のいでて、「いづくよりぞ。」といふに、やがて案内せさせて入りたまひぬ。心ぼそげなるありさま、いかで過すらむと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、しばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひ〔物馴れしとやかなる樣子〕の若やかなるして、「こなたへ。」といふ人あれば、たてあけ所せげなる遣戸よりぞ入りたまひぬる。内のさまはいたくすさまじからず、心にくく、灯はかなたにほのかなれど、ものの綺羅など見えて、俄にしもあらぬにほひ〔今急に空薫などしたのでない香〕、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞふる、御車は門の下に、御供(おんとも)の人は其處々々に。」といへば、「今宵ぞやすきいは寢べかめる〔ゆつくり熟睡が出來るであらう。ぬべくあるめる〕。」とうちさゝめくも、忍びたれど、ほどなければほの聞ゆ。さてこの程の事ども、こまやかに聞え給ふに、夜ぶかき鷄(とり)も鳴きぬ。來(こ)しかた行くすゑかけて、まめやかなる御物語に、この度は鷄も花やかなる聲にうちしきれば〔頻りに啼けば〕、明け離るゝにやと聞きたまへど、夜深く急ぐべきところのさまにもあらねば、すこしたゆみ給へる〔ぐづぐづして居られる〕に、隙(ひま)白く〔戸の隙に夜の明けた色が白く〕なれば、忘れ難きことなどいひて、立ち出でたまふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりのあけぼの、艷にをかしかりしをおぼし出でて、桂の木の大きなるがかくるゝまで、今も見おくり給ふとぞ。
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105
北の家(や)かげに消え殘りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月〔十六夜以後、遲く出る月が空にあつたまゝで夜の明ける時、月をかく云ふ〕さやかなれども、隈なくはあらぬに、人ばなれなる御堂の廊に、なみ\/にはあらずと見ゆる男(をとこ)、女と長押〔敷居にある横木、下長押の事〕に尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらむ、盡きすまじけれ〔話がつきまい〕。かぶし〔頭を傾けうなだれた樣子〕、かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそをかしけれ。けはひなど、はつれ\/〔折々〕聞えたるもゆかし。
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106
高野の證空上人〔數人あるので不明〕京へ上りけるに、細道にて馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男あしく引きて、聖の馬を堀へ落してけり。聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子〔四衆とも云ふ、釋迦の弟子の四種〕はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞〔俗のまゝなる男の佛弟子〕は劣り、優婆塞より優婆夷〔俗のまゝの女の佛弟子〕は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり。」といはれければ、口引きの男、「いかに仰せらるゝやらむ、えこそ聞き知らね。」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修(ひしゅ)非學の男(をのこ)。」とあらゝかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける氣色にて、馬引きかへして遁げられにけり。たふとかりける諍論(いさかひ)なるべし。
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107
女の物いひかけたる返り事、とりあへずよき程にする男は、有りがたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、若き男達(をのこだち)の參らるゝ毎に、「時鳥や聞き給へる。」と問ひて試みられけるに、某の大納言とかやは、「數ならぬ身〔人數に入らぬ賎しい身〕はえ聞き候はず。」と答へられけり。堀河内大臣殿〔源具守、岩倉具實の子〕は、「岩倉〔山城愛宕郡岩倉〕にて聞きて候ひしやらむ。」とおほせられけるを、「これは難なし。數ならぬ身むつかし〔こゝでは、やかましい(大仰の意)と解く所だらう〕。」など定めあはれけり。總て男(をのこ)をば、女に笑はれぬ樣におほしたつべしとぞ、淨土寺の前關白殿〔藤原師教、忠教の子〕は、幼くて安喜門院後白河帝の女御、藤原有子、公房の女〕のよく教へまゐらせさせ給ひける故に、御詞(おほんことば)などのよきぞと人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿〔藤原實雄〕は、「怪しの下女(げぢょ)の見奉るも、いと恥しく心づかひせらるゝ。」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠もいかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。かく人に恥ぢらるゝ女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我(にんが)の相〔利己的な、人と我とを區別する姿〕ふかく、貪欲甚だしく、物の理を知らず、たゞ迷ひの方に心も早くうつり、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時はいはず、用意あるかと見れば、又あさましき事まで問はずがたりにいひ出す。深くたばかり飾れる事は、男(をのこ)の智慧にも優りたるかと思へば、その事あとより顯はるゝを知らず。質朴(すなほ)ならずして拙きものは女なり。その心に隨ひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば何かは女の恥かしからむ。もし賢女あらば、それも物うとく〔近づき難く〕、すさまじかりなむ。たゞ迷ひをあるじとしてかれに隨ふ時、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。
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108
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しと雖も、これを累ぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人(あきびと)の一錢を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期(ご)忽ちに到る。されば道人〔智度論に「得道者名爲2道人1、餘出家者未得道者亦名2道人1」、佛道に志す人〕は、遠く日月を惜しむべからず、只今の一念空しく過ぐることを惜しむべし。もし人來りて、わが命明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらむに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まむ。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならむ。一日の中に、飮食(おんじき)、便利〔大小便〕、睡眠、言語(ごんご)、行歩(ぎゃうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その餘りの暇、いくばくならぬうちに、無益(むやく)の事をなし、無益の事をいひ、無益の事を思惟(しゆゐ)して、時を移すのみならず、日を消(せう)し月をわたりて、一生をおくる、最も愚かなり。謝靈運〔支那晉代の文學者〕は法華の筆受〔法華經の飜譯者(事實では涅槃經の譯者であつたと云ふ。)〕なりしかども、心常に風雲の思ひ〔自然を愛すること〕を觀ぜしかば、惠遠(ゑをん)〔支那廬山東林寺の僧、東晉の人、釋道安の弟子〕白蓮の交はり〔惠遠を中心として出來た佛教徒の團體、白蓮社〕をゆるさざりき。しばらくもこれなき時は死人におなじ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修(しう)せむ人は修せよとなり。
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109
高名の木のぼり〔有名な木登り、木登りの名人〕といひし男(をのこ)、人を掟てて〔命令して〕、高き木にのぼせて梢をきらせしに、いと危く見えしほどはいふこともなくて、おるゝ時に、軒だけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ。」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るゝ(*ママ)ともおりなむ。如何にかくいふぞ。」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき枝危きほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちは安き所になりて、必ず仕ることに候。」といふ。あやしき下臈〔賎しき、身分低い者〕なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所〔蹴にくい所〕を蹴出して後、やすくおもへば、必ずおつと侍るやらむ。
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110
雙六(すぐろく)〔K白十二の駒、盤の目は十二づつ左右にある、賽をふつて早く先方へ駒全體が行き著いた方が勝ち〕の上手といひし人に、その術(てだて)を問ひ侍りしかば、「勝たむとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし。」といふ。道を知れるをしへ、身を修め國を保たむ道もまたしかなり。
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「圍棊(ゐご)雙六このみてあかし暮す人は、四重〔殺生、偸盜、邪淫、妄語〕五逆〔殺父、殺母、殺2阿羅漢1、破2和合僧1、出2佛身血1〕にもまされる惡事とぞ思ふ。」とある聖の申ししこと、耳にとゞまりて、いみじくおぼえ侍る。
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112
明日は遠國(ゑんごく)へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも營み、切(せち)に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。されば年もやう\/たけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。人間(にんげん)の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ道遠し〔唐書白居易傳に「日暮而途遠、吾生已に蹉■(足偏+它:た::大漢和37452)」〕、吾が生(しゃう)既に蹉■(足偏+它:た::大漢和37452)(さだ−ママ)たり、諸縁を放下(ほうげ)すべき〔世間の俗關係をひきはなし捨つべき〕時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、情なしとも思へ、譏るとも苦しまじ、譽むとも聞きいれじ。
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四十(よそぢ)にも餘りぬる人の、色めきたる方〔好色らしく見える人〕、自ら忍びてあらむは如何はせむ〔それは如何しよう、詮方がない〕、言にうち出でて、男女(をとこをんな)のこと、人の上をもいひ戲(たは)るゝこそ、似げなく見ぐるしけれ。大かた聞きにくく見ぐるしき事、老人(おいびと)の若き人にまじはりて興あらむと物いひ居たる、數ならぬ身にて、世のおぼえある人を隔てなきさまにいひたる、貧しきところに酒宴このみ、客人(まらうど)に饗應せむときらめきたる。
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今出川のおほい殿〔菊亭兼季、即ち菊亭の大臣〕、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、齋王丸御(おん)牛を追ひたりければ、足掻〔前足で地をかく事〕の水前板〔車の前に横たへてある板〕までさゝとかゝりけるを、爲則〔お供をした人の名、姓不詳〕御(み)車の後(しり)に候(さぶら)ひけるが、「希有の童(わらは)かな。斯る所にて御牛をば追ふものか。」といひたりければ、おほい殿、御(おん)氣色あしくなりて、「おのれ車やらむこと、齋王丸に勝りてえ知らじ。希有の男なり。」とて御車に頭をうちあてられにけり。この高名の齋王丸は、太秦殿〔藤原信清、信隆の子〕の男、料の御牛飼〔天皇の御召料たる牛を飼ふ者〕ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は膝幸(ひざさち)、一人は■(牛偏+孛:じ::大漢和20044)槌(ことつち)、一人は胞腹(はうはら)、一人は乙牛(おとうし)〔皆牛に縁ある用語らしいが不明〕とつけられけり。
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宿河原〔攝津と云ふ説と武藏と云ふ説がある〕といふ所にて、ぼろ\/〔梵論、虚無僧〕おほく集りて、九品の念佛〔九度調子を變へる念佛〕を申しけるに、外より入りくるぼろ\/の、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と申すぼろやおはします。」と尋ねければ、その中より、「いろをしこゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ。」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申す人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、うらみ申さばやとおもひて、尋ね申すなり。」といふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事はべりき。こゝにて對面(たいめん)したてまつらば、道場をけがし侍るべし。前の河原へまゐりあはむ。あなかしこ。わきざしたち、いづ方をも見つぎ給ふな。數多のわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし。」といひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかり〔思ふ存分〕に貫きあひて、共に死にけり。ぼろ\/といふものは、昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字(ぼろんじ)、梵字、漢字などいひける者、そのはじめなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執ふかく、佛道を願ふに似て、■(鬥/亞の上端両辺を鉤の手にした形+斤/:とう::大漢和45657)諍(とうじゃう)を事とす。放逸無慚のありさまなれども、死を輕くして少しもなづまざる〔拘泥執著しない〕方のいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書きつけ侍るなり。
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寺院の號、さらぬ萬の物にも名をつくること、昔の人は少しも求めず、唯ありの侭に安くつけけるなり。この頃は、深く案じ、才覺(さいがく)〔才智、自分のはたらき〕を顯はさむとしたる樣に聞ゆる、いとむつかし〔こゝでは面倒でうるさい〕。人の名も、目馴れぬ文字をつかむとする、益(やく)なき事なり。何事もめづらしき事をもとめ、異説を好むは、淺才の人の必ずあることなりとぞ。
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友とするに惡(わろ)きもの七つあり。一には高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく身つよき人〔健康者は病弱者に同情がないからだ〕、四には酒をこのむ人、五には武(たけ)く勇める人、六にはそらごとする人、七には慾ふかき人。善き友三つあり。一にはものくるゝ友、二には醫師、三には智惠ある友。〔論語季氏篇にも之に似た益者三友、損者三友がある。〕
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鯉のあつもの食ひたる日は、鬢そゝけずとなむ〔脂のため髪も亂れないとの義〕。膠(にかは)にもつくるものなれば、粘りたる物にこそ。鯉ばかりこそ、御前〔天子の御前〕にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なれ。鳥には雉さうなき〔雙び無き、第一(*の)〕ものなり。雉松茸などは、御湯殿(おゆどの)〔料理の間〕の上にかゝりたるも苦しからず。その外は心憂きことなり。中宮後深草院の中宮、東二條院〕の御方の御湯殿の上のくろみ棚〔煤でKくなつた棚〕に、鴈の見えつるを、北山入道殿〔中宮の御父、西園寺實氏〕の御覽じて、歸らせたまひて、やがて御文にて、「かやうのもの、さながらその姿にて、御棚にゐて候ひしこと、見ならはず〔見馴れず〕。さま惡しきことなり。はか\〃/しき人〔はつきりした人、敏腕家、物のわかる人。後に同じ語がある。之は身分ある人〕のさぶらはぬ故にこそ。」など申されたりけり。
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119
鎌倉の海にかつをといふ魚は、かの境には雙なきものにて、この頃もてなすものなり。それも鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚おのれ等若かりし世までは、はか\〃/しき人の前へ出づること侍らざりき。頭(かしら)は下部も食はず、切り捨て侍りしものなり。」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつ〔入込む〕わざにこそ侍れ。
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唐の物は、藥の外はなくとも事かくまじ。書どもは、この國に多くひろまりぬれば、書きも寫してむ。もろこし船の、たやすからぬ道に、無用のものどものみ取り積みて、所狹く渡しもて來る、いと愚かなり。遠きものを寶とせず〔尚書族契篇に「不2遠物1、則遠2人格1。」〕とも、また得がたき寶をたふとまず〔老子に「不2得之貨1、使2民不1盜。」〕とも、書にも侍るとかや。

(*以下、次ファイル


 61 御産の時、甑落す事は  62 延政門院幼くおはしましける時  63 後七日の阿闍梨、武者を集むる事  64 車の五緒は必ず人によらず  65 このごろの冠は  66 岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に  67 賀茂の岩本、橋本は  68 筑紫に、なにがしの押領使  69 書寫の上人は  70 元應の清暑堂の御遊に  71 名を聞くより  72 賤しげなるもの  73 世にかたり傳ふる事  74 蟻の如くに集りて  75 つれ\〃/わぶる人は  76 世のおぼえ花やかなるあたりに  77 世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに  78 今樣の事どもの珍しきを  79 何事も入りたたぬさましたるぞ  80 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ  81 屏風障子などの繪も文字も  82 羅の表紙は  83 竹林院入道左大臣殿、太政大臣に  84 法顯三藏の天竺に渡りて  85 人の心すなほならねば  86 惟繼中納言は、風月の才に  87 下部に酒のまする事は  88 あるもの小野道風の書ける和漢朗詠集とて  89 奧山に、猫またと云ふものありて  90 大納言法印のめしつかひし乙鶴丸  91 赤舌日といふ事  92 ある人弓射る事を習ふに  93 牛を賣る者あり  94 常磐井相國出仕したまひけるに  95 箱のくりかたに緒を著くる事  96 めなもみといふ草あり  97 其の物につきて、その物を費し損ふもの  98 たふとき聖のいひおきけることを  99 堀河の相國は、美男のたのしき人にて  100 久我の相國は、殿上にて水を召しけるに  101 ある人、任大臣の節會の内辨を  102 尹大納言光忠入道、追儺の上卿を  103 大覺寺殿にて、近習の人ども  104 荒れたる宿の人目なきに  105 北の家かげに消え殘りたる雪の  106 高野の證空上人京へ上りけるに  107 女の物いひかけたる返り事  108 寸陰惜しむ人なし  109 高名の木のぼりといひし男  110 雙六の上手といひし人に  111 圍棊雙六このみてあかし暮す人は  112 明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に  113 四十にも餘りぬる人の、色めきたる方  114 今出川のおほい殿、嵯峨へおはしけるに  115 宿河原といふ所にて  116 寺院の號、さらぬ萬の物にも  117 友とするに惡きもの  118 鯉のあつもの食ひたる日は  119 鎌倉の海にかつをといふ魚は  120 唐の物は、藥の外はなくとも  121-
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